卑屈なパシ絵ちゃん
十六時になる。聞き取り調査から解放された。教育棟のエントランスで人心地つく。缶コーヒーを開けた。グイッと呷る。
手帳を開いた。昼飯後、残り10ポイントを切っていたのが158になっている。一時間半の拘束で150ポイント、日本円にしておおよそ二万二千円ももらえた。割が良過ぎる。ついでに特別捜査士用のタブレットもいただいた。祓い屋世界の序盤を一気に駆け抜けた気分だ。
町代は一万五千円もらっていた。祓い屋資格がない分低いが、一般的な日本社会の謝礼金と比べると相当多い。
「財布がホクホクだよ〜。何買おっかな」
「祓い屋としてちゃんと仕事するともっと給料がいいらしい」
「税金泥棒だねー。祓い屋になっちゃおうかなあ」「いいんじゃないか?」
東大などの有名大学卒は「祓い場」でもエリートとして扱われる。外での通りがいいからだ。祓い屋の高校から外部進学して東大に行く者も稀にいるらしい。
まったりしていると、史引先生が現れた。彼の研究室に行き、町代を禊力の使い手として登録してもらう。すぐに終わった。
「灰學は?」「彼なら外で仕事中。大火事の容疑者捜索に貸し出してる」
「ああ、三週間前の。犯人が分かってるんですか」
「火の特徴的な甘い香り。間違いなく国畑の仕業だ」
「国畑?」「種族不明。恐らくオリジナル。詳細はタブレットを見てくれ」
驚く。昭和四十三年から指名手配されている。危険度S。大量殺人、麻薬やキメラの違法取引。とてつもない悪党だ。なのに、大妖怪ギツネからは名前も聞いたことがない。判明しているパーソナリティを記憶する。
教育棟を出て、エセ六角堂を通り、町代を家に帰した。与えられた寮部屋に戻った時には、時刻は十九時半だった。コンビニで買った弁当を食べ、風呂に入った。それからタブレットを眺める。使い方、特に重要な内蔵データの更新方法と管理について熟読した。
ようやく事件のPDFに移れる。記載内容については理解した。が、文字だけでは分からないことは多い。現場の位置も記されている。あらかじめ申請すれば調査が許されるらしい。明後日から始めよう。
寝て起きる。午後には自宅アパートに戻るつもりだが、その前、十時に人と会う約束がある。婀歴橋絵。写魏たちの友達で、VOTEについて詳しいようだ。頼み事をホイホイ引き受けるため忙しい。貴重な時間を使っていただくのは心苦しいが、アポをすでに入れられてしまったのだから仕方がない。九時半に寮を出た。
教育棟五階、503号室が指定された場所だ。用途は小さな会議か、あるいはセミナーかという部屋。十時の二分前に婀歴橋絵はやってくる。
例に漏れず色付きの髪。黒をベースに、山吹色が混じっている。付け加えて予想通り、幸薄そうな、儚げな顔立ちだった。前髪が長く少し目元が見えにくいが、町代よりもさらに臆病そうだ。
「あ、もういる……ご、ごめんなさい。待たせちゃいました?」
「全然構いませんよ。約束の時間は十時ですから。綺麗な部屋ですね。埃ひとつない。とても清潔です」
「し、失礼のないように、さっき一回来て掃除しましたので。六時くらいだったかな」「はい?」「あ、安心してください。仕事に支障は出てませんから……」
「ちゃんと寝てますか? 就寝時刻は? 起床時刻はいつですか?」
「ね、寝たのは二時。起きたのはよ、四時半くらいです……色々やることあるので……不審者情報のチェックだったり、花瀬さんのスピーチ動画に英語字幕つけたり……あっ」
「花瀬の? それってあなたがやるべきことなんですか?」
「ご、ごめんなさい! 今のは忘れてください! 花瀬さんがちゃんとやりました! あっあの人がちゃんとやったんです! え、えっと。掃除! この部屋の掃除、一時間くらいしかかかってないので、きっ気にしないでください! 清潔で綺麗でしょ……私、掃除はすごく得意なんです。えへへ、ほら……床すごく綺麗に出来ました。舐めれるくらいです。ベロン」
「舐めてもいいくらい綺麗でも舐めない方がいいですよ」
「あっあっ。ごめんなさい、上止さんたちはこうすると喜んでくれるのに……いや、私の唾液、汚いですよね。気持ち悪いですよね私。今すぐ拭きますから、ゆ、許してください」
袖を引っ張って、這いつくばり、床を擦ろうとする婀歴。これまで会ってきた誰よりも卑屈な人だった。世界で一番卑屈なのではなかろうか。あと、花瀬と上止が陰湿である。
ウェットティッシュを取り出した。婀歴を手で制し、床を代わりに拭いてやる。それから、麦茶の入った水筒と紙コップを机の上に用意した。注いで差し出す。
「床味が残ってるでしょう? 口直しに」「……え?」
「あまり時間を使わせても悪い。本題に入りましょう。お互い気楽にね」
