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拾われたのは俺の方だった  作者: Aramaki_mai
第二章 家の人になる日々
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16/21

第16話 ミラのレオン

挿絵(By みてみん)

週明けの市立初等校の門前は、朝から小さな声でいっぱいだった。


子どもたちは鞄を抱え、見送りに来た大人たちは帽子や襟を直している。低い門のまわりには、靴音と布のこすれる音が集まっていた。レオンはその中で、ミラの胸元を見ていた。


紺色のスモックには、白い名前布がついている。


エリーズが整えた字を、レオンが前の晩に針で縫いつけたものだ。針目は途中で小さな坂になっていたが、朝になっても取れてはいなかった。


「曲がってます」


ミラは指先で名前布の端を押さえた。


「読めるだろ」


「読めます」


「なら今日は、取れてない方を褒めてくれ」


「取れていません」


「よし」


レオンが少し胸を張ると、門の横にいたエリーズが籠を抱え直した。


「糸に負けかけた男が、朝から堂々としてるわね」


「負けかけただけだ。最後は俺が勝った」


「勝ったなら、そこまで曲がらないのよ」


エリーズはそう言いながら、名前布の端を指でそっと整えた。


「でも、落ちてないからいいわ。子どもの物は、少し目を離すとどこかへ行くんだから」


ミラは名前布を見下ろした。


「服も、どこかへ行きますか」


「歩かないけど、なくなるの。子どもの服は忙しいのよ」


「忙しい服」


「そこに引っかかるのか」


レオンが言うと、エリーズがすぐに返した。


「名前と服と子どもをまとめて扱うから、引っかかられるのよ」


「今日はまだ失敗してない」


「門の前だけで勝った顔をしない」


ミラは二人を見比べ、小さく頭を下げた。それから、レオンと一緒に予備学級の入口へ向かった。


教室の前には、子どもたちが何人も集まっていた。低い声、高い声、鞄の留め具が鳴る音。壁際の小さな靴箱には、すでにいくつかの靴が並んでいる。


ジュールがこちらを見つけた。


「ミラのレオン来た」


六歳くらいの男の子は、口が早く、いつも少し前のめりに話す。悪気はないが遠慮もない。レオンはすでに何度か、子どもの遠慮のなさは大人の小言より避けにくいと知っていた。


