〈第54話〉『マヨネーズ』
クロフォード学園―――朝・食堂・一般喫食席
「ぬううぅぅぅ……。解せない……」
いつもの面々と並んで朝食の席につきながら、ミリアは小さく唸り声を上げ、どこか納得がいかないといった面持ちで目の前の料理を睨みつける。
「なにがよ……。いつもと変わらないでしょうが」
科は違えど、ティファを縁にしてすっかり仲良くなったエリノアが、不可解そうに首を傾げ、ミリアを一瞥し呆れたような苦笑いを浮かべるのだった。
この日からティファの調理部門への出向が決まっているため、本人はこの時間は不在だ。
その結果、普段ならリーダー格である彼女の代わりに、同室のエリノアがこの一癖も二癖もあるメンツの世話を焼かざるを得ない状況となっていた。
「お邪魔するわよ。あら、ティファは本当に調理部門に出向中なのね」
あとから食堂にやってきたエルザの一行が、エリノア達の陣取るテーブルの隣に、ごく自然な足取りで腰を下ろす。
数日前の【2組決闘】を経て、棘のある対立関係だったはずのグループ間の距離は、今やすっかり縮まっていた。
「……。っていうか、なんでこの子は目の前の朝食を前に、そんな険しい顔で腕組みしてるわけ……?」
料理に一向に手をつけず、まるで難解な魔術式でも解くかみたいな険しい顔で不気味に唸り声を上げ続けるミリアを一目見るなり、エルザはすっかり呆れ返ったような、それでいて怪訝な視線を向けるのだった。
「知りません。ただミリアが今朝の朝食に納得いってないだけで~す」
肩をすくめながら、エリノアは目の前の皿へとフォークを伸ばす。
いつもの面々が当たり前のように平らげている美味しい朝食。
それなのに、あろうことかこの席でただ一人、ブスッとした顔で腕組みを解かないのはミリアだけであった。
「だって、よく考えてよ。私はティファを血の涙を流す思いで調理部門に送り出したのに、今朝並んだ料理はいつもと変わらず……。おかしくない!?」
「いや、ミリィは血の涙なんか流してなかったよ。むしろ嬉々として送り出してたわ」
数日前のティファとミリアのやり取りをありありと思い出しながら、エリノアは彼女のれっきとした食い意地から来るその主張に、やれやれと言いながら深々と頭を抱えるのだった。
「そんなことない!エリノア達はティファの手料理の味を知らないからそんなこと言うんだ!そうでしょ、エルザ!?」
隣の席で我関せずといった態度を気取り、優雅にスープを啜っていたエルザだったが、まさか飛び火してくるとは思わず、盛大に「ゴホッ、ゴホッ」とむせ返る。
「な、なんでいきなりこっちに振ってくるのよ!!」
胸元を押さえて激しく咳き込み、それを見ていたアメリアがむせ返ったエルザの背中をさする。
そして、エルザは潤んだ瞳でジトッとミリアを睨みつける。
「だって!あの時泣きながらティファが作った……、なんだっけ?あ!ハンバーグ!ハンバーグ食べてたじゃない!」
ミリアはこれ以上ないほど悪びれた様子もなく、むしろ得意げにそう言い放つ。
その言葉の端々から、よりによって“泣きながら作食べた”という非常に物騒で意味深なワードだけを敏感に拾い上げた一同、エリノアをはじめとする周囲の面々や、エルザ自身の仲間たちの冷ややかな視線が、一斉にエルザへと突き刺さるのだった。
「ちょ!ばっ!あれはティファが作った料理が塩辛かったから涙が出ただけよっ!!」
顔を真っ赤にして全力で否定するエルザの強がりじみた弁解を聞き届けるやいなや、ミリアは得意満面とばかりに、フッと不敵な笑みを浮かべてみせる。
「その言い訳は通らないよ……。あの後完食していることは調理部門から聞いているんだから!!しかも、焼き立てパンを一個お代わりしてね!!」
ミリアの意外過ぎる情報網にエルザの脳裏に電撃が走り、【決闘】とはまったく異なる、食い意地を暴かれた者特有の凄まじい敗北感が、一気に脳内を支配していく。
