第20話 新年は待ってくれない
年の最後の夕方、工場の警笛はいつもより少し早く鳴った。
作業場では機械の音が順番に落ち、代わりに工具を片づける音や、床を掃く音が広がっていく。油の匂いも、並んだ鉄板も、明日になれば年が変わることなど知らない顔をしていた。
レオンは流れてきた最後の部品を棚へ置き、手袋を外した。
隣では、ロイが作業台の下から古い布切れを拾っている。
「新年の支度、終わったか」
「何の支度だ」
「新しい年を迎える支度だよ」
レオンは手袋についた油を見た。
「新しい年なら、俺が何もしなくても来るだろ」
「来るぞ。明日のパンがなくても、火が消えていても、水差しが空でもな」
レオンの手が止まった。
ロイは布切れを箱へ放り込み、顔を上げる。
「ミラに何か用意したか?」
「何かって?」
「明日の朝に食うものとか、少し特別なものとか」
「パンなら部屋にある」
「どれくらい」
「半分くらい」
「それは今夜の分だろ」
レオンは少し考えた。
硬いパンが半分。豆は鍋一回分。燃料は、今夜のスープを温めればかなり減る。水差しには、朝に顔を洗った残りが少し入っている。
明日の朝のことまでは、考えていなかった。
「店はまだ開いてるか」
「市場は片づけ始めてる。パン屋も急がないと閉まるぞ」
レオンは慌てて帽子を取った。
ロイが笑う。
「新年は待ってくれないぞ」
「さっき、勝手に来るって言っただろ」
「勝手に来るから待たないんだよ」
レオンは帽子をかぶり、作業着の内ポケットを押さえた。今日受け取った給金袋は、確かにそこへ入れたはずだった。
「パンと燃料だな」
「食うものも少し増やせ。五歳の子に、年明け最初の飯から薄い豆の汁だけ飲ませる気か」
「豆は体にいい」
「薄すぎると、水の方が多い」
レオンは返事をせず、工場を出た。
外へ出ると、冬の夕方はもう暗くなり始めていた。
工場門から吐き出された男たちは、酒場へ向かう者、家へ急ぐ者、市場の方角へ走る者に分かれていく。通りの店先では、売れ残った野菜を箱へ戻す音がし、遠くのパン屋から最後の焼けた匂いが流れてきた。
レオンも市場へ向かいかけて、足を止めた。
先に、部屋の中を確かめた方がいい。
何が足りないのか分からないまま買い物をすれば、余計なものを買い、本当に必要なものを忘れる気がした。
そこまで考えられた自分に少し感心しながら、公営労働者アパートへ戻った。
中庭では、テレーズが共同水場の桶を片づけていた。エリーズは籠を腕にかけ、マノンが巻き損ねた縄跳びの紐を直している。ルルは木の匙を持ったままトトの後ろを追い、トトは自分に関係のない年末を眠そうに歩いていた。
ミラは、学校から持ち帰った白い紙飾りをマノンに見せていた。角の揃っていない小さな星は、ミラの両手の中で折れずに残っている。
レオンが中庭へ入ると、ミラが顔を上げた。
「今日は早いです」
「年の最後だからな」
「工場が負けましたか」
「明日に仕事を残しただけだ」
テレーズがレオンの顔を見た。
「あんた、何か忘れた顔をしてるね」
「まだ忘れたと決まったわけじゃありません」
「じゃあ、何を用意したんだい」
「明日のパンを買いに行くところです」
「燃料は?」
「買う」
「水は?」
レオンは共同水場を指した。
「そこにあります」
「水が自分で三階まで上がるなら、あたしも楽なんだけどね」
レオンは指を下ろした。
エリーズが聞く。
「豆は残ってる?」
「鍋一回分」
「じゃがいもは?」
「小さいのが一つ」
「明日の朝は?」
「今から買います」
「最初からそう言いなさい」
レオンは眉を寄せた。
「新しい年って、そんなに腹が減るのか」
ミラが静かに答えた。
「明日の朝も、ごはんを食べます」
「それは知ってる」
「さっき、忘れている顔でした」
「顔に出るものが増えたな」
テレーズは空になった桶を重ねながら言った。
「パン、燃料、明日の鍋に入れるもの。それから、帰ったら水を汲んで部屋を片づけるんだよ」
「片づけまでいるんですか」
