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R.E.M. ―眠る世界へ贈る、目覚めの子守唄―  作者: 天宮夢二
はじまり

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8/38

第6話 夢害と夢獣

この話から星結の惨劇が始まります。

何が起きているのか?

ケータの運命が動き始めます。どんな未来が紡がれるのか?お楽しみください

 白い。

 

 何も見えない。

 

 

 耳の奥で、

 

 キィン――

 

 何かが遠くで反響するような、

 高い音だけが鳴っていた。

 

 

 ケータは、

 目を開けているのか。

 

 それとも、

 閉じているのか。

 

 それすら分からなかった。

 

 

「……っ」

 

 

 息を吸う。

 

 

 焦げた匂いがした。

 

 

 少しずつ。

 

 少しずつ。

 

 

 白が、

 薄れていく。

 

 

 そして――

 

 

 白の向こうから、

 

 赤が滲んだ。

 

 

「……夕陽?」

 

 

 一瞬、

 そう思った。

 

 

 空が、

 紅い。

 

 

 夜だったはずの空が。

 

 

 赤く。

 

 朱く。

 

 

 燃えるような色に、

 染まっている。

 

 

 鳥居も。

 

 社も。

 

 神楽舞台も。

 

 

 目に映るものすべてが、

 

 まるで夕陽の中へ沈んだように、

 紅く染まっていた。

 

 

 ぱちっ。

 

 

 乾いた音がした。

 

 

 ぱち、ぱちっ。

 

 

 何かが、

 爆ぜている。

 

 

 鼻を刺す、

 焦げた匂い。

 

 

「……え?」

 

 

 赤いのは、

 空じゃなかった。

 

 

 炎だ。

 

 

 神楽舞台の屋根から、

 火の粉が舞っている。

 

 

 風に巻かれた火の粉が、

 

 夜空へ昇り、

 

 境内へ降る。

 

 

 赤い。

 

 

 世界が、

 燃えていた。

 

 

「火事だ!」

 

 

 誰かの声が、

 境内を裂いた。

 

 

「舞台から離れろ!」

 

「子供を先に!」

 

「水! 早く!」

 

 

 止まっていた時間が、

 

 一気に動き出した。

 

 

 泣き声。

 

 怒鳴り声。

 

 駆ける足音。

 

 

 ついさっきまで、

 

 笛が鳴り。

 

 鉦が鳴り。

 

 太鼓が鳴っていた。

 

 

 星結の日。

 

 

 笑っていた大人たちが、

 

 今は子供の手を引き、

 鳥居へ向かって走っている。

 

 

「父ちゃん!」

 

 

 ケータは、

 神楽舞台を探した。

 

 

 炎。

 

 煙。

 

 舞い落ちる火の粉。

 

 

 その向こう。

 

 

 鬼がいた。

 

 

「父ちゃん!」

 

 

 赤い鬼面。

 

 

 父だ。

 

 

 他の舞手たちと一緒に、

 舞台へ残っていた人を下ろしている。

 

 

 父がいる。

 

 

 それだけで、

 

 胸の奥に張りついていたものが、

 ほんの少しだけ緩んだ。

 

 

「ケータ!」

 

 

 聞き慣れた声。

 

 

 振り返る。

 

 

「とっちゃん!」

 

 

 人混みの向こうから、

 とっちゃんが走ってくる。

 

 

 その後ろには、

 ユキもいた。

 

 

「ケータ、大丈夫!?」

 

「うん!」

 

「雷、めっちゃ近かったぞ!」

 

「近いっていうか、落ちたやろ!」

 

「舞台に!?」

 

「たぶん!」

 

 

「ケータ!」

 

 

 今度は、

 母の声。

 

 

「母ちゃん!」

 

 

 母が駆け寄ってくる。

 

 

 ケータの肩を掴む。

 

 頭。

 

 腕。

 

 足。

 

 

 確かめるように、

 何度も触れる。

 

 

「怪我は?」

 

「ない!」

 

「ほんとに?」

 

「うん!」

 

 

「……よかった」

 

 

 母が、

 長く息を吐いた。

 

 

 その顔にも、

 

 赤い火の色が、

 ゆらゆらと映っている。

 

 

「三人とも、こっち」

 

 

 母が言った。

 

 

「境内から出るよ」

 

 

「父ちゃんは?」

 

 

 ケータは、

 もう一度舞台を見る。

 

 

「お父さんは大丈夫」

 

 

 母も、

 同じ方向を見る。

 

 

「だから、先に――」

 

 

 ――ドンッ!

