〈第55話〉『喧嘩をしに来たわけじゃない』
クロフォード学園―――調理部門・厨房
「ふむ、こんなものかな!」
出来上がったボウルの中の乳白色のペーストを泡立て器ですくい上げ、そっと持ち上げてみる。
ダレることなく、先端がピンと美しい角を立てる、完璧な粘度に仕上がっていた。
「ねえ、ティファ、それって……いったい何なの?」
隣でカミラが、端材から生まれ変わったキャベツの千切りを懸命に進める手をふと止め、怪訝さと好奇心が入り混じった瞳で見つめながら、うちの持つボウルへと興味深そうにのぞき込んでくるのだった。
「フッフッフ。ちょっと失礼」
うちはまだ細かく刻まれていない生のキャベツの葉を一枚だけ手に取ると、出来立てほやほやの特製マヨネーズをたっぷりとすくい、そのまま口へと放り込む。
「おっ、えぇできじゃ! レモンの爽やかな酸味も絶妙に効いとるじゃないか……。ただ、うーん……?」
シャキシャキとしたキャベツの食感のあとに広がる濃厚なコクと酸味の調和に満足しかけたが、うちはふと顎に手を添えて首をかしげる。
「……いや、もうほんの少しだけ塩気があったほうが、全体がキュッと締まって旨味が引き立つかの?」
料理を専門に学んでいるわけでもなく、ましてやうちは、この世界で自家製マヨネーズを作るための調理科学やレシピなど、前世の知識として頭の片隅にあっただけの素人。
それでも、幼い頃から食べ手として、あるいは独自の探究心から研ぎ澄まされてきた舌の感覚だけを頼りに、うちはさらなる高みを目指して微調整を試みる。
「よし、このくらいじゃな」
納得のいく味へと完璧に仕上げるべく、うちは小さく呟きながら白い粉の入った卓上の調味料瓶へと手を伸ばす。
そして、三本の指先で絶妙な加減で一つまみ分の塩を正確に摘み取ると、ボウルへとパラリと放り込み、再び泡立て器を手際よく走らせて均一に混ぜ合わせていく。
ふと背後に視線を感じうちは背後へ振り向く。
そこには賄い料理を担当しているカミラのグループの面々や、周囲で作業していた他の生徒達が、いつの間にか手を止め、吸い寄せられるようにうちの背後へと集まってきていた。
見たこともない乳白色のクリーム状の代物と、彼女の鮮やかな手さばきがよほど珍しいのか、誰もが目を丸くし、興味津々といった視線をそっと向けていた。
「なぁなぁ、さっきキャベツに付けてたけど、それドレッシングか何かか?」
「あ、その……もしよかったら、私も少しだけ味見してみたいんだけど……!」
カミラをはじめとする数人の生徒達が、唾を飲み込むような視線をボウルに向けながら、おそるおそる、けれど隠しきれない好奇心を滲ませて次々と味見を申し出てくる。
「えぇですよ、でもなくなったら後で作るの手伝ってくださいね」
うちは人懐っこい笑みを浮かべると、濃厚な乳白色のクリームがたっぷりと詰まったボウルを、群がる生徒達のほうへと気前よく差し出す。
「美味しい!酸味でさっぱりしてコクもあって……」
「なにこれ、クリーミーなのに重たくない……! 初めて食べる味だわ!」
「これ、一体どうやって作るのさ? さっき横で見てたときは、ただ泡立て器でシャカシャカ混ぜてただけに見えたけど……!」
カミラをはじめ、周囲に群がっていた生徒たちは、さきほどまで「ゴミ」として処分されかけていたキャベツの芯や外葉、その端材をきれいに千切りにしたものを次々と手にとる。
そして、乳白色の自家製マヨネーズをたっぷりとディップして次々に口へと放り込むと、あまりの美味さに次々と驚嘆の声を上げていく。
その直後、あまりの美味さに厨房のあちこちで次々と驚嘆の声が上がった。
食材の下処理を進めていたグループや、山積みの食器と格闘する1年生達からは、羨望と好奇心が入り交じった熱っぽい視線がこれでもかと浴びせられる。
廃棄されるはずだったキャベツが織りなすシャキシャキとした食感が蘇り、賄いグループの面々はすっかり感嘆のため息を漏らし続けるのだった。
「げっ!もうほとんど残っちょらん……食べ過ぎですよ!これ、さっきのキャベツとニンジンを混ぜてサラダにしようと思っちょったのに!」
