祓い屋の異界
三週間が経った。期末も終わった。町代の順位は九位。今までと比べて飛躍的に向上した。僕は言うまでもなく一位だ。養育施設での勉強と比べて、文科省が定めた学習要項に従う通常の高校は、やる内容が簡単過ぎる。
というわけで、大学に進む前、最後の春休みだ。来年は卒業である。沖縄旅行は最後の二日、つまり四月の四日と五日とした。沖縄の海開きは三月の下旬あたりと考えれば、かなり絶妙なタイミングと言える。猫又のお母様と連絡を取り合って決めた。『ナイスバディを見せてやろうかな』とメッセージが届く。写真も添付されていた。スクール水着に身を包むちんちくりんが写っていて、とても残念な気分になった。六百歳の所業ではない。
荷物をまとめる。もちろん沖縄旅行の準備ではない。いくら楽しみでも、二週間前から用意を始めるのは早い。当初の予定にはなかった別件の旅行だ。横でマクラがどのゲーム機を持っていくかを真剣に悩んでいる。ス◯ッチはまだ分かるが、プレ◯ステーション5は不適じゃなかろうか、持ち歩くには。
インターフォンが鳴る。石済灰學がやってきた。彼は確か、三色かふぇでは食後にミルクティーを頼んでいた。銀のミルクジャグ、またキーモンの紅茶を出す。本来ストレートに適した茶だが、ミルクにも合うように感じる。付け合わせとして、マクラの大好物たるドライフルーツを出した。
「単刀直入で悪いが。真島柿の事件捜査に進捗は?」
「ほとんど何も。九尾の狐が見つからない」
「そうか。まあ僕や白々燐からも音信不通だからな。いったい何やってんだか」
肩を竦めた。灰學は「あと」と続ける。
「俺の実地研修に含まれてないから詳細は不明で、指導教員からちょっと聞いただけなんだけど。自宅内失踪も資産家だけがかかる怪病も、捜査は行き詰まっている」
「でも事件はまだ続いてる」
「表向きは警察の無能だが。世界の裏側も知ってる界隈では、ちゃんと祓い屋の権威が失墜してる。政府のボスもお冠だ。現場の苦労も知らないでな。見習いにすら雑務が下りてきてる。バイト代が高いのはいいんだけど」
灰學は言いながら、リュックから三枚の札を取り出した。正三角形状に並べる。その上の空間が、少しずつだが不安定に揺らぎ始めた。
「祓い屋の異界に繋がる門を開ける。一時間くらいかかるかな」
「自然発生しないのか? 妖怪世界のゲートみたいに」
「メカニズムは多少パクってるらしいけど。どういう術式を組めばああいう神出鬼没な感じになるのか分からん」
「やっぱり妖術なんだなあれ。術者は誰だ?」「吸血鬼」
灰學は即座に答える。
「五百年前、突然日本にやってきたイギリス出身の吸血鬼だって」
「カムイも猫又のお母様も、VOTEの創始者として言及してたな。美女吸血鬼。美しいまま、まだ生きている。イギリス出身だったのか。国の料理に愛想尽かして美食でも探しに来たのか?」
「五百年前の日本と言えば。応仁の乱以降の荒れた時代だったと記憶してるけど。世情不安に乗じて人を狩りに来たのかも。美食の意味が違ってくるぜ」
「イギリスだって、五百年前の治安が日本と比べて良かったとは言えないだろ。絶対王政に伴って第一次囲い込み運動とか宗教改革強行とかが行われた時期だ。わざわざ海外に出るにしても、16世紀だったら日本より中央アメリカの方が荒れていただろう。大航海時代における、冒険期から征服期への転換が起きていたし。あの辺に、人間社会に仇なす妖怪を罰するような、祓い屋的な組織がいたとも思わない。狩り放題だ」
「シャーマンはいたんじゃないか?」
マクラが「君に決めた!」と叫んだ。ス◯ッチと3◯Sの二つをカバンに入れている。猫又らしく二又をかけるようだ。君に決められていない。
