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R.E.M. ―眠る世界へ贈る、目覚めの子守唄―  作者: 天宮夢二
はじまり

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第3話 兎思う葦

「……ユキ?」

 

 

 まだ、

 頭がぼんやりしている。


 何度か瞬きをする。


 ユキの顔。


 その向こうに、

 黒い空が見えた。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 ゆっくりと身体を起こした。

 

 

 暗い。

 

 

 見上げれば、

 空はすっかり夜の色に染まっていた。


 西の空に、

 夕焼けの名残すらない。


 境内を囲む木々は黒く沈み、

 葉の隙間から星が覗いている。

 

 

「……夜?」

 

 

 昼間の熱を残した石畳を、

 夜の風が撫でていく。


 蝉の大合唱は、

 いつの間にか消えていた。


 代わりに聞こえるのは、

 草むらから響く虫の声。

 

 

 そして――

 

 

「ケーター!」

 

 

 遠くから、

 自分の名前を呼ぶ声。

 

 

「ケータ!」

 

「おーい!」

 

 

 ひとつではない。

 

 

 木々の向こうで、

 いくつもの白い光が揺れていた。


 懐中電灯の光が、

 暗い境内を横切っていく。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは周囲を見回した。

 

 

 見慣れた神楽舞台。


 大きな銀杏。


 社務所から漏れる明かり。

 

 

 いつもの神社だった。

 

 

 なのに。

 

 

「……あれ?」

 

 

 大岩がない。

 

 

 さっきまで、

 背中に感じていたはずの硬い岩肌。


 木漏れ日。


 足元に落ちていた、

 短い自分の影。

 

 

 そして。

 

 

 白い――

 

 

「けーたん」

 

 

 ユキの声に、

 意識を引き戻された。

 

 

 改めて見ると、

 ユキの髪は乱れていた。


 額には汗が滲み、

 膝には土がついている。


 いつもの元気な顔ではなかった。

 

 

「……どこ行っとったと」

 

 

 声が、

 少し震えていた。

 

 

「え?」

 

 

「みんな、ずっと探しとったとよ?」

 

 

「僕を?」

 

 

「うん」

 

 

 ユキは、

 それだけ答えた。

 

 

 遠くでは、

 まだ誰かがケータを呼んでいる。

 

 

「父ちゃんも?」

 

 

「おじさんも、おばさんも。みんな」

 

 

 ケータは、

 揺れる光を見つめた。

 

 

 ひとつ。


 ふたつ。

 

 

 木々の奥にも、

 まだ光がある。

 

 

「……神楽は?」

 

 

「中止になったよ」

 

 

「…………」

 

 

「けーたんが帰ってこんけん」

 

 

 ケータは、

 神楽舞台を見上げた。

 

 

 舞台は暗い。

 

 

 いつもなら稽古の時間には、

 太鼓や笛の音が境内に響いている。


 今日は何も聞こえない。

 

 

 人のいない舞台。


 静かな太鼓。


 置かれたままの笛。

 

 

 その代わりに、

 自分の名前だけが夜の神社を飛び交っていた。

 

 

「……そんなに?」

 

 

 ユキは答えなかった。

 

 

 ケータには、

 ほんの少し前のことに思えた。

 

 

 白い影を追いかけた。


 森を走った。


 大きな岩を見つけた。

 

 

 そこには、

 まだ陽が差していた。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 もう一度夜空を見上げた。

 

 

 星が瞬いている。

 

 

「僕……いつから寝とったと?」

 

 

「分からない」

 

 

「ここで?」

 

 

「うん」

 

 

「…………」

 

 

「でもね」

 

 

 ユキが、

 ケータの座っていた場所を見る。

 

 

「ここ、探したとよ」

 

 

「え?」

 

 

「何回も」

 

 

 ケータも、

 自分の足元を見る。

 

 

 神楽舞台のすぐそば。


 隠れるような場所ではない。

 

 

「おじさんも見たし、私も見た」

 

 

「…………」

 

 

「でも、けーたんはおらんかった」

 

 

 夜風が吹いた。

 

 

 銀杏の葉が、

 ざわざわと鳴った。

 

 

 ケータは、

 何も言えなかった。

 

 

「……そうだ」

 

 

 ユキが顔を上げる。

 

 

「ウサギ」

 

 

「…………」

 

 

「見つかったん?」

 

 

 ケータは、

 その言葉をしばらく聞いていた。

 

 

「ウサギ……」

 

 

 白いものが、

 頭の奥を横切った。

 

 

「あ」

 

 

 思い出す。

 

 

「うん」

 

 

「見つかった?」

 

 

「見つけた」

 

 

 ユキの顔から、

 ほんの少しだけ力が抜けた。

 

 

「よかった」

 

 

「うん」

 

 

「どこにいたの?」

 

 

「大きな岩のところ」

 

 

「岩?」

 

 

「うん。すごく大きな岩」

 

 