指摘されたカミラ達は「あはは……」と気まずそうに乾いた笑いを浮かべ、バツが悪そうにスッと視線を宙へと逸らし、決してうちの目合わせようとしないのだった。
「えぇですよ、もうっ。また作り直します。あ、カミラ先輩千切りも大方終わっちょるようじゃし、一緒に作りましょう」
そもそも、自分がこの調理部門へ出向してきた最大の理由は、前世の記憶にある様々な料理の知識やレシピをこの学園の面々に伝えることだ。
ここで作り方を独り占めにしていても意味がない、そう思い立ちまずは、先程一緒に作業していたカミラ一人を相棒に、あのマヨネーズの作り方をしっかりと伝授しておこうと、うちはテキパキと次の指示を出し始めるのだった。
「わ、私に作れるかなぁ……」
不安と期待が入り混じった表情を浮かべながら、カミラはおそるおそるティファと同じ調理器具や材料を両手に抱え、パタパタと足音を控えめにしながらうちの隣へとちょこんと寄り添うように立つ。
「まぁ最初は疲れるかもしれませんね。まぁまずうちのやることを見ておいてください」
そう言って見本を見せるべく、うちはグラスランドチキンの卵を2つ手に取り、コンコンと軽快な手並みで殻を割り、見事に卵黄だけをボウルへと落とし込んでいく。
さらに、そこへ搾りたてのレモン果汁3つまみの塩を迷いなく投入した。
「えっと、これ”マヨネーズ”っちゅう名前の調味料なんですけど、作る時のコツとして……あらかじめ卵や油は常温に戻しておくのが大事なんですよ。で、ここまで入れたら、まずは泡立て器でしっかりと混ぜ合わせて……と」
シャカシャカとリズミカルに泡立て器を動かしながら説明するうちを、カミラは一言一句聞き逃すまいと真剣なまなざしで見つめていたが、ふと、作業台の端に置かれた瓶に気づいてパチリとまばたきをした。
「ねぇ、ティファ……。この”オリブの油”は、まだ使わないの?」
あんなに大量に用意されていた食用油のオリブの油が、ぽつんと一つ取り残されたままになっていることに首をかしげながら、カミラは不思議そうに小首を傾げるのだった。
「それはまだまだ、ちょっとうちの掻き混ぜちょるボウルの中覗いてみてもらえます?」
「ん……どれどれ?」
うちは片手で絶妙なリズムを刻む泡立て器の動きをピタリとも止めず、カミラが覗き込みやすいようにスッと上体を少し横へと逸らしてみせる。
「こうやって、卵黄とレモン果汁、塩少々を先に入れてしっかり掻き混ぜ続けると……ほら、さっきの黄身だけだったときより、ちょっと白っぽくなってくるでしょう?」
ティファに促されるままボウルの中を覗き込んだカミラは、黄金色の液体が少しずつ淡いクリーム色へと変化していることに気づいて、目を丸くする。
「へぇ~、ほんとだ」
ただ混ぜているだけのように見えて、その実しっかりとボウルの中で変化が起きているその手際に、カミラは感心したように小さく息を呑む。
「こうなってきたら、いよいよオリブの油を少しずつ入れていきますよ。今回は200ml用意したから……えっと、大体何人分じゃろ? ざっくり15、6人分くらいのマヨネーズになりますかね」
カミラに分かりやすく説明しながら、うちは左手に持った油の小瓶を傾け、ボウルへとほんのあるいは細い糸のようにオイルを垂らしていく。そして右手では泡立て器の動きを一切緩めず、素早く均一に掻き混ぜていく。
「これって一気に入れちゃダメなの?」
「一気に全部入れると油が分離して混ざり合わんのですよ」
うちはオリブの油を少しずつ加えては乳化させ、また少し加えては混ぜる。
この慎重かつ丁寧な作業を、うちはリズムよく何度も何度も繰り返していくのだった。
「お、ほら!見てください!白くなってきたでしょ?」
楽しそうにうちに声をかけられ、カミラは促されるままそっと身を乗り出してボウルの中を覗き込む。
そこには、さっきまでの透明感のある黄色い液体が嘘のように、ふんわりと空気を含んだ、白く若干もったりとした極上のペーストへと変化している光景が広がっていた。
「あ、ほんとだ……! すごいすごい、なんかもうクリームみたいになってる!」
黄色からミルク色のクリームへと表情を変えていく神秘的なその現象に、カミラは目をキラキラと輝かせ、まるで魔法でも見たかのような歓声を上げるのだった。
