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R.E.M. ―眠る世界へ贈る、目覚めの子守唄―  作者: 天宮夢二
はじまり

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16/38

第10話① ボクヲシンジテ

 消灯時間を過ぎて。

 

 

 病院は、

 昼間とは別の場所みたいに静まり返っていた。

 

 

 耳を澄ますほど。

 

 

 何も聞こえないことが、

 かえって耳の奥に響いてくる。

 

 

 ツン、と。

 

 

 鼻をくすぐる、

 かすかな消毒液の匂い。

 

 

 空調から流れる夜の空気は、

 昼より少しだけ冷たい。

 

 

 窓の外には。

 

 

 吸い込まれそうな、

 深縹(こきはなだ)の空。

 

 

 そびえるビルの窓には、

 月白(げっぱく)の灯り。

 

 

 その下を。

 

 

 道路を走る車の、

 金と銀の光が流れていく。

 

 

 遠く。

 

 

 小さく。

 

 

 夜気の向こうで、

 朧(おぼろ)に滲んでいた。

 

 

 病室の中は。

 

 

 窓から入り込む青い夜と、

 枕元の機械が放つ淡い光だけ。

 

 

 昼間は真っ白だった壁も。

 

 

 シーツも。

 

 

 今は、

 薄い藍墨(あいずみ)を溶かしたような色に沈んでいる。

 

 

 ピッ。

 

 

 ピッ。

 

 

 その暗がりの中で。

 

 

 規則正しい電子音だけが、

 小さな灯火みたいに。

 

 

 ケータがまだ、

 現実にいることを知らせていた。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 眠れずにいた。

 

 

 布団の中で、

 何度目かの寝返りを打つ。

 

 

 さら。

 

 

 シーツが、

 小さく鳴った。

 

 

 身体のあちこちに、

 まだ鈍い痛みが残っている。

 

 

 腕を動かせば、

 筋肉の奥が軋む。

 

 

 擦り傷には、

 少しだけ熱が残っていた。

 

 

 けれど。

 

 

 眠れない理由は、

 それじゃなかった。

 

 

 目を閉じる。

 

 

 すると。

 

 

 昼間に聞いた言葉が、

 暗闇の中に一つずつ浮かんでくる。

 

 

 父ちゃんは、

 死んだ。

 

 

 母ちゃんは、

 分からない。

 

 

 夢獣(バク)。

 

 

 夢害(クラディス)。

 

 

 寝夢(ねむ)。

 

 

 夢見学園。

 

 

 そして。

 

 

 自分。

 

 

「…………」

 

 

 赤い目。

 

 

 逆立った髪。

 

 

 あの大きな獣を、

 押さえつけた。

 

 

 そんなことを。

 

 

 自分がしたらしい。

 

 

 けれど。

 

 

 何も、

 覚えていない。

 

 

 何一つ。

 

 

「俺……」

 

 

 暗い天井を見る。

 

 

 月白の光が。

 

 

 カーテンの隙間から、

 細い帯になって伸びていた。

 

 

「何したんやろ……」

 

 

 ピッ。

 

 

 ピッ。

 

 

 答えるものは、

 何もない。

 

 

 遠くで。

 

 

 ころ。

 

 

 ころ。

 

 

 夜勤の台車だろうか。

 

 

 小さな車輪の音が、

 廊下を通り過ぎていく。

 

 

 それも。

 

 

 やがて、

 夜の静けさへ溶けた。

 

 

「…………」

 

 

 瞼が。

 

 

 少しずつ、

 重くなる。

 

 

 ピッ。

 

 

 ピッ。

 

 

 規則正しい電子音が。

 

 

 遠く。

 

 

 さらに、

 遠く。

 

 

 水の底へ沈んでいくように、

 薄れていった。

 

 

     **

 

 

 ――チク。

 

 

「…………」

 

 

 ――タク。

 

 

 ケータが、

 目を開けた。

 

 

 病室。

 

 

 ……の、

 はずだった。

 

 

「…………?」

 

 

 壁も。

 

 

 ベッドも。

 

 

 カーテンも。

 

 

 形は、

 何一つ変わっていない。

 

 

 けれど。

 

 

 窓の外は。

 

 

