僕たちのゴール
僕が顔を上げた周囲には、僕と彼女以外は誰も居なかった。
僕は彼女と向い合う形で、二人っ切りで座っていた。
そして気付けば、僕は彼女の部屋の中に立っていた。
あの後、彼女に言われるままに手を引かれてお店を出て、手を引かれるままにタクシーに乗ったのまでは覚えている。
だけど、ここは彼女の部屋なのだろうか、、、。
タクシーを降り立ったのは確かに彼女の家の前。
前から知っていたし、今日、会を開いてくれたお店に向う前にも、何度かバイクで通り過ぎた景色には変わらなかった。
今、目の前には彼女が居る。
嬉しそうな、でも、泣き出しそうな、何か複雑な表情をした彼女の青い瞳に見つめられている。
僕の時間は止まっている。
これは夢を見ているのか?
あの時思った奇跡が起こしている幻なのか?
手を伸ばせば彼女が居る。
前を向けば僕と同じ目線の位置に、彼女の潤んだ青く美しい瞳が有る。
僕は手を伸ばした。
醒めないで。
僕が伸ばした手の先には、彼女のあの不思議な色をした髪が有る。
消えないで。
震える僕の手は、、、この手が彼女の髪に触れた。
夢であろうと、幻であっても、僕の手は彼女の髪に届いた。
その刹那、僕らは抱き合った。
そこには一切の言葉も無く、ただただ、強く強く抱き合った。
それはまるで掴まる丸太からズリ落ちないかの様に、きつくきつく。
交わす言葉も無いままに、僕らは唇を重ねた。きつく、きつく、強く、強く。
そのまま彼女のベッドへと潜り込み、僕らの抱擁は続いた。
ああ今、彼女のあの髪色に触れている!
決して触れる事など有り得ないはずのモノに触れている!
消えない、消さない、奇跡が見せる夢が続いている。
僕らの抱擁は続いていた。
彼女の力は強く、僕の背中には彼女の爪が食い込んでいた。
だけどそんなの関係無い。
今は二人の身体の間に、少しでも空間が出来てしまう事が嫌だった。
変に力を入れ過ぎて、少しの疲労感を思った時、間近で彼女の顔を見た。
少女から大人の女性へと移りつつある、、、それは幻想的で美しい何かを見せられているかの様に。
彼女に見惚れてしまっている僕が居る。
あの日のままに、あの時のままに。
僕らはベッドのシーツの下で、服を脱ぎ出していた。
そこに何も疑う事も無く、さも当たり前の流れの中を漂うようであった。
ぎこちなくゴソゴソと、慌てる僕はベルトが上手く外れずにバタバタとしてしまった。
僕のその動きはシーツを半分、ベッドから滑り落としてしまった。
ズリ落ちたシーツの下から、彼女の白い裸体の上半身が晒された。
目に飛び込んで来たのは、彼女の大きな二つの胸。
美しかった。だけど恥ずかしさで直に目を逸らしてしまった。
そんな僕の顔を彼女は引き寄せた。
彼女に引き寄せられた僕の頬が、彼女の胸に届いた瞬間、僕に何かのスイッチが入った。
それは試合開始のホイッスルの様に。
僕は走り出した。
そのまま僕は彼女の体にむしゃぶり付いた。
夢中で彼女の身体に触れ、彼女の髪に触れた。
これは本能なのか、自分の体の動きが頭で制御出来ない様な、何が何だか分からないままに。
柔らかい、温かい。
彼女の身体に触れたのは初めてだった。
いや、正確には高校2年生の時、初めてと言える会話を交わし150円を渡した指先が、僅かに彼女の手の平に触れた時。
それと、誓いを立て合ったあの夏に、優しく交わした拳と拳。
僕は帰って来た。
あの日失ってしまった夢の時間の旅人は、今強烈に巻き戻される!
込み上がって来る!
高鳴り!熱が!
僕は彼女を駆け巡る!
ただただ込み上がる熱に押されるままに、ただ、突き進む!
いざっ!
だけど僕は彼女の入口の手前で発射してしまった。
渾身のシュートは大きく枠を外してしまった。
こんな事になるだなんて、、、残酷過ぎる。
天国から地獄へ、真っ逆さまに落ちて行くかの様だ。
僕の初めては、届かないままの数秒で終わってしまった。これでは初めてとは言えないか。
あの熱、この場に起こった高鳴りは、勝利したピッチに立つ事などとは比べようが無い!
