発見
八時半に目覚めた。いつもの起床時刻より一時間三十分も遅い。黒いモンスターによる親子殺害、妖怪拷問、婀歴橋絵による愛の告白、長いミーティングとで、昨日は結構ドタバタしたのだ。多少の疲労は仕方がない。
写魏的乃は、寝惚け目で鏡を見る。顔を洗う。歯磨きする。ボサボサなプラチナヘアをクシとドライヤーで整えた。ようやく思考が冴えてくる。
「卯架?」
呼びかけるが返事はない。ルームメイトは出かけているようだった。朝ご飯は用意されていた。目玉焼き、ウインナー、トーストにレタスサラダが入った皿にはラップがかけられている。ご丁寧にも、「チンして食べてね」なんて書かれたメモがテープで貼り付けてあった。
珍しく、二週間以内の提出締切と発表がない。ゆっくり、黙々と食べる。皿を洗って片付けた。紙パック入りのコーヒーを飲む。スマホの電源を付けた。ヨーロッパ魔術国際コンファレンスからメールが届いていた。貼り付けられたリンク先のブリーフィング動画を眺める。
二十分で終わった。体感では短い。なのに頭は疲れている。眉間を解きほぐした。大きく溜息を吐く。自分は本当にまだ十九歳なのだろうか。
なんとなく、友人に電話をかける。
「もしもし」『あ、婀歴です。写魏さん?』
「忙しい?」『忙しいと言えば忙しい、かな……でも大丈夫です。へへ』
「なら良かった」
声にハリがない。寝てないなこいつ。さぞかし忙しいんだろうな。無理して当瀬日文にお供なんかするから。写魏はそう思う。思っただけで、心配は傍に置いた。それはそれ、これはこれ。自分には無関係だ。友人同士で喜びは分かち合えても、他人の苦しみは他人のものである。
「単刀直入に聞くんだけど」『はい』
「なんで日文さまに告白したの?」『は、はいっ!?』
素っ頓狂な高い声だった。耳がキンとなる。写魏は口を抑えようとした。自分はなぜ、いきなりこんなことを尋ねたのか。
抑える前に追及していた。語気が強まる。
「答えて」『いっ今ですか? 後で書類提出という形を取るわけには』
「早く答えないと絶交するから」『御無体なっ。靴でも舐めますから』
「三、二、一」『分かりました! 分っかりましたよ!』
実に与し易い。スマホの向こう側から、深呼吸の音がする。徐々に呼吸が整っていく。この子の勇気は美しいと、写魏は心底から羨ましく感じた。
無性に苛立つ。対面での会話だったらぶん殴っていたかもしれない。
『なんていうか。その』「うん」
『その、は、発情しちゃって!』「は」
写魏は絶句した。拍子抜けだ。もう少しロマンチックな答えを期待していた。
「発情」『ま、マタタビのせいかな……』
「日文さまの飼ってるアホそうな猫又じゃあるまいに。でもね。あの部屋の香りを嗅いで。実は私もちょっと火照ってたっていうか」『えっ』
「芳香剤に媚薬成分でも仕込まれてたんじゃないかな」
『あ、ああ。なるほど。私のせいだと思うんですけど、受付の人、明らかに利用目的を勘違いしてましたし。勘違い。ふへへ』
「なにその笑い方。気持ちわる」
『勘違い、されたかったなぁ』
ハスキーボイスの呟きに、熱と潤いがギュッと込められていた。
写魏は驚いた。命よりも大切なスマホを落としそうになる。婀歴橋絵の本音を、久しぶりに聞いた気がした。
『会って、まだ、まだほんの三日目何ですけども』「うん」
『好き、なんです。当瀬日文さんのことが。すごく。すごく。こんなの初めてで。得意なはずの気持ちの整理が。全然出来なくて。すごく嬉しい』「へー」
『ぎゃ、逆に聞きたいんですけど』「ん?」
『写魏さんは、あっ、あの人を、どう思ってらっしゃるので?』
面食らう。手酷い反撃を喰らった。主観的な正直さで答える。
「神様みたいな少年」『それは愛ですよ。恋焦がれる愛です』
「恋なんて。そりゃあ、顔が好みだし、話しやすいし。最初は下心もあったんだけど。知ってるでしょ? 『覇人』との激闘。もう二つ名候補の募集がかけられてる。私も『黒神』で応募した。そのくらいすごい人。不遜だって」
『ふへへ。昨日、一緒に乱れてくれれば良かったのに』
「っ!? みだれっ!? ばっばか! 橋絵のパッシー!」