 夕暮れの色をしていた。

 

 

 茜(あかね)。

 

 

 朱。

 

 

 その向こうに、

 まだ薄い青を残した空。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 眉をひそめた。

 

 

 今は。

 

 

 夜のはずなのに。

 

 

 夕陽が、

 白いシーツを淡い橙に染めている。

 

 

 それだけじゃない。

 

 

 空気が、

 妙に薄い。

 

 

 冷たいというより。

 

 

 温度そのものが、

 どこか遠くへ消えてしまったような。

 

 

「…………」

 

 

 鼻を吸う。

 

 

 さっきまで。

 

 

 あれほど病院らしく漂っていた、

 消毒液の匂いがしない。

 

 

 ピッ。

 

 

 ピッ。

 

 

 耳元で鳴っていたはずの、

 電子音も。

 

 

 消えている。

 

 

 代わりに。

 

 

 ――チク。

 

 

 ――タク。

 

 

 時計の音。

 

 

 一つ。

 

 

 一つ。

 

 

 やけに鮮明に。

 

 

 夕色の病室へ、

 落ちていく。

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 ゆっくり身体を起こした。

 

 

 音は。

 

 

 窓際から、

 聞こえている。

 

 

 カーテンが。

 

 

 わずかに、

 揺れた。

 

 

「…………」

 

 

 窓は、

 閉まっている。

 

 

 風なんて、

 ない。

 

 

 ――チク。

 

 

 ――タク。

 

 

 もぞ。

 

 

「…………」

 

 

 カーテンの裾が、

 動いた。

 

 

 ケータが、

 じっと見る。

 

 

 しばらく。

 

 

 何も起こらない。

 

 

「…………」

 

 

 もぞ。

 

 

 そして。

 

 

 ぴょこ。

 

 

 カーテンの端から。

 

 

 真っ白な耳が、

 一本だけ出てきた。

 

 

「…………」

 

 

 夕陽を受けて。

 

 

 やたらと。

 

 

 ふわふわしている。

 

 

 ぴょこ。

 

 

 もう一本。

 

 

「…………」

 

 

 二本の白い耳が。

 

 

 カーテンの向こうで、

 ゆっくり左右に揺れる。

 

 

 右。

 

 

 左。

 

 

 右。

 

 

「…………?」

 

 

 なんだ。

 

 

 これ。

 

 

 なのに。

 

 

 なぜか。

 

 

 見覚えがある。

 

 

 白い。

 

 

 長い耳。

 

 

 この、

 無駄に可愛い感じ。

 

 

 どこかで――

 

 

 ぴょこ。

 

 

「……そういうのいいから」

 

 

「…………」

 

 

 耳が。

 

 

 ぴたりと止まった。

 

 

 数秒。

 

 

「……はい」

 

 

 急に。

 

 

 素の声だった。

 

 

 カーテンが、

 するりと開く。

 

 

 白いウサギが、

 普通に出てきた。

 

 

 小さな帽子。

 

 

 白い毛並み。

 

 

 片手には、

 銀色の懐中時計。

 

 

 時計の鎖が。

 

 

 夕陽を拾って、

 ちらりと輝く。

 

 

「こんばんは」

 

 

「…………」

 

 

 ケータは、

 その顔を見る。

 

 

 白い毛。

 

 

 丸い目。

 

 

 小さな帽子。

 

 

 懐中時計。

 

 

「…………あ」

 

 

 頭の奥で。

 

 

 何かが、

 引っかかった。

 

 

 ざわ。

 

 

 記憶の底で、

 草が揺れる。

 

 

 大きな岩。

 

 

 夕方の山。

 

 

 蝉の声。

 

 

 まだ熱の残る、

 夏の空気。

 

 

 追いかけた、

 白い影。

 

 

『えっ!?』

 

 

『えっ!?』

 

 

「…………」

 

 

 途切れていた記憶が。

 

 

 一つ。

 

 

 また一つ。

 

 

 糸を結ぶように、

 繋がっていく。

 

 

「……お前」

 

 

「うん?」

 

 

「あのときの……」

 

 

 ケータが、

 目を見開いた。

 

 

「ウサギ!」

 

 

「おお。

 思い出した?

