第18話② メアとは?
夜の旅館。
障子の向こうでは、
虫の声が続いていた。
スクネについて、
ひと通り話し終えたあと。
玲子先生は、
ノートに最後の一行を書き足した。
「じゃあ今度は逆」
三人が、
顔を上げる。
「宝満山で気になったこと。
聞きたいことがあったら、
私が答えられる範囲で答えてあげる」
「範囲で?」
「知らないことは知らないもの」
玲子先生は、
ペンを机へ置いた。
少し考えて。
ケータが口を開く。
「じゃあさ」
「うん」
「結局、
メアってなんなん?」
玲子先生が、
少しだけ目を細めた。
「それね」
腕を組む。
「まだまだ分からないことばかりなの」
「先生って――
たしかメア研究しよるんよね?」
「してるわよ。
だからこそよ」
玲子先生は、
すぐに答えた。
「調べれば調べるほど、
例外も、説明できないことも増えていく。
でも」
指を三本立てる。
「今のところ、
大きく三つの生まれ方があると考えられてる」
「生まれ方?」
「そう」
一本目。
「まず、
実在した人間から生まれるメア」
「人から?」
「その人が持っていた強い意志とか、
願いとか、未練とか、後悔とか。
そういうものが、
死後にメアとして形になることがあるの」
とっちゃんが、
眉を寄せる。
「幽霊みたいやな」
「まあ、
かなり近いわね。
それとは別に、
人が死んだとき、
その人自身がメアになるケースも確認されてる」
「本人?」
「そう。本人そのもの」
「やっぱ幽霊やん」
「似てるって言ってるでしょ。
でもね」
玲子先生は、
少し真面目な顔になる。
「強い意志から生まれたものなのか。
本当に本人そのものなのか。
どういう条件でどちらになるのか。
その辺りも、
完全に分かってるわけじゃない」
一本目の指を軽く曲げる。
「この二つをまとめて、
実在系メアって呼ぶことが多いわ」
二本目。
「次は、
生きている人たちの夢や願いから生まれるメア」
ユキが、
すぐに顔を上げた。
「天狗?」
「そう。
宝満山の天狗さんは、
おそらくこっち」
玲子先生は、
そのまま続ける。
「一人の願いは小さくても、
何百人、何千人。
それが何十年、何百年と、
同じような願いを重ねていったら――」
「その願い自体が、
一つの姿を持つことがある」
「それがメア?」
「そう。
そういう現象の一つを、
英雄症候群って呼んでる」
「英雄?」
「例えばね。
自分たちを守ってくれる人がほしい。
救ってくれる人がほしい。
みんなを導いてくれる人がほしい。
そんな願いが、
ものすごく強く集まったとき――」
「英雄そのものが、
生まれてしまうことがある」
とっちゃんが、
首を傾げる。
「それはメア?
