第20話④ 帰還
巨人の指先が。
とっちゃんの服へ、
触れようとする。
「としふみ――!!」
もう。
誰も、
動けない。
玲子先生にも。
サクちゃんにも。
上野にも。
間に合わない。
**
――醒界。
「……けーたん?」
ユキの声が、
聞こえた。
すぐ隣にいるはずなのに。
妙に、
遠い。
「……ん?」
ケータが、
顔を上げる。
「どうしたの?」
「いや……」
急に。
身体が、
重くなった。
瞼が。
ゆっくり、
落ちてくる。
「けーたん?」
「なんか……」
眠い。
さっきまでとは、
違う。
抗えないほどの、
強い眠気。
「……眠……」
「寝ちゃダメ!」
ユキが。
ケータの腕を、
掴んだ。
「分かってる……」
答えたはずだった。
けれど。
自分の声さえ、
遠く聞こえる。
「けーたん!」
視界が、
ぼやける。
ユキの顔が。
少しずつ、
滲んでいく。
「けーたん!
起きて!」
声が。
遠くなる。
もっと。
もっと。
意識が。
すうっと、
沈んでいった。
**
――レム層。
「やれやれ」
軽い声がした。
ひどく。
場違いな、
軽い声。
「ずいぶん粘ったもんだね」
玲子先生が。
顔を上げる。
巨人の肩。
白い毛。
長い耳。
小さな帽子。
白いウサギが。
そこに、
立っていた。
「でも」
スクネが。
眠ったままの、
とっちゃんを見下ろす。
それから。
玲子先生へ、
目を向けた。
「ここからは。
僕の仕事かな」
「……スクネ君?」
玲子先生が、
目を見開いた。
白いウサギは。
巨人の肩の上で、
小さく帽子を押さえる。
「そうだよ」
その下で。
巨人の手が、
とっちゃんへ伸びていた。
あと。
少し。
「スクネ君!
としふみが――!」
「分かってるってーー」
スクネが。
巨人の肩を、
軽く蹴った。
ふわり。
白い身体が。
真上へ、
浮かぶ。
その勢いで。
小さな帽子が、
頭から離れた。
「おっと」
巨人が。
それを追うように、
顔を上げる。
その真上。
スクネが。
空中で、
身体を返した。
「君」
一瞬。
白い影が、
止まる。
「邪魔だよ」
次の瞬間。
ドン――!!
巨人の身体が。
真下へ、
叩き伏せられた。
地面が。
大きく、
沈む。
土が、
跳ねる。
巨人の両腕が。
地面へ、
叩きつけられた。
「……え?」
玲子先生の目が、
追いつかない。
倒れた巨人の背へ。
スクネが、
軽く降り立つ。
ひらひらと。
遅れて落ちてきた帽子へ、
手を伸ばす。
ぱしっ。
片手で、
受け止めた。
「よし」
「……なに、
したの……?」
「ちょっと押しただけ」
「ちょっと!?」
巨人は。
地面へ伏せたまま、
まだ動いていた。
死んではいない。
けれど。
すぐに、
起き上がれる様子もない。
スクネが。
眠ったままの、
とっちゃんを見る。
「これで大丈夫」
「としふみ……!」
玲子先生が。
身体を、
起こそうとする。
「――っ」
動かない。
サクちゃんも。
まだ地面に、
伏せている。
スクネが。
玲子先生を、
見た。
「君も、
大丈夫じゃなさそうだね」
「私はいいから!
としふみを先に――」
「両方運ぶよ」
「え?」
スクネが。
とっちゃんの襟元を、
ひょいと掴んだ。
とっちゃんの身体が。
まるで重さなどないように、
持ち上がる。
「ちょっと待って」
玲子先生が。
嫌な予感に、
顔を引きつらせた。
スクネが。
もう片方の手を、
玲子先生へ伸ばす。
「待って待って待って」
「急ぐよ」
「私、
自分で歩けるから!」
「歩けてないじゃないか」
「歩けるの!
さっき歩けてたの!」
「今は動けないでしょ」
「それはそうだけど!
ちょっと待って!
