寄奇怪会
疲れ切った頭では、最初から売られていたという事実に気付くのにさえ時間がかかった。乾いた笑みを浮かべる。クミンは下がった。自分の役目は一先ず終わりと主張するかの如く。
「金の巫女を誘拐した罪で、日文くんはこの里の法で裁かれるわけだが。懲役として、何をすればいいか分かるかな?」「さあ?」
威風堂々とした様子で、お母様が尋ねてきた。浅葱色の髪が波立っている。質問の答えは本気で分からなかった。通常の当瀬日文であっても、正解を導き出せなかっただろう。下手なジョークを返す。
「延々とトランプタワー作りですか?」
「惜しいね。種馬だよ。延々と作るのは子供だよ。猫又の。オスが生まれても遺伝子異常。男は外から引き入れるしかない。今飼ってるのにはもうガタがきていてね。君みたいなさ、若くて優秀でかっこいいのと取り替えられるのならこっちも万々歳なんだよ。子孫繁栄は大事だからね。素晴らしい話だろう?」
「ふむ。悪くないかもしれない」
大袈裟に肩を竦めた。もうそれだけで体が軋む。希望を捨てちゃいけない。
「【変化】をカリキュラムに復活させてくれれば」「考えとこう」
「VOTEはどうします?」
語気を強める。ただの強がりだ。喉が痛い。
「僕がフェードアウトすれば猫又に棟梁の目はなくなりますよ」
「言ったじゃないか。あれ、言ってなかったっけ? まあどっちでもいいか。うん、どーでもいーんだよ棟梁なんて。だってめんどくさいじゃないか」
すべてを投げ出すような口調だった。猫又は責任ある仕事が嫌いな種族だとどこかで聞いた。お母様はまさしく、そのイメージを体現する人だった。
彼女は、どこか被害者みたいな表情で言う。
「あの吸血鬼。棟梁なんて天狗一族の世襲制で構いやしないのに。妖怪すべてと人間を巻き込む危険な伝統を作りやがって。平和が一番だ。そうは思わないか日文くん? 巻き込まれてかわいそうに。VOTEになんか」
憂いて愚痴る。
「寄奇怪会になんか」「奇奇怪怪?」
聞き返す。本来は、常識では理解出来ない様子を示す四字熟語。しかし、言外に込められたニュアンスが、どこか決定的に違った。VOTEを言い換えるための固有名詞と推測される。
「奇怪な存在が人に寄生する会。VOTEじゃあまりにも味気ないからと、皮肉を利かせて訳しやがったバカがいたのさ。いや。いる、かな。五年前にも会ったし、死んだという噂はないし。まだまだ現役だろう」
話の最中、屈強な猫又二匹に両肩を取られる。抵抗虚しく、モウフが背中から剥がされたのち、祭壇の上、お母様の前にまで連れてこられる。怪我せぬよう体を動かすも、少々の擦り傷は避けられない。
マクラは痛みを我慢してくれる。
「ふむ。ふーん」
彼女に右手を掴まれた。何をするつもりだと思った途端に、掌に指を突っ込まれる。マクラと僕を繋ぐ糸、霊青線に触られた感覚。
マクラの身柄が引き摺り出される。
「ぬわっ?」「なっ!?」
「安心したまえ。参加者じゃない私に糸は切れないから」
お母様はそう言って、ビヨンビヨンと霊青線を弄る。引きちぎろうと力を入れた瞬間に、スカッと糸を指が通り抜けた。
「事情通ですね。VOTEの参加経験がおありで?」
「当然だよ。私は、六百年を生きる猫又の長。長として生まれた、長の中の長。第一回から第三回までは私が代表として参加したんだ。渋々だけどね」
「今って何回目なんですか?」「五回目さ」
第四回にも出ていない。現棟梁、天狗の葉流が勝ち残ったVOTE。カムイによると、三百年前に行われたと聞く。江戸幕府が出来ておよそ百年。生類憐れみの令で有名な徳川綱吉のちょうど没後あたり。
お母様は懐かしそうに目を細めた。「そういえば」と呟く。
「あの時も、VOTEに出たのは銀の舞姫だった」
モウフの身柄が、厳かな装飾の施された台の上に載せられる。彼女は怯え切っていた。潤む目で僕を見る。助けを請うている。だがどうしようもない。
