第18話① ケータとスクネ
太宰府を出てから、
しばらくして。
車は小郡へ入った。
窓の外には、
田畑と住宅が入り混じる景色が広がっている。
後部座席では。
「うまっ」
とっちゃんが、
梅ヶ枝餅を頬張っていた。
「さっき、そこまでして食べる? みたいなこと言いよったやん」
ユキが横目で見る。
「最後まで言ってない」
「言いかけた」
「言ってないなら、言ってない」
「ずる」
ケータが笑った。
焼きたてほどではないけれど、
まだほんのり温かい。
薄い餅の皮の中に、
甘い餡が詰まっている。
「ケータ、もう一個食べる?」
「食べる」
「私も」
「ユキ、もう二個食ったやろ」
「まだ二個」
「まだってなん」
運転席から、
玲子先生の声が飛んでくる。
「食べすぎて夕飯入らなくなっても知らないからね」
「夕飯なに?」
「着いてからのお楽しみ」
とっちゃんが、
助手席から振り返る。
「先生の実家なんやろ?」
「そうよ」
「どんなとこ?」
玲子先生は、
少しだけ笑った。
「見たら分かるわ」
*
「……でか」
車を降りて。
とっちゃんが、
最初に言った。
目の前には、
二つの大きな木造建築が並んでいた。
一方は、
正面を広く取った二階建て。
その隣には、
少し趣の違うもう一棟。
同じ旅館でありながら、
別々に建てられた二つの建物を、
ひとつに繋いだような造りだった。
屋根は、
大きな寄棟。
今は瓦で葺かれているが、
深い軒と大きく広がった屋根の形には、
昔は茅で覆われていたような名残がある。
そして何より。
「二階……高くない?」
ユキが、
首をいっぱいに反らした。
普通の古い家より、
明らかに背が高い。
一階も。
二階も。
窓の位置が高く、
階と階の間にもずいぶん余裕がある。
二階建てなのに、
三階建てを見上げているようだった。
「ここ?」
「そう」
玲子先生が、
何でもないことのように答える。
「うち」
三人が、
揃って玲子先生を見る。
「……家?」
「正確には旅館。私の実家」
とっちゃんが、
旅館を見る。
玲子先生を見る。
もう一度、
旅館を見る。
「先生」
「なに?」
「いいところのお嬢様なんやね」
「その言い方やめてくれる?」
「お嬢」
「もっとやめなさい」
「玲子お嬢様ーー!」
玄関の方から、
大きな声がした。
男の人が、
こちらへ歩いてくる。
「おかえりなさいませー!」
「叔父さんまで乗っからないでよ!」
玲子先生が、
みるみる顔を赤くする。
男の人は、
楽しそうに笑った。
「いやあ、だって今、
お嬢様って聞こえたから」
とっちゃんが、
ぽかんとする。
「……ほんとうにお嬢様やった」
「違うから!」
「違うんですか?」
「違う!」
叔父が、
わざとらしく胸に手を当てた。
「玲子お嬢様、
お荷物をお持ちいたしましょうか?」
「いつも玲子って呼んでるでしょ!」
「本日はお客様がおられますので」
「ただふざけてるだけでしょ!」
「ばれたか」
叔父が笑う。
とっちゃんは、
ますます感心したように頷いた。
「なるほどなあ」
「何がなるほどなのよ」
「お嬢様って、
こういう感じなんやね」
「違うって言ってるでしょ!」
ケータとユキが、
顔を見合わせて笑う。
叔父は玲子先生の肩を軽く叩いてから、
三人へ向き直った。
「君たちが、
玲子お嬢様の生徒さんか!」
「叔父さん」
玲子先生が、
低い声で呼ぶ。
「はい、玲子」
「戻すなら最初からやらないで」
「でも生徒さんなんだろ?」
「まだ正式には違うの」
「似たようなもんだろ」
「違うの」
叔父は、
まったく気にした様子もない。
「まあまあ。
今日は遠慮せず、いっぱい食べてゆっくりしていきなさい」
「叔父さん、普通でいいから」
「何言ってるんだ。
玲子が子ども連れて帰ってくるなんて珍しいんだから」
「仕事だから」
「はいはい、仕事ね」
「その言い方やめて」
「夕飯も多めに用意してあるから!」
「聞いてないし……」
とっちゃんが、
小声でケータに言う。
「先生、めっちゃ大事にされとるな」
「聞こえてるわよ」
*
夕食は。
本当に多かった。
「これ、まだ来ると?」
とっちゃんが、
目の前の料理を見る。
「来るみたい」
ケータが答える。
ユキは、
黙々と食べていた。
「梅ヶ枝餅三個食べた人の食べ方じゃないやろ」
「三個じゃない」
「何個?」
「……二個半」
「ほぼ三個やん」
「足りなかったら言ってくれよ!」
叔父の声が、
部屋の外から聞こえてくる。
「足りてます!