「新しい年に、あんたの脱いだ靴下を最初に見せる気かい」
「靴下は年を気にしません」
「ミラは見るだろう」
レオンは黙った。
ミラは共同廊下の上を見上げた。
「部屋に、靴下があります」
「場所まで言わなくていい」
「椅子の近くです」
「分かった。片づける」
エリーズが小さくため息をついた。
「紙に書いたら?」
「三つくらいなら覚えられる」
「もう五つあるわよ」
「増やしたのはみんなだろ」
テレーズが指を折る。
「パン。燃料。食べ物。水。片づけ」
「分かりました」
「言ってみな」
「パン、燃料、食べ物、水、片づけ」
「市場で片づけは買わないでよ」
「売ってるなら、値段くらいは見る」
ミラが少し考えて言った。
「売っていたら、買いますか」
「安ければ」
エリーズがすぐに言った。
「売ってないから、自分でやるの」
「世の中は厳しいな」
エリーズが冷たい目を向けた。
「さっき水を指差して終わらせようとした人が?」
レオンは帽子を押さえ直した。
「行ってきます」
ミラが白い紙飾りをマノンへ預け、レオンの前まで来た。
「パンと燃料と食べ物です」
「水と片づけは帰ってからだ」
「忘れませんか」
「三つなら大丈夫だ」
「五つから減っただけです」
「行ってくる」
レオンは今度こそ市場へ走った。
パン屋の前には、店じまいを待つ客がまだ何人か並んでいた。
窓の内側には、朝から焼かれていたパンの残りがわずかに積まれている。どれも形がそろっていない。端が焦げたもの、途中で割れたもの、膨らみ方が片寄ったものばかりだった。
レオンの前にいた女が二本買うと、普通のパンはほとんどなくなった。
店主が棚を見て言う。
「残ってるのは、小さいのと焼き損じだ」
「焼き損じは食えますか」
「見た目が悪いだけだ。少し砂糖を入れた生地だから、普段のより高いがね」
出されたのは、片側が少し潰れた丸いパンだった。表面には薄く砂糖がつき、形は悪いが、香りは普段の硬いパンより甘い。
レオンは値段を聞き、財布へ手を入れた。
硬貨は少ない。
給金袋があるから大丈夫だと思い、作業着の内ポケットを探った。
何もない。
反対側も探る。外套の胸元も見る。ズボンのポケットまで確かめたが、出てきたのは糸くずと、小さく曲がった釘だけだった。
工場の水場を思い出した。
給金袋を濡らさないよう、作業着から出した。作業台の端へ置いた。それから手を洗い、ロイと話し、そのまま工場を出た。
「給金を工場に置いてきました」
店主が呆れた顔をした。
「パンを買いに来て、金を置いてきたのか」
「順番を一つ間違えました」
「一つで済む顔じゃないね」
店主は棚を見た。
「その小銭で普通の一本なら買える。甘い方は無理だ」
レオンは潰れた丸いパンを見た。
ミラは学校でもらった小さな菓子を半分に割り、レオンにも分けた。
新しい年の朝くらい、少し違うものがあってもいい。
「裏の薪箱、運んだら安くなりませんか」
店主が眉を上げた。
「今からか?」
「工場で物を運ぶのは慣れてます」
店主はしばらくレオンを見たあと、裏口を顎で示した。
「三箱だ。落とすなよ」
レオンは外套を脱ぎ、積まれていた薪箱を店の奥へ運んだ。工場帰りの腕には重かったが、部品と違って落としても車が止まるわけではない。その分だけ気は楽だった。
三箱目を置くと、店主は潰れた甘いパンと、硬い普通のパンを一本ずつ紙で包んだ。
「普通の方は今夜だ。甘い方を全部食べて、朝から腹を壊すなよ」
「店の責任になりますか」
「見た目の悪いパンを売ったせいにされたくない」
レオンは硬貨を払い、二本のパンを抱えた。
「助かりました」
「次は金を持って来い」
「今年中には無理です」
「もう来るな。店を閉める」
パンを外套で包み、レオンは工場へ走った。
日が落ち、工場門は半分閉じられていた。守衛がレオンを見ると、呆れた顔で中へ通す。
作業場では、デュラン工場長と数人の工員が最後の戸締まりをしていた。
デュラン工場長は、パンを両腕に抱えたレオンを見るなり眉を寄せた。
「何をしている」
「新年の支度です」