「……くっ、口止めをしてなかった……の……?」
絶望に染まった声を絞り出し、エルザは忠義も配慮もすっかり忘れていた己の従者達、ドーラとアメリアへと、恨みと絶望をたっぷりと孕んだ視線をジリジリと向ける。
だが、その痛いほどの突き刺さるような視線を感じ取ったにもかかわらず、当のドーラとアメリアは「はて、なんのことやら?」とばかりに、見事に息の合った手際よさでスッと視線を宙へと逸らしてみせる。
「まぁ、今朝のところはこれで勘弁してあげる……。でもね、もし今度の夕飯ビュッフェで、あの日のハンバーグが並んだりでもしたら……その時、アナタ達は一体どうなっちゃうのかしらね?」
勝ち誇ったような、それでいて底意地の悪い小悪魔的な笑みを残しながら、ミリアはいつの間にか誰よりも早く自分の朝食を綺麗に平らげ終えていた。
「え? アイツ、いったいいつ食べ終わってたわけ……?」そんな、あまりの早業に呆気にとられた疑問と重い沈黙をその場に置き去りにし、周囲の絶句する視線などどこ吹く風とばかりに、ミリアは満足げにそして、ティファの作る夕飯に期待を込め悠々と席を立ち、食器を片付けに下膳口へと歩み去っていくのだった。
クロフォード学園―――調理部門・厨房
朝の修羅場を乗り越えた厨房にはひと時の平穏な時間が流れていた。
「結構忙しいもんじゃなぁ。後は下膳が終わって洗浄か?それとも朝食か?」
うちは袖で額の汗を軽く拭いながら、隣でようやく一息ついていたハーヴィーに、これからの作業手順について尋ねるのだった。
「そうだね。調理部門って3年生が10人に2年生が8人、1年が11人で、全体だと総勢29人いるんだ。基本は各学年で2組ずつに分かれて動くことになっててさ。今の時間だと、1年は全員で横並びになって大量の食器の洗浄。3年と2年は昼に向けた食材の下処理。それで、今の順番で作業が回っていない組は、調理部門全員用の朝の賄いを作ったりって感じかな。……で、それらが全部終わったら、いったん各自の休憩て段取りかな!」
ハーヴィーはテキパキと指折り数えながら、今からお昼までの大まかなスケジュールを分かりやすく説明してくれるのだった。
「それで、ティファはイレギュラーな立場だし、出向中の雑用とかは気にしなくていいから……みんなの分の”賄い料理”を作ってほしいんだよね。シェフもきっとそのつもりだと思うし」
そこまで言い終えた後、ハーヴィーはどこか言いにくそうな、気まずげな表情を浮かべてシュンと肩をすぼめる。
「まさか、初日からあんな修羅場が起きるなんて俺も思ってなくてさ……。あ、勘違いしないでほしいんだけど、アッシュフィールドのやり方が悪いって言ってるわけじゃないからね! ただ、フィル先輩もそれなりに厳しい下積みを重ねて今の地位を掴んできた人だから……その、なんというか……」
先輩への気まずさとフォローの言葉をごちゃ混ぜにしながら慌てて弁解するハーヴィー。
だが、当のティファは気にする様子もなく、ケラリとした笑みを浮かべて首を横に振る。
「わかっちょるよ。ただ、あんな緊迫した状況で周りを萎縮させるような無駄な大声を張り上げる奴に、ちょっとイラッときただけじゃけ。次顔を合わせたら謝っちょくよ」
これまでろくに厨房の裏側も知らずに我が物顔で反撃してしまった自分の振る舞いを思い返し、ハーヴィーに心配をかけまいと気さくに笑いながら、うちはそう言って約束をした。
「さて、食器も下がり始めたことだし、俺はそろそろ洗いの方に回るよ。あ、この後はさっきのカミラ先輩のグループが賄い担当だからそっちに指示もらってもらえる?ごめんね!」
そう言い残し、ハーヴィーは山積みになり始めた食器の洗浄へと向かう慌ただしい区画へ、申し訳なさそうな背中を向けながら小走りで去っていく。
