第2話 その廃墟道は、なぜ曲がっているか
三日間の馬車旅で、無事に尻は天に召された。
街道が終わり、雑草に埋もれた石畳が現れた時には、まず立ち上がれることに感謝した。
そして目の前にひろがる景色の廃墟具合に、感謝の気持ちは一瞬で忘れ去られた。
この都市、想像以上にひどい。
崩れた壁と傾いた柱。窓枠だけが残った建物。屋根を失った塔。蔦に覆われた階段が、どこへともなく伸びている。
馬車からセーラの地に降り立った瞬間、レンは足の裏にひどく冷たい泥の中を歩くような感覚を覚えて立ち止まった。
地面がぬかるんでいるわけではない。逆だ。一切、何の反応もないのだ。
現在時刻は朝脈。本来なら地中の魔力が活性化し、大地が微かな胎動を靴底に伝えてくる時間帯だ。
王都フラムハルトであれば、石畳の隙間からかすかな熱と振動が伝わり、街全体が目覚める活気を感じるはずだった。
だが、この街の土は完全に沈黙している。
「なんだこれ……信じられないな」
普通の人間にはどうでもいいことだ。だがレンにとっては違う。
脈動がないということは、(大好きな)回路が死んでいるということだ。
地脈は流れているはずなのに、それを吸い上げて建物に届ける回路が動いていない。
——都市の血管が、全部詰まっている。
近くの壁に触れてみた。ただの石だ。
フラムハルトの建物は安普請でも壁が微かに動いていた。呼吸していた。ここの壁は…死んでいる。
壁から手を離し、数歩歩いて別の壁に触れた。冷たい。
また別の壁。冷たい。
角を曲がってもう一枚。冷たい。
「全部死んでんのかよ、この街……」
普通の技術官なら報告書に「回路は機能していない」と一行書いて終わりだ。
レンは壁を触り続けた。
回路が死んでいるなら、どこまで死んでいるのか知りたい。全部死んでいるのか、一部は生きているのか。死に方に規則性はあるか。——回路の状態を、自分の手で確かめないと気が済まない。
傍から見ると、廃墟の壁を片っ端から触って回る不審者である。まぁいいか。
石畳の道を歩き始めて、気づいた。
道が曲がっている。不自然に。
崩れた建物の間を抜ける古い石畳は、途中でゆるく右へ逸れ、それからまた戻るように伸びていた。地上には何もない。大きな障害物も、避けるべき広場もない。なのに、道だけが妙に回りくどい。
「なんだこれ」
レンはその場にしゃがみ込み、額のゴーグルを下ろした。
指先からごく薄く構築系の魔力を流す。
すると石畳の下に、うっすらと光の筋が浮かび上がった。
「……あ」
回路だ。地下を走る回路の残骸。死んでいるが、痕跡が残っている。
その道は、回路の上に敷かれていた。
「…そうか」
つまりこの都市の設計者は、まず地下に幹線回路を通し、その上に道や建物を作ったのだ。建物が骨じゃない。地下の回路が骨で、地上の街はその上についた肉だった。
そう、通常の都市は逆だ。建物を先に建て、回路を後から通す。だからどの都市も回路は建物の隙間を縫うように走っていて、効率が悪い。
ここは違う。
ここは回路が先だ。
「すげえ……すげえな、この設計……!」
興奮して声が大きくなっていた。
振り返ると、瓦礫の向こうに住民が数人並んでいた。全員の顔がしかめられ、額には「何だこいつ」と書いてある。
「……あ。えーと。都市管理局の技術官です。レン・メーダ。放棄調査で来ました」
「また放棄を伝えに来た役人か」
住民の中から背の高い老人が前に出た。深い皺。鋭い目。レンの灰色の制服を一瞥して、色帯のない胸元を見た。
「帰れ」
「いや、あの——」
「帰りな」
「この道の曲がり方を——」
「帰れと言っている」
帰れの三段活用?何回いうねん。
老人——老ガルドの目には怒りではなく疲労があった。何度も同じことを繰り返してきた人の目だ。
レンは口を閉じた。深呼吸。
普通の技術官なら、ここで引き下がる。帰還して報告書に「住民は非協力的。放棄が妥当」と書いて終わりだ。非協力的な住民への交渉なんて大概が諦めるものなのだ。
だがレンは普通の技術官ではなかった。
そもそも普通の技術官は壁を触って回らないし、地面の回路を読んで興奮しない。
「じゃあ一つだけ」
老ガルドは答えなかった。答えないのは「帰れ」ではないので、聞くことにした。
「この壁を触ってみてください」
「……何?」
「いいから。触ってくれ」
老ガルドは怪訝な顔をしたが、壁に手を当てた。
「冷たいでしょ」
「当たり前だ。石の壁だからな」
「違うんだ。この壁は冷たくちゃいけないんだ」
レンは自分も壁に手を当てた。