「工場で迎える気か」
「給金を忘れました」
工場長の顔が、一度だけ動きを止めた。
「新年の準備で、最初に必要な金を忘れたのか」
「パンは買えました」
「なら、何をしに戻った」
「燃料と食べ物が買えません」
「パン屋にはどうした」
「働きました」
「工場を出ても働いてるじゃないか」
ロイが作業台の向こうから声を上げた。
「レオン、これか?」
手にしているのは、薄い給金袋だった。
「それです」
「次は頭を置いていくなよ」
「頭は持ってきた」
デュラン工場長が短く言った。
「中身が少ない」
「年の最後まで厳しいですね」
「褒める材料を置いていったのはお前だ」
レオンは給金袋を受け取り、外套の一番奥へ入れた。今度は上から何度も押さえる。
工場長はパンの包みを見た。
「ミラの分か」
「二人分です」
「そうか」
工場長はそれ以上からかわず、壁の時計を見た。
「市場が閉まる。走れ」
「工場長まで追い出すんですか」
「新年はお前の買い物が終わるまで待たん」
レオンはまた走った。
燃料屋で、小さな石炭袋と細い薪の束を買った。市場の端では、売れ残っていた小さなじゃがいも、傷のある玉ねぎ、乾燥豆、短いソーセージの端を選ぶ。
じゃがいもを三つ。
玉ねぎを一つ。
豆を一袋。
ソーセージの端を少し。
全部を買うと、給金袋は受け取った時よりかなり薄くなった。
「新しい年は金がかかるな」
レオンが呟くと、隣の露店の老婆が鼻を鳴らした。
「新しい年じゃなくて、暮らすのにかかるんだよ」
「暮らしは毎日来ますか」
「来るよ」
「新しい年より働き者ですね」
「その分、手を抜くとすぐ分かる」
老婆の前には、古い布や針、細いリボン、小さな髪留めが並んでいた。
レオンは通り過ぎかけて、足を止めた。
ロイに言われたことを思い出す。
子どもに何か用意したか。
食べ物と燃料は、用意しなければ困るものだ。けれど、それだけでいいのかは分からなかった。
露店の隅に、細い髪ひもが何本か置かれている。
レオンは一番安い、色の薄くなった茶色のひもを手に取った。
老婆が言った。
「財布に結ぶのかい」
「五歳の女の子です」
「なら、渡す相手を見て選びな」
「今ここにはいません」
「どんな子だい」
レオンは少し考えた。
金髪で、青い目をしている。施設では受付係に見えるほど大人しくしていた。家では、鍋が黒い理由や、警笛が毎朝怒っている理由を聞く。どうでもよさそうなことをたくさん話すのに、本当に聞きたいことは別のものへ隠す。
その説明を全部するには、店が閉まる方が早い。
「金髪で、目が青いです」
「じゃあ、その色じゃ顔が暗くなる」
老婆は箱の底から、同じ色の細い青い髪ひもを二本取り出した。
高価なものではない。二本とも端は不揃いだったが、色は薄くなっていなかった。
「この二本だね」
レオンは値段を聞いた。
茶色のものを二本そろえるより、少し高い。
「安い方では駄目ですか」
「安い方が似合うなら、そっちにしな」
「似合うかどうかが分かりません」
「なら、渡した時に見な」
老婆は二本の青いひもをそろえて、薄い紙で包んだ。
「財布ばかり見て選ぶと、渡す前から寂しいものになるよ」
レオンは硬貨を払い、包みを外套の内側へ入れた。
市場を出る頃には、店の灯りが次々と消し始められていた。
右腕にパン、左腕に燃料袋を抱え、肩から食料の布袋を下げてアパートへ戻る。
中庭へ入った瞬間、布袋の口から玉ねぎが一つ落ちた。
地面を転がる。
トトが鼻を近づける前に、マノンが拾った。
「トト、これ食べる?」
「食べない。たぶん」
「たぶん?」
「犬のことは本人に聞いてくれ」
ミラがレオンの荷物を見上げた。
「パンと燃料と食べ物はあります」
「全部ある」
「水はありません」
レオンは黙った。
テレーズが洗濯場の横で腕を組んでいる。
「共同水場にある、はなしだよ」
「今から汲みます」
エリーズがレオンの手を見る。
「石鹸は使った?」
「新しい年は、石鹸も使うのか」
「新しい年じゃなくても使いなさい」