取り押さえられている。筋肉質な猫又は、僕より明らかに小柄だが、素の力では絶対に勝てない。陽の気はほぼ枯渇している。動かせるのはせいぜい口だけだった。だからと言って、モウフを離せと無様に叫んでみたところで無駄になるだけ。機が来るかどうかなど分からないが、少なくとも今じゃない。
せめて、モウフから目を逸らさないと決める。
槍を持った猫又兵士が、マクラに対して刃を向ける。
「マクラ。台に登れ」
命令された。じわじわと追い立てられていく。マクラと僕は繋がっている。
必然、僕も共に行かざるを得ない。
「舞姫と巫女ですか。同じ意味で使われることも多い気がしますが」
「猫又の文化では、舞姫が神楽を舞い、神を喚ぶ。巫女は命を犠牲にして、口寄せする。里では五十年に一度、神からそれぞれの役割を仰せつかった金銀の双子が生まれる」
金の巫女だけではなかった。マクラが無関係とは思わなかったが、予期せぬ事情に呆けてしまう。
「マクラが神楽を舞うだって? こいつは鼻歌のリズムすら死んでますよ。五日前の話ですが。シューベルトの魔王かと尋ねたら、有名アニメのポップなオープニングテーマでした。ダンスなんか出来るとはとても」
「今に分かるさ」
あと三段で階段を登り切る。モウフに近づけるのは好都合。チャンスだと感じた。モウフを奪取し、祭壇から飛び降りる。残りの禊力を使い切って身体強化、ゲートを探してひたすら逃げる。もうそれしかない。
二段.一段.台の上に足をつける。今だとばかりに力もうとした。そして、認識の甘さを突きつけられる。
マクラの目から、意思の光がなくなった。いつものおちゃらけた雰囲気も消える。逆に、似合わぬ静謐な空気すら纏い出した。
「おい。嘘だろ」
糸を引っ張る。反応は返ってこない。プログラムされたかのように、そそそと舞台の中央へ赴く。糸への力を強めたが、ビクともしない。筋肉のリミッターが外れているらしい。
乗っ取られている。神に、ではない。恐らく妖術で作り出された仮の人格が、マクラの頭を支配している。自分とそっくりな少女のあまりの変貌に、モウフは固まった。
スルスルと舞い始める。「これが神楽だよ」とお母様は嬉しそうに言った。美しい。この僕としたことが、見惚れてしまう。906番による天才的な戦闘に匹敵するほど美しかった。しかし、同時に危険でもあった。
「儀式は明日じゃありませんでした?」
「スケジュールなんて勢いだよ。もうやっちゃおう」
自然を浸す霊的なエネルギーが増していく。濃くなっていく。水中にいると錯覚しそうだ。すべての物質が影響され、ガタガタ震え出す。のしかかる重圧により、猛烈な吐き気が込み上げてきた。
銀の舞姫。大層な肩書きだけはある。しかし、あのマクラが、と疑問を強く抱かざるを得ない。
寄生されて三週間、マクラのすごい能力など一度も見ていない。能天気さには見習うべき点もある。しかし、知識、運動、認知、どれをとっても劣等だった。だから脳が理解を拒む。マクラに、自然、況してや神をどうこうする力があるとは、とてもじゃないが思えない。
首を振った。実物を見せつけられては完敗だ。
喚ぶんだ。神。本当に。半信半疑が確信に変わりゆく。
心底から恐怖を覚えた。平静を保つことに全力を注ぐ。マクラの綺麗な舞に、振り回されないので精一杯だった。
「何のために」「ん?」
「何のために神を喚ぶ?」
敬語を忘れて、いつものぶっきらぼうな口調で目的を尋ねる。濃密な霊力の真っ只中、お母様はなんでもないように笑った。
「私が幸せを感じるためだよ」「え?」
「何百年も生きてると、感情が死んでいく。よって」
自分のこめかみに、指をトンと当てた。
「神から買うんだよ。百年分の幸福を。百年間、私の脳で自由になる快楽物質を」
理解する。普通の妖怪も人と同じく、せいぜい生きて百二十年。
それが六百年。長過ぎる生に、人格が耐えられていないようだ。強い妖怪も大変だ。
膨大な霊的エネルギーに溺れそうになる。呼吸すらままならない。それでもなるべくニヒルに唇を歪めた。「なるほど」と頷く。
「終身医療ってヤツか」
モウフの体が光った。
神の降臨である。