人?」
「うーん――」
玲子先生は、
少し考えた。
「有名な話だと、
天草四郎とかかな」
「天草四郎?」
「昔、
キリスト教が厳しく弾圧された時代があったの。
信仰しているだけで捕まったり、
命を奪われたり。
そういう状況の中で、
耐えきれなくなった人たちは一揆を起こすことになる」
玲子先生は、
少し間を置く。
「でも――
大勢の人をまとめて、
絶望の中で立ち上がらせるには、
中心になる存在が必要だった」
「神様、助けて。
自分たちを導いてほしい。
神様の代わりに、
私たちの前に立ってくれる人がほしい」
玲子先生の声が、
少し静かになる。
「そんな願いから、
救済者のようなメアが生まれたんじゃないかって説があるの。
で、
そのメアが、
天草四郎という少年と融合したんじゃないかって」
「人とメアが?」
「そう」
「海を渡ったとか、
不思議な力を使ったとか。
天草四郎には、
いろんな伝説が残ってるの。
それが少年本人の力だったのか。
メアの力だったのか。
そもそも本当に起きたことなのか」
玲子先生は、
肩をすくめた。
「真実は分からないけどね」
「昔のことやしな」
「そういうこと」
三本目。
「最後。
これは、
確認されてるケース自体がかなり少ない」
ケータを見る。
「夢界では、
未来をいくつもシミュレーションしているって話はしたわよね?」
「……うん」
母の顔が、
一瞬だけ浮かんだ。
「でも、
醒界で現実になる未来は、
その中の一つ」
「じゃあ」
玲子先生は、
少し間を置いた。
「選ばれなかった未来は、
どうなると思う?」
「……消える?」
ユキが答えた。
「普通はそう思うわよね。
でも、
完全には消えないことがあるんじゃないかって考えられてるの」
「未来が?」
「正確には、
その未来に向けられていた夢や期待や願いが、ね」
玲子先生は、
指をゆっくり動かす。
「例えば、
ものすごく大勢の人が望んでいた未来が実現しなかった。
あるいは、
似たような『選ばれなかった未来』が、
夢界にいくつも存在していた」
玲子先生は、
手をゆっくり握った。
「そういうものが重なると、
一つのメアとして形を持つことがある」
「未来が……メアになる?」
ケータが呟く。
「そういう説ね」
「本当?」
「まだ研究中」
玲子先生は、
三本の指を閉じた。
「だから大きく分ければ、
実在した人間から生まれる実在系メア。
生きている人たちの夢や願いから生まれるメア。
そして、
こぼれ落ちた未来の集合から生まれるメア」
「大体この三つ」
ユキが、
机の端を見る。
そこには。
ニンジンが一本。
「じゃあ、
スクネは?」
玲子先生の目が、
再び輝いた。
「そこなのよ!
実在した誰かなのか。
誰かの願いから生まれたのか。
選ばれなかった未来から生まれたのか。
今のところ、
どれの可能性もある」
「本人に聞けば?」
ケータが言った。
玲子先生が、
ニンジンを見る。
「そうね」
持ち上げた。
「本人に聞きましょう。
スクネくーん。
出ておいでー。
ほらー。
美味しいニンジンよー」
「先生」
「なに?」
「さっきも出てこんかったやん」
「さっきより念を込めてるの」
とっちゃんが、
ニンジンを振る玲子先生を見る。
少し考えて。
「……こういう強い願いから、
新しいメアが生まれたりせんよね?」
玲子先生の手が止まる。
「やめて。
変なもの生まれそうだから」
「ニンジンのメアとか」
「それはちょっと見たい」
「見たいんかい」
玲子先生が、
もう一度ニンジンを掲げる。
「スクネくーん」
「…………」
やっぱり、
出てこなかった。
「……まあ、
聞いても分からないか」
「スクネに?」
「うん。
どうやって生まれたかって、
メア自身は知らない気がするわね。
スクネ君なら、
ワンチャン知ってる可能性もあると思ったけど」
*
「じゃあ次」
玲子先生が、
気を取り直してペンを持つ。
「他には?」
とっちゃんが、
手を挙げた。
「宝満山」
「どうぞ」
「結局、
あの山なんなん?」
「大雑把ね」
「普通の山なん?」