もっと別世界、もっと別次元だったのに。あの衝撃の中を駆け抜けたはずだったのに、、、それが、あっけ無いほどのミスキックに終わり、ゴールとはならなかった。
消失感を漂わせてしまった僕の顔を彼女優しく包んでくれた。
そして体ごと引き寄せられた。
「ねえ、アレックス、」
「なぁに?」
「凄く背が伸びたんだね。今何センチ?」
「ええ、180センチ。」
以前の彼女は僕より背が低く、彼女は僕の目線の下、頭の頂上が見えてたのに。
「ウソよ、179.5センチよ。」
「そんなの変わらないよっ」
僕たちは笑い合い、再び抱き合った。
僕はまだピッチの外には出ていない!
まだだっ!
さっきは大きくゴールから逸れてしまったけど、だけどゴールを許した分けでは無い!
まだ試合は終わってない。終わらせない!
ロスタイムが有る事を信じて、僕は再びピッチを走り出す!
僕は再びトライする。
それは衝撃だった!
僕らは揃って仰け反ってしまい、この衝撃の元を探るかの様に、ハニカミながらも、お互いの顔を覗き込んだ。
、、、ああ、瑠璃子、、、
僕は改めて彼女の顔を覗き込んだ。
彼女の薄目の中に潜む潤んだ青い瞳、彼女の高い鼻、彼女の柔らかそうな唇、彼女の尖った顎、彼女の美しい髪、、、女神だった。
「瑠璃子、、、キレイだ、、、」
瑠璃子は鼻に小ジワを寄せて応えてくれた。
僕らのロスタイムは終わる事を知らないかの様に、時には激しく、時には動かずに。
僕らには、残り時間なんて関係なかった。
僕は体が動く限り、走り続けられる限り、貪欲にゴールを目指す!決して諦めない!
そう、部室の壁にも貼ってあった『諦めない』と!
そして何事にも正面から向かう勇気!
それは僕がサッカーを通して培ったモノ!
今、それを示せ!
今の僕なら胸を張って言える事だ!
嗚呼、瑠璃子!
僕らは走り続けた。
僕は誰にもホイッスルを吹かせる気は無かった、彼女も決してゴールテープを切ろうとしない。
瑠璃子瑠璃子瑠璃子、瑠璃子、瑠璃子!
「瑠璃子、好きだ」
「私もよ、あなたが好き。」
『好き』決して言えなかった言葉。
だけど言葉でもって伝えたかった。それはお互いに思いつつも、実行出来なかった事。
僕たちが果たせなかったあの夏の一種の誓い。
僕らは改めて抱き合った。
「あれ、順番が違ったかな。でも、二年越し、言葉でもって伝えられた」
『今度の試合で2試合勝ったら』変な理由を付けて、瑠璃子への告白を避けてしまった。
でも当時の自分が取った最大限であった。
それは今でも、状況が同じであったら変わらないのかも知れない。
いや違う、もう逃げない、変えるんだ!
「あー!悔しいっ!」
「ど、どうしたの、突然?」
瑠璃子はハニカミながら、僕を見て来た。
「私はあの日のレースで、2秒は縮める自信があった。いや、上手く行けば3秒近くは行けたのに〜!」
陸上競技で、それも短距離で、個人の記録を一気に2秒も縮める事なんて、普通なら有り得ない。
「私は成長期だったの、それは自分の記録の伸びとも比例して。」
「だけど、本当の意味でも成長期を迎えていたのね。もう少しだけそれが遅れてくれていたら、」
瑠璃子は成長期だったそうだけど、それは強烈な『成長痛』という形で彼女に襲い掛かり、あの結果、途中棄権となってしまった。
外国の血を持つ人と日本人との間に、身体の生育に関して大きな差異が有るのだろうか?
もしかして『成長痛』って、それが痛い程、体が大きくなるのかな?
久し振りに会えた彼女を見ると、そんな事なのかとも思ってしまう。
少し落ち着きを取り戻した僕は、改めて瑠璃子の姿を見た。一種の観察だったかも。
彼女は変わっていた。いや凄く成長したと表した方が適当なのかも。
身長も凄く伸び、顔だって可愛らしかった娘が凄い美人になっちゃったみたいに!
それに、スリムに感じていた身体付きが、今やボインボインだ!
あの日のレースでの彼女のユニホーム姿から、、、あの時、彼女の上下の膨らみが大きくなってると感じた時、、、あれから一段、いや、今やニ、三段は飛び越えちゃてるよ!
