他人の美学
『うわああああああああっっ!?』
内側で、マクラの悲鳴が響く。落ちていく。【浮】の術を使えば多少は重力に反発出来るが、せいぜい五センチ浮かぶ程度が限界だ。いくら禊力操作に達者であっても、翼を持たない人間に飛行は無理なのである。
と諦めてしまえば確実に死ぬ。ミンチになってしまう。幸い、人類はパラシュートという偉大な発明を成し遂げている。構造を思い出し、紫色の波をコントロールして、テレビのスカイダイビングでよく見る形のパラシュートを作り出す。
底泥亭は、自由落下に身を任せ、あっという間に地上へ帰る。ぐちゃりと鈍い音を立てて潰れた。潰れる直前まで気持ち良さそうに笑っていた。
数十秒遅れて着地する。真っ赤な花火が咲いた地点から、おおよそ二十メートル離れていた。ぐちゃぐちゃになった肉塊から、共存関係にあった蟲たちが次々と湧く。そして、元宿主を喰い荒らす。血の一滴すら残さない。
周囲に被害が出る前にと、蟲を焼き殺そうとする。しかし彼らは、側の僕など意に介さず、ただ共食いを始めた。食って喰って、周りの奴らを喰いまくって、最後の一匹になった蟲は、食い過ぎで腹が裂け、絶命した。
これが、蟲蜥蜴底泥亭の望んだ結末なのだろうか。
他人の美学は、分からない。
辺りを見回す。第一グラウンドの付近だった。
「逸れてしまった」
写魏たちと。心配だ。特に町代は、禊力の過度な使用を禁じられているから余計に。医者は、彼女が魂を回し過ぎると、何やらとても悪いことが起きると言っていた。具体的な内容は聞いていないが。嫌な予感がする。敵と遭遇した時、町代には無理をしかねない危うさがある。
灰學あたりに保護されていれば安心なのだが。あいつは何をしている。現在どこにいるのか。彼は「祓い場」が好きだと言っていた。危機に晒されれば自発的に動く。積極的に原因を探り、元凶を叩こうとするに違いない。奴ほどの祓い屋が戦闘を始めれば、気配くらい分かりそうなものだが。あちこちから争いの空気が立ち上るのは感じるのに、どれにも灰學っぽさはない。
もしかして。頭を抱えた。
建物に閉じ込められているのでは?
別れ際、国畑探しで疲れたから仮眠を取るなどと言っていた気がする。
「町代たちと早く合流せねば」
『疲労感が伝わってくるぞ。マジックポイントは大丈夫なのか?』
マクラが尋ねてきた。首を振る。
「正味心許ないな」『休んだ方がいいんじゃないか? 安全な場所で』
「さてはお前が隠れたいだけだな?」
『隠れてやり過ごしたいぞ。日文が動けなくなったら、マクラが操らなきゃいけないんだからな。マクラみたいな弱々ザコザコ妖怪が』
自虐。猫又のお母様と戦った最終局面、まさにマクラに動かない体を操縦してもらったわけだが、トラウマになっているのかもしれない。
『怖がっておもらしして当然なんだぞ』「お漏らしはするなよ」
釘を刺す。寄生された状態で妖怪に漏らされた場合にどうなるか、想像もしたくない。右手に汚水が染み渡るのか、霊青線を伝って僕が漏らす羽目になるのか、いずれにしても最悪だ。
第三グラウンドの方角へと歩き始めた。第一からはかなり遠い。到着までに、町代たちは移動するだろうか。危険な戦地を積極的に駆け回りそうなメンツではない。基本的にはその場に留まろうとするけれど、倒せないレベルの妖怪に襲撃されたら逃げるというのが僕の予想。
『元地味ピンクが根暗アルビノとパシ絵のコンビと上手くやれてるか心配だぞ』
「断言するが、上手くやれない。心配するだけ無駄だ」
『お前酷いな』「写魏と婀歴は、町代が相手するにはちょっとキワモノだ」
『さっきの底泥亭よかマシだぞ』「あれと比べたら誰だってそうだろ」
良識を司る脳機能が完全停止してそうな奴だった。
腕を組む。【龍】によって右腕を引きちぎられた彼女は、牢獄特有の禍いを発動させた。真なる効果の詳細は冥土の闇へと消えていったが、予想としては、自らの血がかかったゲストを、牢獄内の好きな場所へ連れて行けるというものだと思う。ただし自分も一緒に。トリッキーな能力だ。
現在「祓い場」は、連結牢獄と化している。底泥亭と同じく、ここに忍び込んで来たVOTE参加者すべてが、己が牢獄の禍いを持ち込めると考えた方がいい。実に厄介だ。
気になる点が一つある。底泥亭は、彼女も協賛して型作ったはずの連結牢獄を「紛い物」と称した。ほぼ同一規格な様式の使い手同士しか、連結牢獄は張ることが出来ない。このルールと照らし合わせて、最初から普通のものとは思っていなかったが、しかし「紛い物」とはどういう意味か。
ゲストにデバフがかかっている。ホストは禍いを呼べる。少なくとも形式上は、牢獄としては成立している。偽物ではない。
口の化け物が三体徘徊していた。倒す。
「マクラ。近くにVOTE参加者はいるか?」
『いるようでいない。いないようで確かにいるんだぞ』
「なぞなぞかよ。答えはナイトリップとか」『え?』
今度は五体だ。始末する。
「トリップして見た幻覚は実存しない。しかしナイトリップ自体はある」
『ないとりっぷってなんだぞ』「夜用のリップクリームだよ」
『りっぷくりーむとは美味しそうだぞ』「唇を保湿する軟膏剤だ」
十一、十七、二十三。
化け物の数が、どんどん多くなっていく。囲まれていた。陽の気は残り少ないが、戦うしかなさそうだ。歯茎と黄ばんだ歯とともに、食欲を剥き出しにしている。匂いはなく、また存在感もないが、生理的嫌悪感は一入だ。
大口を開け、統率なく襲い来る。構えた。省エネ志向で行く。
石畳を踏みしめた時、奴らはピタリと静止した。そのまま振り返る。化け物の集団が割れ、道が出来た。「ふん、ふふん、ふふん♪」と鼻歌が鳴る。
「瓦礫に華を捧げましょう」
芝居がかった口調でそう言いながら、女がゆったり歩いてくる。
「みんないい子だねえ」
彼女は、僕の前で立ち止まった。オレンジカラーなシャツの上にヨレヨレの白衣を着込み、ポケットに手を突っ込んでいる。
馴れ馴れしく呼びかけてきた。
「やあヒブくん」
「根守詛璃」