 

 

 大きな音。

 

 

 全員が、

 振り返った。

 

 

 舞台の柱が一本、

 

 炎に包まれていた。

 

 

「……早っ」

 

 

 とっちゃんが呟く。

 

 

 ケータも、

 同じことを思った。

 

 

 さっき、

 火がついたばかりなのに。

 

 

 炎はもう、

 

 屋根を這い。

 

 柱を伝い。

 

 

 舞台の端へ、

 舌を伸ばしている。

 

 

 夜の黒を、

 

 火が喰っていく。

 

 

「消火器!」

 

「社務所!」

 

「早くしろ!」

 

 

 大人たちが走る。

 

 

 そのときだった。

 

 

 炎の向こうを――

 

 

 白いものが、

 

 横切った。

 

 

「……え?」

 

 

 ケータは、

 目を凝らした。

 

 

 白い。

 

 

 小さい。

 

 

 四本足。

 

 

「……犬?」

 

 

 煙の中から、

 

 白い犬が、

 ゆっくりと歩いてくる。

 

 

「……もふっとバンク?」

 

 

 見覚えがある。

 

 

 野球中継でも。

 

 テレビCMでも。

 

 

 何度も見た。

 

 

 もふっとバンクの、

 

 白いお父さん犬。

 

 

 どうして、

 こんなところに。

 

 

 そう思った。

 

 

 けれど――

 

 

 違う。

 

 

 何かが、

 おかしい。

 

 

 白い毛の隙間から、

 

 黒い煙のようなものが、

 立ち昇っている。

 

 

 舞台から流れてくる煙とは、

 違う。

 

 

 風が吹いても、

 流れない。

 

 

 黒いものが、

 

 犬の身体へ絡みつくように、

 ゆらゆらと揺れていた。

 

 

「犬……?」

 

 

 ユキも気づいた。

 

 

「なんでここにおるん?」

 

 

 とっちゃんが言う。

 

 

 白い犬が、

 

 ゆっくりと顔を上げた。

 

 

「…………」

 

 

 ケータと、

 

 目が合う。

 

 

 ――ォォォォォォ。

 

 

 低い音。

 

 

「……鳴いた?」

 

 

 違う。

 

 

 犬の声じゃない。

 

 

 もっと低い。

 

 

 もっと深い。

 

 

 腹の底から、

 身体を揺さぶるような――

 

 

 音。

 

 

 犬に纏わりついていた黒い靄(もや)が、

 

 大きく膨らんだ。

 

 

 ふわり。

 

 

 一瞬だけ、

 

 黒い花が咲いたように見えた。

 

 

 次の瞬間。

 

 

 黒が――

 

 

 燃えた。

 

 

「……え?」

 

 

 黒い炎。

 

 

 白い犬の足元から、

 

 一気に噴き上がった。

 

 

「危ない!」

 

 

 母が、

 三人を抱き寄せる。

 

 

 黒い炎が、

 

 地面を走った。

 

 

 石畳を、

 這う。

 

 

「は……?」

 

 

 とっちゃんが、

 声を漏らした。

 

 

 燃えている。

 

 

 石が。

 

 

 赤い炎じゃない。

 

 

 墨を溶かしたような火が、

 

 石の上を、

 音もなく走っていく。

 

 

 そのまま、

 

 石灯籠へ絡みついた。

 

 

 黒が、

 

 灯籠を呑む。

 

 

 次の瞬間。

 

 

 ――ボッ。

 

 

 石灯籠が、

 

 紅蓮に燃え上がった。

 

 

「なんや、あれ……」

 

 

 誰も、

 動けなかった。

 

 

 火が移ったんじゃない。

 

 

 黒い何かに呑まれたあと、

 

 赤い炎へ、

 変わった。

 