 

 よかったよかった。

 僕としても、忘れられたままというのは、

 なかなか寂しいもので――」

 

 

「お前、

 なんなん?」

 

 

「…………」

 

 

 耳が。

 

 

 すとん。

 

 

 と、

 下がった。

 

 

「再会の余韻とかは?」

 

 

「いらん」

 

 

「そう」

 

 

 白いウサギが、

 小さく肩を落とす。

 

 

 でも。

 

 

 ケータは、

 そんなことを気にしていられなかった。

 

 

「昨日のやつら。

 

 バクとか、

 クラディスとか。

 

 お前、

 関係あるんやろ」

 

 

「…………」

 

 

 白いウサギの耳が、

 わずかに動く。

 

 

「何を知っとる。

 

 お前は、

 何なんだ」

 

 

「…………」

 

 

 ケータは。

 

 

 白いウサギを、

 じっと見た。

 

 

 長い耳。

 

 

 二本。

 

 

「…………」

 

 

 頭の奥に。

 

 

 別の影が、

 浮かんだ。

 

 

 黒い。

 

 

 巨大な身体。

 

 

 社よりも高く。

 

 

 鳥居すら、

 小さく見えた。

 

 

 そして。

 

 

 頭から伸びていた、

 二本の長いもの。

 

 

「……お前」

 

 

「何?」

 

 

「昨日のでかいやつ。

 

 あいつも、

 耳長かったよな」

 

 

「…………」

 

 

 白。

 

 

 黒。

 

 

 大きさなんて、

 まるで違う。

 

 

 なのに。

 

 

 なぜか。

 

 

 似ている。

 

 

「お前ら、

 なんか関係あると?」

 

 

「…………」

 

 

 白いウサギは、

 ほんの一瞬だけ黙った。

 

 

「まだ、

 何も言ってないよ」

 

 

「あるんやな」

 

 

「だから、

 まだ何も言ってないって」

 

 

「顔に出とる」

 

 

「ウサギの顔色が分かるの?」

 

 

「ごまかすな!」

 

 

「…………」

 

 

「それに」

 

 

 ケータが、

 布団の上で拳を握る。

 

 

「俺に、

 何した?」

 

 

 白いウサギの顔から。

 

 

 さっきまでの、

 とぼけた笑みが消えた。

 

 

 ――チク。

 

 

 ――タク。

 

 

 懐中時計だけが。

 

 

 夕暮れの病室で、

 時を刻む。

 

 

「……そうだね。

 さすがに、そろそろ話さないといけないか」

 

 

「全部話せ」

 

 

「それは無理。

 

 全部は、

 話せない」

 

 

「…………」

 

 

「また禁則事項とか言うんやろ」

 

 

「へえ。

 そこまで聞いたんだ」

 

 

「川中島さんから」

 

 

「玲子からか」

 

 

「知っとると?」

 

 

「まあね」

 

 

「じゃあ、

 やっぱり関係あるやん」

 

 

「…………」

 

 

「何なん、

 お前」

 

 

「そういえば、

 名前もまだ教えてなかったね」

 

 

「名前?」

 

 

「うん」

 

 

 ウサギが。

 

 

 小さな帽子を、

 指先で整える。

 

 

 背筋を伸ばし。

 

 

 妙に得意げに、

 胸を張った。

 

 

「僕は、

 スクネ」

 

 

「スクネ?」

 

 

「そう」

 

 

「…………」

 

 

「それだけ?」

 

 

「それだけって何さ」

 

 

「もっとこう……

 

 夢獣ですとか、

 すごい何かですとか」

 

 

「ひどいなあ」

 

 

「名前聞きたいんやないって!」

 

 

「聞いたじゃないか」

 

 

「そういう意味じゃなくて!」

 

 

「分かってるよ」

 

 

 スクネが、

 くすりと笑う。

 

 

 その笑いに。

 

 

 ケータの胸の奥が、

 また熱くなる。

 

 

「俺に何した。

 

 とっちゃんとユキが言っとった。

 

 俺の目が赤くなって、

 髪が立って。

 

 あのでっかいバクと、

 戦ったって」

 

 

「…………」

 

 

「お前やろ。

 

 俺の中に、

 おったんやろ」

 

 

「…………」

 