「普通の山でもあるし、
普通じゃない山でもあるわね」
「便利な答え」
「ちゃんと聞きなさい」
玲子先生は、
指先で机を軽く叩く。
「宝満山は、
長い間ずっと信仰の対象になってきた場所。
大宰府の鬼門にあって、
修験道の山でもあって、
国の安寧や旅の安全を、
たくさんの人が願ってきた」
少し間を置く。
「そういう場所では、
醒界と夢側の境界が薄くなることがあるの」
ユキが、
思い出したように言う。
「一の鳥居から先?」
「そう」
「でも、
まだレム層じゃなかったよね?」
「そうね。
聖域や結界がある場所と、
レム層は同じものじゃない。
醒界の中にも、
夢側の影響が強い場所はあるの」
「じゃあ」
ケータが聞く。
「結界って、
夢獣が入ってこんようにする壁?」
「そういう役割の結界もある。
でも、
それだけじゃないわ。
内と外を分けたり、
夢側との境界を安定させたり、
中にいるものを守ったり。
場所によって、
役割も作り方も違うの」
とっちゃんが、
すぐに続ける。
「じゃあ、
なんで宝満山の夢獣は襲ってこんかったん?」
「いい質問」
玲子先生が頷いた。
「夢獣が全部、
人間を襲うわけじゃないからよ。
星結の日に見た夢獣が強烈だったから、
そう思うのも無理ないけど。
人を避けるものもいるし、
聖域の中で静かに暮らしているものもいる」
「だから、
夢獣イコール悪いもの、
ではない」
ケータは、
宝満山で見た白い獣を思い出した。
犬のような。
狐のような。
「あいつも夢獣?」
「うん。
そうね」
「やっぱり」
白い獣が、
森の向こうへ消えていく姿を思い出す。
「じゃあ俺」
とっちゃんが、
待ってましたとばかりに手を挙げた。
「ワープ」
「……」
玲子先生の顔が、
露骨に曇る。
「ワープじゃない」
「先生も言っとった」
「忘れなさい」
「でも山頂から一の鳥居まで、
一瞬やったやん」
「醒界での距離と、
レム層での距離が必ず一致するわけじゃないの。
それに出口も一つじゃない。
だから結果として、
離れた場所へ出ることがある」
とっちゃんが、
満足そうに頷く。
「つまりワープ」
「もういいわ……」
諦めた顔の玲子先生を見て、
ユキが笑った。
*
質問は、
そのあともしばらく続いた。
夢界のこと。
未来のこと。
レム層への入り方。
「俺らも、
そのうち自分で入れるようになると?」
「レム層への出入りは、
学園でちゃんと習うわ」
「ワープも?」
「ワープも!!」
笑い声が、
部屋に響く。
ひと通り聞き終えたころ。
ユキが、
ふと思い出したように顔を上げた。
「あ」
「なに?」
「先生。
前に言ってたやつ」
「前?」
「先生のメア」
玲子先生が、
少しだけ目を見開いた。
「ああ」
ケータも思い出す。
「今度見せてあげるって言っとった」
「そうそう」
とっちゃんも、
身を乗り出した。
「約束したやろ?」
玲子先生が、
少しだけ得意げに笑った。
「覚えてたのね」
立ち上がる。
「じゃあ。
約束だったし、
見せてあげる」
三人の視線が、
玲子先生へ集まった。
玲子先生は、
小さく息を吸う。
「サクちゃん」
静かに、
その名を呼んだ。
ふわり。
玲子先生の肩の後ろで、
羽が舞った。
灰色。
白。
淡い茶。
重なった羽の向こうから。
一羽の梟が、
姿を現した。
「……ふくろう?」
ケータが、
思わず言った。
二本の脚で、
すっと立っている。
丸みを帯びた身体。
大きな琥珀色の瞳。
小さな嘴。
けれど。
ただの梟ではない。
羽織。
袴。
武士を思わせるような和装。
翼は、
羽織の袖のように身体の横へ収まっている。
目元には、
小さな丸眼鏡。
丸くて。
どこか愛嬌がある。
なのに。
じっと見られると、
背筋が少し伸びる。
「紹介するわ」
玲子先生が、
梟の隣へ立った。
「古屋佐久左衛門
私のメア……」
そして、
にこっと笑う。
「サクちゃん」
「サクちゃん……」
とっちゃんが呟く。
梟を見る。
玲子先生を見る。
「名前はかわいいな」
サクちゃんの大きな目が、
とっちゃんへ向いた。
