プログラミングコードの付喪神化
術式は、複雑な文様によって構成されている。精密に描かれた一つ一つの曲線が、大きさと位置によって、流し込まれたプレーンな禊力・妖力の変換を決定し、術者が望む三次元的現象を引き起こす。術式とは禊力・妖力に対する多層的な命令の集合体なのだ。そのプログラミングコード化とは、命令を解きほぐし、各々がコンピュータにも分かるほど十分シンプルになるまで細分化してから、実行する文をちまちま書いていくという作業に他ならない。先ほどエントランスで灰學を待っている時、写魏が饒舌に語ってくれた。
一般的なプログラミングとの最も大きな違いは、出力が現実の事象として現れる点だ。計算自体は電力で行えても、術の発動エネルギーは電力で賄うことは出来ない。命なきコンピュータは陽の気や陰の気を持っておらず、また空気に微量含まれるそれらをどうこうするのは不可能だ。妖怪と化していない限り魂がないのだから。禊力・妖力は人間側が用意する必要がある。書いたプログラミングコードを動かすには、そういう特殊なエネルギーの通れる回路が実装されてなければならない。
目まぐるしい技術革新により、「祓い場」で買えるパソコンには、禊力専用の回路がデフォルトで備わっている。が、写魏は普通のスマホを、術式コードが作動するよう自前で改造してしまったらしい。偏執的な情熱だ。深夜の不法侵入のちのデジタルピッキングについて詳細を尋ねると、強制解錠のコードは、彼女のスマホによって回されたことが分かった。
「自分のテクニックをつい試したくなって」「それが仇になったんだ」「え?」
「改造したところで、スマホ一台の計算能力なんてたかが知れてる。このメインコンピュータルームの封印、実はちゃんと見てないだろ。あまりにも緻密だ。芸術品だよ。はっきり言おう。どれだけコードが秀逸でも、スマホ如きで解錠が成功するはずなかった」
「でも――」「なのに成功している。なぜか」
「……『執念の一人歩き』」
写魏が口を押さえる。なぜ気づかなかったのだろうという顔だ。
「この業界じゃ珍しい話じゃないよな? 道具が持ち主の強い感情に呼応して、妖怪化して動き出す。執念は付喪神を生み、込められた願いを叶えようとする。一般人は滅多に起こさないが、君らは優秀な祓い屋だ。異能者だ。底知れぬやる気が怪異化してもまったくおかしくない。実体ある物でなくプログラミングコードが付喪神になった、という点は興味深いが」
まさに現代の妖怪という感じだ。四人は一様に驚いている。
ふと、マクラを襲い手足を奪った帽子の付喪神を思い出した。冴義理という名だったか。トラウマに襲われていないか、チラリと眺める。憮然とした顔で歯軋りしていた。スマホゲームで負けたらしい。付喪神という単語すら忘れているのかも知れない。アホ猫がアホ猫たる所以。
「考えもしなかったわ」「想像の斜め上から殴られた気分だよ」
「でも言われてみれば簡単だよね」
「最初の着眼点が良くなかったな。コードのメカニズム自体が悪かったわけじゃない。プログラマー系研究職なら第一に疑うところなのだろうけれど」
持ち物が怪異化しないよう、僕は普段から感情の爆発を抑えている。真島柿が死んだ時は苦労したし、最近はマクラから伝わってくる振れ幅の大きい喜怒哀楽の制御が大変だが。ハウリングするから。
とにかく、意識的に注意している。だから付喪神化の可能性は、相談を受けたうちから考慮していた。
「他の研究も忙しいんだろ? 脳が疲れてるはずだ。専門外の事象に鈍くなっても仕方ない。でも、灰學辺りに相談すれば一瞬で解決したと思うぞ。根のいい奴だ。君たちの犯行を告げ口する人柄じゃない」「え〜」
根守が困り顔になる。
「私たちからすれば、あんなの天上の存在だよ」「話しかける勇気がないわ」
「ちょっと時間を取らせるだけで烏滸がましいよね」「うん」
「なるほど。そうやって遠巻きにされてるからボッチなんだな」