中庭に笑いが起きた。
レオンはいったん荷物を三階へ運び、すぐに水桶を持って下りた。
二度分の水を部屋へ運び終える頃には、工場で薪箱を運んだ腕も、市場まで走った足も、まとめて重くなっていた。
部屋では、ミラが机の上のものを片側へ寄せていた。
学校から持ち帰った白い紙飾りは、折れないように棚の奥へ置かれている。短い鉛筆と紙包みも、その横に移されていた。
「何してる」
「机を空けています」
「そこまでしなくていい。俺がやる」
「紙飾りは、床に落ちると折れます」
「じゃあ、それだけ頼む」
ミラは紙飾りを両手で持ち、角が壁に触れない場所を探した。
「新しい年は、きれいな部屋にしか来ませんか」
レオンは水桶を床へ置き、息を整えた。
「いや。汚くても来る」
「では、どうして走っていますか」
レオンは答えようとして、少し考えた。
走れと言われたから。
店が閉まるから。
明日の朝にパンがないから。
どれも間違いではない。けれど、ミラが聞いていることには少し足りない気がした。
「来た時に、何もないと困るだろ」
「新しい年が?」
「俺たちが」
ミラは紙飾りを持ったまま、レオンを見た。
レオンは薪の束を簡易台所の横へ置く。
「朝になって、腹が減って、部屋が冷えて、水もなかったら困る。新しい年は知らない顔で来るだろうけど、俺たちはここにいるからな」
ミラは白い紙飾りを棚の上へ置き、買ってきたパンを見た。
「明日の朝も、ここにいます」
「ああ。だから明日のパンがいる」
「新しい年は、パンを持って来ません」
「かなり役に立たないな」
「勝手に来るだけです」
「ロイと同じことを言うな」
ミラは口元をゆるめた。
レオンは部屋の片づけを始めた。
椅子のそばに落ちていた靴下を拾い、洗濯物の袋へ入れる。テレーズから借りた箒を動かすと、机の下から、いつ落ちたのか分からない豆が三粒出てきた。
ミラがしゃがみ込む。
「食べますか」
「いつからいたか分からない豆は食べない」
「新しい年になったら、新しい豆になりますか」
「古い豆が一つ年を取るだけだ」
レオンは豆を拾い、捨てた。
床の染みも、黒い鍋も、新品のようにはならなかった。それでも床から余計なものは消え、水差しは満ち、薪と石炭が台所の横へ並んだ。パンは棚へ入り、じゃがいもと玉ねぎは布袋から出された。
レオンは黒い鍋を火にかけた。
じゃがいもと玉ねぎを切り、乾燥豆を入れ、ソーセージの端も薄く切って落とす。普段のスープより具が多い。豪華とは言えないが、鍋の中で匙を動かすと、何かに当たる回数が増えていた。
潰れた甘いパンは、明日の朝まで取っておく。
ミラが紙包みを見つめる。
「これは、今日食べませんか」
「明日の朝だ」
「普通のパンは?」
「今夜食べる」
「硬い方からですか」
「古い順に食べるのが生活だ」
「新しい年なのに?」
「新しい年でも、古いパンは残る」
ミラは真面目に頷きかけ、途中で少し笑った。
夕飯を食べ終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
共同廊下では、住民たちが年越しの挨拶を交わしている。どこかの部屋からカードを切る音が聞こえ、別の部屋では子どもたちが起きていようとして母親に叱られていた。
ミラも、いつもより遅くまで起きていた。
寝台の上に毛布をかけて座り、時々まぶたを重くしながら、窓の外を見ている。レオンは机の上の水滴を拭き、明日のパンを濡れない場所へ移した。
「まだ来ませんか」
ミラが聞く。
「もうすぐだと思う」
「見えますか」
「新しい年は見えない」
「音は?」
「町の時計塔が鳴る」
「警笛より大きいですか」
「警笛に勝てる音は、なかなかない」
部屋はきれいになったわけではない。
それでも、明日の朝に必要なものはそろっていた。
遠くで、時計塔の鐘が鳴り始めた。
一つ目の音が、冬の町を渡ってくる。
レオンは反射で机の端にあった布を拾い、最後に残った水滴を拭いた。
「待て」
ミラが寝台の上から聞く。
「誰に言っていますか」