 

「下がれ!」

 

 

 鋭い声。

 

 

 黒い服の男たちが、

 

 人混みを掻き分けて走ってくる。

 

 

 星結の日が始まる前から、

 

 境内のあちこちにいた、

 見慣れない大人たち。

 

 

「全員、鳥居の外へ!」

 

「子供を優先しろ!」

 

「急げ!」

 

 

 ひとりが、

 白い犬を見る。

 

 

 表情が、

 変わった。

 

 

「夢獣(バク)を確認!」

 

 

「……バク?」

 

 

 ケータが呟く。

 

 

 別の男が、

 黒い炎へ目を向けた。

 

 

「夢害(クラディス)発生!」

 

 

「まだ規模が分からん!」

 

「周辺反応、増えてます!」

 

「計測班!」

 

 

 男が、

 耳元へ手を当てる。

 

 

「星の揺れは!」

 

 

 一瞬、

 返事がない。

 

 

「急激に増大しています!」

 

「数値は!」

 

「……駄目です!」

 

「何が駄目だ!」

 

「振り切れてます!」

 

 

 黒服たちの間に、

 

 ほんの一瞬だけ、

 沈黙が落ちた。

 

 

 遠くで、

 

 神楽舞台の柱が、

 また一本崩れた。

 

 

 ――ドン。

 

 

 太鼓のような音が、

 夜に響く。

 

 

「……なんでだ」

 

 

 誰かが、

 小さく呟いた。

 

 

 ケータには、

 

 何を話しているのか、

 分からない。

 

 

 バク。

 

 

 クラディス。

 

 

 星の揺れ。

 

 

 知らない言葉ばかり。

 

 

 なのに。

 

 

 あの大人たちは、

 

 これが何なのか、

 知っている。

 

 

「お母さん……」

 

 

「大丈夫」

 

 

 母が答えた。

 

 

 でも。

 

 

 ケータの手を握る指は、

 

 さっきより、

 ずっと強かった。

 

 

「――行きましょう」

 

 

 そのとき。

 

 

 白い犬が――

 

 

 地面を蹴った。

 

 

「来るぞ!」

 

 

 黒服の男が、

 前へ出る。

 

 

 犬が飛ぶ。

 

 

 男が身を沈める。

 

 

 すれ違う。

 

 

 その瞬間。

 

 

 手にしていた、

 細い棒のようなものを振り抜いた。

 

 

 ――ガッ!

 

 

 白犬の身体が、

 

 横へ弾かれる。

 

 

「……え?」

 

 

 ケータは、

 目を見開いた。

 

 

 戦っている。

 

 

 あの人たち。

 

 

 あれと――

 

 

 戦っている。

 

 

「右!」

 

 

 ゴロゴロゴロ――

 

 

 別の音。

 

 

 地面を擦りながら、

 

 何かが転がってくる。

 

 

 白。

 

 黒。

 

 

 丸い。

 

 

「……サッカーボール?」

 

 

 ケータの腰ほどもある、

 

 巨大なサッカーボール。

 

 

 誰も触れていない。

 

 

 なのに。

 

 

 ぴたりと止まり――

 

 

 跳ねた。

 

 

「うわっ!」

 

 

 黒服の頭上を越える。

 

 

 そのまま、

 

 屋台へ。

 

 

 ――バキンッ!

 

 

 木板が弾け飛ぶ。

 

 

「二体目!」

 

「挟め!」

 

 

 二人が、

 左右へ散った。

 

 

 その向こう。

 

 

 煙の中に、

 

 人影が立っている。

 

 

「誰かおる!」

 

 

 とっちゃんが叫ぶ。

 

 

 白衣。

 

 

 首から下げられた、

 聴診器。

 

 

 医者。

 

 

 一瞬、

 そう思った。

 

 

 けれど。

 

 

 頭部が、

 

 ない。

 

 

「……っ」

 

 

 ユキが、

 

 ケータの袖を、

 ぎゅっと掴んだ。

 

 

「三体目!」

 

「まだ出るぞ!」

 

 

 黒い影。

 

 

 また一つ。

 

 

 また一つ。

 