「何よ?」
「いや、」目のやり場に困る。今更だけど。
あー、確かにあいつ、加藤が言った『凄いのが居る』は、瑠璃子に違いないよ。
だけど少し前まで、この容姿の瑠璃子と机を並べていたクラスの男子は無事だったのか?
こんなの反則だよっ!
成長痛、僕にもあった。
確かに膝関節の痛みを抱える様になったけど、だけど我慢するまでもなく、日常生活に影響しちゃう程の事は無かった。
「それって、」
瑠璃子は自己記録を更新する自信があった。その上で僕とあんな約束をしたんだ。
『次のレースで自己ベストを更新出来たら、告白する』と。
だけど迎えてしまった結末。
「あの時、2秒だか3秒自己記録を縮められていたら、どこまで行けたの?」
高校女子の陸上競技の記録を調べたりした事は無かった。
「多分、全国に行けてたかも。」
全国かぁ〜、でも、彼女が自己ベストを更新したその先に待つ告白で、実際に告白する相手は僕だったのだろうか?
今更かも知れないけど、怖くて聞けないよ。
「でも、やっと言葉でもって伝えられた。あの日あなたに教えられた事。」
「私は4年越しよ、」
えっ?4年越しって、僕の倍。
でもちょっと待って、それだと僕たち中学生じゃんか?!
何で、何でそんなに前なの?!
「私は何時もいつも、あなたに想いを送っていたのに。それは一種の呪いの様に、黒魔術でも本気で習おうかと思った程よ。」
瑠璃子は皆んなを虜にしちゃう、魔法は持っているのに。
「あの時あなたは相手に言葉で伝えるって言ったわ。」
「うん」、でも実際は、言わなくて済む様にしたのだけど。
「私は気付かされたの。」
「私に好きだと言って来てくれた人達は、言葉で伝えてくれる事が多かったの。でも、自分はどうなの?」
「自分自身は誰にも好きだなんて言えなかった。言葉にすることが出来なかったの。それは、怖かったからかも知れない。自分がこんな思いをするのに、多くの人達は私に言葉でもって伝えて来た。」
僕は彼女の髪に触れながら、彼女の“告白”とも取れる言葉に耳を傾けていた。
「彼らはどんな想いを持ち、どんなに勇気を振り絞ったのだろう。」
「それを気付かせてくれたのは、あなたよ。あなたは言葉で伝えなくちゃって、、、そう、今度は私の番だと強く思ったの。」
彼女はウィンクしてみせた。
「だけど今日はどうして?言葉を交わさずに、声すら出していなかったのに、だけど私たちの持つ想いは伝わった、、、どうしてなの?」
「う〜ん、」
僕らはそれを越えられたのかも知れない。
「私たちは陸上部に入ったでしょ。」
「うん」、それは偶然だった。
「私は周囲に可愛い、可愛いって言われて来て育った。なんか自慢や自惚れに聞こえちゃうかも知れないけど。」
いや僕だって、瑠璃子は可愛いとしか思えない。
だけど言葉に出せなかった。眩しく輝く瑠璃子に近付く事も言葉を掛けるなんで出来なかった。
勇気も、覚悟も、何も無かった。何より自分に自信が無かった。
「学校は好きだったわ。クラスの皆んなも先生も。」
「だけど、何時も見られていた。自意識過剰と思われても、私は自分を晒して生きているの?それを無視する程、私は強くは無かったの、学校ではひとりだと感じられる時間が無かったの。」
「以前少し話したけど、陸上部に入ったのは母の影響だったと。だけど陸上って個人競技でしょ、だから私は陸上部を選んだのかも知れない。」
個人競技だったら、剣道とか柔道とかテニス。僕らの高校には弓道部もあったけど。
「私を褒めてくれる多くの言葉、嬉しくないなんて筈はない。だけど変に慣れちゃって、何処か冷めていたの。」
そんな素振りは感じられなかった。いつも皆の中心で明るく微笑んでいた瑠璃子のイメージしか無いよ。
「それは自分の気持ちの持ちようだったのだけど、だけど素直に聞くことが出来なかったの。」
「私に『好きだ』『付き合って』と言って来た人、ありがとう、それを今であれば素直に言える。私だって皆んなに好かれたかった。だけどダメだったの。」
「男の子って、皆んなそうだと思ってたの。私も幼かったし、ワガママで自分勝手。若かったのね。」
「当時は中学、高校生じゃんか、人生を達観してたとでも言うの?」
