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R.E.M. ―眠る世界へ贈る、目覚めの子守唄―  作者: 天宮夢二
はじまり

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7/38

第5話 星結の日

 星結の日。

 

 

 朝。

 

 

 まだ境内に長い影が伸びる頃から、

 星結神社には人が集まり始めていた。

 

 

 石段を上ってくる人。

 

 提灯を吊るす人。

 

 屋台の準備を始める人。

 

 

「おはようございます」

 

「おはよう、ケータくん」

 

 

 顔見知りの大人たちと挨拶を交わしながら、

 ケータも境内を行ったり来たりする。

 

 

 今夜使う松明。

 

 神楽の道具。

 

 参列者のための椅子。

 

 

 運ぶものは、

 いくらでもあった。

 

 

 社務所では、

 母たちが忙しそうに動いている。

 

 

 神楽舞台では、

 父たちが最後の確認をしていた。

 

 

 いつもの境内が、

 少しずつ祭りの姿へ仕上がっていく。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 神楽舞台を見上げた。

 

 

 今日だ。

 

 

 ずっと楽しみにしていた、

 星結の日。

 

 

     *

 

 

 陽が高くなるにつれ、

 境内の人も増えていった。

 

 

 屋台には暖簾が掛かり、

 甘い匂いと香ばしい煙が漂い始める。

 

 

 蝉の声に、

 人々の話し声が重なる。

 

 

 走り回る子どもたち。

 

 それを追いかける大人たち。

 

 

 浴衣姿の人も、

 ちらほらと見えるようになった。

 

 

「けーたん!」

 

 

 声の方を見る。

 

 

 ユキが、

 石段の上から手を振っていた。

 

 

 その後ろから、

 とっちゃんも上がってくる。

 

 

「おはよ!」

 

「もう昼やぞ」

 

「細かい!」

 

 

 三人が揃う。

 

 

 けれど今日は、

 いつものように遊びに来たわけではない。

 

 

 今夜。

 

 

 三人とも、

 神前に立つ。

 

 

「とっちゃん、決めた?」

 

「何が?」

 

「夢」

 

「プロ野球選手」

 

「やっぱり?」

 

「当たり前やろ」

 

 

「ユキは?」

 

「私はテニス!」

 

「やっぱり?」

 

「うん!」

 

 

 二人の答えは、

 あの日から変わっていない。

 

 

「けーたんは?」

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 少しだけ空を見上げた。

 

 

 青い空。

 

 白い雲。

 

 

「まだ決めてない」

 

「今日やぞ?」

 

「分かっとるよ」

 

 

 答えはいくつもある。

 

 

 でも。

 

 

 今夜、

 口にするのは一つ。

 

 

「まあ、なんとかなるやろ」

 

「ならんやろ」

 

 

     *

 

 

 真上近くにあった陽が、

 少しずつ西へ傾き始めた。

 

 

 境内は、

 朝とは比べものにならないほど賑わっている。

 

 

 提灯が並び。

 

 屋台には人が集まり。

 

 神楽舞台の前には、

 少しずつ席が埋まり始めていた。

 

 

 それでも。

 

 

 まだ、

 提灯に火は入っていない。

 

 

 松明も、

 まだ眠っている。

 

 

 青かった空が、

 ゆっくりと色を変え始める。

 

 

 星結の日は、

 これからだった。

 

 

     *

 

 

「動かない」

 

「動いてないよ」

 

「動いとる」

 

 

 母が、

 ケータの襟元を整える。

 

 

「はい。腕上げて」

 

 

 ケータは、

 言われた通り両腕を上げた。

 

 

「これでいい?」

 

「まだ」

 

 

 母が帯を整える。

 

 

「苦しくない?」

 

「大丈夫」

 

「ほんと?」

 

「うん」

 

 

 最後に、

 肩の辺りを軽く払う。

 

 

「はい」

 

 

 母が、

 一歩下がった。

 

 

「できた」

 

 

 ケータは、

 自分の装束を見下ろした。

 

 

「どう?」

 

 

 母は、

 少しだけ目を細めた。

 

 

「似合ってるわよ」

 

「父ちゃんみたい?」

 

「それはどうかしら」

 

「なんで!」

 

 

 母が笑った。

 