むしろ多いです!」
「遠慮するな、玲子お嬢様!」
「まだ引っ張るの!?」
「お客様がおるからな!」
「楽しんでるだけでしょ!」
廊下の向こうから、
叔父の笑い声が返ってきた。
とっちゃんが、
妙に納得した顔で頷く。
「やっぱお嬢様やん」
「違う!」
ケータが、
少し笑った。
古い旅館。
高い天井。
長い廊下。
誰かが食事を運ぶ音。
不思議と。
落ち着く場所だった。
*
風呂を済ませ。
夜。
三人は、
旅館の一室へ集められた。
畳敷きの広い部屋。
低い机。
障子の向こうには、
暗い庭が見える。
虫の声が、
静かに響いていた。
机の上には。
ノート。
タブレット。
録音機。
ペン。
そして。
一本のニンジン。
「……何これ」
ケータが指さした。
「ニンジン」
「それは分かる」
玲子先生は、
いたって真剣な顔で、
ニンジンを机の真ん中へ置いた。
「スクネくーん」
「…………」
「出ておいでー」
「…………」
何も起きない。
「ほらー。
美味しいニンジンよー」
「先生」
「なに?」
「スクネ、呼んで出てきたこと一回もないよ」
ニンジンが、
止まった。
「……一回も?」
「うん」
「じゃあ、いつ出てくるの?」
「知らん」
「知らない?」
「勝手に出てくる」
「何それ!」
玲子先生が、
机を叩いた。
「研究させる気あるの!?」
「たぶんない」
「でしょうね!」
ユキが、
ニンジンを見る。
「これ、どうするの?」
「……食べる?」
「いらない」
玲子先生は、
少しだけしょんぼりして、
ニンジンを机の端へ置いた。
「仕方ない」
ノートを開く。
「じゃあ、ケータくん。
スクネ君について、初めから教えて」
「はじめから?」
「うん。
見た目とかはいいわ。
白いウサギで、小さい帽子に懐中時計。
みたいなのは見ての通りだから」
「ああー」
ケータは、
少し考えた。
「最初は……星結の日の一週間くらい前だったと思う」
「一週間前?」
「うん。
境内で神楽の練習とか、準備とかしてたとき、
ウサギが見えて。
それを追いかけた」
「あーあの日ね。
うんうん」
ユキが、
すぐに頷いた。
「けーたん、急にどっか行ったんです。
で……いなくなって」
「うん。
いなくなってたことは、あとでユキから聞いて知った」
ケータは、
眉を寄せる。
「たぶん、そのウサギがスクネだったんだと思う」
「たぶん?」
「そのときのこと、
あんまり覚えてないんです」
頭の中に、
ぼんやりとした景色が浮かぶ。
「追いかけてたら……
大岩がある場所に行った気がする」
「大岩?」
「うん。
そこでウサギを見失って……」
ケータは、
少し黙った。
「しばらくしたらウサギが出てきて。
何か話した気がする」
「内容は?」
「分かんない」
「そのあとは?」
「気がついたら、
神楽舞台でユキに起こされた……と思う」
「うんうん」
ユキが頷く。
「舞台は何度も探してたんだけど、けーたんはいなくて。
何度目かは分からんけど、舞台の前を通ったら寝てるけーたんを見つけたんです。
そしたら起きたけーたんが、ウサギがいたって……」
「なるほど……」
玲子先生のペンが、
動き始める。
「おそらくそのとき、
境内のどこかでスクネ君が開いた場所からレム層へ入ったのね」
「レム層に?」
「ええ。
いわゆる神隠しに近いわね」
「神隠し……」
「レム層にいた間の記憶がほとんど残っていないのも、
今なら説明がつく。
何の準備もなくレム層へ行ってたんだもの。
そして帰りはスクネ君が、
レム層の出口を神楽舞台へ繋げた。
となりそうね」
「……ワープ?」
とっちゃんが、
テンション高く言う。
「今その話してないから」
「はい」
「少なくとも、
そう考えると辻褄は合うわね。
次に会ったのは?」
「次は……」
ケータは、
少し考えた。
「もう病院だと思う」
「病院?」
「うん。
ここは割と覚えてる。
初めて先生と話した日の夜」
「ああ……」
「眠れなくて。
ベッドから外を見てたと思う」
玲子先生のペンが、
ふと止まった。
「もうベッドにいた日ってことは……」
少しだけ声が柔らかくなる。
「星結の日――。
あの日のスクネ君については、
何も覚えてない?」
「……うん」
ケータの目が、
少し下がる。
「父さん……」
「ごめん」
玲子先生が、
すぐに言った。
「そこは無理に思い出さなくていいわ。
ごめんね」
「ううん」
ケータは、
小さく首を振る。
「大丈夫」
少し間を置いて。
「先生と話した夜に、
スクネが現れたんだ」
「病室に?」
「うん……でも、たぶん違う」
ケータは、
窓の外を思い出す。
「今考えると、
あのときもレム層だったんだと思う」
「どうして?」
「夜だったはずなのに――」
ケータは、
ゆっくりと言う。
「外が、
夕焼けみたいなオレンジ色だった」
「あ」
とっちゃんが、
声を上げた。
「時間の逆行?」
「そうね。
その可能性が高いと思う。
それで?
