変動相場制
「なんて奴らだ。ただの試験だぞ。核実験じゃない。もうちょっと配慮してくれ」
史引先生はそう注意してきた。げっそりとやつれている。申し訳ないと反省した。あれだ。クライマックスで興奮していた。大技対決はさぞ盛り上がるだろうと、安易に考えてしまったのがいけなかった。
「日文も案外お茶目だぞ」「十中八九お前の影響だ」
現在、アルビニズムの少女写魏と話し込んだ、教育棟のエントランスに戻ってきていた。ぞろぞろとギャラリーがついてきている。史引先生は、120円のアイスコーヒーを買った。ゴトンと落ちてくる。
「うん。ここじゃなんだね」「センセの研究室でいいでしょ」
灰學の提案に、エレベータに乗り込む。ギャラリーから五人ほど抜け出てきた。彼らも乗ってくる。
「私の教え子だ。写魏さん以外。さっき売り子をしてくれた」
「売り上げは487.3ポイントです」「ふむ、ぼったくったね」
僕の試験を行う裏で、営利活動に励んでいたらしい。ポイントとやらの相場も、祓い屋の研究がどういうものなのかもまだ分かってないが、普通と同じなら金は必要だ。抜け目のなさに感心する。
写魏に視線を移した。なぜ追ってきたのだろう。上の階に用事があるのか。
「気にしないで。ただのストーカーと無視すればいい。日文さま」
「ただのストーカーが堂々と姿を現していいのか? あと日文様?」
眉を顰める。「懐かれたらしいな」と灰學は笑った。懐かれたで済ませていいのか。なぜか、目刺しを上げた子猫に付き纏われた時と同じ気分になる。すでにバカ猫に取り憑かれているのだ。空きスロットはない。
エレベータは七階で止まった。降りる。写魏も一緒だ。705号室の表札に、史引拓哉と名が記されていた。八人入っても十分なほど広い。
部屋の主が、デスク前の回転椅子に座る。彼に尋ねた。
「実戦試験は終わりでいいですよね? ペーパーテストはいつ?」
「さっきので満点評価だ。ペーパーテストなんて必要ない。君に特別捜査士の資格を与える。いや、もう理事になって欲しいぐらいだ。二人でクーデターを起こしてくれてもいい。私は支持する」
「公約として、『祓い場』のごちゃごちゃな景観整理を掲げましょうかね」
「素晴らしい。君の誕生日は将来ハッピーホリデーになるだろう。少し待っててくれ。さっき中央に資格証を申請した。もうすぐ届く」
史引先生のポケットからバイブ音がした。スマホを取り出す。画面のタッチ後、小さなゲートが開いた。立派な手帳が落ちてくる。
「おめでとう。たった今を以って君は祓い屋の特別捜査士だ。規約等記したPDFは、後で石済に送らせる。捜査士には資料共有用の端末が一台支給される。明日の夜までには必ず来るはずだ。ああ、当瀬君。歳はいくつだ?」
「十七です」
「若いな。手帳内のカードに軽く禊力を通すと、保険証や住民票を通じて生年月日を登録出来る。やっといてくれ。年齢制限があってね。十八の誕生日まで、扱いは見習いとなる」「R18なんですか?」
いかがわしい。子供を守るルールなのだろうが。ふと思い出す。写魏は自分を祓い屋と名乗った。見習いは付いていなかった。つまり十八歳以上ということだ。背が低く童顔だから、意外に感じる。敬語を使う気にはならないが。
手帳を開き、表紙内側に収められているカードを眺める。ポイント欄を見つけた。最初から50ある。初期保有として付与されるようだ。
灰學が解説してくれる。
「『祓い場』じゃ通貨として使える。ノルマを熟せば増えるぜ」
「円換算すると?」「えーと」
灰學が詰まった。すかさず写魏が答える。
「今日は一ポイントにつき148.6円。昨日は149.2円」「変動相場制なのか」
「ポイントから円にはすぐ変えられる。でも円からポイントに変えるには、祓い屋資格の審査で時間がかかる上に手数料もかなり取られる。にもかかわらず、外で働き現金稼いでポイントを獲得しようとする祓い屋は結構いる。体裁を整えるために」
「身分証にこれみよがしに表示されている。見栄に直結するのは分かるな。ややこしい慣習はともかく、大体150円というわけか。イギリスのポンドくらいだ。妖怪京都とかで使えないのか?」「あそこは完全に円社会」
手帳をポケットにしまう。焼きそばの純利益を計上、確認し終えた学生四人が退出していった。「ルームメイトが昼ご飯を作ってる」と言って、写魏もいなくなる。空気を読んだのか。
史引先生は、片肘を机に乗せる。真面目な表情で言った。
「真島柿厨荏の魂喰いと。最近の物騒な事件についての捜査資料を閲覧したい。そういうことだったね。関連を疑っている」「はい」
「全部が全部、同時期の奇特な事件だ。その気持ちはよく分かる。特に自宅内失踪は、喰った妖怪の足取りが掴めていないという点で、真島柿厨荏の事件と共通している。尤もガイシャは、肉体まで全部『失踪』してたがね。食べ残しを許さない家庭で育ったのか」
「命の大切さから先に躾けるべきでしょうに」「まったくだ」
デスクトップパソコンの電源がつけられる。プロテクトが解除され、真島柿の遺体の写真とともに、事件の内容が詳細に記述されたPDFが表示された。
「大丈夫か? 深い仲だったのだろう? 彼女が実は携帯を二台持っていた、というのも君からの情報だというし」「大丈夫です。思ったよりも」
意外なほどに落ち着いている。僕は答えた。
「本当にただ眠ってるみたいだ」
目立った外傷はない。「歯形」もない。大妖怪「九尾の狐」が関係している可能性あり。レポートを読むに、新しい情報はほとんどなかった。
ただ一点を除いて。
「霊力の空白?」
「ああ。現場周辺でゴソッとなくなっていた。まるで何かに使われたみたいに。発見後一日半で元の濃度に戻ったが」
訝しむ。人、妖怪ともに、才能さえあれば霊力を動かすことは出来る。しかし、禊力あるいは妖力と違って、術の発動には使えない。あれをどうこう出来るのは神だけだ。現世の者には不可能だが、限界まで圧縮すれば神の力に昇華する。猫神は、降臨後の定着に利用していた。
霊力の消費が起きていた。すなわち神が現れたということなのか? レポートの中では完全に否定されている。環境数値の変化があまりにも小さい。どんなにチンケな神であっても、空間の歪みは有意に発生するはずだ。よって神の出現はあり得ない。
ピースが追加された。難易度が上がったと感じる。全体像の把握が遠のく。パズルを組み立てるためには、決定的な何かが足りない。




