2話「水も滴るいい女」
「ここは…修練場?」
仁が雪山の山頂にある氷と巨大な結晶に覆われた城の中にある鳥居をくぐった先にはかつて凜や師匠とともに切磋琢磨した山中の修練場の風景が広がっていた。
「帰ってきたのかな?」
僕がそう呟いて安堵したのも束の間、強烈な違和感に襲われる。自分は確かにこの風景には見覚えがある。一方で、セミやひぐらしの鳴き声が耳に響いてくる。そう、さっき雪山で目覚める前は秋だったはずだ。また、体感できる気温や周囲の空気は真夏の時期のそれだった。僕は混乱したものの、考えても仕方がないと思い直して修練場内にある道場施設に足を踏み入れた。
「凜、師匠、いる?」
軽く声をかけながら道場の中に入ったものの自分以外の人の姿はない。道場内の隅の柱にある複数のキズが見に入った僕は右手の指でその一つを軽くなぞった。
「このキズがあるってことはやっぱりここは深山の修練場なのかな?」
深山の修練場にある道場のキズは僕と凜が昔よく背比べをしていた頃につけたものだ。当時は凜の方が背が高くて度々「また私の勝ち!」なんて言いながら勝ち誇ってたなぁ。今は僕の方がちょっと高いけど。
道場施設を後にした僕は修練場の先にある山道を進んでいく。この先には滝行に使っていた結構大きな滝がある。正直ここは本当に自分の知っているかつての修練場なのだろうか、という不安を感じつつも僕の足は自然とそこへと向かっていた。
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「…暑い」
ついさっきまでの極寒はどこへやら。猛暑とは言わないまでもとても冬服で過ごす気温ではなかったので、僕は脱いだ制服の上着を肩に背負い、長袖のシャツの袖をまくって上半身を無理矢理半袖の状態にして山道を進んでいく。
そんな中、僕はふと昔を思い出していた。 そう、あれは確か高校に入学した頃だ。さっきみたいに凜が道場にいなかったので、滝の方まで探しに行ったら道着姿で滝行をしている凜の姿があって…あれ?その後どうしたんだったかな。
昔の記憶を掘り起こしているうちに僕は滝の前にある水辺に到着した。誰かが滝行の最中のようだ。凜かな?
「おーい、り…」
いや、違う。凜じゃない。滝行をしているのは道着姿の女の子だった。髪は袴と同じ紫色のポニーテール、身長は自分と同じくらいだろうか。目を閉じたまま両手を合わせて一心不乱に滝に打たれている姿は神秘的で思わず見蕩れてしまうほど綺麗だった。
ぼーっとしている間に彼女の目が開き、お互い目が合う。彼女はクールビューティーな雰囲気の表情をしたまま手を下ろすと一歩、二歩とこちらに歩いてくる。そして三歩目を踏み出すと同時にその姿が視界から消えた。
「っ!」
真後ろに気配を感じた僕は咄嗟に飛び出し、すぐさま後ろに向き直る。水に浸かった足が少し冷たい。目の前にはさっきまで反対方向にいたはずの紫髪の彼女が立っていた。…全然見えなかった。いつの間に後ろを取られたんだ? さっきまでと違って目つきの鋭くなった彼女が徐に口を開いた。
「貴様、我らの心苑にどうやって入った?」
「しんえん?」
ここに来る前の鳥居に掘られていた言葉だ。いや、それよりも彼女の話しているのは自分の知っている言語ではない…はずだった。しかし、僕には理解できる。さっき見た文字といい、今の会話といい、本来自分が知らないはずの知識が溢れ出てくることに僕は戸惑いと驚きを隠せなかった。
「とぼけるな。まあいい。今すぐお帰りいただこう」
「ま、まって。ちょっと話を聞いっ!」
彼女の姿が再び消える。あまりの速さに目で追うことができない僕は感覚と勘だけを頼りに彼女との間合いを図る。正面にはいない、後ろにもいない、左右にもいない、上か!
自分の頭上に何かがものすごい速度で迫ってきているのを感じ取った僕は咄嗟に身体を頭一つ分ほど真横にずらした。そして次の瞬間、ついさっきまで自分の頭部があったところを彼女の跳び蹴りが通過し、けたたましい水しぶきが上がった。
彼女は水辺に着地後も態勢を崩すことなく、そのしなやかで全身バネみたいに躍動する身体を捻って回し蹴りを繰り出した。それをしゃがんで必死に避けたのも束の間、僕は顎への衝撃と共に自分の身体が宙に浮くのを感じた。どうやら彼女に宙返りする要領で自分の顎に蹴りを入れられたようだ。所謂サマーソルトである。脳が揺れてまともに身体を動かせない僕はそのまま地面に仰向けで倒れ込んだ。
「う… 」
彼女が自分を見下ろしている。彼女の内面が醸し出すその独特の雰囲気と水の滴る道着姿はやはり神秘的でどうしても見蕩れてしまう。
さっきの水しぶきで出来た小さな虹がそれを一層と引き立てていた。
「さっきからなんだ、うるさいぞ」
彼女が何やら別方向を向いて独り言を発している。誰と話しているんだろう?
ああ、そういえば思い出した。昔、道着姿でここで滝行している凜を見つけて話しかけようとしたら「何のぞいてるのよ!」って言いながら襲いかかってきたんだった。
あのときは確か投げ飛ばされたんだったかな。あと、なんだか周りが妙に光り輝いて見える。いや、光ってるのは僕自身なのか?
「なんだと?この男がそうなのか。む、この光は…」
彼女がそう言って自分の方に向き直る。しかし、視界がぼやけてその表情は伺い知れない。 僕はそのまま気を失ってまどろみの中へと沈んでいった。




