ちんちくりんでは興奮出来ない伝説の病
ゲートを潜ると、たくさんの猫又が行き交う大通りに出た。ほとんどがちんちくりんだ。自分が巨人にでもなったかのような錯覚に陥る。道の反対側に、派手派手しく華やかな御殿があった。形こそ伝統的和風建築物だが、朱色の屋根、クリーム色の壁は、ネオンによる装飾がよく似合っている。
「マクラ起きろ」「むにゃ?」
内側で眠りこけるマクラを起こす。右手からぬるりと出てきた。目を擦ろうとする手を止める。代わりにウェットティッシュで拭いてやった。
「あ、マクラの実家兼職場だ」「実家なのか」
「マクラはここで生まれたし、十五まではここで住んでた」
訝しむ。平成バブルで建築家がはっちゃけた感のある御殿に、産婦人科と幼稚園の役割を兼ねられそうなイメージが湧かない。辺りを見回す。表参道らしかった里の入り口付近とは、ムードがまったく異なる。古風になった歌舞伎町という表現が一番当てはまるだろうか。
外から来たと思われる男性妖怪を、着物の猫又が手慣れた様子で引き込んでいく。男は満更でもない顔をしていた。性癖は人の自由だが、分かり合える気はしない。苦笑いする。こんな場所で突っ立っていては、僕も客引きの餌食になりかねないのだ。
御殿の敷地に足を踏み入れる。
「ようこそおいでくださいました」
可愛らしい猫又が二人、入り口で待機していた。軽く会釈を返す。淡白な反応が想定外だったのか、彼女らは目を瞬かせた。
「『お帰りなさいませご主人様』の方が良かったですか?」
「中学生がメイド喫茶の真似事とはあまり感心しないな」
「こら日文。失礼だぞ。この人たちは今年で25だ」
八歳も年上だった。どういう反応をしていいか分からない。これまで会ってきた、年齢相応か大人の姿、あるいは完全な人外だった妖怪とは勝手が違う。とりあえず愛想笑いをしてみた。
「マクラちゃん。どうしてこの人間はこんなに無反応なの?」
「今まで人間の客を取ったことも何回かあるけど、みんな鼻の下を伸ばしてたのに。マクラちゃんは経験ないからわかんないかもしれないけど、おかしいって。イケメンだから百戦錬磨なの? あるいは、ホモセクシュアルかアセクシュアルだったり?」
「日文はロリコンじゃないんだぞ。マクラの可愛さに靡かないからな」
「えっ!?」「そんな日本の男がいるの?」
慄く猫又二人。少なくともここに一人いる。猫又の里に風俗目当てで来る輩だけをサンプルに、日本人男性を語らないで欲しい。重大なセレクションバイアスが発生する。統計データが機能しない。
「お姉さんが好きと言っときながら、なんだかんだでミニチュア女子に骨抜きにされるのが日本の男だと思ってたのに」「ねえ」
「えっと。マクラの付き添い程度に扱っていただけたら。楽に行きましょう。お互いに」「りょ、了解しました」
マジマジと見つめられる。珍生物認定を受けてしまったようだ。正直居心地が悪い。「胸が大きくないと興奮しない病気なのかな?」「あの伝説のっ?」とひそひそ声が聞こえてくる。どうやらこの里において、僕は伝説の病に犯された患者と目されるらしかった。治療費がバカ高そうだ。
土足からスリッパに履き替えた。木の光沢が美しい廊下を歩く。黒猫はついてきていない。別の場所で猫用のディナーをいただくのだろう。カラリと襖が開かれた。十人ほどの猫又に、座礼によって出迎えられる。
部屋の正面には、明らかに格の違う猫又が、泰然として正座していた。姿形は普通の猫又と大差なく、中学生ほどに見える。しかし、突き抜けた強者にしか出せない凄味がある。大妖怪ギツネに引けを取らない化け物だ。ゴクリと唾を嚥下する。
「お母さまは500年以上生きてる本物中の本物の怪異だぞ。くれぐれも失礼のないように」
「分かってる。命を懸けて礼を尽くすべき相手だ」
