雪女の白々燐
真島柿がいなくなってから初めての土曜日を迎えた。僕の通う高校は、良心的にも土日は休みだ。週末は、予定がない時は図書館で調べ物をするか、ジムでトレーニングに励む。が、いつもと違って、僕は自転車で三十分の場所にある山の麓に来ていた。
町代を伴って。彼女に稽古を付けるのは、今日からと約束していた。
赤色のジャージで全身を包み、肩まであった髪をゴムで後ろに縛っている。
「静かな場所だね。誰もいない」
「だからここを選んだんだ」
石段を登る。段差がまちまちだ。気を抜くとこけてしまいかねない。同行者に注意を向けておく。箒で襲いかかってきた時の動きを見るに、運動神経はあまり良くなさそうだった。
町代の息が切れ始めた頃、赤と判別が付くものの色褪せた鳥居が僕らを迎えた。稲荷神系統の神社だ。神の使いたるお狐様の像が、道の左右に三体ずつ置かれている。どれも汚れが酷い。やるせない哀愁を感じさせる。
「白狐は聖なる妖なんだがな。もはや浮浪者の出で立ちだ」
「誰も掃除しないの?」
「管理人が失踪して久しいらしい。建物は一応残っているが、ご神体はもうない。盗まれたのか、回収されたのか。だが、霊的価値は健在だ。元々パワースポットなんだ。修行には打って付けだろう」
ちなみにご神体は、僕に人の社会をレクチャーしてくれた大妖怪ギツネの、母親の右目だったらしい。この廃神社の存在は彼に教えてもらった。役に立つこともあるかもしれないと。
寄生する妖怪どもを解放し、軽く準備運動をする。稽古はマクラの特訓も兼ねている。カムイにも協力させる。どころか、奴がマクラの担任教師だ。自らを優秀と宣うのだから、魂の知覚方法を教えるくらい朝飯前だろう。明日までには成果を出してもらう。無理だったら僕の牢獄に閉じ込めると脅した。
妖怪は妖怪、人間は人間で分かれる。霊青線で繋がってるからそれほど離れられないが。町代に懇々と、禊力を編み出すメカニズムを教えた。魂に備わる椽転の法理で以って、陽の気を現実に作用可能な性質に変える。
第一段階は、自らの体に流れる陽の気を見つけ、取り出すこと。目の前で実演してみせる。町代は少しだけ困惑したが、すぐにハッとした顔になって「やってみる」と言った。弱音は吐かなかった。確実に才能がある。
「この特訓、多分だけど、側から見たらすごい怪しい儀式に見えちゃうよね。もし誰か来たらなんて言い訳しよう?」
「『太極拳はじめました』で良いだろ」「あー。誤魔化せそう」
町代は頷き、すぐに己と向き合い出した。驚くほどスムーズだ。何やらいがみ合っている妖怪どもとは大違いである。
人は陰の気を視覚以外で感じ取ることは出来ないが、陽の気ならば第六感的なものでなんとなく分かる。つまり、映像情報化されていない他者の陽の気でも感じ取れる。町代の体内では、陽の気が少しずつ動き始めていた。発見は出来たらしい。
問題は取り出す方だが、そちらはまだ時間がかかりそうだ。集中する彼女を邪魔しては悪い。
「【塊】」
禊力を固めて椅子を作り、その上に座る。
マクラに繋がる糸を引っ張った。「真面目にやれ」と釘を刺す。二匹はようやく本腰を入れ始めた。サボらぬよう注意しつつ、廃神社周りの木々を眺める。冬でも葉のある常緑樹。植物の緑は落ち着く色だ。
「ん?」
スマホが震えた。誰かからメッセージが来たようだ。SNSアプリを開く。
送り主は雪女の白々燐だった。
『何も聞かずにタッグを組むと言いなさい』
横柄な態度は、機械越しでも変わらない。人間に興味のあるとても優秀な雪女がいると、大妖怪ギツネに引き合わされた時から、白々燐は僕に対してずっと偉そうだった。少し年下のパシリが出来たのがよほど嬉しかったのだろう。彼女自体は全然嫌いじゃないのだ。むしろ大切な友人と認識しているが、初手で従順な態度を取ったのは間違いだったと言わざるを得ない。
機嫌を損ねられるのは明らかだが、淡々と返信する。
『VOTEの件か? 悪いが、成り行きですでにタッグを組んでしまっている』
『は?』
眉間に皺を寄せる彼女の美しい顔が、目に浮かぶようだった。次に何を言われるかと、ハラハラしつつ画面を睨む。
『男? 女?』
タッグ相手の性別か。
修行に集中しようと頑張るマクラを見る。嫌がる奴を無理矢理風呂に入れた時、ついてないのは確認した。生物学的には間違いなく女だが、あのガキを女扱いするのはどこか癪だった。
『メス猫だ』
一分間の沈黙。嵐の前の静けさだ。
『どこにいる?』
嘘を吐いてもいいが、バレたら後で極寒の牢獄に閉じ込められる。僕はなんとか生き永らえる自信がある。しかしマクラは確実に凍死だ。
『僕が住んでるアパートから自転車で三十分の廃神社。稲荷系』
『あそこね。十五分で行くから。待ってなきゃ殺す』
町代とマクラはとてもよく頑張っている。中断させるのは良くない。逃げるのは不可能だ。ブリザードが迫ってきている。醒め切った諦観の眼差しで虚空をじっと眺める男が、そこにはいた。
「当瀬日文!」
十五分どころか五分で来た。白く輝く着物を装う柔和な顔立ちの美女。青い髪がサラサラ揺らめいた。息と感情の乱れからか、冬の寒さをさらに深める強烈な冷気を放っている。
幻覚だと信じたかったが、間違いなく白々燐だった。
「げえっあの方は!?」
カムイが慄く。あの狛犬と比べて、白々燐は圧倒的に格上の存在。戦えば瞬殺される。それを重々理解しているのだろう。即座に腹を見せて全面降伏の意を示した。
逆にマクラは「うわぁ! マジで!? こんなとこに本物だぞ!」と目を輝かせた。白々燐は雪女の看板かつ絶対的エースとして妖怪の界隈では名が通っていると聞く。マクラは彼女のファンなのかもしれない。
「って!? 日文の名前を呼んだ!? 知り合いなのか!?」
「私を差し置いてどこぞの馬骨とタッグを組むなんて! ロック割りしてやるから! 相手は誰!?」
二人して同時に叫ぶ。白々燐とマクラの目が合った。雪女の青い瞳によって、猫又から伸びる糸がどこに繋がってるかが精密に確かめられる。
僕はなるべくにこやかに笑った。
「やあ燐。君の瞳と同じ色の綺麗な空に乾杯」
「このロリコン!」
顔を思いっ切り叩かれた。頬が冷たい。凍っている可能性が高い。だが凍傷よりも、あらぬ誤解を生んでしまっているのに危機感を覚えた。
「それは違う」「じゃあなぜあんな小さな子を選んだの!?」
「もし選べたなら君を選んだ」「嘘嘘嘘嘘! 信じられない!」
マウントを取られて殴られ続ける。そろそろ守りに入らないと死ぬ。
「話せば分かる!」「問答無用!」
「ちょっと待て。マクラを小さい子扱いするな」
横からマクラが抗議してきた。憮然とした声で言う。
「これでも十七だぞ」
せいぜい十代前半にしか見えない猫又の申告に、場の空気が止まった。
そして、騒然とした周囲に一切気を取られず瞑想を続けられる町代祝に、そこはかとなく大物さを感じた。