「俺に名前をつけるな」


「名前じゃないよ。ミラの」


「なお悪いだろ」


「なんで?」


「俺は物じゃない」


「でも、ミラを迎えに来る」


「今日は見送りだ」


「帰りも来る?」


「来る」


「じゃあ、ミラのレオンだ」


話がきれいに戻ってきた。レオンが帽子の縁を押さえていると、そばにいたルシアンが静かに言った。


「ミラは、レオンさんが来ると分かる」


ルシアンはジュールより口数が少ない。けれど、見たものをそのまま言うので、時々よけいに逃げ場がない。


レオンは少し身をかがめる。


「俺の足音か?」


「顔」


「俺の顔が分かりやすいのか」


「ミラの顔」


レオンは言葉を探して、見つけられなかった。


ミラは鞄の取っ手を両手で持っている。走って教室へ入るわけでも、レオンの後ろに隠れるわけでもない。ただ、ジュールたちの言葉を聞きながら、少しだけレオンを見上げた。


その顔を、ルシアンは見ていたのだろう。


ルノー先生が教室の入口から出てきた。髪をきちんとまとめ、手には名簿を持っている。レオンを見ると、まず時間を確認し、それからミラの胸元の名前布を見た。


「名前布、つきましたね」


「つきました。少し曲がってますけど」


「読めます」


「曲がっていることと読めないことは別、ですよね」


「覚えているなら、次は最初から落ち着いて縫ってください」


「次があるんですか」


「子どもの持ち物は増えます」


「急に未来が怖い」


レオンは大人しく帽子を持った。


ジュールがルノー先生に言う。


「先生、ミラのレオンって呼んでいい?」


「人に呼び名をつける時は、本人にも聞きましょう」


ジュールはすぐにレオンを見た。


「いい?」


「俺が聞かれるのか」


レオンが困っていると、ミラが小さく言った。


「だめじゃないです」


レオンはミラを見る。


「だめじゃない、なのか」


「だめではないです」


「いい、ではなく?」


ミラは鞄の取っ手を持ち直した。


「まだ、そこまでは分かりません」


ルノー先生は名簿を胸元に寄せ、淡々と言った。


「分からないことを、急いで決めなくていいです」


レオンは少しだけ肩を落とした。


「先生、今日は俺じゃなくて言葉を助けましたね」


「言葉が先です。人は、そのあとで困ります」


「順番がかなり正しい」


「では、ミラさん。教室へ」


ミラは小さく頷き、教室へ入った。入口で一度だけ振り返る。レオンがまだ門の方へ戻らずにいるのを見ると、ほんの少し口元をゆるめ、それから席へ向かった。


レオンはその顔を見て、何か言おうとした。


だが、ジュールがまた横から言う。


「ミラのレオン、帰りも来るんだよな」


「来る。だから今は工場へ行かせろ」


「工場もミラの?」


「工場は工場長のだ」


「じゃあ、工場長のレオン?」


「それは絶対に嫌だ」


ルノー先生が咳払いをした。レオンは帽子をかぶり直し、今度こそ門を出た。


工場へ向かう通りには、朝の湿り気が残っていた。パン屋の前から焼けた匂いが流れ、馬車の車輪が石畳をゆっくりこすっている。工場に近づくにつれて、油の匂いと鉄を打つ音が強くなっていった。


