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寄奇怪解  作者: オッコー勝森
第一章 寄奇怪会

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面影


 鈍りかけていた快楽機構の復調に安堵しながら、お母さまは猫神を見送る。

 前回の契約から百年。百年は百年。長い。六百年生きているからと、時間感覚が早まったりはしない。いくら【変化】が上手くても、時計は本来の外見年齢でずっと止まっている。

 なのに感情だけは、どんどん鈍くなっていく。

 妖力が弱く、百年かそこらで死ねる同胞たちが羨ましい。死にたいわけではないが、生きたいわけでもなかった。楽しいのは、他種族の魅力的なオスと交尾する時だけだ。が、四六時中それに耽っているわけにはいかない。飄々とした性格の振りをしながらも、彼女は長たる自覚を持っていた。長として相応しい力量、頭脳を保つための努力は、欠かさず続けてきた。

 義務感によるプレッシャー。神より賜った快楽物質の乱用によりどうにか事なきを得る。しかし、行動を伴わない幸せはどこか空虚だった。

 進んでいるようで繰り返す時間の中、久しぶりに面白い人間に出会えた。当瀬日文。若干十七歳、彼女からすると赤子とそう変わらない年齢。にもかかわらず、出会ってきた禊力の使い手の中でトップランカー。身体強化しか見ていないから、正確な位置は不明。しかし潜在能力では三本の指に入るかもしれないと感じる。あんなのと組めるのなら、自分がVOTEに出れば良かったとさえ彼女は思う。大会議をサボらずに。

 棟梁になるのはごめんだが。

 銀の舞姫が連れてきた彼により、此度は二百年分の幸福をいただけた。金の巫女を守護するのに、しばらく躍起にならずに済みそうだ。あれは神経衰弱をもたらす。お母さまに、人を監禁する趣味はない。銀の舞姫の方は、生贄を適当に十人選べば代わりになると四百年前に分かってから、基本自由にさせてきた。


【ではまた二百年後に】「お待ちしております」


 生まれておよそ百年、ちょうど気に入っていた男と組んだ、第一回目のVOTEを思い出す。結局バディは途中で死んでしまった。神から貰った快楽のおかげで悲しまずに終わった。あっけない死に爆笑したものの、当時としては不完全燃焼だった。あれはあれでなかなか楽しかった。

 お母さまは腹を決める。マクラから、VOTEの参加枠と当瀬日文を取り上げる。自分が参加者になるのだ。そうすればきっと抜け出せる。化学物質に頼らねば幸せになれない、灰色の生活から。

 階段を登る足音が、彼女の耳に届いた。振り返らずに話しかける。


「まだ起き上がれたんだ」


 返事が来ない。訝しむ。おしゃべり好きな彼にしてはおかしい。話す力も振り絞って立っているのだろうか。当瀬日文はすでに、モウフ生存という目的を達成したはずだ。魂を削っているから、後で治療してやらないといけない。

 彼女は微笑ましいと感じた。彼は自分に一矢報いたいと考えている。プライドというヤツだろうか。兎にも角にも、お母さまと呼ばれる古い猫又のことで、頭がいっぱいになっている。

 若い美男子に強く思われるのは悪い気がしない。実態はどうあれ求愛に感じる。早く彼と繋がりたい。一番先に味見する。さすがに初物ということはないだろうが。恋人もいるに違いない。

 関係ない。自分が奪う。


「ごめんね。取り込み中なんだよ。神様を安全に帰して差し上げるために」


 妖怪の里は結界だ。人為の妖術で空間が保っている。人智を超えた存在である神の行き帰りは、当然、結界術式のアウトプットを不安定にする。誰かが抑えなければならない。

 お母さまは、神の安全というよりかは、里の安全を守っている。


「攻撃されると、手元がぶれちゃうんだ。すると里に危害が及ぶ。無辜の民がたくさん死んじゃうよ。だから待っててね。後で相手してあげるから。たっぷり」


 喧嘩も情事も。忘れかけていた、自分本来の高揚が蘇ってくる。正直、この場で襲いかかってきてもまったく構いやしない。自分が神帰還の面倒を見なければ、里が大変な目に合うのは本当だった。次元の狭間に飲み込まれ、消えてゆく危険性すらある。

 しかし、お母さまにとってはどうでも良かった。子供たちの命も、里も、自分の命すらもすべては些事だ。義務も大事だ。でも、かけがえのない一瞬の多幸感こそが最も重要だった。