「生きてる建物の壁は温かい。中を回路が走ってて、地脈から魔力を吸い上げて、壁の温度を調節してる。壁は、呼吸するんだ。膨らんだり縮んだりして、室内の空気を入れ替える。フラムハルトの建物は、安宿ですらそうなってる」
「……」
「この壁はそれが止まってる。回路が死んでるから。
——冷たかったのは、いつ頃からだ?」
老ガルドの目が変わった。壁を触り回る不審者が、壁の「温度」を聞いてきた。他の役人は壁に触りすらしなかった。
老ガルドはすぐには答えなかった。
背中側の壁へ、ほんの少しだけ視線をやる。確かめるみたいに。そこに何かがまだ残っているかを見てしまうみたいに。
「……わしが子供の頃には、まだ温かかった」
「五十年くらいか。回路の劣化速度から逆算すると合う」
「劣化速度が分かるのか。壁を触るだけで」
「ふへふん。構築系なんで。これだけが取り柄なんす」
老ガルドは、謎の鼻息を鳴らすレンの灰色の制服をもう一度見た。
——色帯がない。等外。構築系。この世界で最も軽んじられる適性。
「色なしの技術官が、壁を触って何が分かる」
「全部分かる」
レンは道の先を見た。蛇行する石畳が丘の上へ続いている。ゴーグル越しに見ると、石畳の下に微かな光の筋が見える。死にかけているが、消えていない。
「この道は地下の回路に沿って作られてる。回路が先で、道が後。現代のどの都市とも設計思想が違う。——この都市を作った人間は、相当な腕の設計者だ。そしてその回路はまだ完全には死んでない」
「……」
「触って分かった。ここの回路は死にかけてるけど、まだ生きてる部分がある。直せるかもしれない」
老ガルドは黙っていた。
ただ、置いていた杖を握り直す手に少しだけ力が入った。
レンは踵を返して、廃墟の上層部に向かった。
そう、見たいものがある。地下の回路が上層部までどう伸びているのか、確認したい。
上層部は、ひび割れた石を、蔦が巻くことでなんとか形を保っているような石の空間だった。
入って三歩目で、床が抜けた。
特に古い石板が砕け、体が傾いた。暗い空洞が口を開けている。
体が傾ぐ一瞬で右手が壁に触れた。反射だった。指先から構築系の魔力が走り、壁の中の古い回路に流れ込む。
「どわっ!?」
壁が軋んで、腕ほどの出っ張りがせり出した。レンの体を受け止めた。
受け止めたのだが——腹が出っ張りに乗って、足がぶらぶらしている。ゴーグルがずり落ちて片目にかかっている。尊厳のない体勢だった。いやん。
レンは這い上がって、穴の底を覗き込んだ。
暗闇の中に、光の筋が見えた。地下の回路。
これは——死にかけてはいるが、六色の光が走っている。
赤、蒼、翠、黄、白、黒。六色全部だ。
六色統合の回路。
みたことのない、理論上しか存在しないはずのもの。
「——あった」
声が震える。
泥だらけの顔で、腹を押さえたまま、レンは目を見開いて笑った。
「あった……! 六色統合回路だ……! 本当にあった……!」
住民がどうとか、放棄調査がどうとかどころではない。
来た理由はこれだ。この回路を見るために来たのだ——この瞬間にレンは確信した。
これを全部、読み解きたい。
どういう設計思想?
なぜこの配置?
六色の各稼働率は?
干渉をどうやって制御している?
親になる回路があるのか?
復旧の仕組みもある?
全部知りたい。知りたすぎて狂おしい——!
そのために、この回路を死なせるわけにはいかない。
振り返ると、老ガルドが穴の縁に立っている。いつの間にかついてきていた。ならさっき助けてくれてもよくね?あんな格好で恥ずかしいじゃん!
老ガルドはただ、壁が動いたのを見ていた。
さっきレンが触れただけで壁が変形したのを。
老ガルドは壁に手を伸ばした。冷たいまま。もう動かない。だが、その指先は確かに壁の表面をなぞっていた。まるで、別の温度を探しているようだ。
「……五十年前は、壁が動いた。今のように」
「うん、回路が生きていた頃は、そうだったはずだよ」
「お前は——壁を触るだけで、それが分かるのか」
「分かる。構築系だから」
老ガルドは長い間黙った。
「名を聞いていなかったな」
「レンだよ。レン・メーダ。さっき言ったんだけど、『帰れ』が三回。聞こえてなかったかもー」
わざとらしい棒読みのレンを見る老ガルドの口の端が、一瞬だけ動いた。
笑ったかどうかは分からない。
「……勝手にしろ」
それだけ言って背を向けた。
帰れ、とは言わなかった。
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