僕は瑠璃子の髪に触れていた、彼女の告白は続いた。
「どうして私の事を好きだと言ってくれるの?何で?何故?理由は?何が?何処が?どうして?、、、前に聞かれたじゃない『どんな感じ』って。私は『気持ち悪い』って答えちゃったけど、本当の所は違っていたの。そんな風にしか考えられない自分自身が気持ち悪かったの。」
「ほら、良く有るじゃない。次は誰が言う?誰が告白するって。まるでマンガで出て来るバツゲーム。そんな風に思う事が凄く失礼なのは分かってる。だけど、そんな風にしか思えなくなっていた自分が気持ち悪かったの。」
瑠璃子は何時も皆に好かれ注目の的だった。
僕が知らないだけで、告白されたのは星の数なのだろう。
「あなたは私に関心が有った。だけど近付いても来ない、かと言い避けるのでも無い。不思議な存在だったの。」
「それだと、ただの変質者と変わらないじゃんか」
「ううん、違うの。他の誰かとは違う感覚が有ったの。私を見る視線が違うって言うべきなのかしら、う〜ん、上手く表現出来ないのだけど、私があなたに持った不思議な感覚。ああ、この人は何か違うって。」
「いや、オレだってアレックスに告ったヤツらと変わらないよ。可愛く綺麗で明るいアレックスの事が好きだった。だけど言い出す勇気が無かっただけだ」
その上、僕の中には別の意識が湧き出して来て、自分に制限を掛けてしまっていた。
だけど今日は現れない。この先ずっと現せさせない!
それに瑠璃子がそんな想いを抱えていたなんて、知らなかった。気付いてあげる事さえ出来なかった。
「だけどさ、人を好きになるのに特別な理由は必要なの?今、アレックスに『何で』って聞かれても、理由なんて無いよ。だけど瑠璃子が好きだって言える」
「あー、やっぱ理由が無いとダメ?」
「許してあげる。」
「私は色眼鏡で見られる存在。あなたは皆んなからストレートに見られる存在。それは純粋さ、素直さ、真っ直ぐさを持っているから、皆んなはそれが分かっていたの。それは私が持っていないモノ。だから惹かれたのかしら。」
「買い被り過ぎだよ。オレは捻くれ者だよ」
「そんなに自分を卑下しなくてもいいのよ。」
だって、僕を捻くれ者にしたのは、瑠璃子のせいでもあるんだぜ。
「私はこんな外観でしょ。」
瑠璃子の見た目は外人さん。日本人とのハーフだけど、日本人的な要素がひとつも無いと言っても良さそう。
「うん」あっ、怒られるかも。
「こんな姿でも話す言葉は皆と変わらない。考え方だって変わらないと思うの。だけど珍しく見られる、珍品ね。そんな目で見られる事は多いわぁ。場合によってそれは差別的に感じる事も有るの。」
まぁ確かに。
日本語ペラペラな外人さんがいたら、珍しく感じて、何処で日本語を習ったのか聞いちゃうかも。
でも、珍品だなんて、だけど差別的だなんて。
本人でしか感じない、分からない事なんだろう。
「あなたが私に接する態度、そこには何も垣根を感じさせない、特別視しない、私を色眼鏡では見ずに真っ直ぐと。単に一人の“人”として見てくれている。嬉しいの。」
「う〜ん、嘘隠し無く言うけど、瑠璃子の姿は外人さんに見える。だけどそれがどうだとか思った事は無いなぁ」
「だけどさ、オレが瑠璃子の事を変に比べたりせずに見ていただなんて、どうして分かるの?」
『天使』や『妖精』に人種を当てはめた事は無かったなぁ。
「そんなの分かるわよ。それこそ女の勘かしら。」
瑠璃子はそう言って微笑んでくれる。
ああ、僕の女神さま。
DNA情報の上書きをしないと『日本人男子は西洋人の女性に弱い』と。
「うーん、そうだとしても、瑠璃子がオレの事を想ってくれていたなんて、」奇跡や夢の続きだよ!
「オレの方こそ聞きたいよ、オレのドコがいいの?こんな出来損ないの捻くれ者に」
「あなたは自分の事を、その劣等感が何処から来るのか頭の中を開いてみたいわ。」
そんなの、瑠璃子と自分を並べたら、、、見栄え、美しさ、輝き、、、劣等感しか無い。
「私はあなたがその目で見つめてくれている限り、私はあなたに想いを贈るわ。」
うわぁ~、今何か、凄い事を言わなかったか?スッゲー恥ずかしい!