 

 煙の中から。

 

 

 炎の中から。

 

 

 黒い靄を纏った何かが、

 

 夜から剥がれ落ちるように、

 次々と姿を現していく。

 

 

「なんなん……これ」

 

 

 ケータが呟いた、

 

 その瞬間。

 

 

「一体抜けた!」

 

 

 白犬。

 

 

 黒服たちの間を、

 すり抜ける。

 

 

 黒い靄を引きながら。

 

 

 真っ直ぐに――

 

 

 ケータへ。

 

 

「ケータ!」

 

 

 母が、

 身体ごとケータを抱く。

 

 

 白い牙。

 

 

 その奥に、

 黒い炎。

 

 

 近い。

 

 

 息が、

 止まる。

 

 

 逃げられない。

 

 

 ――ドンッ!

 

 

 白犬が――

 

 

 真横へ、

 吹き飛んだ。

 

 

「…………え?」

 

 

 ケータの前に、

 

 

 鬼が立っていた。

 

 

「父ちゃん……?」

 

 

 父だ。

 

 

 間違いない。

 

 

 神楽の衣装。

 

 

 背中。

 

 

 立ち姿。

 

 

 父だ。

 

 

 でも――

 

 

 ケータは、

 

 息を呑んだ。

 

 

 面が、

 違う。

 

 

 さっきまで、

 

 神楽でつけていた鬼面じゃない。

 

 

 もっと鋭い。

 

 

 もっと怖い。

 

 

 吊り上がった眼。

 

 

 深く裂けた口。

 

 

 額から伸びる、

 

 二本の角。

 

 

 炎を映して、

 

 赤い鬼面が、

 ぬらりと光る。

 

 

 知らない。

 

 

 こんな面。

 

 

 神社のどこにも、

 

 なかったはずだ。

 

 

「……なん、それ」

 

 

 父は、

 答えなかった。

 

 

 白犬が、

 起き上がる。

 

 

 低く、

 身構える。

 

 

 父も――

 

 

 腰を落とした。

 

 

 火の粉が、

 

 二人の間を、

 横切った。

 

 

 一瞬。

 

 

 静かになった。

 

 

 犬が飛ぶ。

 

 

 父が踏み込む。

 

 

 かわす。

 

 

 回る。

 

 

 一歩。

 

 

 また一歩。

 

 

 足を運ぶ。

 

 

 腕を振るう。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 

 その動きを知っていた。

 

 

 何度も見た。

 

 

 何度も、

 真似した。

 

 

 今日だって。

 

 

 ついさっきまで、

 

 見ていた。

 

 

「……神楽?」

 

 

 父は、

 

 舞っていた。

 

 

 炎の中で。

 

 

 赤い鬼面をつけて。

 

 

 白い獣を相手に。

 

 

 父は、

 

 神楽を舞うように、

 戦っていた。

 

 

 でも。

 

 

 これは――

 

 

 ケータの知っている神楽じゃない。

 

 

 白犬が、

 再び飛ぶ。

 

 

 父の身体が沈む。

 

 

 踏み込む。

 

 

 ――ドンッ!

 

 

 腹の底へ響く音。

 

 

 白犬が、

 

 地面へ叩きつけられた。

 

 

 黒い靄が、

 

 大きく弾ける。

 

 

 夜へ溶けるように、

 

 消えていった。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 動けなかった。

 

 

 なんで。

 

 

 なんで、

 

 父ちゃんが――

 

 

 あれと、

 

 戦っとるん?

 

 

「星宮さん!」

 

 

 黒服の男が叫ぶ。

 

 

「東側、二体抜けます!」

 

 

「こっちは俺がやる!」

 

 

「了解!」

 

 

「……え?」

 

 

 ケータは、

 父を見る。

 

 

 今。

 

 

 あの人――

 

 

 父ちゃんのこと、

 

 知っとる。

 

 

「父ちゃん!」

 

 

「ケータ!」

 

 

 赤い鬼面が、

 

 こちらを向く。

 

 

「母ちゃんと行け!」

 

 

「でも、なんで父ちゃん――」

 

 

「早く!」

 

 

 それ以上、

 

 聞けなかった。

 

 

 父が走る。

 

 

 黒服たちと一緒に。

 

 

 炎の中へ。

 

 

 白衣の異形へ。

 

 

 黒い獣へ。

 

 

 鬼が舞う。

 

 

 黒服が駆ける。

 

 

 ――ドンッ!