「これをもうちょっとよく混ぜ続けて……ほら、こうやって泡立て器をスッと引き上げたときに、先端にツンと綺麗な角が立てば、これで、自家製マヨネーズの完成です!」
出来上がったばかりのボウルを、うちは誇らしげな笑みを浮かべながら隣のカミラへとそっと差し出す。
そして言葉の代わりに、片方の眉をクィッと動かして無言で「ほら、味見してみてよ」と促した。
「……じゃあ、ちょっと失礼して」
うかがうような視線を向けながらも、すっかりその魅力に囚われているカミラは、誘惑に負けるように人差し指をちょこんとボウルの中へと差し入れる。
そして、美しく乳化してとろりとした極上のマヨネーズを少しだけすくい取ると、そのまま迷いなく自分の口元へと運ぶ。
「んっ……うん、うんっ! おいしっ! さっき味見させてもらったのと同じ、コクがあって酸味も絶妙で……すごく美味しいよ!」
ペロリと指を舐めながら、カミラはぱっと花が咲いたような満面の笑みを浮かべる。
その率直で嬉しそうな感想を耳にして、うちは「ふふんっ」と鼻を高くしながら、どこか誇らしげで満足げな表情を浮かべるのだった。
「まったく、さっきからこの一角だけやけに騒がしかったが……やっぱりお前の仕業か。それで? 一体何を作っていたんだ?」
厨房全体の様子を鋭い目配りで巡回していたシェフ・トルーマンが、腕組みをしたまま、うちとカミラの作業台の前にずいっと歩み寄ってくる。
「あ、シェフ。ちょうどいいところに。これ、新しい調味料なんですよ。よかったら、ちょっと味見してみます?」
うちは自信満々の笑みを浮かべると、たっぷりと乳白色のペーストが詰まったボウルを、威風堂々としたトルーマンの目の前へと差し出す。
「ふむ、そこまで言うならいただいてみよう。……ほう、見たところこれは、野菜に付けて食べるものか?」
「それも美味しいですし、使い道は野菜だけに留まらないですよ。温かいものにも、お肉やパンにも合いますから!」
うちは得意げに胸を張って答える。
それを聞いたトルーマンは、ふんと鼻を鳴らしながらも、作業台の脇に積まれていたキャベツの葉を一欠けら手際よくちぎり取る。
そして、ボウルに盛られた自家製マヨネーズをたっぷりとすくい上げるようにディップすると、そのまま迷いなく口へと放り込むのだった。
「ほぉ、この酸味はレモン果汁か、それとコクを出しているのは卵……、ん?使ったのは黄身だけか?」
料理人としての鋭い舌が、瞬時に味の構成要素を解体し始めた。
「そうですね、卵の白身は水分量が多くて油が分離してしまうのであまり適さないです。もちろん全卵を使うこともありますが、それだと水っぽさが残るマヨネーズになってしまいます」
うちはプロの料理人であるトルーマンの鋭い指摘に笑顔でうなずきながら、手際よく解説を加える。
その説明を聞き、先ほどからティファの手元を凝視していたカミラは、「なるほど……だから最初にわざわざ白身と黄身を分けてたんだ……!」と、ようやく合点がいったように小さな声で感心の声を漏らすのだった。
「なるほどな。それでこれを使ってどんな料理を?」
「ええ。今朝の朝食ビュッフェで余った人参と、まだ十分にシャキシャキとして食べられるキャベツの端材を細くスライスして、この特製マヨネーズで和えた、シンプルなサラダにしようかと考えてます!」
うちは胸を張ってハキハキと答える。
それを聞いたトルーマンは、ふむ、と険しい顔を和らげ、顎に手を添えて思案の海へと沈み込んでいくのだった。
「うむ……。まかないの副菜としては上等すぎるほどだな。……で、だ。このマヨネーズのレシピは、もうシーウェルには教えたのか?」
トルーマンは低い声でそう尋ねながら、視線をうちとカミラへ交互に向ける。
「隣で最初から最後までずっと出来上がりを見てもらっていたので、あとは実際に手を動かしてもらうだけです。作り方のコツも材料の配合も全部教えましたし、今後味が変わるとすれば……レモン果汁や塩の分量の微調整くらいですかね。もっとコクを出したいもの、となったら卵を一個追加するとか」
うちは隣に控えるカミラをチラリと振り返りながら、自信満々にそう答える。