その後姿を見送りながら、うちは先程共に窮地を乗り越えたカミラの姿を探して、広大な厨房の隅々へと視線を走らせる。
「お、カミラ先輩!」
喧騒が少しずつ落ち着きを取り戻しつつある厨房の一角で、懸命に作業を進めるカミラの背中を認めたうちは、軽く手をひらひらと振りながら、こちらに気づいて振り返った彼女のほうへと歩み寄っていく。
「あ。アッシュフィールドさん。どうしたの?」
声をかけて振り返ったカミラは、少し驚いたような表情を浮かべながら首をかしげる。
先ほどお互いに名前を交わしたばかりだというのに、彼女はまだ親しくないからとどこか気恥ずかしそうに「さん」付けで呼んでくるのだった。
うちはふっと軽く息を吐き出すと、いつもの調子で柔らかく笑みを浮かべる。
「うちはティファ!ティファでえぇです!大体、うちよりカミラ先輩の方が年上でしょうが!」
少しだけ頬を膨らませてそう念を押すと、カミラは「あ、うん……ごめんね、ティファ……」と、申し訳なさそうに、けれどどこか嬉しそうにはにかむのだった。
「ハーヴィーにカミラ先輩の賄いを手伝うよう言われたんですけど、どうすればえぇ?」
そう首をかしげて問いかけるうちに対し、カミラは「えっとね……」と言いかけながら、ビュッフェで余った料理とパッと周囲の作業スペースへと視線を巡らせて現状を確認する。
「私のだめになってしまった人参をどうにかしないといけないし、あとは……」
カミラは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながら、廃棄寸前の食材が置かれた調理台へと目を向ける。
それから、気を取り直すように厨房の端にある大型の魔冷庫へと歩み寄り、その重い扉をガチャンと開け放つと、今日の賄いに使えそうな食材を次々と見定めはじめるのだった。
「あ、ちょっと待ってください。それ、中を見せて!」
うちはゴミ箱行きにされかけていたキャベツの芯を抱えた生徒の腕を思わずパッと掴み、慌ててその手を制止する。
それから、しっかりと状態を確かめるために手元へと引き寄せ、包丁の入れ具合や断面を入念に確認するのだった。
「……ここ、まだ全然みずみずしくて綺麗に残っとる。これならまだ全然使えますよ。これ、うちに任せてもらってもえぇですか?」
すでに傷んで硬くなった外葉や芯を「使い物にならないゴミ」として処分しようとしていた生徒は、突然そう言い出したティファにきょとんと目を丸くする。
さらに、魔冷庫から戻ってきたカミラも、手元に掲げられたキャベツの芯を見つめながら、一体何を考えているのかと、どこか怪訝で戸惑ったような表情をティファへと向けるのだった。
「あ、あのティファ……。これ何に使うの?」
カミラの目からしてもどう見てもこれ以上は使い道のない生ゴミ、あるいは捨てられるだけの端材にしか見えないそれを、いかにも宝物のように大切そうに抱えているうちに。
そのあまりに常軌を逸した、いや、プロの現場でも見慣れない光景に、カミラは引きつった笑みを浮かべながら、どこか得体の知れないものを見るような、わずかな嫌悪感と戸惑いが入り混じった視線を向けるのだった。
「カミラ先輩。このキャベツの屑……いや、端材を、細かく”千切り”にできますか?」
うちは廃棄されるはずだったキャベツの塊を手際よくまな板の上にドンと置き、不思議そうに首を傾げているカミラへと鋭く、けれど穏やかな視線を向ける。
「えっ? あ、あの……ごめんなさい。その、”千切り”って……どういう切り方のこと……?」
カミラは困惑したように小首をかしげ、何度もまばたきを繰り返す。
その反応を目の当たりにした瞬間、うちはハッと息を呑む。
なるほど、この世界では呼び方が違うのか。
もしかすると野菜の切り方そのものに国や地域ごとの歴史や文化の違いがあるのかもしれないな、と。
