第10話 近づく場所
インターホンが鳴ったのは、夕方だった。
約束した時間より、少し早い。
百合はまだ帰っていない。
兄妹で共有しているリビングは、静かだった。
俺は玄関へ向かい、ドアを開ける。
「ハロー」
マイケルが立っている。
今日は薄手のシャツに、ラフなパンツ。
外出というより、
隣に来ただけ、という格好だ。
「早いな」
「ネイバーだから」
当たり前みたいに言う。
それを理由にされるのは、
悪くなかった。
「入る、いい?」
一拍置いた確認。
前はなかった間だ。
「ああ」
靴を脱ぐ音が、
玄関に響く。
マイケルは、
勝手に上がらない。
俺が先に動くのを待つ。
リビングに通す。
ソファは二人分。
どちらに座るか、
一瞬だけ迷ってから、
マイケルは俺の隣に腰を下ろす。
距離は、
拳一つ分。
触れない。
でも、
離れてもいない。
「百合、まだ?」
「講義」
「OK」
それ以上は聞かない。
マイケルは、
部屋を見回す。
何度も来ている場所なのに、
今日は少しだけ動きが控えめだ。
「落ち着くね」
「……そうか」
「静か」
それだけで、
十分だった。
キッチンでお茶を入れる。
戻ると、
マイケルがソファの端に座り直していた。
俺が動きやすいように、
少しだけ空間を空けている。
「……気、遣ってる?」
思わず聞く。
「Yes」
即答。
「今は、それがいい」
理由は言わない。
でも、
伝わる。
俺は隣に座る。
さっきより、
少し近い。
膝が、
触れそうで触れない距離。
沈黙が落ちる。
重くない。
マイケルは、
俺の髪を見る。
耳にかかる位置。
「耳隠れてる」
小さな声。
からかいじゃない。
「……ああ」
否定しない。
マイケルは、
指を伸ばしかけて、止めた。
「触って、いい?」
確認。
押さない。
俺は少し考えてから言う。
「……今は、だめ」
拒否じゃない。
“今は”だ。
マイケルは、
すぐに手を下ろした。
「OK」
それだけ。
空気が変わらない。
それが、
ありがたい。
肩が、
少しだけ近づく。
触れない。
でも、
離れない。
ガチャリと玄関の方で音が鳴る。
百合だ。
俺は立ち上がる。
「帰ってきた」
「OK」
マイケルは、
すぐに距離を戻す。
でも、
立ち上がらない。
ここにいる前提。
玄関から百合の声がする。
「ただいま」
「おかえり」
俺が言う。
マイケルも続ける。
「Welcome back」
百合が一瞬驚いて、
それから小さく笑う。
その様子を見て、
俺は思う。
恋人じゃない。
言葉にもしていない。
でも、
生活の中に入ってきている。
それが、
距離が縮んだ証拠だった。
無理に進まなくていい。
ちゃんと、
近づいている。