 

「まだ十歳でしょう?」

 

「いつかはなるよ」

 

「そうね」

 

 

 母は、

 ケータの髪を整えた。

 

 

「ゆっくり大きくなりなさい」

 

 

「母ちゃん」

 

「なあに?」

 

 

 ケータは少し迷ってから、

 聞いた。

 

 

「今日さ」

 

「うん」

 

「何て言ったらいいと思う?」

 

 

 母は、

 すぐには答えなかった。

 

 

「まだ決めてないの?」

 

「いっぱいあるもん」

 

「そうだったわね」

 

 

 母が笑う。

 

 

「宇宙飛行士に、サッカー選手に」

 

「神楽も」

 

「宮司さんもね」

 

「うん」

 

「それから、お医者さんに……」

 

 

 母は少し考えて、

 ケータの顔を見た。

 

 

「あとは、世界中を旅したいんだっけ?」

 

 

「そう!」

 

 

 ケータの顔が、

 ぱっと明るくなる。

 

 

「母ちゃん、覚えとったん?」

 

「もちろん」

 

 

 母は、

 当たり前のように答えた。

 

 

「ケータの夢でしょう?」

 

 

「うん」

 

 

「じゃあ、今日のケータが一番なりたいものを言えばいいんじゃない?」

 

「今日の?」

 

「明日は変わるかもしれないでしょう?」

 

「いいと?」

 

「ケータの夢なんだから」

 

 

「…………」

 

 

 どこかで。

 

 

 同じようなことを、

 聞いた気がした。

 

 

 誰からだったか。

 

 

 何と言われたのか。

 

 

 思い出せない。

 

 

「ケータ?」

 

「……ううん。なんでもない」

 

 

 母が、

 もう一度襟元を整える。

 

 

「何を言っても、母さんは応援するわ」

 

 

「うん」

 

 

 ケータは、

 大きく頷いた。

 

 

     *

 

 

 日が、

 山の向こうへ沈んでいく。

 

 

 茜色だった空が、

 少しずつ紫へ変わる。

 

 

 境内の提灯に、

 一つ。

 

 

 また一つ。

 

 

 灯りが入った。

 

 

 昼間は目立たなかった小さな光が、

 辺りが暗くなるほど鮮やかになっていく。

 

 

 やがて。

 

 

 ゴォン――

 

 

 鐘が鳴った。

 

 

 入相(いりあい)の鐘。

 

 

 夕暮れの空を、

 低い音が渡っていく。

 

 

 ケータは、

 空を見上げた。

 

 

 西の端が、

 紅く染まっている。

 

 

 その上から、

 夜の色がゆっくりと降りてくる。

 

 

 昼でもなく。

 

 夜でもない。

 

 

 ほんの刹那にだけ現れる、

 逢魔の時。

 

 

     *

 

 

 境内を照らすのは、

 提灯の明かりだけ。

 

 

 神楽舞台の前には、

 人々が集まっている。

 

 

 さっきまで境内を満たしていたざわめきも、

 今はすっかり静まっていた。

 

 

 ケータは、

 舞台の脇から父を見ていた。

 

 

 父が、

 面を手に取る。

 

 

 赤い鬼面。

 

 

 吊り上がった眼。

 

 裂けた口。

 

 額から伸びる、

 二本の角。

 

 

「…………」

 

 

 父が、

 面をつける。

 

 

 父が――

 

 鬼になる。

 

 

 何度も見た。

 

 

 稽古でも。

 

 去年の祭りでも。

 

 

 それでも。

 

 

 本番の鬼は、

 いつも違って見える。

 

 

 大きい。

 

 

 自分もいつか、

 あそこに立ちたい。

 

 

 赤い面をつけて。

 

 

 父のように、

 舞いたい。

 

 

 ――ドン。

 

 

 腹の底を震わせる、

 太鼓の音。

 

 

 闇の中。

 

 

 赤い鬼だけが、

 静かに立っている。

 

 

 ――ドン。

 

 

 二つ目の太鼓が、

 夜を打つ。

 

 

 刹那――

 

 

 松明に、

 一斉に火が灯った。

 

 

 炎が、

 夜の境内を照らし出す。

 

 

 笛が鳴る。

 