その言葉を聞いたトルーマンは、ふと作業台の隅に目をやり、まだ手付かずのまま並べられている卵や油の山に気づいた。
「そうか。それじゃあ、シーウェルはこのままアッシュフィールドからマヨネーズの作り方をしっかりと学んでおけ。それから、アッシュフィールド」
この厳格なシェフが他人から学べと指示を下すということはつまり、先程までうちがもたらした「得体の知れない新種の調味料」に過ぎなかったこのマヨネーズが、学園の厨房における正式な新しい調味料として認められたということ他ならなかった。
そして、自分の名前を個別に呼ばれたことに気づき、うちは「ん?」と小さな疑問を浮かべながら、まっすぐにトルーマンの顔を見つめ返すのだった。
「今回お前が依然作った”ハンバーグ”を今日の夕食のメイン大皿に並べたい。シーウェルの指導が終わったらフィルに付いてハンバーグのレシピを教えてやってほしい」
その意外すぎるトルーマンの指令を聞いてハッと息を呑んだのは、当の本人であるうちではなく、隣に控えていたカミラの方だった。
それは今朝の厨房で、他科のうちがいきなり包丁を持ち、カミラを手伝おうとした瞬間、フィルの怒号が飛び険悪な空気を纏わせ、激しく衝突するきっかけとなった主席の先輩の名前だった。
うちが巻き起こした初日の厨房を支配するいざこざが頭をよぎり、カミラは「あ……」と小さく青ざめながら、申し訳なさそうにぎこちなく身を縮こまらせる。
自分が原因となって二人の間に溝を作ってしまったのではないかという不安が、彼女の胸の内にチリチリとした焦燥感としてよぎっていくのだった。
「はい、わかりました。お任せください!」
迷いのないうちは、まるで日常の些細な雑用を引き受けるかのように、即座に力強く頷いてみせる。
「えっ……!?」
そのあまりに自然な返答に、一番驚いたのは隣に立っていたカミラだった。
今朝、あんなにも激しい言い合いと険悪な空気の応酬を目の当たりにしていただけに、当事者であるはずのうちが微塵も気負っていないどころか、相手を気にする素振りすらないことが信じられないといった様子で、おそるおそるうちの横顔をじっと窺い見るのだった。
「それじゃ、朝食の賄いを済ませて、休憩の後で構わんから頼むな」
トルーマンはそれだけと言い残すと、腕組みをしたまま巨体を翻し、テキパキと持ち場へと戻っていくのだった。
「えっと……。私がこんなこと言うのも何なんだけどさ……。本当に出向いて、本当にあのフィル先輩に教えたりして……本当に大丈夫なの……?」
トルーマンの背中が遠ざかるのを見届けたカミラは、遠慮がちにうちの顔を覗き込みながら、まるで自分のことのように心配そうな、頼りなげな声を漏らすのだった。
「ん? なんでですか?」
きょとんと首をかしげたうちは、心配そうに眉をハの字に曲げるカミラに向かって、からりとした明るい笑みを浮かべてみせる。
「うちは別にあいつと『喧嘩をしに来たわけじゃない』。それに、今朝のあの修羅場……現場の空気をかき乱してしまったのは、他でもないイレギュラーなうちなんですからね」
ケラケラと悪びれもせずに笑い飛ばすティファの横顔には、棘のある感情など微塵もなく、ただ目の前の料理と向き合う純粋な楽しさだけが満ちていた。
その清々しいほどのマイペースぶりに、カミラは呆気にとられたようにポカンと口を開けたあと、ふっと肩の力を抜いて苦笑いをこぼす。
「もう……ティファって、本当に肝が据わってるんだから」
「さぁ、のんびりしてる暇はありませんよ! カミラ先輩、ぼやっとしてないで、早くさっきの続きです! マヨネーズの作り方、一滴も残さずしっかり覚えてくださいね!」
自分の不安を吹き飛ばすかのようなうちの頼もしい号令に、カミラは「は、はいっ!」と気合を入れ直し、再び気合を込めて作業台の上ボウルと素材へと視線を落とす。
「まずは卵を割って……黄身と白身を分けるんだよね?」
「そうそう、いい感じです! じゃあ次は、レモン果汁と塩をスタンバイさせてくださいね――!」
活気が戻ってきた調理台の端で、2人の軽快なやり取りが再びリズミカルに響き渡り始めるのだった。
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