「え、え?」
紙コップと僕を交互に見つめる。半目がちだった瞼が開く。髪の隙間から覗かれる瞳に、強い光が灯った気がした。
「僕はVOTEの参加者なんですが。妖怪に取り憑かれてから、髪の色が――」
「すき」「え? どうかしました?」
「なっ何も……私なんて、迷惑でしかないですから……つ、続けてください」
訝しむ。あまりにも小さな声で聞き取れなかった。が、何を言ったか尋ねても答えてもらえないと感じる。言う通りに続けることにした。
「マクラという銀髪の猫又に取り憑かれてから、髪の色が彼女と同じのシルバーに、どんどん変わっていくんです。進行を止められませんか? 欲を言えば、元に戻せたりしませんかね?」
禊力で染髪剤を落とす。自分では見えないが、銀色が斑に混ざった頭を披露出来たはずだ。
「銀髪の猫又……ですか」
婀歴は腕を組んだ。少し考えてから言う。
「銀の舞姫」「はい。猫又の里でそう呼ばれてました。知ってるんですか?」
「金の巫女と対の存在。猫神を特殊な舞で呼びます。神をも招くとてつもない引力……その源は魂にあります。舞姫の魂は強く大きく、しかし硬い……本人は、自分の力を扱い切れません。こ、心当たりがあります、でしょ? 当瀬さん」
「ですね。魂の知覚が非常に遅れてました」
感心する。僕も知らない事実だった。婀歴はVOTEオタクとだけ聞いていたが、それどころじゃない。少なくとも、妖怪の生態について深い知識を持っていそうだ。歴史や文化なども詳しいかもしれない。
「改善してきていますがね。今じゃ妖力も多少使える」
「改善ですか? 普通じゃないですね……異様です……魂が柔らかくなってる……生まれ持った硬さがなくなってるってことですから。だ、出してもらっても良いですか? 猫又のマクラさん」
「もちろん」
内側に働きかける。ゲームで夜更かししたせいか、まだ寝ているマクラを無理矢理起こした。右手から引っ張り出す。
「酷いぞ日文。はー、頭がガンガンする。こりゃ二日酔いだぞ」
「二日も酔うほどゲームするな」
「えっと、えっと、じゃ診ますね……診ても良いですか?」「良いですよ」
「【看】……あっだいぶ丸いですね。記録に残ってる過去の舞姫四体の魂は、どれも鉱物の結晶みたくカチコチだったのに。変質してますね。なんでだろう……霊青線で人と繋がったから……二人の魂が融け合ってる。深く、深く深く深く……」
「このお姉さんなんか怖いぞ」「集中してらっしゃるんだ」
一分待つ。婀歴は口を開いた。
「へ、ヘアカラーが妖怪の影響を受けてるのは、多分、浅い『人妖融合』の症状なんです。VOTEでタッグを組んだ人と妖怪が、魂の淵で結び付く現象……三例しか確認されてませんが」
「三? 会ったVOTEの参加者は、全員妖怪の形態に影響を受けてましたが。僕には猫耳が、町代祝には犬耳が、火鼠に寄生されていた男にもネズミの髭が生えてきてましたよ」
「そ、それは『人妖融合』とは異なります……単に混ざってるだけです。食塩が水に融けるのと、泥が水に混ざるのとでは違うじゃないですか」
「なるほど。ニュアンスは分かります」
「でも……でもですね。『人妖融合』って、本来はあり得ない現象なんですよ。別々の魂が融け合うなんて……魂の自己保存定理というのがあって、二つの魂が重なり合ったところでエントロピーが一定以上にならないことは、数理的に証明されてるのに! VOTEの例外は、科学的に不健全なんです! だからロマンなんですけど!」
力説された。話についていけないのか、マクラはホワイトボードにちょうちょを描いている。ゲームのやり過ぎで幻覚でも見ているのか。
とりあえず、「魂の自己保存定理」とやらの証明を見せてもらった。
「じ、実は私、覚えるのと比べると、数学はちょっと得意じゃなくて。それ難しいですよね。証明の中身はあんまり理解出来てません……」
「分かりにくいですけれど、かなり強い仮定が置かれてますね。必ずしも妥当とは言えないものが」「えっ?」
「魂が合わさる初期の時点で、少なくとも一方が不安定でないこと」
「だ、妥当じゃないんですか? VOTEのタッグ契約は、妖怪と人の相互合意が必要でしょう? どっちの心も、延いては魂も安定してると思うんですけど」
「僕らは違いました。僕は恋人が死んだばかりで。絶望のまま、肉と魂を死にかけのマクラに差し出したら、なぜか契約が履行されてたんですよ」
しみじみと語る。「そんなケースが」と驚いてから、婀歴は興奮気味にメモを取り始めた。が、すぐに手を止める。
どこかしょんぼりとした声音で言った。
「あ、えと……恋人いたんですね」
「いましたよ。で、髪は治りますか?」「治りません」
チョロイン出してみました。




