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第9話  変えなかった朝



 朝、洗面所の前で歯を磨く。


 鏡に映る自分の髪は、

 相変わらず耳を隠している。


 整えているだけだ。

 切ってもいないし、

 伸ばしたわけでもない。


 ――変えていない。


 それでいい。


 洗面所の向こうで、

 百合が髪をとかす音がする。


 ブラシが当たる音で、

 長さがわかる。


 俺と同じくらい。


 同じ色。


 前なら、

 そこで視線を逸らしていた。


 似ていると思うこと自体が、

 怖かったからだ。


 今日は、

 逸らさなかった。


 似ている。

 でも、それだけだ。


 似ていることと、

 代わりにされることは、

 同じじゃない。


 昨日、

 その線を引いた。


 百合が家を出る。


「行ってきます」


「ああ」


 短いやり取り。


 俺はそれ以上、

 声をかけなかった。


 髪をどうするか。

 何を変えるか。


 それを決めるのは、

 百合だ。


 俺が先に考える必要はない。


 大学へ向かう途中、

 百合とすれ違う。


 ちょうど、

 綾部と並んでいるところだった。


 二人の距離は、

 近すぎない。


 でも、

 離れてもいない。


 歩幅が、

 揃っている。


 それを見て、

 胸の奥が少しだけ静かになる。


 ――ああ。


 大丈夫だ。


 百合は、

 確認する場所に立っている。


 誰かに決められた位置じゃない。


 自分で選べる位置だ。


 それを邪魔しない。


 近づかない。


 声もかけない。


 影が似ていることに、

 意味を持たせない。


 それが、

 今の俺の役目だ。


 昼過ぎ、

 マイケルからメッセージが来る。


『Today, free?』


 短い英語。


 即答はしない。


 少し考える。


 百合は今、

 変えないことで、

 自分を守っている。


 俺は、

 どうする。


 耳に触れる。


 髪の下の形は、

 変わらない。


 これも、

 まだ俺の問題だ。


『少しなら』


 そう返す。


 逃げない。

 でも、急がない。


 向き合う、

 その準備をする時間だ。


 帰り道、

 百合とすれ違う。


「百合」


「兄さん」


 それだけ。


 並んだ影が、

 よく似ている。


 でも、

 それを指摘しない。


 似ているから選ばれるわけじゃない。

 似ているから否定されるわけでもない。


 それを、

 俺が一番知っている。


 部屋に戻り、

 シャツを脱ぐ。


 鏡を見る。


 耳を隠したままの自分がいる。


 変えられる。

 でも、今日は変えない。


 百合が変えなかったように。


 変えないことが、

 止まることじゃない。


 準備だ。


 選ぶための。


 百合は、

 百合のままで進む。


 俺は、

 俺のままで立つ。


 代わりにならない距離で。

 比べられない位置で。


 その一歩を、

 今日も踏み外さなかった。


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