どうやって――」
身体が。
ふわりと、
浮いた。
「いやぁぁぁぁぁ!」
玲子先生が。
スクネの腕の中で、
暴れる。
「やめて!
恥ずかしい!
降ろして!」
「暴れないでよ」
「だって!
これ何!?
なんで私まで抱えられてるの!?」
「運んでるから」
「見れば分かる!」
玲子先生が。
身を捩る。
「いたっ!」
左脚に。
鈍い衝撃。
「痛い!
痛い痛い!
やっぱり降ろして!」
「降ろしたら歩けないでしょ」
「痛いの!」
「暴れるからだよ」
「誰のせいよ!」
その横で。
とっちゃんは。
何も知らず、
すやすや眠っていた。
「なんでこの子は、
こんなに気持ちよさそうなのよ!」
スクネが。
少しだけ、
笑った。
「よく眠ってるね」
「笑い事じゃない!」
ドン――!!
遠くで。
大きな音がした。
玲子先生の顔から、
笑いが消える。
「上野さん」
大型。
その前に。
上野が、
まだ立っていた。
服は。
ところどころ、
裂けている。
頬には、
擦り傷。
土と泥が。
肩から、
腕までついていた。
呼吸も、
荒い。
片腕を。
少し、
庇っている。
それでも。
大型の前から、
退いてはいない。
上野の足元を。
氷が、
走る。
大型の片脚を。
再び、
凍りつかせる。
けれど。
すぐに、
亀裂が入った。
「スクネ君。
上野さんも……」
「うん」
スクネが。
大型へ、
目を向ける。
「でも。
あれを倒す必要はない」
「え?」
上野が。
こちらを見る。
「川中島さん!」
声が、
飛んできた。
「雅楽川くんは!?」
「無事です!」
「なら撤退します!」
上野が。
片手を、
地面へ叩きつける。
白い霜が。
大型の足元から、
一気に広がった。
太い氷が。
足首へ。
脛へ。
膝へ。
まとわりつく。
「長くは持ちません!」
「そうだね」
スクネが。
玲子先生と、
とっちゃんを見る。
「ちょっと下ろすよ」
「え?」
二人の身体が。
地面へ、
下ろされた。
「最初からそうしてよ!」
玲子先生が、
叫ぶ。
スクネは。
聞いていない。
自分の帽子へ、
手をかける。
ぽん。
頭から、
外した。
「それ」
軽く。
大型へ向かって、
投げる。
帽子が。
空を、
飛んだ。
くるくると、
回りながら。
少しずつ。
大きくなる。
「……え?」
さらに。
大きく。
もっと。
大型の頭より、
大きく。
上野が。
目を見開いた。
大型が。
空を、
見上げる。
その頭へ。
巨大な帽子が。
すぽっ。
「……」
すっぽり、
入った。
大型の顔が。
完全に、
隠れる。
「……えぇ?」
玲子先生が。
呆然と、
見上げる。
大型が。
両手で、
帽子を掴んだ。
引く。
けれど。
抜けない。
頭を、
振る。
前が、
見えない。
腕を振り回しながら、
ふらつく。
「上野さん!」
スクネが、
声を上げる。
「今だよ」
「――了解!」
上野が。
一気に、
地面を蹴った。
大型の横を、
抜ける。
帽子を外そうと。
巨人の両腕が、
頭へ向いている。
追ってこない。
上野が。
こちらへ、
走ってくる。
その姿を見ながら。
スクネが、
小さく息を吐いた。
「あーあ」
「なに?」
「あれ。
お気に入りだったんだけどね」
「帽子の心配!?」
玲子先生が、
叫ぶ。
スクネが。
どこからともなく、
新しい小さな帽子を取り出した。
ぽん。
頭へ、
かぶる。
「……あるじゃない」
「これは別の」
「何個持ってるのよ!」
スクネが。
もう一度、
玲子先生へ手を伸ばした。
「じゃあ行こう」
「待って」
「急ぐよ」
「待ってって言ってるでしょ!」
とっちゃん。
玲子先生。
二人が。
再び、
持ち上げられた。
「いやぁぁぁぁぁ!