納得する。天才とは孤独なものだ。僕だって施設にいた時、906番には気後れしていた。自分から話しかけられなかった。
「僕はその灰學と互角に戦ってみせたわけだが。怖くないのか?」
「全然怖くないよね。親しげに話せるよ」
「会いに行けるアイドルみたいな。なんでだろ」
「側のほんわかした猫ちゃんのおかげかしらね。中和されてるのよね」
「ん? チューはしてないぞ」「お前にキスするなら床を舐めた方がマシだ」
「舐めてみせろよ今ここで。頭を踏み付けにしてやるっ」「お前も痛いぞ?」
肩を竦める。「チュー」「キス」という単語が出てから、なぜか四人組は黙ってしまった。恥ずかしがってるのかと訝しみながらも、メインコンピュータルームの扉前に行く。
禊力でコード付喪神を引き摺り出した。ほぼ概念体だ。外気に晒された途端に消えていく。少しだけ哀れに感じた。
振り返る。
「これで大丈夫。あとはログを消せば証拠隠滅完了だ」「えと。ありがとう」
「もうやるなよ。実験は真っ当に」
「将来の合法性は保証出来ないけど」「法が悪いんだよね」
「いちいち申請するのがめんどくさいわ」
「マッドサイエンティストの道は険しいぞ」
「どこがマッドなん?」
花瀬が首を傾げる。犯行は繰り返されそうだ。
「もう五時だよね。どっかご飯食べに行く? 当瀬君も一緒に」
「悪いけど先約があって」「あっ。七時に『覇人』と待ち合わせだっけ」
用事は済んだ。エレベータで一階まで降りる。
写魏たちはそのまま夕飯を食べに行くらしい。エントランスで彼女らを見送った。
「バイバイ。また遊ぼうね」「次は日文さまの術式をコード化したい」
「研究が遊びなのか? いい心構えだ。またな」
十九時まで灰學を待つ。彼は来なかった。代わりに史引先生がやってきた。
灰學は、彼と僕が戦った際に出来た境界の歪みを直しているらしい。灰學がすべての後始末を押し付けられた形となる。多少の罪悪感を覚えた。
歪みは、つい三十分ほど前に発見されたようだ。小規模だが深い。「覇人」の二つ名持ちと言えど、閉じるのに二時間かかる。疲れる作業だ。僕を案内する体力など残っていまい。
史引先生に連れられて、外観はやはり寺たる居酒屋に入る。研究室で会った焼きそば売り学生のほかにもたくさん人が来ていた。歓迎会を催してくれたようだった。ただし灰學は抜き。知らない人ばかりで多少緊張するが、ご厚意はありがたい。
VOTEの参加者であることは直ちに知れ渡った。「棟梁になりたいか」と聞かれるマクラ。最初はしどろもどろだったが、会の雰囲気に飲み込まれたのか、やがて調子良く「マクラこそ棟梁に相応しい」などと宣い始める。祓い屋の意見を汲むなら候補として応援してやると担がれていた。
傀儡にされる未来しか見えない。
総じて楽しい歓迎会だった。別れ際、僕らの寝床たる寮が示された簡単な地図を渡される。それを頼りに夜道を歩く。
空気が澄んでいる。月と星の光が綺麗だ。異界なのに。古風な建造物群は様式こそ統一されていないものの、夜の環境には映える。この景色の撮影には、スマホのカメラじゃ役不足だ。もっと高性能のカメラを持ってくれば良かった。
「ふぁーあ……」「もう眠いのか。僕の右手に入っとけ」
「そうする」
猫又を収納した。地図によれば、あと少しで寮に辿り着く。やっと人心地が付けるな。
そう思った時だった。すぐ近くから、妙に懐かしい気配を感じる。
なんだ?
急いでその方角に向かう。幅の狭い道を小走りに抜ける。行き着いたのは、木の植え込みに囲まれた小さな摂社だった。
辺りをキョロキョロと見回す。誰もいない。だが僕は呟いた。
「906番?」
首を振った。彼女は養育施設のバイオハザードで生き残った。でも、すべての記憶を失って――施設を忘れて、僕を忘れて、新しい自分になって、人間社会で真っ当に生きているはずだ。
こんな場所にいるわけない。