『わ、私一人では当瀬さんと釣り合う自信がなくてですね。へへ。その点、写魏さんも共犯なら安心かなって』「共犯て」
写魏は勢い良く首を振る。プラチナヘアに刻まれる寝癖が復活した。花瀬卯架や上止葉友梨に見つかれば笑われてしまうと、慌てて手で直す。
「そういう考えが浮気の悲劇を生むのでは。向かう先は破滅」
『と、当事者同士で上手くコミュニケーションを取れれば』
「話し合う度に拗れそう。半年も経てばお前を殺す自信がある」
『や、やめてっ。お腹に子供が』
「何その妄想。怒るよ! 日文さまは半年で生命作り出すほど無節操な人じゃないから! 一途だから! 私を選ぶまで女には絶対に手を出さない!」
『……写魏さん。願望がダダ漏れですけど……』「あ」
両者ともに沈黙した。写魏は服の裾をパタパタとはためかせ、涼しい風を取り込んだ。体温が高まっている。熱い。窓を開けた。柔らかな春の空気が入り込んでくる。女子寮の庭に植え込まれた木が、かすかに葉を揺らしていた。
「聞かなかったことにして」『はい』
「卯架とか葉友梨に喋ったら殺す。禁忌術式をコード化してでも」
『は、はい……と、ところでなんですけど。そろそろ仕事に戻らないとやばいです……雛川理事からの怒られが発生します』
「あの人最近怖い。夫が浮気したからって学生に当たるのは良くない」
『は、はは。まあ重要な案件ですから。昨日夕方の抜き打ちメンテナンスで、メインコンピュータルームの錠から微弱な妖気痕が検出されたんです。セキュリティの大問題ですよ。どんな不届き者妖怪がいたのか。今その調査をやってます。一人で』
「へぇ」
『妖気痕の形から、どうも付喪神らしいというのはすぐ分かりました。で、でも、これまで日本でデータが取られた付喪神の痕跡と比べると違いがはっきりしてて。妖気の染み付き方が、実体ある妖怪のパターンとは異なってるんですよ』
「へぇえ」
『まるで、物理では触れない系の妖怪みたいな。元は物体たる付喪神なのに。変ですよね。しかしつい先日、イギリスでは術式のプログラミングコードが怪異化する現象が多数報告されてる、かつ一致率85%で、コードの怪異から元々のコードの再現が出来るというペーパーを読んだんですよ。私のカンが、か、関係ありと告げてます。つまり、コードが付喪神化したのではないかと』
「…………」
『でも私、コンピュータのことはよく分からなくて。そのペーパーの理解もあんまり進んでおらず。そ、そうだ。写魏さんはガチプロじゃないですか! 手伝ってくれません? お礼もしますから』
「行く。行かせて欲しい。だって私たち親友だし」
『う、嬉しいです! 頼もしいっ』
感激される。写魏は気風良く笑って電話を切った。
急いで身支度する。当瀬日文と協力し、証拠隠滅したはずだったのに。消しきれなかった僅かな痕跡を検知されるとは。何としてでも調査を妨害せねば、と彼女は固く決意する。
女子寮から教育棟に行くのに、歩きで五分もかからない。自分の研究室から、作業用ハイスペックノートパソコンを回収する。そのままメインコンピュータルーム前に直行した。隙を伺いつつ、婀歴の作業にしばらく付き合う。件のペーパーについて色々質問を受けた。所々でボケてみる写魏だったが、婀歴の学問的カンは鋭く、尽く違和感を指摘され、見抜かれる。
「写魏さん。眠いんですか? あ、もしかして。わ、私を試してます?」
「う、うん。橋絵の成長が見たくて」「まったくもう」
四時間経つ。写魏の目的は未だ達成されない。焦りが身を灼く。
水分補給を言い訳に一時撤退した。応援が欲しい。不法侵入錠破り仲間であり、かつ現状況で最大の戦力になりそうな上止葉友梨の研究室に赴く。
扉を開いた。
「大変! 橋絵が真相に近づきかけてる! 場合によっては記憶消去……」
言いかけて、止めた。手からパソコンが落ちる。呆然と立ち尽くす。
床は真っ赤に染まっていた。壁にも飛沫が引っ付いている。机のへりから、ポタポタと液体が落ちている。
血溜まりの真ん中に、バラバラになった少女がいた。
黒に桜色の混じる髪。首から下を、あたかもポリゴンブロック状に分解された花瀬卯架が、息絶えていた。




