クミン
「なんだったんだあの婆さん」
「ああいう人の話を聞かないタイプは苦手だぞ」
「その点ならお前も負けてない」「面白い話をしない日文が悪い」
宵闇で暗く、また静まり返った小さな村を歩く。里の中心部はおろか、ゲートで転移してから最初に訪れた集落よりも、建物の形は古いように思われた。あの白い猫又が住んでいる場所としてはぴったりだ。
風が吹いた。冬の夜だ。めちゃくちゃ寒い。凍える。背中のモウフをより密着させた。げに素晴らしきは子供の体温。胸の感触はほとんどないため、罪悪感も湧かない。
「マクラは平気なのか?」「寒いけど、着込んでるからな」
「羨ましい。こっちは猫にやられた服の切れ間から風が入ってきて、とにかく冷えるんだ」「そこに入ってやってもいいぞ。裸で」
この上なく嬉しそうに笑う。
「裸で密着し合うと暖かいらしいな」
「ああ。煮干し、捨てるにもなんだかバチが当たりそうだし、お前が全部食ってくれ。確か腹を壊さないんだろ? 生ゴミ処理班に任命してやる」
「限度があるぞ。胃袋にも、堪忍袋にも」
怒ってそっぽを向く。服を脱ぎかける手を止めた。良かった。往来で裸になった女児と、その首元に糸をかけている男がいたら、激しく問い詰められるのは間違いなく後者だ。
VOTE参加による最大の被害は、外部から客観的に考察すると、僕の犯罪者としての潜在レベルが上がってしまっていることである。
心も体も温度が下がる。法的立場の強い猫又が口を開いた。
「喉が渇いたぞ。自販機ないかな」「農作物の無人販売所ならありそうだが」
「なあ日文。これからどうするんだ。里の外に出るためのゲートを探すのか?」
「いや。もう遅いし寒いしで、どこかの家に泊めてもらおうかなと」
カチャリという音がする。まただ。近づくと例外なく鍵を閉められる。
「そう思ってたんだが。歓迎されていない」
「モウフ、金の巫女のせいだぞ。あのおばあちゃんから『面倒事』扱いされてたしな。本物の巫女に会えて嬉しいか?」
「別に。いいか? この子は巫女であって巫女じゃないんだよ。役不足にも程がある。清楚さを表す巫女装束から覗く、背徳的な胸の谷間が至高なのに」
脛を蹴られた。ハッとして口を噤む。つい本音を漏らしてしまった。寒さで頭がやられている。このままだと本当に体調を崩す。温かい布団で眠りたい。
が、宿も、泊めてくれそうな民家もない。連結牢獄に囚われた後遺症、陽の気の使い過ぎも相まって、意識が朦朧としてきた。裸のマクラに抱きついてもらうのが最善手なんじゃないかと考え始めるほどには。まだ気丈にしていられるが、一時間後二時間後は分からない。
僕がグラつけば、きっとマクラを不安にさせる。どうすればいいだろうか。曲がり角の前で立ち止まり、思案する。
「こっちです」
角の向こう側から声が聞こえた。僕らを招いている。見ると、昼飯前に遊んだ少女たちのうち一人がいた。ドキドキニャンニャンパラダイスを提案してきた、言葉遣いの丁寧な子だ。僕より一歳上の。
マクラが驚いたように言う。
「クミンじゃないか。こんな寒い夜なのに、どうしてここにいるんだぞ」
「私はここの住人だよ」「カレー食べたあそこじゃないのか?」
「遊びに行ってただけだよ。この村からは歩いて三十分」
ウォーキングにはぴったりの距離だ。適度の歩行はダイエットだけじゃなく、脳の活性化にも効果がある。
クミンは僕、正確には僕の背中でぐっすり眠るモウフを一瞥して「金の巫女」と呟いた。呆れたように頭を掻く。
「里の掲示板ですごい噂になってますよ。外から来た美貌の男が神下ろしの依代を盗み出そうとしてる。お母さまの手駒による奪還は退けられたって」
「依代とは言い方が穏やか過ぎる。生贄の間違いだ」
「そうですよね。そうなんですよ。誰かを犠牲にして神様を呼び出すなんて儀式、もう時代遅れです。関わりたくはないようですが、みんなそう思ってます。だから私が手伝ってあげようと思ったんです」
胸を張る。明らかに間違った伝統に対し、言葉でNoを突きつけるのは簡単だが、実際に是正のため動ける者は少ない。親切心が身に沁みる。
「どうして僕たちがこの村にいると?」
「白さんがSNSに『若い男前がウチに来たから煮干しをくれてやった』と自慢げに投稿されていたので」「あの婆さん」
「安心してください。あの人は鍵アカで、近所の知ってる人しかフォローリクエストを受け入れていません」
それはそれで、SNSとの向き合い方としてどうなのだろうか。昔ながらのクローズドサークルからあまり進歩していない。あるいは、フォローの方はそれなりにしているのだろうか。
「現在、里の外に繋がる妖怪門は監視の目が強いです。予報によると、今日の午後十一時……今から一時間半経てば妖怪門の配置が変わります。見張りは一時的に滞るはず。その隙に」
手元のスマホ画面を示す。ゲートの予報なんてあるのか。実に便利そうだ。
マクラは物の怪大会議後に襲撃され、スマホを落とした。仕方がないことだとは思うが、故にゲートについてのお役立ち情報が入ってこない。
VOTEの経過を知るため一々カムイに頼むのは面倒だというのもあって、里でマクラに妖怪用スマホを買ってやりたかった。が、その暇はなさそうだ。
「脱出までは、短い間ですが私の家で匿います」「助かる」
罠の可能性もある。が、クミンが僕たちを嵌める理由は思い浮かばない。純粋な好意と信じる。
「金の巫女を助けましょう」「ああ」
クミンの家にはすぐに辿り着いた。外見はこぢんまりとしている。中に入ってみると、さすがにマクラの寮部屋よりは広かった。コンパクトなダイニングテーブルに着席を促される。座ると疲労がドッと噴き出た。
ジュースが出される。睡眠薬の類は入ってなさそうだった。ちびちびと飲んでいる間に、肘掛け椅子に座らせたモウフが目を覚ます。
「……おはよう」「おはよう。夜はまだこれからだが」
立ち上がり、僕の懐に潜り込んできた。もたれかかってくる。よほど気に入られてしまったらしい。甘えられるのは嫌じゃない。
「お前、ジョブが金の巫女なんだと」「なにそれ」
「神降臨の生贄だ」
「やだ」
短く答える。
「もう暗いのはやだ」「そう言うと思って、今は逃亡中だ」
寝てる間に連れてきてしまった。従って意思確認をしていない。下手すれば誘拐になる。自己保身のために尋ねた。
「僕と一緒に来たいか?」「うん」
力強く頷かれた。さっきは一時的に主義を曲げたが、僕は猫派だ。頼ってくる猫を絶対に見捨てたりはしない。