作業場では、いつものように部品が流れていた。


レオンは手袋をはめ、流れてくる部品を受け取り、決まった棚へ置く。手は動く。けれど、頭の隅では、朝の門前の声が何度か戻ってきた。


ミラのレオン。


変な呼び方だ。


自分の名前を誰かの持ち物みたいにつけられるのは、少し気に入らない。けれど、完全に腹が立つかと言われると、それも違う。違うから、なお面倒だった。


昼前、隣のロイが部品を置きながら言った。


「今日は名前布か」


「何で知ってる」


「朝、テレーズさんが言ってた。レオンが糸と戦って、糸の方が途中まで優勢だったって」


「アパートの洗濯場は新聞より早いな」


「しかも誤字がない」


「俺の記事ばっかり載せてないか」


「人気欄だ」


レオンは言い返そうとして、部品の向きを直した。少しずれていた。余計なことを考えると、鉄板はすぐにそれを見せてくる。


昼休みになると、工員たちは作業場の隅に集まった。


硬いパン、チーズの端、薄切りソーセージ、紙に包んだじゃがいも。誰かが古いカードを出し、別の誰かが小さな紙包みを机の端へ置いた。


砂糖のついた硬い菓子だった。


レオンはそれを見た。


「勝ったらください」


紙包みの持ち主が眉を上げる。


「お前、前は酒場の一杯だったろ」


「ミラは酒を飲まない」


「飲ませたら殴るぞ」


「そこまで浅くない」


ロイが横から言う。


「そこまでは、だな」


別の工員が道具箱の上に小さな木の鳥を置いた。子どもの玩具らしい。羽の端が少し欠けているが、形はまだちゃんと鳥だった。


「これもいるか。うちの下の子がもう遊ばない」


「羽の端、削ればいけますね」


「勝つ前から持ち主の顔をするな」


「負けたら、休憩所の片づけ一回やります」


「子どもの菓子と木の鳥のために、雑用を賭ける十八歳か」


「勝てば部屋の物が増える」


ロイが笑った。


「前より勝ち方が小さくなったな」


「机の上に乗る大きさは、部屋に合ってる」


「急に暮らしに合わせるな」


勝負そのものは、大したものではなかった。昼休みの短い時間に、硬いパンを片手で食べながらやる遊びだ。だが、レオンはいつもより真剣だった。


工員たちはそれがおかしくて、わざと菓子の包みを遠くへ置いたり、木の鳥を道具箱の奥へ隠すふりをしたりした。


最後にレオンが札を出すと、ロイが肩を揺らした。


「勝ったな」


「勝った」


レオンは紙包みと木の鳥を受け取った。


木の鳥は新品ではない。塗りも少し剥げている。けれど、机の上に置くには悪くなさそうだった。レオンは工場の隅にあった紙やすりを借り、欠けた羽の角だけを丸くする。


「お前、木まで面倒見るようになったのか」


年上の工員が言った。


「刺さると困るので」


「誰に」


「ミラに」


「じゃあ、ミラの鳥か」


「まだ鳥の鳥です」


「ややこしいな」


レオンは木の粉を軽く払った。削りすぎると鳥ではなくなるので、そこだけは慎重にした。


終業の警笛が鳴ると、レオンはいつもより早く手袋を外した。


水場で手を洗い、爪の間の油をこすり、外套の内ポケットを確かめる。菓子の紙包みと木の鳥は、ちゃんとある。木の鳥には布の端を巻いて、油が移らないようにしていた。


ロイが後ろから声をかける。


「ミラのレオン、迎えに行くのか」


「工場まで広げるな」


「広がる名前は強いぞ」


「強くなくていい」


「落とすなよ、鳥」


「飛ばないようにしてある」


「鳥としてはどうなんだ」


「俺の部屋向きだ」


レオンはそう返して、工場を出た。


市立初等校の門前は、夕方もにぎやかだった。迎えに来た大人たちの声、子どもたちの足音、鞄の揺れる音が混ざっている。予備学級の入口から、ミラが鞄を抱えて出てきた。


胸元の名前布は、朝と同じように少し曲がっている。けれど、取れてはいなかった。


ジュールがその後ろから顔を出す。


「ミラのレオン、帰りも来た」


「帰りだからな」


「明日も?」


「来る」


「明後日も?」


「来る」


教室の入口から、ルノー先生の声が飛んだ。


「今の返事は正しいです」


レオンは帽子を持ち直した。


「やっと正解が出た」


「続けてください」


「正解は一回で終わらないんですね」


「迎えは毎日あります」


ミラは胸元の名前布を一度だけ見下ろし、それからレオンの隣に来た。


「今日は、手がきれいです」


「工場の水場と勝負してきた」


「勝ちましたか」


「爪の間は少し負けた」


ミラは真面目にその指先を見てから、鞄を持ち直した。


帰り道、ミラはいつもより少しだけレオンの外套を見ていた。正確には、外套の内ポケットのあたりだ。


「そこに、何かありますか」


「ある」


「紙?」


「今日は紙じゃない」


「パン?」


「パンでもない」


「犬のパン?」


「内ポケットに犬を入れたら、俺がかなり怒られる」


「パンは入らない」


「入らないし、入れない」


ミラは少し考えた。


「じゃあ、何ですか」


「帰ってから見るものだ」


「見たら、返しますか」


「返さない」


ミラの眉が少し動いた。


レオンは、先に言い切れたことに自分で少し驚いた。


「返さない。お前の机に置く」


「机は、レオンさんの机です」


「俺の机でもある。最近、少しずつ押されてる」


「誰に?」


「小さい鉛筆とか、学校の紙とか、これから出すものとか」


ミラは外套の内ポケットを見た。


「鳥も、押しますか」


「今のは聞かなかったことにしろ」


「聞こえました」


「耳がいいな」


「近いです」


ミラはそう言って、ほんの少し口元をゆるめた。


公営労働者アパートの中庭へ戻ると、洗濯場ではテレーズが水桶を並べていた。エリーズは籠を抱え、マノンのほどけた髪ひもを直している。ルルは木の匙を持ったまま、トトの尻尾を追いかけていた。


