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第12話 触れたあとで、踏みとどまる



 マイケルが来たのは、

 特別な理由のない平日の夕方だった。


 インターホンが鳴る。


 百合は自分の部屋にいて、

 俺はリビングで本を読んでいた。


 玄関を開けると、

 マイケルが立っている。


「こんばんは」


 今日は、

 ちゃんと日本語だ。


「入る、いい?」


 いつもの確認。


「ああ」


 靴を脱ぎ、

 静かに上がる。


 勝手に動かない。

 前より、少し慎重だ。


 リビングに通す。


 ソファに並んで座る。


 距離は、

 拳一つ分。


 触れない。

 でも、離れない。


 テレビをつけるが、

 内容は頭に入らない。


 沈黙が続く。


 居心地は、悪くない。


 マイケルが、

 俺の手を見る。


 前に触れた場所。


「……この前」


 静かな声。


「触ったあと、

 嫌じゃなかった?」


 確認。


 逃げ道を残した聞き方だ。


「……嫌じゃない」


 正直に答える。


 マイケルは、

 それだけで少し表情を緩めた。


 でも、すぐ真面目な顔に戻る。


「じゃあ」


 一呼吸置く。


「今から、

 触る」


 予告だった。


 命令じゃない。


 俺は、

 視線を逸らさずにうなずく。


「……ああ」


 マイケルの手が、

 ゆっくり近づく。


 急がない。


 指先が、

 俺の手の甲に触れた。


 前より、

 自然だ。


 逃げたくならない。


 俺は、

 少しだけ指を動かす。


 自分から。


 マイケルの手の上に、

 重ねる。


 一瞬。


 でも、

 はっきりした意思だった。


 その瞬間。


 マイケルの目が、

 明らかに輝いた。


 声を出さない。


 でも、

 全身で喜んでいるのがわかる。


「……!」


 息を吸いかけて、

 止める。


 肩が、

 前に出かけて、

 止まる。


 抱きしめたい。

 それが、はっきり伝わる。


 でも。


 マイケルは、

 ぐっと踏みとどまった。


 手は離さないが、

 引き寄せない。


「……ごめん」


 小さな声。


 それから、

 少し照れたように言う。


「Sorry、

 ニンジャは忍耐力が必要」


 真剣なのか、

 冗談なのか。


 でも、

 どちらでもいい。


 俺は、

 思わず息を吐いた。


「……我慢しすぎだろ」


 マイケルが、

 少しだけ笑う。


「でも、大事」


 即答だった。


「ケンジが、

 逃げないでここにいるの」


 俺は、

 その言葉に何も返さなかった。


 返す必要がない。


 手は、

 まだ重なっている。


 体温が、

 前よりはっきりわかる。


 百合が、

 部屋から出てくる。


「兄さん——」


 途中で止まる。


 一瞬、

 俺たちの手を見る。


 でも、

 何も言わない。


「あ、ごめん」


 そう言って、

 視線を外す。


 マイケルは、

 すぐに手を離した。


 でも、

 慌てていない。


 距離も、

 取りすぎない。


 百合がキッチンへ戻る。


 静かになる。


「……見られたな」


 俺が言う。


「うん」


 マイケルは、

 落ち着いた声だ。


「でも、

 隠さなくていい」


 その言い方が、

 重くない。


 俺は、

 少し考えてからうなずく。


「ああ」


 触れたのは、

 短い時間だった。


 でも、

 そのあとも、

 空気は壊れなかった。


 抱きしめなかった。


 進みすぎなかった。


 それで、

 十分だった。


 マイケルが立ち上がる。


「今日は、ここまで」


「ああ」


 玄関で見送る。


 ドアの前で、

 マイケルが振り返る。


「……今日は、

 すごく嬉しかった」


 日本語だった。


 飾らない声。


 俺は、

 少しだけ間を置いて答える。


「……俺もだ」


 それだけで、

 マイケルは満足そうに笑った。


 ドアが閉まる。


 自分の手を見る。


 もう、

 温度は残っていない。


 でも。


 踏みとどまった分だけ、

 確実に近づいた。


 それが、

 わかる夜だった。


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