貴族科と教頭
「あ、あの、そろそろ貴族科の授業を受けませんか?」
屋敷で朝食をとっているとき、メリルがそう言った。
「そうだよな、そろそろ受けなくちゃいけないよな。婚約者とはいえ、今は立場上メリルの護衛なんだし、俺のせいでメリルが受けたい授業を受けられないのはダメだよな。」
リュートがそう返す。メリルが受けたい授業が貴族科にもあることは知っていたが、リュートの心の準備ができるまで待ってもらっていたのだ。
正直、この間まで平民だったリュートにとって、貴族の子息や令嬢が集まる貴族科の授業を受けるのは、なかなか乗り気がしなかった。
また、時折下級貴族の令嬢が獲物を狙うような目でリュートを見てくることも貴族科に行くのを遠慮する要因の1つであった。
準男爵とはいえ、最年少のSランク冒険者で同盟国の王女の婚約者という地位を持つリュートの側室になることができれば、下級貴族の令嬢としては大出世である。
こう言った理由で気が引けることをメリルに伝えると、メリルはこう言った。
「おそらく私の受ける授業は変わり者の貴族が集まる授業らしいのでその辺は大丈夫かもしれません。」
貴族科が普段使用する校舎は入学式のあった講堂から1キロほど離れていた。
入学式のあった講堂はミラノのドゥオーモを想起させるものだが、貴族科の校舎はフィレンツェのドゥオーモを想起させるルネッサンス建築の建物である。
建物には石やレンガの外壁に石材や大理石、テラコッタなどで装飾が施されており、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。
建物の左端にはえんじ色の屋根を持つ中くらいのドームが、右端には大きなドームが接続されていた。人気の授業やパーティーをする際はこれらを使うそうだ。
リュート達はこのどちらのドームでもなく、貴族科の校舎の中では比較的小さな部屋の中で授業を受けていた。
小さいとはいっても床は大理石の上に赤い絨毯が引いてあり、リュートが入るのを躊躇うほどの高級感漂う一室であった。
(これは、思っていたのとは別の意味できついな。)
リュートはそう思っていた。一方メリルは目をキラキラさせて聞いている。
「…えー、与えられた数が素数であるか否かを無条件に決定的多項式時間で決定するアルゴリズム、AKS素数判定法というものがあります。」
「この手法をこの世界に伝えたのは初代校長でしたよね?」
「はい、その通りです。多項式の次数が高すぎるので今まで判定できなかった素数を高速に判定できるようになったわけではないのですが、これは素数判定という重要な問題が実際にクラスPに属することを示した点で理論的には大躍進でした。」
この学校の教頭でもあるカツラが少しずれた小太りのメガネの男に何人かの生徒が質問をしながら授業は進んでいく。
確かにそこにいる生徒は前髪で顔の半分が隠れていたり、ひどい猫背だったり、かなり早口で話したりと、煌びやかなイメージがある一般的な貴族という感じではない人が多かった。
「リュート君、何か質問はありますか?まあ、【テイマー】の平民あがりが私の崇高な授業を理解できるわけもないのですが。」
いきなり教頭がリュートに意地悪な顔で話しかけてきた。
平民あがりはともかく【テイマー】は関係ないだろ、と思ったが実際全く理解できていないので何も返せない。そもそもなぜ初めて会ったのに目の敵にされているのかもわからなかった。
リュートが返答を諦めていると、隣に座っているメリルがリュートの太ももをトントンと叩き、こっそりリュートに紙を渡してきた。リュートはその紙をそのまま読み上げる。
「AKSは確実で多項式時間である点がすごくて、それでも実用的にはラビン・ミラーの疑似素数判定法のように確率的ではあるが遥かに高速なアルゴリズムを使った方がいいということですね?」
教頭は目を丸くした後、
「あ、ああ、その通りです。」
と悔しそうに言ってリュートに突っかかってこなくなった。
「ありがとう、助かった!メリルはすごいな!俺は自分で何を言っているのか一ミリもわかってなかったぞ。」
授業が終わり、歩いて食堂に移動しながらリュートは言った。
「前に本で読んだ内容でしたので…もうあの授業は受けるのはやめましょう。折角内容が面白かったのに嫌な気分になってしまいました。」
「そうだな、もうあの教頭とは関わりたくないな…」
「ですね...あ!」
メリルが中庭を指差す。そこには教頭がいた。
「くそ、あのテイマーの野郎は可愛くないな。それに比べてピーちゃんは可愛いしゅねー。チューしてあげましゅね。」
中庭の小鳥にそんな風に話しかけている教頭を見てしばらく絶句するリュート達であった。




