第13話② メア
「じゃあ、次はメアの話ね」
玲子が新しい紙を机の中央へ置いた。
「メアっていうのは、夢の世界にいる住人みたいなもの。夢界にはバクだけじゃなくて、いろんな存在がいるの。その中でも、人の夢と深く結びつくものを私たちはメアって呼んでる」
聞き慣れない言葉に、三人の視線が紙の上へ集まった。
「ちなみに、ここは私の専門分野。メアと人との関係とか、夢界での活動とかね」
玲子が少し得意そうに胸を張る。
ケータはその顔を見て、さっきまでより少しだけ先生らしく見えた。
「何、その顔」
「いや、別に」
「今まで先生に見えてなかった?」
「――そんなことない」
「間が長い」
「そんなことないって」
*
「メアの話をする前に、もう一つだけ覚えて」
玲子は紙の中央に二文字を書いた。
――結夢。
「星結の日に、神様の前で結んだ夢のこと。ケータくんなら神主、雅楽川くんなら囃子方、ユキちゃんなら巫女。それが今の三人の結夢ね」
ケータは書かれた文字を見つめた。
「で、メアはその結夢に結ばれる」
「じゃあ、俺たちにもメアがおると?」
「いるよ。正確には、もうかなり深く重なってる」
玲子は自分の胸元を指した。
「どこかに隠れてるとか、後ろからついてきてるとか、そういう存在じゃない。結夢を通じて、その人自身と重なってるの」
「心の中みたいな?」
ユキが聞く。
「近いかな。場所として『ここにいる』って考えるより、その人の夢と一緒にあると思った方がいい」
とっちゃんが自分の胸を見下ろした。
「じゃあ、もう俺の中にも知らんやつがおるってこと?」
「言い方は怖いけど、まあ大体そう」
「会えると?」
「ちゃんと同調できるようになればね」
玲子は紙の端へ、今度は横文字を書き足した。
「人とメアには、同調率っていうものがある。お互いの存在をどれくらい感じて、どれくらい力を重ねられるか。その程度に思っておけば、今は十分」
訓練を重ねて同調が進めば、夢界で自分のメアと向き合えるようになる。
そこまで聞いたところで、ユキが机へ身を乗り出した。
「じゃあ先生のメアは? 先生も会えるんでしょ?」
「会えるよ」
「見たい!」
「俺も。どんなやつ?」
「動物? 人?」
「強い?」
「一気に来たなあ……」
玲子は三人を押し戻すように手を上げた。
「ひとまず今日会うのは無理かな。簡単には出しちゃダメだから」
「また今度?」
「そういうこと」
不満そうな二人を見て、玲子が肩をすくめる。
「そのうち見せてあげるから。それまでのお楽しみ」
ユキととっちゃんは、それでようやく引き下がった。
ケータだけは、胸元へ視線を落としたままだった。
夢界にいる。
自分と深く重なっている。
そして、会える。
頭に浮かんだのは、小さな帽子と懐中時計。
それから、やたらとよく喋る白いウサギだった。
なら。
スクネは。
「ケータくん?」
玲子の声で顔を上げる。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
玲子は少しだけケータを見たが、追及はしなかった。
「今は分からないことがあって当たり前。学園で少しずつ覚えていけばいいよ」
ケータは小さく頷いた。
*
「俺のメア、雷出すやつがいい」
とっちゃんが、まだ自分の胸を気にしながら言った。
「なんで雷?」
「かっこいいやん」
「子供」
「お前も子供やろ!」
玲子は二人のやり取りに笑いながら、机の上へ広げた紙を一枚にまとめた。
「メアだけじゃないよ。学園では、夢界とレム層について学んで、夢害や夢獣について知る。メアとの同調もやるし、結界を張ったり、夢害を閉じ込めたり、追い返したり、鎮めたりする方法も覚える」
部屋の四隅には札が貼られ、机の端には見慣れない黒い機械が置かれている。
玲子がその一つへ目をやった。
「もちろん、必要なら戦う方法も」
「バク見つけたら、倒すんじゃないと?」
「何でも倒せばいいってものじゃないよ」
とっちゃんへ向き直る。
「まず、何が起きてるのかを見極める。封じるのか、元へ戻すのか、鎮めるのか、逃がすのか、それとも戦うのか」
玲子は三人を順番に見た。
「自分で判断して選べるようになる。それが学園でやること」
さっきまで「戦う場所」だと思っていたものが、ケータの中で少しだけ形を変えた。
*
「先生」
ケータは少し迷ってから聞いた。
「父ちゃんも、夢見学園に行っとったと?」
「お父さんの頃は、今と少し違うの」
玲子は首を振る。
「昔は、こういうことを学ぶ道がいくつもあった。神社やお寺、教会。昔から人の心や目に見えないものと関わってきたところが、それぞれ素質のある人を集めて、自分たちの方法で育ててたの」
それとは別に、旧家の中だけで知識や技術を受け継いできた一族もいる。
華族や財閥の流れを持つ家の中には、外へほとんど情報を出さず、何代にもわたって独自の技や記録を守ってきたところもあるらしい。
「父ちゃんは?」
「神社の流れ。神職の中から素質のある人を集めて修練させる道があって、お父さんも神社本庁を通じてそういう訓練を受けたって聞いてる」
ケータの脳裏に、あの日の父が蘇った。
鬼面をつけ、黒い獣の前へ立つ。