「……」
「すみません」
とっちゃんが、
すぐに姿勢を正した。
「なんも言ってないやん」
ケータが笑う。
「目が怖いんよ」
サクちゃんは、
今度はケータを見る。
じっ。
次に。
ユキ。
じっ。
「なんか……
見られてるっていうより、
調べられてる感じする」
「鋭い」
玲子先生が笑う。
「サクちゃんは、
人を見るのがすごく上手なの。
その人が何を得意としてるのか。
何を伸ばせばいいのか。
どこに置けば、
一番力を発揮できるのか。
そういうのを見抜くのが得意」
「先生より先生っぽい」
ケータが言った。
「ちょっと」
そのとき。
サクちゃんが、
ゆっくり玲子先生を見る。
「玲子」
低く。
落ち着いた声だった。
「なに?」
「お前は、
もう少し武を学べ――」
「嫌」
即答。
「私は研究者だから」
「だからこそだ」
「嫌です」
「人を導く立場にある者が――」
「はいはい、その話はまた今度」
玲子先生が、
翼の前で両手を振る。
とっちゃんが、
ケータに小声で言った。
「先生、
メアの言うこと全然聞かんやん」
「聞こえてるわよ」
サクちゃんが、
静かに目を閉じた。
ため息をついたように見えた。
*
しばらくして。
玲子先生が、
サクちゃんを指さした。
「そういえば。
サクちゃんには、
弟がいるのよ」
三人が、
梟を見る。
「弟もフクロウ?」
ユキが聞く。
「違う違う。
古屋佐久左衛門の弟。
高松凌雲っていう、
お医者さん」
「お医者さん?」
「そう。
幕末から明治を生きた人でね。
戦の最中でも、
敵味方を分けずに治療したり。
貧しい人でも医療を受けられるように、
いろんなことをした人」
「兄ちゃん武士で、
弟は医者なん?」
「そう」
「全然違うな」
玲子先生が、
サクちゃんを見る。
「でも、
似てるところもあるのよ」
サクちゃんは、
何も言わない。
大きな目だけが、
静かにこちらを見ていた。
「凌雲先生も、
面白い人でね」
玲子先生が、
少しいたずらっぽく笑う。
「あなたたちも、
そのうち会えるかもしれないわね」
「……会える?」
とっちゃんが聞き返す。
「うん」
「江戸時代の人やろ?」
「そうね」
とっちゃんが、
真顔になる。
「まだ生きとるん?」
「……」
「化け物やん」
「そういう意味じゃない!」
玲子先生の声が、
夜の旅館に響いた。
廊下の向こうから。
「玲子お嬢様ー!
何か足りないものはございませんかー!」
叔父の声まで飛んできた。
「まだそれやってるの!?」
「お客様の前ですのでー!」
「もういいからー!」
とっちゃんが、
静かに頷いた。
「やっぱり本物のお嬢様やった」
「違うって言ってるでしょ!」
ケータたちは、
顔を見合わせた。
そして。
笑った。
ひとしきり笑ったあと。
玲子先生が、
ぱん、と手を叩いた。
「はい。
今日はここまで」
三人が、
顔を上げる。
「部屋に戻って寝るわよ。
明日も移動なんだから」
「えー」
とっちゃんが、
露骨に嫌そうな顔をする。
「明日も山登ると?」
「もう登らないわよ」
「ほんとに?」
「ほんと。
だから安心して寝なさい!」
「よかったー……」
とっちゃんが、
畳へ大きく身体を倒しかける。
「ここで寝ない!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はーい」
「伸ばさない!」
ユキが笑い。
ケータも、
少しだけ笑った。
三人は、
それぞれの部屋へ戻っていく。
長い廊下。
古い柱。
高い天井。
足音が、
夜の旅館へ小さく響く。
部屋へ戻って。
布団に入ってからも。
ケータは、
なかなか目を閉じられなかった。
スクネ。
最初に会ったときのこと。
病院で話したこと。
車の中で突然現れたこと。
宝満山で、
何の迷いもなく夢界へ入っていったこと。
「……スクネ」
天井を見たまま、
小さく呟く。
「お前は、
なんなんだよ」
返事はない。
虫の声だけが、
遠くで鳴いている。
けれど。
どこかで。
『僕は僕だよ』
そう聞こえたような。
気がした。