「新しい年」
「聞こえないと思います」
鐘が二つ目、三つ目と続く。
レオンは布を置き、椅子へ腰を下ろした。走り回った足が、ようやく自分の重さを思い出したように痛んだ。
鐘の最後の音が消える。
部屋は、何も変わらなかった。
壁も床も黒い鍋も、昨日と同じだ。
レオンは息を吐いた。
「間に合った」
ミラが首を傾げる。
「何にですか」
「新しい年に」
「新しい年は、逃げません」
「それを朝に言ってくれ」
「朝は、レオンさんも知っていると思いました」
「知らなかったから走ったんだ」
「今は、知っています」
レオンは椅子の背にもたれた。
「かなり知った」
ミラは毛布の中で小さく笑った。
レオンは立ち上がり、寝台の毛布を整える。
「もう寝ろ。新しい年になって最初の仕事だ」
「寝ることが?」
「五歳には大事な仕事だ」
「レオンさんは?」
「床で働く」
「寝るだけです」
「床は簡単じゃない」
ミラは毛布を胸元まで引き上げた。
「おやすみなさい、レオンさん」
「ああ。おやすみ、ミラ」
裸電球を消すと、部屋は暗くなった。
窓の外には、工場の煙突が黒い影になって立っている。明日の朝は警笛が鳴らない。けれど、パンも水も燃料も、部屋の中にある。
レオンは外套の上へ横になり、目を閉じた。
その時、外套の内側で、小さな紙包みが胸に当たった。
青い髪ひもが二本。
渡すのを忘れていた。
レオンは暗闇の中で目を開けたが、寝台からはもうミラの静かな息が聞こえている。
「……明日でいいか」
新しい年はもう来ている。
贈り物だけが少し遅れた。
翌朝、工場の警笛は鳴らなかった。
レオンが目を覚ますと、部屋には冬の薄い光が入っていた。床で寝た背中は相変わらず痛い。新しい年になっても、そこだけは何も改善していない。
寝台の上では、ミラが起きていた。
昨日取っておいた甘いパンを見ている。潰れた形のまま棚に置かれているが、砂糖のついた表面は、普段のパンより少し明るかった。
「今日は、こっちを食べますか」
「食べる。その前に、昨日の忘れ物だ」
レオンは外套の内側から、小さな紙包みを出した。
ミラが包みを見る。
「昨日、これも探していたんですか」
「最後の方にな」
「パンよりあとですか」
「パンよりあとだ」
「燃料より?」
「燃料よりあと」
「石鹸より?」
「石鹸は買ってない。使った」
「エリーズさんに言われたからですか」
「新しい年だからだ」
ミラはレオンの手を見た。
爪の間には、まだ少し油が残っている。
「全部は落ちていません」
「細かいところで負けた」
ミラは紙包みを両手で受け取った。
ゆっくり開くと、中から同じ色の青い髪ひもが二本出てきた。細く、高価なものではない。けれど、冬の朝の光の中でも、二本ともきちんと青かった。
ミラはしばらく見ていた。
「わたしの髪に使いますか」
「そのために買った」
「昨日、忘れていました」
「新しい年の最初には間に合っただろ」
ミラは二本の青い髪ひもを指先でそろえた。
「間に合いました」
レオンは息をついた。
「結んでみるか」
「レオンさんが?」
「昨日、あれだけ走った男を少し信用しろ」
「走ることと、髪は違います」
「五歳が正確すぎる」
ミラは寝台の端に座り、レオンへ背を向けた。
レオンが髪を左右に分け、二本の三つ編みを作って、それぞれの先を青いひもで結ぶと、片方だけ少し高くなった。
ミラは水を入れた桶に顔を映し、揺れる水面の中の二本の青いひもを見た。
「曲がっています」
「新しい年は、少しくらい曲がってても始まる」
「直せますか」
「エリーズに見つかる前なら、もう一回やる」
ミラは桶の中の自分を見たまま、ほんの少し笑った。
机の上には、二人分の甘いパンがある。水差しには水が入り、黒い鍋には昨日より少し具の多いスープが残っている。棚には白い紙飾りと短い鉛筆があり、ミラの二本の三つ編みには、少し高さの違う青いひもが結ばれていた。
新しい年は、レオンを待たずに勝手に来た。
それでも、二人分の朝だけは、どうにか間に合った。