「ありがとう、だけど、」
僕の言葉は瑠璃子の指先で閉じられた。
「ダメよ、自信を持って。事実あなたはモテていたのよ。」
えぇ~ウッソ!
「それ、さっきも聞いたけど、」
自分が誰かから好意を持たれていたなんて、全く気付かなかった。
いや、僕の中に瑠璃子が居る限り、他の女子の事を考える事も、別の誰かを探すなんて出来なかった。
瑠璃子の隣に立つのは僕じゃない。
だけどそれがピッチの外に出る、敗退理由にもしなかった。
出来なかった、が正解かも。
「たから私は少しイライラしてた、誰かがあなたに告白でもしちゃうんじゃないかと思って。」
「その言葉はそっくり返すよ。オレなんて毎日毎日冷や冷やして、今日こそはアレックスが意中の相手から告白されちゃうんじゃないかと」
「実はね、」
「何?」
「今だから告白しちゃうけど、」
「なになに?」
「私、牽制してたの、」
「牽制って?」
「うん、草刈君に手を出すなって、」
えっ?
瑠璃子から、僕が想像もしていない告白がされた。
僕に手を出すな、なんて、、、それよりも、誰かに対してそんな事を言うなんて、、、
いつも穏やかで、教室の中では皆に囲まれて、部活で走っている姿であっても、そこには誰かに対して強気だったり勝気だとか闘争心なんて微塵も感じさせなかったのに。
ただトラックのスタートラインに立ち、ゴールテープを見つめた時、陸上のレースでは別だったかも?
僕は帰宅の道中の時間だけだとしても、彼女の事を多く見つめ、彼女の多くの表情が見られて、彼女の多くを知る事が出来たのだと、自惚れだった。
まだまだ僕の知らない彼女の持つ多くの面が隠されてる。
女って、怖いなぁ〜
でも、さっきハンドの女子が口ごもったのは、こう言う事?
その感じを日常で出す事があったなんて。
でも、
「それだったら、何で、もっと早く言ってよっ」
「そんなの言える分け無いじゃないの!あなたも一緒でしょっ?!」
「あ~、うーん」
何も反論出来ない。僕の方が酷かった。何時もグズグズしてた。
「それで、もしかして、オレの事を待っていてくれたりして?」
「だってあなた、突然居なくなるんだもん。」
僕は引っ越す前に、瑠璃子に会えなかった。
姿を見る事さえ出来なかった。
それは、彼女が不在にしていたから、彼女の父親の里であるオーストラリアからの帰国が遅れてしまったから。
でもあの時、もしも会えたとして、僕は瑠璃子に『さよなら』って言えたのだろうか。
「加藤君ね、」
「加藤がどうした?」
ここで加藤がどうして出て来る?
「私、加藤君にあなたの事を聞いていたのよ。」
「えっ」
加藤とは、引っ越した後、転校先の事やサッカー部の事で連絡を取り合っていた。
僕は瑠璃子の事を聞きたかったけど聞けずにいた。
「だってあなた、携帯もスマホも持って無かったでしょ。」
「うん、持って無かった」
今どきの高校生としては、中学生だって持ってるぞと、皆にからかわれていたけど。
「だから、加藤君に聞いたの。」
「あいつ、そんな事ひと言も、」
「だって私が絶対言っちゃダメってお願いしたから。」
加藤ー!
「あなたが知らないって事は、加藤君は私との約束を守ってくれたのね。」
「アイツぅ~」
いや、今日の『第二グランド帰還会』を開いてくれたのは加藤だ。
もしかして、あの時瑠璃子と二人っきりになったのは、加藤のお膳立てか?
アイツぅ~、なんてお礼を言えばいいんだよ!
だけどアイツが僕たちのキューピットだなんて、似合わない!