「そんなに固くならなくていいよ。股間がそうなるのは大歓迎だが」
マクラの言う「お母様」は、下ネタ混じりの飄々とした口調で語りかけてくる。
「君がVOTEでのマクラのバディ、日文くんだね」
「はい」「めちゃくちゃいい男じゃないか」
マクラ含めた猫又たちのお母様は舌なめずりする。ゾワリと背筋に寒気が走った。後退りそうになるのをどうにか堪える。「度胸も据わっているようだ」と満足そうに頷いた。
「まあ座りなさい。誰か座布団を持ってきて」「はいお母さま」
「五分後に料理をね」「マクラはすぐにでも食べたいぞ」
「キャットフードならすぐに出してやってもいいよ、マクラ?」
マクラは黙った。彼女曰く「下賤な四足歩行」扱いは嫌なのか。促されるままに正座する。「足は楽にしててもいいよ」「お気遣いなく」と簡単なやりとりをしている間に胡座をかくマクラ。ズボンを履かせてきて良かった。
「食事の前に聞きたいんだけどさ」「なんでしょう」
「マクラとエッチした?」
少なくとも、施設を出て三年半の間に学んだ社会常識と照らし合わせて考えて、食前にする話ではなかった。招待状にも同じ質問があった。即座に答える。
「してないですよ。するわけがない」「なんだ」
残念そうに、お母様は唇を尖らせる。
「見た目がいいだけの子猫ちゃんと組む物好きな男だから、てっきりトンだロリコン野郎とばかり思ってたよ」
「最近そういう不名誉な悪評ばかり立っていて、正直心が折れそうです」
「マクラはピュアな生娘だ。でもミーハーだからな。君ほどの男前を拒んだりしないだろうよ。たとえ無理矢理でもな」
「なんとも生々しい話ですね。夕食は刺身ですか?」「刺身も出るぞ」
浅葱色の髪を揺らして、猫又たちのお母様は面白そうに笑う。
「もちろん赤飯もな」「やめてください。酢飯でお願いします」
「なるほど。マクラじゃ君の『男』は掻き立てられないかな?」
「もちろんですとも」
強く肯定した。確信を持って答えられる問いである。このままロリコン疑惑を完全に払拭する狙いだ。わざわざ言わないが、選べるなら僕は白々燐を選んだ。
「ちんちくりんでは興奮出来ない伝説の病にかかってまして」
「ほう」
興味ありげに息を吐いた。「ボンキュボンが好きなのか?」と尋ねてくる。「情緒がある方が好きでしてね」と返した。「教養人だね」と感心される。非常に頭の悪いやりとりだ。
「ならこういう趣向はどうかな? 【変化】」
緑色の炎が渦巻く。お母様は妖術を使った。みるみるうちにシルエットが変わっていく。現れたのは、元から十年分ぐらい成長したような、浅葱色の髪の美女だった。放心して固まらざるを得ない。
不意打ち。効果は抜群だ。
「いい反応だよ日文くん」
着物は元の大きさのままだった。色々とはみ出している。あるいははみ出しそうになっている。つまりパツンパツンのバインバインなのであった。氷河期終焉の宣告が如くの卓越した刺激だ。やがて春は訪れる。
着物の裾が、嫋やかな指によってチラリと上げられた。下着の一部が見えてしまう。そう思い、手で目を覆うことを試みたが、しかし手は動かなかった。瞬き一つ出来ない。目が充血していくのを感じる。血の涙が出ないか心配だ。
「え……?」
予測していた下着の観測は、なかった。足の付け根には滑らかな素肌があるだけだ。お母様は唇をそっと動かし、「問題だよ」と声を紡ぐ。
「着物の下に、下着はあるか。ないか?」
あまりにも難しい二択だった。ひょっとすると、僕が解いてきた膨大な数の問題の中で、最も難易度の高いものだったかもしれない。
正解はどちらかにまるで興味は湧かないにもかかわらず、ついに一筋の鼻血が溢れた。
「これが……シュレティンガーの猫又か……」
「日文、お前大丈夫か? 頭」