足元で白い光を爆ぜさせながら宙を駆け、爪をかわし、そのまま身体を返す。
毎年見ていた神楽に似ている。
でも、同じではなかった。
「じゃあ、あの戦い方も神社で習ったと?」
「土台はね。神楽や祝詞、祭具、結界。神社が元々持っていたものと、夢害への対処を結びつけてる」
玲子はそこで少し首を傾げた。
「ただ、あの戦い方そのものを誰かから教わったわけじゃないみたい。お父さん自身が何度も試して、自分に合う形へ変えていった部分がかなり大きい」
「父ちゃんが作ったと?」
「全部じゃない。でも、あそこまで自分のものにしたのは本人だと思う」
あの日の父の動きを、もう一度思い返す。
神楽だと思っていた足運び。
何度も見てきた構え。
それが戦うための動きでもあったことを、ケータはあの日まで知らなかった。
「お父さんらしいでしょ。習ったことをそのまま使うんじゃなくて、自分で試して、自分の戦い方にする」
知らなかった父の姿が、少しずつ増えていく。
*
「じゃあ今は、神社とかでは教えんと?」
「入口は基本的に夢見学園へまとめられてる」
玲子は椅子へ座り直した。
「昔みたいに神社、お寺、教会、旧家がそれぞれ最初から全部教えると、知識も基準もばらばらになるでしょ。だから、生き残るために最低限必要なものは、まず学園で共通して学ぶようになったの」
「じゃあ派閥もなくなった?」
「それは残ってる」
考え方も、技術も、守っているものも違う。
神社には神社のやり方があり、寺には寺のやり方がある。教会も同じで、夢害に対処する時には協力していても、すべての考え方まで共有しているわけではない。
「宗派が違う、くらいに思っとけばいいかな」
「仲間ではあるけど、全部一緒じゃないってこと?」
「そう。教えないものもあるし、見せないものもある。自分たちのやり方を優先することもあるよ」
「めんどくさ」
「人が集まれば、だいたいそうなる」
とっちゃんが露骨に嫌そうな顔をした。
「旧家はもっと面倒なところもあるけどね」
「もっと?」
「何百年も家の中だけで守ってきたものを、学校ができたから全部出してくださいって言われて、素直に出すと思う?」
「出さんね」
「でしょ」
家伝の技術。
道具。
古い記録。
メアに関する情報。
学園から見えないものはいくらでもあるという。
「だから学園で学べるのは、あくまで共通部分。その先は、自分がどこで、誰から何を学ぶかでも変わる」
ケータは少し考えた。
「じゃあ、俺は神社側?」
「そうなると思うよ」
「俺も?」
とっちゃんが自分を指差す。
「俺、神社の家じゃないけど」
「わたしも」
「出自だけで決まるわけじゃないから。三人で星見宮の神楽に関わってるでしょ。外から見れば、三人とも神社の流れにいるって見られると思う」
「勝手に決まると?」
「だって雅楽川くん、囃子方なんでしょ?」
とっちゃんが黙った。
しばらく考えて。
「……神社やな」
「納得するの早っ」
玲子が笑った。
「その辺りも、学園に入ったら嫌でも見えてくるよ」
とっちゃんの顔が、少しだけ嫌そうになった。
*
「父ちゃんって、強かった?」
ケータが聞くと、玲子は迷わなかった。
「強かったよ。ものすごく」
思わず胸を張りたくなる。
「こっちでは結構有名だったしね」
「父ちゃんが?」
「通り名まであったよ」
玲子が楽しそうに笑う。
「爆鬼」
数秒、誰も何も言わなかった。
先に口を開いたのは、とっちゃんだった。
「……ダサくない?」
「とっちゃん!」
「いや、ちょっとだけやん!」
「かっこいいでしょ!」
なぜか玲子が一番強く反応した。
「なんで先生が怒るん?」
「研究対象への敬意」
「研究対象!?」
「ファンとも言う」
ケータが玲子を見る。
「父ちゃんの?」
「かなり」
「なんか嫌や」
「なんでよ」
*
気づけば、麦茶の氷はほとんど溶けていた。
机の上には何枚もの紙が広がり、そこには来た時には知らなかった言葉が並んでいる。
結夢。
メア。
同調率。
夢見学園。
神社や寺、教会、旧家という、それまでケータが知っていたものとは少し違う繋がりもある。
分からないことは、むしろ増えた。
それでも、その中から知らなかった父の姿だけは少しずつ見えてきた。
神主として神楽を舞いながら、誰にも言わず、別の世界で戦っていた父。
ずっと身近にいたのに、ケータの知らない場所をこんなにもたくさん持っていた。
「さて」
玲子が空になったコップを集めて立ち上がった。
「今日はこのくらいにしとこうか」
「まだあるやろ」
「もちろん」
「じゃあ話してよ」
「話さない。これ以上は頭から煙出るよ」
「出らんし」
とっちゃんがむっとする。
「もう出かけてる顔してるけど」
「どんな顔!?」
玲子は笑いながら紙をまとめた。
「大丈夫。これから嫌ってほど勉強することになるから」
今度は三人とも黙った。
「……嫌ってほど?」
「うん」
とっちゃんが真顔になる。
「入るのやめようかな」
「願書、もう書いたよ」
「…………」
「しかも契約書でもあるって説明したでしょ?」
とっちゃんは机の上の願書を見た。
「罠やん」
玲子の笑い声が、簡易結界の中へ響いた。