まぁ、ムッさいキューピットがいてもいいか。
加藤、ありがとう。
「それで、」
「何?」
「あなたは2つ試合に勝ってきたのね。」
「何で?」
「だって私に告白してくれたじゃないの。」
あー、返事に窮しちゃう。
高校を転校して、その学校のサッカー部に入り直した。
だけど準レギュラーだったし、公式戦で二つ続けて勝った事はあったが、僕の出番は少なかった。
公式戦のスタメンとして、試合の頭から出た事は無かった。
レギュラーの座は勝ち取れ無かった。
「幾つか試合に勝つ事はあった。でも、公式戦でフル出場して、二つ続けて勝った事はなかったなぁ」
僕が転校したサッカー部は、そこそこ強かった。
準強豪校という言葉が有れば当てはまっていたと思う。
1、2回戦は順当に勝ち、ベストエイトとなる3回戦はひとつの鬼門だった。
だけど高校生活最後となる夏のインターハイでは、3回戦を突破しベストエイトに進んだ。
たけど僕が出場したのは、1、2回戦目だけ、それも後半の最初からと途中出場。
勝ち試合の終了のホイッスルが鳴らされた、そのピッチに立つ事は出来たけど、途中出場であった事が僕に取っては少し屈辱的に、今でも思ってる。
確かに、ベンチに居て、ピッチの外で迎える勝利の瞬間に比べれば、比べ様の無い熱く、込み上げて来る感情が溢れた。
途中出場、だけど勝利の手柄として、分け与えられるモノは無いとも思ってしまった。
贅沢?いや、もっと上手く、もっと強く成りたかったから。
スタメンで名前が並ぶ、レギュラー選手になる事を目標にしていたから。
「アレックスこそ、自己ベストを出したって事?」
成長痛。あの後瑠璃子は再びトラックに立ったのだろうか。
「私はとっくに更新しているわ。」
「えっ、そうなの?!」
彼女はイタズラっぽく笑った。
「だけど、公式に記録が残る競技会では無いけど。」
「それって、」
彼女は僕に続きを言わせまいと、唇を重ねて来た。
「それで、またいつか走るの?どこかの大会でレースに出るの?」
「うーん、女の子の身体って著しく激しい変化を興してしまうモノなの。」
うん、確かに。瑠璃子を見て分かる。オッパイなんてボインボインだし。
「私は身体が大きく成ったから、何かを競うには有利になったと思うの。でも、そうなると身体の使い方が変わって来るの。レースを走るのなら、一から鍛え直さないと。」
「じゃあ、」
「そうね、あの時の悔しさは今も残っているわぁ。」
今でもかぁ、瑠璃子は闘争心を隠し持ってるんだ。
「あなたはどうなのよ?」
「えっ、オレ?」
プロの選手なんかには成れっこ無い。企業チームだとしても、テクニックもスピードだって足りない。
僕は特に何も持ってはいない。
「そうだなぁ〜」
サッカーは好きだ。ボールを蹴るのも好きだ。
大学サッカーで学生リーグを目指すのもいいかも知れない。
それか、同好会かどこかのアマチュアチームでも探そう。
「そうだ、今度ボールを蹴りに行こうよ」
アレ?これって、形はどうあれ、初めてのデートの申し込みだよな。
「いいわよ、今から行く?」
「今からぁ?」
今からって、ボールを蹴れる様な格好でも無ければ、サッカーボール無いじゃんか。そもそも今、二人共裸じゃんか。
「あなたからの初デートのお誘いが、サッカーなんだ。」
アレ?僕の思いが見透かされた?
「今はさ、暫くこうしていたい」
僕が瑠璃子を好きなのは、その美しく可愛らしい見た目の外観に加え、明るく活発で礼儀正しく、その上聡明だ。
それは否定しない、他の連中とも同じだ。
たけど僕が瑠璃子を好きなのには、もう一つ理由が有る。
僕は瑠璃子の髪色に惹かれたんだ。そして、惚れたんだ。
それは彼女の事が好きだと言った、多くの他の連中とは違っているかも知れない。
だから彼女は、僕が彼女を見つめる目が、他の男達とは違って感じたのかも知れない。
一風変わった性癖なのかも知れない。
だけどそれが、この試合の分かれ目だったのかも知れない。
だけど、この事は秘密にしておこう。
髪の毛の色が、瑠璃子の事を好きになった理由だなんて、彼女の容姿に惹かれて好きになった他のヤツらの方が健全だよ。
「どうしたの?」
「うん瑠璃子、好きだ」
今は理由なんて無いよ、全部好きだ。
僕の試合は終わらない。彼女のレースもまだ続くのだろう。
僕は、彼女の隣に立つ。
いや、これからも彼女の隣に立て続ける事が、僕に課せられたミッションだ。
彼女持つ不思議な髪色を見続ける為に、僕はゲームを終わらせない。