テレーズがレオンを見るなり、目を細めた。


「今度は何を隠してるんだい」


「まだ何も見せてません」


「あんたは、隠す前から顔に出るんだよ」


エリーズもこちらを見た。


「また紙?」


「今日は鳥です」


「生きてるの?」


「木です」


「木の鳥まで拾ってきたの?」


「拾ってない。勝った」


ミラがレオンを見上げた。


「買ったの?」


「勝った」


「お菓子屋さんに?」


「工員に」


「工員さんに勝つと、お菓子が出ますか」


「毎回ではない」


「負けると?」


「掃除が出る」


ミラは真面目に考えた。


「お菓子は、勝つものなんですか」


レオンは一瞬、言葉を失った。


「今の教育は少し危ない」


「かなり危ないわ」


エリーズがすぐに言った。


テレーズも水桶を置きながら続ける。


「菓子は買うか、もらうか、たまに分けるものだよ。掃除で勝ち取るものじゃない」


「掃除で勝ち取ると、そんなに悪く聞こえますか」


「実際に悪いわよ」


エリーズがあっさり言う。


マノンがミラの隣に来て、目を輝かせた。


「鳥、見る?」


「まだです。おうちで見ます」


「ミラの?」


ミラはすぐには答えなかった。レオンを見る。レオンは外套の胸元を押さえている。どう見ても隠し物がある人間の顔だった。


エリーズが笑いをこらえきれずに言った。


「それで、ミラのために勝ってきたわけ?」


「俺の勝ちです」


「使い道がミラなら、もうミラのレオンじゃない」


「呼び方を広げるな」


テレーズが水桶を持ち上げた。


「学校で呼ばれて、工場で鳥を勝って、アパートで隠して帰ってきたんだろう。広がる方が自然だよ」


「俺の名前に、今日は羽が生えすぎている」


「木の鳥より飛んでるわね」


エリーズが言うと、中庭の何人かが笑った。


レオンはミラの鞄を持ち直し、階段へ向かった。


「行くぞ。中庭でこれ以上広げると、明日には町の掲示板に貼られる」


「貼る紙ですか」


「貼らない紙だ」


「鳥なのに?」


「鳥は紙じゃない。今日はそこだけ覚えてくれ」


ミラは考えながら階段を上った。


部屋に戻ると、いつもの狭さが二人を迎えた。


寝台が一つ。床に敷いた古い外套。小さな机と椅子。簡易台所の黒い鍋。窓の外には工場の煙突が見え、夕方の煙がゆっくり上がっている。


ミラは鞄を机の横に置き、胸元の名前布を一度だけ見下ろした。


「取れていません」


「じゃあ、今日はそこもよし」


「朝より、少し曲がっています」


「曲がっても残ってるなら、まだよしだ」


ミラは小さく首を傾げたが、それ以上は言わなかった。


レオンは外套の内ポケットから、まず小さな紙包みを出した。砂糖のついた硬い菓子が一つ。次に、布の端に包んだ木の鳥を出す。


木の鳥は、ミラの手のひらに乗るくらいの大きさだった。羽の端は少し欠けているが、角は丸く削られている。塗りはところどころ剥げ、誰かが長く持っていた跡がある。それでも、鳥の形はちゃんと残っていた。


ミラはすぐに触らなかった。


「触っていいぞ」


「これは、勝ったものですか」


「教育に悪くない順で言うと、もらった」


「ほんとうは?」


「勝った」


ミラは木の鳥を見る。


「負けたら、鳥は来ませんでしたか」


「来なかったかもしれない」


「レオンさんは、鳥のために勝ったんですか」


「鳥だけじゃない。菓子もある」


「菓子のため?」


「それも違うな」


レオンは少し考えた。


ここで、いいことを言おうとするとだいたい失敗する。ベルナールなら静かに刺すだろうし、ルノー先生なら正確に直すだろうし、エリーズなら途中で止めるだろう。けれど、この部屋には今、ミラしかいない。


だから、なるべく短く言った。


「お前の机の上に、何か置けるものがあった方がいいと思った」


ミラは机を見た。


「わたしの机ですか」


「俺の机でもある」


「どっちですか」


「今日は、鳥のいる方がミラの場所だ」


ミラは少しだけ口元をゆるめた。


「鳥は飛びますか」


「飛ばない。飛ばしたら欠ける」


「鳥なのに」


「木の鳥は、そこが慎重なんだ」


ミラはようやく木の鳥へ手を伸ばした。指先で羽に触れ、削られたところを確かめる。痛くないと分かったのか、そっと持ち上げた。


「ここ、丸いです」


「工場で削った」


「鳥も、工場へ行ったんですか」


「少しだけな。車にはならなかった」


「車の少しにも?」


「ならなかった。鳥のままだ」


ミラは木の鳥を机の端に置いた。


小さな机の上には、水差し、古い鉛筆、折らないように棚へ移した学校の紙、そして木の鳥が並んだ。物が一つ増えただけなのに、部屋の中で机だけが少し違って見える。


「これは、戻りますか」


「鳥か」


「はい」


「机に置いたら、戻るというより、いるんじゃないか」


「いる」


「そうだ。飛ばない鳥は、いるのが得意だ」


ミラは木の鳥を見て、少しだけ頷いた。丁寧すぎる頷きではなかった。


レオンは外套を脱ぎ、床の上に放りかけて、途中でやめた。ミラの鞄の横に落ちそうだったので、椅子の背に掛ける。そういうことに気づくようになった自分に、少しだけ驚いた。


それから、ぼそっと言った。


「ミラのレオンって、変な呼び方だよな」


ミラは木の鳥から目を離さずに答えた。


「だめではないです」


レオンは少し困った顔をする。


「いい、でもないんだよな」


「まだ、そこまでは分かりません」


木の鳥は、机の上で飛ばずにいた。


レオンはそれを見て、まあ今日はそれでいいかと思った。


だめではない、という場所にも、しばらく置いておけるものがある。木の鳥も、変な呼び名も、まだ急いで決めなくてよかった。


ただ、迎えに行く人であることまでは、もう否定できなかった。


読んでくださり、ありがとうございます。

レオンとミラの生活が少しずつ変わっていく様子を、気軽に楽しんでいただければ嬉しいです。

よろしければ、最後までお付き合いください。

挿絵(By みてみん)

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