 

 

 一体。

 

 

 ――ガンッ!

 

 

 また一体。

 

 

 黒い影が、

 

 次々と倒れていく。

 

 

 ケータは、

 

 母に手を引かれながら。

 

 

 何度も、

 振り返った。

 

 

 燃える境内。

 

 

 揺れる炎。

 

 

 紅く染まる夜。

 

 

 その中で、

 

 赤い鬼だけが、

 

 舞い続けている。

 

 

 ケータは、

 

 ただ見ていた。

 

 

 自分の知らない――

 

 

 父を。

 

 

 

     *

 

 

 

 どれくらい、

 時間が経ったのか。

 

 

 分からなかった。

 

 

 ほんの数分だったのかもしれない。

 

 

 ずっと長い時間、

 

 あの炎の中にいたような気もした。

 

 

 空は、

 まだ紅い。

 

 

 夜のはずなのに。

 

 

 火の粉が星のように舞い、

 

 黒煙が空を覆い、

 

 炎が夜を照らしている。

 

 

 昼でも。

 

 夜でも。

 

 夕方でもない。

 

 

 ただ、

 

 紅い時間だけが、

 

 境内に居座っていた。

 

 

「小型、残り三!」

 

「西側、避難完了!」

 

「北側も抜けた!」

 

「押し切るぞ!」

 

 

 黒服たちの声が、

 

 燃える境内を飛び交う。

 

 

 黒い炎は、

 

 まだところどころで揺れている。

 

 

 それでも。

 

 

 さっきまでいた異形たちは、

 

 一体。

 

 

 また一体。

 

 

 姿を消していた。

 

 

「いけるぞ!」

 

 

 誰かが叫んだ。

 

 

 その言葉が、

 

 ケータの胸にも、

 少しだけ入ってきた。

 

 

 終わる。

 

 

 終わるかもしれない。

 

 

 母が、

 

 ケータの肩を押した。

 

 

「今のうちに行きましょう」

 

 

「……うん」

 

 

 ケータは、

 

 父を見る。

 

 

 赤い鬼が、

 

 最後の一体と向き合っていた。

 

 

 黒い靄。

 

 

 大きな身体。

 

 

 その手には――

 

 

 黒いバット。

 

 

「……もふっとバンクのロゴ入りバット?」

 

 

 とっちゃんが、

 呟いた。

 

 

 夢獣(バク)が、

 

 バットを構える。

 

 

 とっちゃんの足が、

 止まった。

 

 

「……なんか」

 

 

「とっちゃん?」

 

 

「いや……」

 

 

 とっちゃんは、

 

 続きを言わなかった。

 

 

 黒いバットが振られる。

 

 

 父がかわす。

 

 

 一歩。

 

 

 踏み込む。

 

 

 回る。

 

 

 舞う。

 

 

 ――ドンッ!

 

 

 黒いバットが、

 

 宙を舞った。

 

 

 異形が崩れる。

 

 

 黒い靄が、

 

 夜へ溶ける。

 

 

「小型、消失!」

 

 

「残存反応――」

 

 

 一拍。

 

 

「なし!」

 

 

「……終わった?」

 

 

 ユキが、

 小さく呟く。

 

 

 境内には、

 

 まだ炎がある。

 

 

 まだ泣き声も、

 怒鳴り声も聞こえる。

 

 

 それでも。

 

 

 さっきまで、

 そこら中を走っていた夢獣(バク)は――

 

 

 もう、

 一匹もいない。

 

 

 黒い靄も、

 

 夜へ溶けるように、

 消えていた。

 

 

 残っているのは、

 

 燃える炎と。

 

 黒い煙と。

 

 焼けた匂いだけ。

 

 

 ケータも、

 

 そう思った。

 

 

 終わった。

 

 

 きっと。

 

 

 父が、

 

