蟲蜥蜴の底泥亭
「誰も笑わねえじゃねえか! クソが!」
底泥亭が地団駄を踏み始める。なぜ笑いが取れると思ったのか。本人にとっては面白いジョークだったのかもしれない。ネタの質はともかく、少なくともTPOは弁えていなかった。
睨みつける。
「この男を時限爆弾に仕立て上げたのはお前か?」
「おっ。イケメンだなお前! しかもオレと同じVOTE参加者! 運命を感じるぜ!」「質問に答えろよ」
「ただ人間の形をした虫籠、命なき道具なんだって言ったらどうする?」
「嘘吐きと軽蔑する。歴とした生きた人間だった。さながら生きた蟲壺だ。運悪く捕らえられ、腹に蟲を仕込まれてから、釣り餌として放たれていた。お前に。蟲蜥蜴の底泥亭に。そう解釈するほかない」
「賢い!」「誰でも分かる」「そうかねぇ」
底泥亭は口角を吊り上げる。嗤っている。恐ろしい形相だった。冷徹。
加えて、VOTE参加者なのにタッグたる人間がいない。魂を保つだけの肉片にされ、首に埋め込まれているのか。自宅内「失踪」事件の調査途中で行き遭った、火鼠小鬼化け狸と同様に。
「ほとんどの奴はパニックになって、頭が回んなくなっからさあ。『祓い場』だったら少しはマシかと思ってたけど、全然そんなことなくて。怯える怯える、絶望しまくるったらなんの!」
「サンプル数は?」「十くらい」「統計的には何も言えないな」
撒き散らされた肉、臓物、血すらもすべて喰い尽くした蟲たちが、底泥亭の下へと帰っていく。後には何も残らない。
恐らく、第三グラウンドの周囲にいた人たちは皆、同じ末路を辿っている。
背中の梨沙々を下ろした。写魏に任せる。
憎悪で以って言葉を続けた。
「倫理的には最低の極みだが」「難しいこたあ分からねえ」
「難しくない。お前は殺す」「わお」
底泥亭は、わざとらしく口を窄めた。
「簡単だぜ」
身体強化し、殴りかかる。底泥亭のスカートから、黒光りする長い尻尾が飛び出てきた。サソリとトカゲを混ぜ合わせたような形。しなる。剛腕ピッチャーのストロークよりもさらに速く振るわれる。
受けたら裂かれる。禊力で守ろうとも。
そう直感した。右足で踏ん張った。体を地面に縫い止める。姿勢を低くした。勢いでクレーターが生まれる。
底泥亭の尻尾が、頭上ギリギリを抜けていく。
「下着が丸見えだ」「見せてんのさ。冥土の土産にゃなるだろ」
「自意識過剰だぜ」
クレーターを三歩で駆け上がる。【矢】と【粒】の弾幕を張った。底泥亭目掛けて打ちまくる。すると、彼女の尾先が分化した。一つ一つを器用に動かし、術のすべて弾いて見せる。
そのまま僕を狙ってきた。凄まじい密度の攻撃だった。養護施設で習得したアクロバットを応用して躱す。タイミングを読み、尻尾の一本に飛び乗った。跳躍の起点として十分に硬い。足場として使い、底泥亭本体に接近する。
待ち構えられていたらしい。殴ってきた。受け流す。回し蹴りで返した。止められる。掴まれないようにすぐ引っ込めた。
体技の応酬。高速格闘を演じる。
大妖怪ギツネほどではないが、強い。やはり火鼠どもとは格が違う。
「すんげえいい求婚だなあぁ!」「求婚だって?」
「知ってるかい? 殺意とは究極の愛なんだよ!」「黙れ。潰すぞ喉を」
「指輪の代わりに首輪をかけようという腹か!? 知ってるぜえ! そういうプレイがあることは! イカれてるよなあっ」
長台詞の隙に、底泥亭の口へと指を突っ込んだ。禊力を流し込む。ついでに不快な舌も引きちぎってやろうとした。燃えるゴミくらいにはなる。今よりマシになるだろう。