「えっとですね……こうやって、葉の厚みをだいたい同じくらいの大きさに揃え重ねてから、包丁をスライドさせるように細く細かく切っていくんです。これを”千切り”って言うんですよ」
うちはそう説明しながら、廃棄されかけていたキャベツの葉や柔らかい芯の部分をテキパキとまな板の上に並べる。
そして、包丁の刃先をリズミカルに走らせ、まるで絹糸のように均一で美しい細切りを次々と作り上げていくのだった。
「……ほぁぁ」
ただの廃棄寸前の端材だったはずのキャベツが、ティファの軽快な包丁さばき一つで、驚くほど均一で美しい薄切りへと変わっていく。
その職人芸の領域に達した手際に見惚れながら、カミラは思わずといった様子で間抜けな感嘆の声を漏らし、うっとりと見入ってしまうのだった。
「生徒に出すものではないし、賄いなんで時間はかかっても大丈夫だと思います。こんな感じで薄切りの細切りにしてもらっても大丈夫ですか?」
カミラに優しく微笑みながら作業を預けると、うちは再び厨房の奥へと向き直り、大型の魔冷庫へと歩み寄って冷気を纏う扉を引く。
中には厳重に管理された高級食材が並んでおり、うちはそのストックを丹念に吟味しはじめるのだった。
「あの、この魔冷庫に入っとるグラスランドチキンの卵、今日の賄いで使わせてもろても大丈夫ですか?」
作業の手を休めずに通り過ぎようとする先輩の背中に向け、うちは食材の勝手な使用を避けるための確認として、ハキハキとした声で丁寧に尋ねるのだった。
「グラスランドチキンの卵?いいよ、いいよ。あるだけ使いな!」
まるで面倒な仕事や細々とした確認を早く終わらせたいとばかりに、声をかけられた先輩は振り返りもせず、片手をひらひらと適当に振ってそう答えるのだった。
「ふむ……。ありがとうございます!」
その先輩のどこか投げやりにも聞こえる雑な返答に対し、うちは顎に手を添えて一瞬だけ思案する。
だが、これだけの食材を快く使わせてくれるのであれば文句なしと判断し、忙しそうに去っていくその背中に向けて、ハキハキとした明るい声で礼を述べる。
うちはグラスランドチキンの卵を数個手に取り、手際よく殻を割って、卵黄と白身を2つのボウルへと綺麗に割り分けていく。
卵黄に分けたボウルにレモン果汁と塩を少々(1/4〜1/3)程度を加え、特定の植物油を約200mlを、少量ずつ添加しながら混ぜ合わせ乳化させていく。
自家製マヨネーズの成否を分けるのは、ここからの工程だ。
油を一度にドバッと入れては絶対に乳化しない。
油の膜を細かく砕き、卵黄と一体化させるために、ほんのわずかな量ずつ継ぎ足しながら、絶えず手際よく混ぜ合わせなければならない。
左手でしっかりとボウルを支え、右手の泡立て器をどれほど激しく振っても、物理的な人力のスピードだけでは、理想的な乳化状態に到達するにはわずかに速度が足りない。
(これじゃあ、きれいに乳化する前に分離してしまう……!)
危機感を覚えたうちは、瞬時に思考を切り替える。
この世界には、元の世界にはなかった”魔力”がある。ならば、それを活かさない手はない。
うちは右手にピリリと魔力を込め手首の回転に集中させ、微細な魔力の渦を発生させながら、ボウルの中の液体を限界を超えた超高速の攪拌へと移行させる。
キメ細やかな乳化を促す魔力の微振動が、ボウルの中で黄金色の液体を美しく巻き込んでいく。
やがて、シャバシャバだった液体がとろりと濃厚な乳白色へと変わり、重みを持った絶妙な口当たりのペーストへと姿を変えた。
こうして、この異世界、クロフォード学園の厨房に、かつて誰も知らなかった禁断の万能調味料『マヨネーズ』が、鮮烈に誕生することになった。
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