 ケータは、

 両手を広げかけてやめた。


 そんなもので、

 表せる大きさではなかった。

 

 

「そこに、いっぱい彫ってあった」

 

 

「何が?」

 

 

「分からん。動物とか、人とか……たぶん」

 

 

「そんなとこ、あった?」

 

 

「僕も知らんかった」

 

 

 言ってから、

 ケータは少し考えた。

 

 

「……知らんかったはず」

 

 

「はず?」

 

 

「初めて行ったと思うんやけど……」

 

 

 あの大岩。

 

 

 知らない。

 

 

 なのに、

 知っているような気がした。

 

 

「なんか、前にも見たことある気がして」

 

 

「…………」

 

 

 ユキは、

 黙って話を聞いていた。

 

 

「それで、ウサギがおった」

 

 

「うん」

 

 

「白くて、服を着とった」

 

 

「服?」

 

 

「黒い服。帽子もかぶっとった」

 

 

「…………」

 

 

「銀色の時計も持っとった」

 

 

「時計?」

 

 

「うん。こうやって開くやつ」

 

 

 ケータは、

 手のひらで懐中時計を開く真似をした。

 

 

「それで……」

 

 

 言葉が止まった。

 

 

 銀色の時計。


 黒い服。


 帽子。

 

 

 ウサギ。

 

 

「…………」

 

 

 何をしていた?

 

 

「けーたん?」

 

 

「……喋った」

 

 

「ウサギが?」

 

 

「うん」

 

 

 そこまでは覚えている。

 

 

 たくさん話した。

 

 

 自分の夢のこと。

 

 

 とっちゃん。


 ユキ。


 星結の日。

 

 

 それから――

 

 

「…………」

 

 

 帽子。

 

 

 一つ。


 二つ。


 三つ。

 

 

 くるくると、

 何かが宙を舞っている。

 

 

 今日。


 明日。

 

 

 選ぶ。

 

 

「……何やったっけ」

 

 

「え?」

 

 

「何話したか……思い出せん」

 

 

 ケータは、

 額に手を当てた。

 

 

 ほんの少し前まで、

 覚えていたはずなのに。

 

 

 夢から目覚めた朝のように。

 

 

 掴もうとするほど、

 指の間から零れていく。

 

 

「…………」

 

 

 何か、

 大事なことだった。

 

 

 そんな気だけが残っている。

 

 

 そのとき――

 

 

「ケータ!」

 

 

 夜の境内に、

 父の声が響いた。

 

 

 ケータが振り向く。

 

 

 木々の向こうから、

 懐中電灯の光が近づいてくる。

 

 

「父ちゃん……」

 

 

 光が大きく揺れた。

 

 

「ケータ!」

 

 

 父が走ってくる。

 

 

 息を切らし、

 額には汗が浮かんでいた。

 

 

 ケータの前まで来ると、

 父は何も言わなかった。

 

 

 肩を掴む。


 顔を見る。


 腕を見る。


 足を見る。

 

 

 怪我がないことを、

 一つずつ確かめるように。

 

 

 そして――

 

 

 強く抱きしめた。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 父の背中に手を回した。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 父は答えなかった。

 

 

 ただ、

 ケータの頭を一度だけ撫でた。

 

 

 やがて顔を上げ、

 懐中電灯を高く掲げる。

 

 

「ケータ、見つかったぞ!」

 

 

 夜の神社に、

 父の声が響いた。

 

 

 少し遅れて。

 

 

「見つかった!?」

 

 

「ケータおったか!」

 

 

「よかった……!」

 

 

 暗闇のあちこちから、

 声が返ってくる。

 

 

 木々の間を漂っていた光が、

 一つずつこちらへ向きを変えた。

 

 

 一つ。

 

 

 また一つ。

 

 

 ばらばらだった光が、

 神楽舞台へ集まってくる。

 

 

 ケータは、

 その光景を黙って見ていた。

 

 

 みんなが。

 

 

 自分を探していた。

 

 

「父ちゃん」

 

 

「なんだ」

 

 

「僕……どれくらいおらんかった?」

 

 

「…………」

 

 

 父は、

 夜空を見上げた。

 

 

 ケータもつられて見上げる。

 

 

 黒い空。

 

 

 星。

 

 

 銀杏の枝葉が、

 夜風に揺れている。

 

 

 さっきまで。

 

 

 大岩の前には、

 陽が差していた。

 

 

 自分の影は、

 足元に短く落ちていた。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 神楽舞台へ視線を戻した。

 

 

 ここで目を覚ました。

 

 

 けれど。

 

 

 大岩からここまで、

 歩いた覚えはない。

 

 

 走った覚えもない。

 

 

 帰ってきた覚えが――

 

 

 どこにもない。

 

 

 夏の夜。

 

 

 いつもの神社。

 

 

 いつもの神楽舞台。

 

 

 それなのに。

 

 

 ケータには、

 ほんの少しだけ。

 

 

 知らない場所にいるような気がした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


8/30 12:00 第4話を更新予定です

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