 

 鉦(かね)が鳴る。

 

 

 太鼓が轟く。

 

 

 鬼が舞う。

 

 

 足を踏み鳴らし。

 

 袖を翻し。

 

 

 赤い面が、

 炎の中を駆ける。

 

 

 ケータは、

 瞬きも忘れて見ていた。

 

 

 父の舞が、

 一番好きだった。

 

 

     *

 

 

 夜の帷(とばり)が、

 すっかり降りていた。

 

 

 空には、

 星が瞬いている。

 

 

 神楽は、

 まだ続いている。

 

 

 笛が鳴る。

 

 鉦(かね)が鳴る。

 

 太鼓が響く。

 

 

 その音の中。

 

 

 十歳を迎えた子供たちが、

 神前に並んでいた。

 

 

 今宵は、

 星結の日。

 

 

 己の夢を見つけ、

 星へと結ぶ夜。

 

 

 とっちゃん。

 

 ユキ。

 

 同じ年の子供たち。

 

 

 みんな、

 さっきまでとは違う、

 緊張した面持ちをしていた。

 

 

 ケータも、

 少しだけ緊張していた。

 

 

 やがて。

 

 

 最初のひとりが、

 呼ばれる。

 

 

「星宮ケータ」

 

 

「…………はい」

 

 

 一歩。

 

 

 また一歩。

 

 

 神前へ進む。

 

 

 教えられた通りに、

 頭を下げる。

 

 

 そして、

 目を閉じた。

 

 

「…………」

 

 

 笛の音が、

 遠ざかっていく。

 

 

 鉦も。

 

 

 太鼓も。

 

 

 人々の声も。

 

 

 虫の声も。

 

 

 世界から、

 少しずつ音が消えていく。

 

 

 暗闇の中。

 

 

 小さな光が、

 一つだけ見えた。

 

 

 星。

 

 

 そう思った。

 

 

 光は、

 ゆっくりと降りてくる。

 

 

 ケータの胸へ。

 

 

 触れた。

 

 

「…………」

 

 

 何かが、

 流れ込んでくる。

 

 

 知らないものではなかった。

 

 

 ずっと、

 自分の近くにあったもの。

 

 

 朝、

 境内を掃く父。

 

 

 神前で、

 祝詞をあげる父。

 

 

 人々を迎え、

 この神社を守る父。

 

 

 そして今。

 

 

 神楽舞台で、

 鬼となって舞う父。

 

 

 自分が生まれ育った、

 この神社。

 

 

 そのすべてが、

 一つの言葉になった。

 

 

 ――宮司。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 ゆっくりと目を開けた。

 

 

 胸の奥が、

 熱い。

 

 

 嫌じゃない。

 

 

 むしろ――

 

 

 嬉しかった。

 

 

 父ちゃんと、

 同じだ。

 

 

 いつか。

 

 

 朝早く、

 境内を掃いて。

 

 

 神前で、

 祝詞をあげて。

 

 

 ここを訪れる人たちを迎えて。

 

 

 この神社を、

 守っていく。

 

 

 父がしてきたことを、

 今度は自分が受け継いでいく。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 神楽舞台を見た。

 

 

 炎の中。

 

 

 鬼は、

 まだ舞っている。

 

 

 大きく踏み込み。

 

 

 袖を翻し。

 

 

 太鼓の音に合わせて、

 赤い鬼が舞う。

 

 

 何度見ても。

 

 

 やっぱり、

 格好いい。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 神前へ向き直った。

 

 

 授かった夢を胸に、

 顔を上げる。

 

 

「僕は、この神社を継ぎます」

 

 

 それから――

 

 

 もう一度、

 舞台で舞う鬼を見た。

 

 

 父が、

 舞っている。

 

 

 ケータは、

 笑った。

 

 

「父さんを超える、鬼になります!」


**

 

 ――ドンッ。

 

 

 腹の底を震わせる音。

 

 

「……え?」

 

 

 ケータが、

 空を見上げた。

 

 

 白い光が、

 境内を呑み込んだ。

 

 

 鬼も。

 

 

 舞台も。

 

 

 社も。

 

 

 夜も。

 

 

 すべてが、

 白く染まる。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


9/4 第6話を更新予定です

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