 そういう性格ゆえに、お母さまは長い生を苦しんでいる。

 重くのしかかる長の運命に首を絞められている。


「【()】」


 ポツリとした声が聞こえる。己の禊力・妖力を現実へと滑らかに作用させるため紡がれる、呪の籠もった言葉だった。それは神の声に少し似ている。実物には到底及ばないが、大きな気のコストを払えば、人間も妖怪も神の力を引き出せる。

 お母さまは唇を歪めた。まさか。本当に仕掛けてくるなんて。当瀬日文という男がもっと好きになる。神の制御を放り出し、振り返ろうとした時だった。

 絶え間なく流しているはずの妖力に途切れが生じた。もはや呼吸よりも馴染み深い妖力按転と、真逆の理を感じる。妖怪には不可能なそれは、あの「禊力椽転」だった。陽の気が禊力となり、お母さまの妖力と反発し、押し出している。

 先ほどの近接戦闘で植え付けられていたのか。

 自分の強さが抜ける。見た目通りの少女となる。少し焦ったが、すぐに立て直せる範囲だ。この程度、ただの猫騙しに過ぎない。猫又騙しだ。


「ははっ――」


 振り切って、少年を挑発的に睨め付けようとした。

 「は?」と呆気に取られる。

 人間であるはずの少年に、自分たち猫又の大きな耳と、二又に分かれた尻尾が生えている。また、髪色が黒でなくなっていた。赤く輝く神気のせいで見えづらいが、あれは、舞姫と同じ銀色だ。額にかかる一房だけ黒い。

 変化はそれだけではない。垂れ気味だった眦が、ちょっとばかり吊り上がっている。猫のように。

 どこかで見たことのある顔だと感じた。

 首を振る。逸れた思考を回帰させる。喧嘩に集中せねばならない。熱中してこそ楽しいのだから。気づけば、神の召喚に消費されたものの、未だ溢れる霊力が少年の周りに集まっている。不自然さを覚えた。

 人も妖怪も、霊力を操ったところで、術の発動に用いることは出来ない。何をしているのか。

 お母さまは目を凝らした。紋様が描かれている。

 少年はパチンと指を鳴らした。途端、術式の陣に妖力(・・)が注ぎ込まれる。彼女の脳に、忘れかけていた記憶がフラッシュバックする。

 第一回VOTEの勝者が使っていた、あれ。単に混じるだけではない、真の交わり。


「人妖融合……っ」

「牢獄」


 異界に吸い込まれる心地がした。普段の自分なら妨害可能だった。しかし、事前の揺さぶりのせいで反応が遅れた。囚われる。

 やれやれと口を開いた。


「敵の目前で牢獄を使うなんて、舐めた真似してくれるじゃないか」


 すぐそこにいるはずの少年に、話しかけようとした。牢獄は、あくまで現実世界を基礎にした即席の結界術。張ってすぐ、対象と距離を取れるわけではない。


「え?」


 お母さまは、ポカンと口を開けた。声を向けた先に、当瀬日文はいなかった。

 森の祭壇すらない。先ほど彼及びマクラと会食をした、自らの住処たる朱の御殿にいた。どうなっているのか。キョロキョロと辺りを見回す。インテリアの配置が今と異なっている。これは、まだ生まれて二十年も経ってなかった頃の、初々しかった時期の自室。

 操を捧げると誓った鬼の男が、机で居眠りしている。微笑ましい。背中に手を伸ばしかけた。

 その姿と、蟲に惨たらしく喰い殺された死体とが、不意に重なる。


「あ」


 重なる。何度も重なる。像が二つを行き来する。何度も。

 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。


「あ、あっ、あ、あ、ああああ、あ あ あ あ あ あ ――」


 全身をムシャクシャに掻き毟る。眼球を抉る。壊れる。崩れる。心が死ぬ。

 ありえない。何度も目を潰している。でも見える。突きつけられる。幸せと絶望の落差。最初に猫神に泣きついた原因。

 億万の自棄の末、ようやく察する。牢獄に、精神のみ取り込まれている。

 直接に、心のみが囚われている。

 神業だ。そんな芸当が出来る奴など、お母さまは一人しか知らない。五百年前、突如としてやってきて、憚ることなく、日本の妖怪世界すべてを塗り替えた女。

 乾いた笑いを上げる。


「はは。ははは。あはははは。道理で有能と直感したわけだ」


 当瀬日文の端正な顔は、美しき吸血鬼のそれとよく似ていた。


蜘蛛の妖怪も当瀬の精神を取り込んでいましたが、あくまで一度普通の牢獄を張っています。

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