キャットフード
正常な思考力を奪われた状態で、本格的な夕食の時間を迎える。猫又たちのお母様はまだ変化を解いていない。意識が彼女に吸い寄せられるのは、避けられぬ運命だった。心なし、マクラなどのちんちくりんたちが僕を見る目が冷たい感じがしないでもない。
比較的動きやすそうな着物を装う猫又たちが、目の前に料理を置く。美しく盛り付けられた刺身、香ばしい汁物などなど、まさしく高級料亭の食事という印象だった。普段ならもっと細かく解説するところだが、お母様のピチピチな胸元が弾け飛ばないかばかりがなぜか気になってしまい、とてもそれどころではない。
マクラが十字を切る。食前の祈りだろうか。いつもは手すら合わせない奴なのだが。「おお神よ」と唱え始める。
「愚かで罪深い日文をお許しください」
「マクラって実はキリスト教徒だったりするのか」「いや違うぞ」
「だろうな」
肩を竦めた。
「洗礼なんて受けたらお前は消滅してしまう」
「今の日文に言われたくないぞ」
憮然と頬を膨らませる。釜飯をガツガツと食らい始めた。行儀も何もあったものではない。「野菜も食べろよ」と注意だけはしておく。僕も箸をつけることにする。
魚介系は、ちゃんと調理はされていて美味いが鮮度は微妙だ。妖怪にはゲートがある。が、猫又の里は山の町としてデザインされている。獲ってすぐ出すのは不可能なのだろう。一方、野菜は素晴らしい。岩塩をつけて食べるタラの芽の天ぷらは最高だ。
ふと前を見た瞬間に、正面のお母様が艶然と微笑む。
「あーんしてあげようか?」「いいんですかっ!?」
釣られた。料理に集中し始めた隙を狙われたのだ。僕の完敗だ。思わず立ち上がりかける。若さとは勢いだ。
横から箸が飛んできた。避ける。
「何をするマクラ」「なんとなくムカついたんだぞ」
湿度の高い視線で睨まれる。お付きの猫又が近づいてきた。ぜひ叱ってやって欲しいものだ。箸を取り替えながら、「マクラちゃん」と呼びかけた。
「グッジョブ」「おい」
「初めてこの気持ちに気づいたんです。お客様」
澄ました表情で続ける。
「これが殺意」「お客様に殺意を向けるな」
楽に行きましょうとは言った覚えがあるが、悪感情を抱けとは言ってない。猫又たちの僕に対する態度は、二週間前に僕をロリコン認定して殴りかかってきた白々燐を彷彿とさせる。殺意に囲まれているのか、今の僕は。
四面楚歌というヤツだ。
お母様は嘆息する。
「まったく。【変化】もロクに使えない。最近の若者はこれだから」
「お母さま。お言葉ですが」
侍女の一人が、語気を強めて物申す。
「百年前に【変化】をカリキュラムから外したのはお母さまです」
「そうだっけ?」
お母様はすっとぼけた。
「長く生きてると物忘れが激しくてね」「忘れるフリが上手くなるだけでは」
「なんだって? 何か思い出しそうだ」
眉を顰めながら、猫耳を激しく動かす。お怒りのようだった。
「ああそうだった。君たちのご飯は明日からキャットフードだ」
「「「ヒィッ!?」」」
恐れ慄く猫又たち。恐怖政治が炸裂している。猫を下賤な四足歩行と捉えている彼女らにとって、下等生物の食い物であるキャットフードを強制されるのはそれなりの屈辱なのだろう。道理でマクラは、キャットフードだのネズミ食いだのに拒否感を露わにしていたわけだ。
僕には彼女たちを救う力はない。どうしようという気概も湧かない。猫又の反抗的態度のせいで、「あーん」の件が押し流された。肩入れする義理などあるはずもない。
「若い奴らが悪いね。遊びに来る男はもれなく全員ちやほやしてくれるから。君みたいなのとは初めて会って自信を無くしてるのさ」
「いえいえ。気にしちゃいませんから。もう少し世間の常識を知ってた方がいいとは思いますが」「ご忠告痛み入るね」
「ところで」
まだ食べ終わってないが一旦箸を置く。骨抜きにされかけたが、なんとか元の知性が戻ってきた。本題に入りたい。真面目な話になる可能性も少しある。
「なぜ僕を里に招待したのですか?」
「招待状に書いておいただろう? VOTEに出るウチの代表選手のバディをこの目で拝みたかっただけだよ。いい巡り合いがあったようでホッとしたさ」
「それだけならいいんですがね。ならなぜ、手紙を出した週でなく、その次週の土日に招待の日付を定めたんですか? 旅行の準備ぐらいすぐ出来ますよ。嵩張るのはマクラのおむつくらいだ」
「おむつなんていらないぞ。漏らすときは潔く、だ」
マクラはキメ顔でそう言った。かっこよさは微塵もないが、ポリシーなのだろうか。必要なのは吸水ポリマーである。
「間違えた。おつむだ」「日文が持ってたのか、返せ。真の賢さを取り戻す」
「わざわざ二週間後に設定した理由を知りたいと」「はいそうです」
「夕食後に言おうと思っていたが、まあいいか今話しても」
布巾で口を拭いた。こちらも居住まいを正す。
「来てもらったついでに、ちょいと明日ある儀式を見てもらいたいと思って」
「儀式?」「北東の森で神を祀ったりするのさ」
心臓が止まりかけた。北東。あの集落があった方角。森、祀ると聞けば、結界を壊し水晶玉を持ち出してしまったあの祠が脳裏に浮かぶ。なんとか平静を保ち、罪悪感を態度に出さずに済んだ。
しかし。遅れて、マクラの膨大な不安が糸を伝ってやってくる。やばいと気がついたらしい。こいつにポーカーフェイスという概念はない。お椀を持つ手をカタカタ振るわせる。額は冷や汗だらけだ。
「マクラ。足が痺れちゃったか?」「そ、そうみたいだぞ日文」
「お腹も痛かったり?」「う、う、うん。なんだか痛くなってきたかも」
「おや珍しい。マクラの腹が痛くなるなんて。カンピロバクターにも負けなさそうなのに」「ですね。心配です」
当瀬日文の人生史上、こんなに家に帰りたくなったのは初めてだ。マクラが大根演技過ぎる。不審がられたか。急いで口を回す。
「儀式は、神を祀るだけですか?」
「例年はそれで終わらせるんだが。今年は一味違う」
ふふんと得意げに笑った。お母様は言う。
「神下ろしでも久々にやってみようとね」
そりゃすごいですね。と何気なく答えようとしたのだ。
頭が勝手に回る。点と点が、朧げだが繋がってしまった。恐ろしい仮説が生まれる。ゾッと背筋が凍った。慌てて取り繕う。
「髪を下ろしたあなたもさぞかし美しいでしょう」
「髪じゃなくて神。でも褒められて悪い気はしないね。ねえ、今夜どうかな?」
さっきまでなら飛びついたかもしれない。だが、冷えた脳では原始的な欲が芽生えてこなかった。柔らかく微笑みつつ、「いえ」と断る。
「マクラの体調がやっぱり悪そうなので」