またぁぁぁぁ!」
「暴れないで」
「無理!
恥ずかしい!
痛い!
やめて!
痛いって!」
その声へ。
上野が、
追いついてくる。
肩で、
息をしていた。
髪も、
服も乱れている。
片腕を。
わずかに、
庇っていた。
「上野さん!
大丈夫ですか!?」
「ええ。
動けます」
「動けますって顔じゃないけど!」
「川中島さんほどでは」
「どういう意味!?」
スクネが。
上野を見る。
「ついでだし。
君も運ぼうか?」
上野が。
一瞬だけ、
玲子先生を見る。
「痛い!
ちょっと!
揺らさないで!
スクネ君!
聞いてる!?」
上野の口元が。
わずかに、
緩んだ。
「せっかくだが。
遠慮させてもらおう」
「なんで私を見て決めたのよ!」
「お気になさらず」
「気になるわよ!」
スクネが。
そのまま、
走り出した。
「うわっ!
だから急に走らないでぇぇぇ!」
上野も。
その後を、
追う。
後ろでは。
大型が、
まだ帽子と格闘している。
倒す必要はない。
離れられれば、
それでいい。
木々の間を。
一行は、
一気に抜けていった。
空は。
もう、
夕方の色ではなかった。
陽は、
高い。
木々の影も。
短く、
足元へ落ちている。
まるで。
夕方から、
昼へ戻ってきたような空。
それなのに。
森は、
妙に静かだった。
蝉も。
鳥も。
風に揺れる葉の音さえ。
どこか、
遠い。
「ここまで来れば」
上野が。
後ろを、
振り返る。
大型は。
遠くに見える。
頭には、
まだ巨大な帽子。
両腕を振り回しながら。
こちらとは違う方向へ、
ふらついていた。
「今なら戻れます」
「よかった……」
玲子先生が。
スクネの腕の中で、
息を吐く。
それから。
自分の左脚を、
見た。
枝の添木。
樹皮で、
固定された脚。
「……あ」
「どうしました?」
「これ」
玲子先生が。
恐る恐る、
上野を見る。
「このまま戻ると。
痛いよね……?」
上野が。
一瞬、
黙った。
「……かなり」
「かなり!?」
「レム層では。
痛覚を、
ある程度誤魔化せますが」
上野が。
玲子先生の脚へ、
目を落とす。
「醒界では。
そうはいきません」
「……」
玲子先生の顔が。
みるみる、
青くなる。
「鎮痛系のものとか……」
「すみません」
上野が。
申し訳なさそうに、
頭を下げた。
「今日は非番だったので。
鎮痛系の支給品も、
持っていません」
「……そう」
玲子先生が。
もう一度、
自分の脚を見る。
しばらく。
黙った。
それから。
スクネのもう片方の腕で、
眠っているとっちゃんを見る。
「……いえ」
小さく。
息を、
吐いた。
「いいの」
「川中島さん?」
「この子を。
助けられたから」
とっちゃんは。
まだ、
眠っている。
胸は。
ゆっくり、
上下していた。
玲子先生が。
目を閉じる。
息を。
ゆっくり、
吸う。
吐く。
「……よし」
もう一度。
吸う。
「大丈夫」
自分へ、
言い聞かせる。
「いける」
「玲子」
サクちゃんが。
近くへ、
寄る。
「大丈夫」
玲子先生が。
少しだけ、
笑った。
「帰ろう」
上野が、
頷く。
「では」
耳元へ。
指を、
伸ばす。
小さな石へ、
触れる。
目を、
閉じた。
「R.E.M.――」
一拍。
「浮上」
その隣で。
スクネは、
何も言わなかった。
玲子先生と、
とっちゃんを抱えたまま。
空いた手を。
懐へ、
入れる。
取り出したのは。
小さな、
懐中時計。
ぱちん。
蓋が、
開く。
スクネは。
文字盤を見るでもなく。
親指を。
竜頭へ、
置いた。
カチッ。
小さな音が、
鳴った。
**
――醒界。
蝉の声が。
一気に、
耳へ戻ってきた。
ミンミンミン。
遠くで。
川の音。
風。
草の匂い。
熱を持った、
アスファルト。
西へ傾いた、
太陽。
長い影。
車。
道路。
夏の夕方。
全部が。
そこにあった。
「――っ」
ケータが。
大きく、
息を吸った。
目が、
開く。
「けーたん!」
ユキの顔が。
すぐ、
目の前にあった。
「……ユキ?」
「よかった……!」
ユキが。
ケータの腕を、
掴んだまま息を吐く。
「急に寝ちゃうから!」
「俺……」
ケータが。
ぼんやり、
瞬きをする。
「寝てた?」
「寝てた!」
「……なんで?」
「知らないよ!」
そのとき。
「いたーーーーーーーーい!!」
叫び声が。
車の外から、
響いた。
「先生!?」
ユキが。
勢いよく、
振り返る。
二人が。
車の外へ、
飛び出した。
「痛い!