 

「何したんだよ!」

 

 

 声が。

 

 

 静かな病室の壁に当たり。

 

 

 返ってこない。

 

 

 ただ。

 

 

 夕色の向こうへ、

 吸い込まれていく。

 

 

 スクネは。

 

 

 しばらく、

 ケータを見ていた。

 

 

「君の身体を、

 少し借りた」

 

 

「借りた?」

 

 

「うん」

 

 

「勝手に?」

 

 

「うん」

 

 

「…………」

 

 

「返したよ?」

 

 

「そういう問題じゃない!」

 

 

「そうだね。

 そこは僕が悪い」

 

 

 あまりにあっさり。

 

 

 スクネが、

 頭を下げた。

 

 

 白い耳も。

 

 

 一緒に、

 ぺたりと垂れる。

 

 

「…………」

 

 

 ケータの怒りが。

 

 

 一瞬だけ、

 行き場を失った。

 

 

「……なんで」

 

 

「必要だったから」

 

 

「何が」

 

 

「君たちが、

 生き残るために」

 

 

「…………」

 

 

「じゃあ」

 

 

 ケータの声が、

 低くなる。

 

 

「最初から、

 出てくればよかったやん。

 

 父ちゃんが戦っとるときに。

 

 母ちゃんが……」

 

 

 言葉が。

 

 

 喉の奥で、

 詰まった。

 

 

 鼻の奥に。

 

 

 もうないはずの。

 

 

 焦げた匂いが、

 蘇った気がした。

 

 

 紅い空。

 

 

 黒い炎。

 

 

 父の背中。

 

 

「お前が、

 あんなに強いなら。

 

 もっと早く出てきたら。

 

 父ちゃんだって……!」

 

 

「…………」

 

 

 ――チク。

 

 

 ――タク。

 

 

 スクネは、

 しばらく黙っていた。

 

 

 さっきまで揺れていた白い耳も、

 動かない。

 

 

「……できなかったんだよ」

 

 

「なんで」

 

 

「君に僕が入るには、

 僕の椅子が必要なんだ」

 

 

「…………」

 

 

「は?」

 

 

「でも、

 君の中に空席はなかった。

 

 だから、

 新しく一脚必要になる」

 

 

「椅子が?」

 

 

「そう」

 

 

「どこに?」

 

 

「君の中」

 

 

「…………」

 

 

「意味わからん」

 

 

「椅子に座れたからって、

 ご飯が食べられるわけじゃない。

 

 メニューを受け取る。

 

 選ぶ。

 

 注文する。

 

 料理が来る。

 

 そこでようやく、

 食べられる」

 

 

「…………」

 

 

 ケータは。

 

 

 しばらく、

 スクネを見つめた。

 

 

「……何の話しよると?」

 

 

「僕が、

 君の身体を使うまでの話」

 

 

「余計わからん!

 

 椅子座って、

 飯食っただけやん!」

 

 

「うん」

 

 

「うんじゃない!」

 

 

「でも、

 言えるのはそれだけ」

 

 

「…………」

 

 

 スクネは。

 

 

 それ以上、

 説明しなかった。

 

 

 ――チク。

 

 

 ――タク。

 

 

「じゃあ、

 なんで昨日はできたと」

 

 

「椅子を持ってきて、

 座って。

 

 料理を頼んだ」

 

 

「…………」

 

 

「何それ」

 

 

「昨日の話」

 

 

「分からんって!」

 

 

「うん。

 

 でも、

 言えるのはそれだけ」

 

 

「…………」

 

 

 ケータは。

 

 

 スクネを、

 睨んだ。

 

 

「結局、

 何にも教えてくれんやん。

 

 秘密ばっかり」

 

 

「…………」

 

 

 スクネは。

 

 

 ケータから、

 目を逸らさなかった。

 

 

「わざと遅くしたわけじゃない。

 

 君たちを、

 見殺しにしたかったわけでもない。

 

 そこだけは――

 

 僕を信じてよ」


挿絵(By みてみん)

スクネのイメージ画像


本編をお読みいただきありがとうございました!


もし「面白い!」「続きが気になる!」と少しでも思っていただけたら、画面をもう少しだけ下にスクロールしたところにある……

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