 こちらを振り返る。

 

 

「ケータ!」

 

 

「父ちゃん!」

 

 

「もう大丈夫や!」

 

 

 鬼面の奥から聞こえたのは、

 

 いつもの父の声だった。

 

 

 ケータの胸が、

 

 やっと。

 

 

 ほんの少しだけ、

 

 軽くなった。

 

 

 

 ――静かだった。

 

 

 

 さっきまで、

 

 あれだけ鳴っていた怒号も。

 

 

 走り回っていた足音も。

 

 

 なぜか、

 

 遠くへ行ってしまったように感じる。

 

 

 ぱち。

 

 

 ぱち、ぱち。

 

 

 燃える木の音だけが、

 

 妙にはっきりと聞こえた。

 

 

 風が――

 

 

 止まった。

 

 

 火の粉が、

 

 ゆっくりと、

 紅い夜へ昇っていく。

 

 

「……?」

 

 

 ケータが、

 

 空を見上げた。

 

 

 そのとき。

 

 

 ――ズンッ。

 

 

 地面が、

 

 揺れた。

 

 

「地震!?」

 

 

 ユキが、

 

 とっちゃんにしがみつく。

 

 

 ――ズンッ。

 

 

 もう一度。

 

 

 さっきより、

 

 大きい。

 

 

 ケータの足元で、

 

 小さな石が跳ねた。

 

 

 父が――

 

 

 ゆっくりと、

 

 振り返る。

 

 

「……違う」

 

 

 鬼面の奥から、

 

 低い声。

 

 

「父ちゃん?」

 

 

 ――ズンッ。

 

 

 炎の向こう。

 

 

 何かが、

 

 動いた。

 

 

 最初は、

 

 黒煙だと思った。

 

 

 けれど。

 

 

 煙よりも、

 

 もっと黒い。

 

 

 もっと、

 

 大きい。

 

 

 黒服のひとりが、

 

 手元の何かを見る。

 

 

「…………嘘だろ」

 

 

「どうした!」

 

 

「反応が……」

 

 

「何だ!」

 

 

 男の顔から、

 

 血の気が引いた。

 

 

「大型……」

 

 

「え?」

 

 

「大型夢獣(バク)!」

 

 

 その瞬間。

 

 

 空気が、

 

 変わった。

 

 

「全員退避!」

 

 

「さっさと子供を連れ出せ!」

 

 

「急げ!」

 

 

 さっきまで、

 

 バクへ向かって走っていた大人たちが。

 

 

 今度は――

 

 

 背を向けた。

 

 

「……え?」

 

 

 ケータは、

 

 炎の向こうを見る。

 

 

 黒い。

 

 

 あまりにも大きな――

 

 

 黒い獣。

 

 

 炎が、

 

 その輪郭を照らす。

 

 

 鳥居よりも高く。

 

 

 社よりも大きい。

 

 

 身体から、

 

 黒い妖気が、

 滝のように溢れている。

 

 

 その黒が、

 

 地面へ落ちるたび。

 

 

 また一つ、

 

 黒い炎が生まれる。

 

 

 頭から伸びる――

 

 

 二本の、

 長い何か。

 

 

 角にも見える。

 

 

 耳にも見える。

 

 

 ――ズン。

 

 

 一歩。

 

 

 黒い足が、

 

 燃える境内を踏む。

 

 

 紅蓮が、

 

 大きく揺れた。

 

 

 父が、

 

 その前へ出る。

 

 

 赤い鬼。

 

 

 黒い獣。

 

 

 炎の向こうで、

 

 二つの影が向かい合う。

 

 

 黒い獣が、

 

 ゆっくりと顔を上げた。

 

 

 鬼たちを――

 

 

 見下ろす。

 

 

 

 ――オオオオオオオオオオオオッ!

 

 

 

 獣が、

 

 吼えた。

 

 

 黒い炎が、

 

 天へ昇る。

 

 

 黒が夜を喰らい。

 

 

 紅蓮が、

 

 空を染める。

 

 

 そして――

 

 

 星結の夜は、

 

 もう一度、

 

 赤く燃え上がった。


本編をお読みいただきありがとうございました!


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