嬉しそうに二又の尻尾を振っている。あとで片方、数学ドリルにすり替えておこう。
「歴史でしか知らない五百年前のことなんて、考えても仕方ないか」「だな」
「マクラヒマだぞー。日文遊ぼー」
猫又がジャレついてきた。背中に頬擦りしてくる。完全に猫だが、猫じゃらしで凌ごうとすれば「四足歩行扱いするな」とキレる。一緒にゲームで対戦し、適度に負けてやらないといけない。
「側から見ると彼女とイチャイチャしてるみたいだ。正直イラッとするぜ」
「そうなのか? 特別価格五百円でどうだ」「いらない」
押し売り失敗。セールストークをもっと工夫すべきだが、あいにく安さしか取り柄がない。大人しくゲームをする。スマホのアプリだ。美男美女のキャラにモンスターを倒させレベルアップ。パーティを組んでさらに強力なモンスターとバトル。マッチング対戦が可能。相手は選べもするし、ランダムもある。勝ったらガチャストーンがもらえる。
灰學もプレイヤーだった。一緒にやる。めちゃくちゃ強い。やり込んでいるようだった。指の動きが異次元だ。勝てないマクラ。不貞腐れる。
「マクラは勉強してるから。ゲームの練習時間がないんだぞ」
「十七歳には本来とても簡単な質問だが。ピタゴラスの定理を説明してみろ」
「古の催眠術士ピタゴラスの呪いでマクラは深き眠りにつく……!」
「勉強どころじゃないな。ゲームで夜更かししてるからだ」
「マクラの可愛さに免じて許して」「バカさに免じて諦めてやる」
祓い屋の異界へと繋がる門が開いた。荷物を持って潜る。
広くはない、六角形の古風な部屋に降り立った。役目を終えたゲートは閉まる。
「お客様方。ようこそ祓い屋の世界へ」
芝居がかった出迎えの挨拶が、隣の祓い屋見習いによってなされる。ホテルのフロントっぽい。完全に悪ふざけだ。戯けて返す。
「荷物を部屋まで運んでくれないかね?」「セルフサービスとなっております」
「ペットは?」「禁止となっております」
「マクラ。お別れだ」「なんでだっ! マクラはペットじゃないぞ!」
「どうぞこちらへ」
灰學に案内され、部屋を出る。目前には、さながら、「山奥にある法隆寺」と言えそうな景色が広がっていた。いや、受ける印象が似ているだけで、実際の共通点は五重の塔くらいだが。こちらの方がずっと広いし、建物の数も多い。建築様式も全然違った。まあ、仏教調に整えてあるのは間違いない。
冬が終わったばかりにもかかわらず、夏の如く豊かな緑で覆われた斜面に、自然と溶け込むように存在する仏閣群。形態としては、法隆寺よりも豊山の長谷寺か、あるいは壺阪山の南法華寺が近いか。宝珠山の立石寺感もある。
振り返る。紫雲山頂法寺六角堂がミニチュア化した建物があった。外見だけ似せてあるようだ。長い階段を下りていく。日本最大規模の二重門、知恩院三門を彷彿とさせる大きな門があった。仏教建築の構造については、養育施設では詳しく扱われなかった。あれほど豪奢な作りの門がなぜ自重で倒れないのか、正直疑問である。
「仏教で統一されているとは言っても、世界観がごちゃごちゃじゃないか?」
「よく言われる。それがネックになって、レビューで酷評されてるらしい。五が満点で星2.5」「観光地としては五十点ってことか」
「あのハリボテ五重タワーにぴったりだ。フェノロサもびっくり凍れる評価。それが祓い屋の異界、通称『祓い場』」
フェノロサが「凍れる音楽」と表したのは薬師寺東塔で、あれは三重の塔である。そして「祓い場」という呼称には「お台場」臭さを感じる。世界観がごちゃごちゃどころではない。もはやキメラだ。
混乱する。見張りのいない門の下を通る時には、すでに若干疲れていた。




