第14話 カタミワケ
「夢見学園は九月から始まるから、準備ができ次第出発ね」
玲子がそう告げると、三人は揃って黙った。
「……そんなすぐ?」
「早すぎん?」
「そんなすぐ。だから今から準備するの。ぼーっとしてたら置いてくよ」
冗談なのか本気なのか分からない顔で玲子が笑う。
数日後、その言葉どおり、社務所の一室は三人分の荷物で埋まり始めていた。
*
「これ、ほんとに全部いると?」
とっちゃんが学園から届いた持ち物一覧を片手に、床へ広げた荷物を見回した。
着替えや洗面道具なら分かる。教科書やノートも学校なら必要なのだろう。それに加えて、用途の分からない学園指定の箱までいくつか並んでいる。
「書いてあるっちゃけん、いるっちゃないかな」
「それにしても多くない?」
「それは思う」
ユキまで同意すると、とっちゃんは「やろ?」と勢いづいた。
二人が指定品を相手にあれこれ言っている横で、ケータは黙々と自分の鞄を詰めていた。着替え、タオル、歯ブラシ、ノート、筆記用具。どれも普段から使っているものばかりなのに、一つ入れるたびに鞄が重くなり、その重さがそのまま星見宮を離れる実感になっていくような気がした。
最後の着替えを押し込んだところで、ふと窓の外を見る。
鳥居へ続く石畳。その向こうには、見慣れた境内が広がっている。
毎日見てきた景色だった。
しばらく帰ってこない。
そう思っただけで、いつもより少しだけ遠く見えた。
「ケータ」
姉ちゃんに呼ばれて振り向くと、社務所の奥で小さな箱を抱えていた。
「ちょっといい?」
ケータは鞄をそのままにして、そちらへ向かった。
姉ちゃんは箱を抱えたまま、まず神社のことを話した。
「玲子さんから全部聞いたよ。こっちのことは心配しなくていいから。神社は私がなんとかする」
「でも――」
「でもじゃない」
額を指先で軽く押される。
「ケータはせっかく行くんだから、自分のことに集中しなさい。ちゃんと勉強して、ご飯食べて、寝ること」
「子供扱いせんでよ」
「十歳でしょ」
返す言葉がなく、ケータは少し口を尖らせた。
姉ちゃんはそれを見て笑うと、抱えていた箱を差し出した。
「それと、これ」
「なに?」
「父さんのもの。残ってたの、まとめてあるから持っていきな」
伸ばしかけた手が止まった。
ケータは両手で箱を受け取る。見た目よりもずしりと重い。
「……開けていい?」
「もちろん」
蓋を持ち上げると、一番上に赤い鬼面が伏せられていた。
すぐに分かった。
あの日、父ちゃんがつけていた面だ。
黒い獣の前に立ち、最後まで自分たちを守っていた時のもの。表面には、戦った時についた傷がそのまま残っている。
ケータは指を伸ばしかけて、触れる直前で止めた。
その隣には一本の鍵と、布に包まれた小さな珠が入っていた。珠を手に取ると、白い表面の奥に淡い光が滲んで見える。
「これ、何?」
「私も知らない。玲子さんなら分かるかも」
ケータはもう一度、箱の中を見つめた。
鬼面。
鍵。
白い珠。
どれも、父が残したものだという。
「……ほんとに持っていっていいと?」
「誰の父さんよ」
姉ちゃんはそれだけ言って、ケータの肩を軽く叩いた。
「行っておいで」
ケータは鬼面へ目を落としたまま、ゆっくり頷いた。
「うん」
*
「とっちゃん。ユキ」
社務所へ戻ったケータが声をかけると、二人が荷物から顔を上げた。
「ちょっと来て」
「どこ行くと?」
理由は言わず、ケータは箱を抱えて境内へ出た。二人も顔を見合わせただけで、それ以上は聞かずについてくる。
向かった先は、神楽殿だった。
夏の日差しが境内へ降り、木々の間では蝉が鳴いている。少し前まで人で埋まっていた舞台には、今は誰もいなかった。
神楽殿の前まで来ると、ケータは箱を開いた。
「父ちゃんのものが残っとった」
最初に赤い鬼面を取り出す。
「これは俺が持ってく」
ユキが静かに頷く。
次に一本の鍵を摘まみ上げ、ケータはとっちゃんへ差し出した。
「これ、とっちゃんに」
「俺?」
「楽器庫の鍵」
とっちゃんの表情が変わった。
「父ちゃん、楽器は好きに使っていいって言っとったやろ。囃子方なるんやけん、持っとけばいいやん」
「でも、これ……俺が持ってていいん?」
「いいって」
ケータが手を開かせ、そこへ鍵を置く。
とっちゃんはしばらく掌の上を見つめていたが、やがてぎゅっと握った。