痛い痛い痛い!
ちょっと待って!
これ本当に痛い!!」
玲子先生が。
地面へ、
崩れ落ちていた。
「川中島さん!
動かないでください!」
その横では。
上野も、
息を切らしている。
服は裂れ。
身体中、
土まみれ。
それでも。
玲子先生の脚を確認しながら、
すぐに動いていた。
「動いてない!
痛くて動けないの!」
「先生!」
ユキが、
駆け寄る。
「先生、
足……」
「見ないで!
私も見たくないから!」
「大丈夫?」
ケータも。
まだ少しふらつきながら、
近づく。
「大丈夫……」
「全然大丈夫じゃないよ」
「それは、
そうなんだけど……」
玲子先生が。
痛みに顔を歪めながら、
周囲を見る。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「スクネ君」
さっきまで。
確かに、
抱えられていた。
はずだった。
けれど。
もう。
どこにも、
いない。
「……また、
いなくなってる」
玲子先生のすぐ横には。
とっちゃんだけが、
静かに横たわっていた。
玲子先生の顔が。
変わる。
「……としふみ」
痛みを堪えながら。
身体を、
少しだけ起こす。
とっちゃんの胸。
上下している。
呼吸。
ある。
「……よかった」
玲子先生の肩から。
力が、
抜ける。
そっと。
とっちゃんの髪へ、
触れた。
「としふみ」
今度は。
優しく、
呼ぶ。
「もう。
目を覚まして、
大丈夫だよ」
少しして。
とっちゃんの瞼が。
動いた。
「……ん」
目が、
開く。
「……」
空を見る。
玲子先生を見る。
ケータ。
ユキ。
上野。
もう一度、
玲子先生。
「……おはよ」
「……」
玲子先生が。
固まった。
「おはよ?」
「うん」
あまりにも。
いつも通りの、
声だった。
「なんか。
めっちゃ寝た気する」
「……」
玲子先生の目に。
また、
涙が浮かぶ。
「先生?」
次の瞬間。
「としふみぃぃぃぃ!!」
「うわっ!?」
玲子先生が。
とっちゃんを、
思いきり抱きしめた。
「ちょっ!
先生!」
「よかったぁぁぁ……!」
「先生!
なんなん!?」
とっちゃんが。
玲子先生の腕の中で、
もがく。
「苦しいって!
俺、
起きたばっかなんやけど!」
「うるさい!
誰のせいで――」
玲子先生が。
勢いよく、
身体を起こした。
「――いったぁぁぁぁぁ!!」
再び。
地面へ、
崩れ落ちる。
「先生!?」
「痛い痛い痛い!
動かした!
今、
完全に動かした!」
「知らんって!」
「誰のせいよ!」
「俺、
寝とっただけやん!」
「それが問題なのよ!!」
「寝たら怒られるん!?」
「今日は怒られるの!!」
「なんで!?」
ケータが。
そのやり取りを見ながら。
ようやく。
息を、
吐いた。
隣で。
ユキも、
小さく笑っている。
西の空は。
もう、
赤くなり始めていた。
山の向こうへ。
太陽が、
ゆっくり沈んでいく。
今度は。
ちゃんと。
いつもの方向へ。