ぞわりと背筋に寒気が走る。腕を蟲が這い上がってきた。慌てて引き下がり、体を伝う蟲らを殺す。二箇所噛まれた。ヤバい毒が入り込んだと直感し、大量の禊力で浄化する。陽の気がごっそり減ってしまった。
一方で、底泥亭に注入した禊力を操作し、体内の攪拌を試みる。レッドアンドクリーミーなスムージーサーバーにしてやる。焚き火の燃料だ。
が、キャンセルされた。正確には、無数の蠢く何かに押さえ込まれた。底泥亭は悪魔的な笑みを浮かべ、健在な舌を出す。真ん中にカナブンがいた。前羽を閉じたまま、後ろ羽で飛翔する。続けて、種類に大小様々な蟲が、口から大量に出現した。
生理的嫌悪感が走った。吐きそうになる。
「生きた蟲壺とはオレのことだぜ」「蟲蜥蜴ってのは皆そうなのか?」
「いんや。居着いてもらえるほど愛され、愛しているのは、蟲蜥蜴でもオレだけさ」「究極の愛とは殺意なんじゃなかったのか?」
「そうだぜ。蟲はオレをぶっ殺して乗っ取ろうとし、オレは蟲をぶっ殺して栄養にしようとしている! つまりお互い、さいっこうの恋愛相手というわけだ!」
「お前の論理じゃ、たくさんの蟲から求婚されてるわけか。ハーレムとはいいご身分だ」「心配するんじゃねえ。お前も加えてやる。この愛憎劇に」
「ごめん被る」
会話の間に大技の術式を組み終えた。またもや陽の気をふんだんに使ってしまうが、仕方がない。泥試合で時間と体力ともに使い切っちまう方が怖い。思い切り良く。
両手の指を複雑に絡み合わせ、底泥亭に向け術を起動する。
大妖怪ギツネ直伝、
「【龍】」
あの猫神よりもさらに高位なる存在、龍のアギトが再現される。神力はさすがに無理だが、それに近しい、雑魚なら触れるだけで消滅しかねない密度のエネルギーを纏い、底泥亭へと進撃する。
彼女は尾を再び一本にまとめた。千を軽く超える蟲たちでコーティングする。黒く禍々しい鎧だった。一切の躊躇なく、【龍】に向かって振るう。
激突。反動で吹き飛ばされそうになる。堪えた。負けてたまるか。
頑強極まりない尻尾の破壊は叶わなかったが、しかし弾いた。【龍】は底泥亭の頭を噛みちぎろうとする。しかし間一髪でズラされた。首級は上げられなかったけれど、右肩から先と、加えて妖気をごっそり持っていく。
血飛沫が舞い、僕の頬に少しかかる。
底泥亭は立派にも、泣き叫ぶことはしなかった。呻くだけだ。とても痛いはずなのに。抉れた肉の断面から、百足がニョロニョロ現れる。
彼女は哄笑した。強がっている様子はない。本気で楽しんでいる。
「ギャハハ。ハハハ! 奴のセッティングにゃなるべく頼りたくなかったが。この人造紛い物な連結牢獄にはな! でも仕方ねえ。やってやるっ!」
言い切ったのち、突然真面目な顔になった。その目はきっちり、現実を捉えている。
「禍いをもたらすぜ。蝕み蝕み申す」
咄嗟に防御を固めた。蝕む。身体内部へと害悪を為す類の災禍が仕掛けられると思ったからだ。しかし違った。
そう思わせる布石だった。
パッと景色が変わる。足元が覚束ない。重力に引かれ落ちていく。右手があった根本から血を撒き散らす、底泥亭とともに。
ここは空。「祓い場」上空。
「お前っ!」「無料のスカイダイビングだぜ」
彼女は体を大きく広げた。
「エキサイティング! せいぜい楽しもうぜ! あっさっきのジョーク」
スベった話の補足を付けてくる。
「あれ実話」
底泥亭は、「お喋りでズボラ」という弱点を当瀬に突かれてます。彼女は戦闘中に遊び過ぎていました。真面目にやればもっと強いです。