「……じゃあ、預かっとく。持っていくのは撥だけでいい。ほかの楽器はここに置いといて、帰ってきたらまた使う」
「うん。よろしく」
箱に残ったのは、白い珠だけだった。
ケータが持ち上げると、ユキも隣から覗き込んだ。
「きれい……」
「これだけ何か分からんとよ」
陽に透かしてみても、淡い光が内側で揺れるだけだった。
「玲子先生に聞いてみよっか」
「そうしよ」
呼ばれてやって来た玲子は、珠を見るなり足を止めた。
「宝珠ね」
「ほうじゅ?」
ケータの手から受け取り、陽へかざす。
「メアがごく稀に結晶化することがあるの。その結晶を宝珠って呼ぶ。普通なら、この中には結晶になったメアがいるんだけど――」
玲子の眉が少し寄った。
「これは違う」
「何が?」
「中が空っぽ。メアがいないの」
珠を指先で転がしながら、光へ透かして確かめる。
「空の宝珠。器だけが残った宝珠ね。かなり珍しいものよ」
「なんで空っぽなん?」
「そこまでは、これだけじゃ分からない。結晶になったあとに何があったのか、それとも最初から特殊だったのか……今は判断できないかな」
玲子は珠をケータへ返した。
「ただ、普通の宝珠じゃない。なくさない方がいいよ」
それ以上は断定せず、三人と神楽殿を見比べる。
「私は荷物の確認に戻るね。あとはごゆっくり」
少し笑って、社務所へ戻っていった。
三人だけになると、ケータは掌に戻った宝珠を見つめた。
鬼面は、自分が持っていく。
楽器庫の鍵は、とっちゃんに預けた。
なら。
「ユキ」
「なに?」
「これ、持っとって」
差し出された珠を見て、ユキの目が丸くなった。
「わたしが?」
「うん。俺は面を持ってくし、とっちゃんには鍵を預けた。だからこれは、ユキに持っててほしい」
ユキはすぐには手を出さなかった。
「でも、ケータのお父さんのものやろ?」
「そうやけど」
「……ほんとにいい?」
ケータが頷くと、ユキはようやく両手を差し出した。
白い珠が、その掌へ移る。
落とさないように包み込んでから、ユキは小さく笑った。
「大事にする」
「頼む」
三人の手に、それぞれ父の残したものがあった。
ケータの腕には鬼面。
とっちゃんの手には楽器庫の鍵。
ユキの掌には、空の宝珠。
しばらく、誰も何も言わなかった。
風が神楽殿を通り抜けていく。
ケータは誰もいない舞台を見上げた。
つい数日前、ここで三人の音を重ねたばかりだ。
「なあ」
二人がケータを見る。
「学園から帰ってきたら、またここでやろう」
「神楽?」
「うん。三人で」
とっちゃんも舞台を見上げた。
「じゃあ、それまでにもっと上手くならんとな」
「わたしも巫女の練習する」
「足、開かんように?」
「それはもう大丈夫!」
「さっき怒られよったやん」
「うるさい」
二人のやり取りに、ケータは少し笑った。
それから、もう一度神楽殿を見る。
「約束な」
「うん」
「おう」
今度ここに立つ時は、今より少しでも先へ進んでいたい。
三人で、またここへ帰ってくる。
*
「ケーター! そろそろ行くよー!」
社務所の方から玲子の声が飛んできた。
「はーい!」
ユキが大きな声で返す。
三人は神楽殿を離れ、石畳を鳥居へ向かった。
とっちゃんの荷物には、父の楽器庫から選んだ撥が入っている。ユキは空の宝珠を大事そうにしまい、ケータは赤い鬼面を腕に抱えていた。
鳥居の前まで来たところで、ケータは一度だけ振り返った。
星見宮。
神楽殿。
父ちゃんと母さんと、ずっと暮らしてきた場所。
見慣れた境内の向こうで、木々が夏の風に揺れている。
さっきまでは、ここを離れることばかり考えていた。
でも今は、少し違った。
また帰ってくる。
その時は、三人で神楽をやる。
「ケータ?」
先に鳥居をくぐったユキが振り返る。その隣では、とっちゃんも待っていた。
ケータは鬼面を抱え直した。
「……今行く」
二人のあとを追い、鳥居をくぐった。
本編をお読みいただきありがとうございました!
もし「面白い!」「続きが気になる!」と少しでも思っていただけたら、画面をもう少しだけ下にスクロールしたところにある……
【☆☆☆☆☆】
の星マークを、お好きな数(最大5つ!)ポチッとタップして応援してもらえると、執筆のモチベーションが爆上がりします!
ブックマークでの応援も、あわせてぜひよろしくお願いします!