スクネ君とは何を話したの?」
「あ、うーん」
ケータが、
少し目を見開いた。
「そのときに、
スクネと一度会ったことがあるって思い出したんだった」
「さっきの大岩?」
「たぶん」
「なるほど」
「それで俺、
前の日の夢害とか、夢獣とかについて知ってるだろって聞いたんだ」
「スクネ君に?」
「うん」
「なんて?」
「教えてくれなかった」
「……でしょうね」
「でも、
あの大型の夢獣のこと、
スクネは知ってそうだった」
玲子先生の表情が、
少し変わった。
「……あれのことも知ってるんだ」
ペン先が、
ノートの上で止まる。
「何者なんだろう。
スクネ君って……」
「あと」
「まだあるの?」
「先生のことも知ってた」
「私?」
「うん。
禁則事項とかも」
「私のことを知ってくれてた……?」
玲子先生が、
机の端に置いていたニンジンへ目を向ける。
そっと。
手に取った。
「……スクネ君」
「先生?」
ユキが、
少し困った顔をする。
「たぶん来ませんよ?」
「……そうね」
玲子先生が、
ニンジンを戻した。
「続けて」
「うん。
それで、そのとき初めて、
スクネって名乗ったんだ」
「それまで名前も知らなかったのね」
「うん。
でも、それ以上ははぐらかされて」
「それで?」
「俺、
聞いたんだ」
ケータは、
少しだけ眉を寄せた。
「『俺に何かしただろう』って」
玲子先生の目が、
ケータへ向く。
「そしたら?」
「借りたって」
「……何を?」
「分かんない」
ケータは、
首を横に振る。
「『僕たちを助けるために借りた』って言ってた。
それで俺、
もっと早く出てきて、
あいつをやっつけてくれたらよかったのにって言ったんだ」
「スクネ君は?」
「『僕の椅子が必要だった』とか」
「椅子?」
「あと、
『空席がなかった』とか」
玲子先生の手が、
ぴたりと止まった。
「……空席」
「意味分かんないよね」
「いえ」
玲子先生が、
少し考える。
「分からないけど、
ものすごく気になる」
「先生らしいな」
とっちゃんが言った。
「それで、
母さんの未来についても、
たぶんそのとき教えてくれたんだと思う」
「たぶん?」
ユキが聞く。
「うん。
細かいところまでは、
ちゃんと思い出せない」
けれど。
「強くなれって言われた」
「強く?」
「うん」
ケータは、
顔を上げる。
「自分で選べるくらい、
強くなれって」
玲子先生は、
しばらく何も言わなかった。
「なるほど……」
ノートを見る。
「その『椅子』とか『空席』っていうのが、
星結の日にケータくんが見せた、
あの強さの秘密に関係してる可能性が高そうね」
「俺もよく分からんけど」
「今はそれでいいわ。
それから?」
「それだけ……かな。
気がついたら朝になってた」
「あの夜のレム層から、
醒界へ戻っていたのね」
「たぶん。
で、
次に会ったのは車の中」
ユキも笑う。
「あれはびっくりした」
「突然おったもんな」
とっちゃんが言う。
玲子先生だけは、
別の意味で目を輝かせていた。
「醒界に自力で顕現して、
次は宝満山で夢界に直接入って……」
ぽつりと呟く。
「本当に、
何者なのよ。スクネ君」




