〈第53話〉『腕章の意味』
クロフォード学園―――調理部門・早朝
早朝の厳しい自主練をいつもより少し早めに切り上げたうちは、シャワーで汗を流し、他科への初出向でちょっとした緊張と落ち着かないまま、商・技術科の管理棟にある調理部門の扉の前に立っていた。
「おはようございま~す……っと」
ずっしりと重い木製の両開き扉を押し開け、ひんやりとした朝の空気が残る厨房へと一歩足を踏み入れると、うちは少しだけ声を控えめに挨拶をした。
早朝の厨房は、数時間後に控える配膳や仕込みに向けた準備で全方位的に修羅場と化していた。
あまりの慌ただしさに、場違いなうちが入り込んでも、その存在に誰も気づく余裕すらなく、生徒達は湯気を上げる大鍋やまな板へと視線を釘付けにしたまま、文字通り見向きもしないのだった。
「あ!アッシュフィールド!」
圧倒的な熱気と喧騒に包まれた厨房の片隅で、中の様子を窺っていたうちに気付き、ハーヴィーが声をかけてくる。
うちをこの場へ引っ張り出すきっかけを作った張本人の1人、ハーヴィーが、調理師の衣装に身を包み、顔を輝かせながらこちらへ小走りに近づいてくるのだった。
「えぇと、本当にごめん! 早朝の仕込みは時間に追われてピリピリしてるから……。悪いんだけど、しばらくは邪魔にならないように隅で見学していてくれるかな? せっかく出向をお願いしておいて、こんな対応ですごく申し訳ないんだけど……!」
申し訳なさそうにそう早口でまくし立てるハーヴィー。
しかし、その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、厨房の奥から凄まじい怒号が飛んできた。
「――ハーヴィー! ぼさっと喋ってないで、とっととこっちの生地を伸ばさんか、ボケナス!!」
「ひっ、はいっ、今行きます先輩……っ!」
容赦ない鬼気迫る叱咤に、ハーヴィーは「わっ、やばい!」とばかりに青ざめ、慌てて怒号の飛び交う修羅場の中心へとUターンして走り去っていくのだった。
「……。剣術科の修練場とはまた毛色が違うが、これがこの部門の“戦場”じゃな……」
張り上げられる声と湯気が飛び交う慌ただしい光景を眺めながら、うちはフッと小さく息を吐き出す。
そして、邪魔にならないよう壁際にそっと背中を預け、腕を組んだ姿勢のまま、手際よく動き回る生徒たちの戦場を面白そうに観察し始めるのだった。
「前菜できた! 大皿に盛りつけてすぐ並べろ!」
「スープ、あっちの鍋空いたぞ! 急ぎで!」
「副菜の仕込み完了、テーブルの配置変えるから通して!」
「主菜の焼き上がり、少し押すかも! 焼き立てのパンならもういけるか!?」
剣の打ち合いとはまた違う、息つく暇もない過酷な時間との戦いを目の当たりにし、うちは壁際に張り付いたまま、あまりの手際の良さと熱量にぽかんと口を開けて呆然と立ち尽くす。
(教官は暇とか言っちょったが、なるほど、これはこれでえぇ経験になるな……)
これまで当たり前のように食堂のテーブルに並べられた料理を、ただ手にとって口に運んでいただけであった日々。
だが、その裏側に隠された凄まじい熱量と、生徒達の泥臭い奮闘の現場を目の当たりにしたうちの胸中は、今や深い感謝と、言い知れぬ感心の念で満たされていく。
「おい、誰だ! この下処理をしたのは……! 人参の細切りが全然太さがバラバラじゃねぇか、使い物にならんぞ!」
穏やかな空気を取り戻しかけていた厨房に、主席の腕章を付けた3年の先輩フィル・ラスキンが冷徹な怒声が厨房中に再び突き刺さる。
商・技術科の鍛冶部門、調理部門、魔道具部門の首席選別は、魔術科や剣術科とは違い、1年生~3年生の中からより才能のあるものが選別される。
「す、すいませんっ! それ、私です……!今すぐ切り直します!」
ビクリと肩を大きく跳ねさせた2年生の女子生徒が、血の気の引いた顔で慌てて手を挙げ、そのまま早足で先輩の元へと駆け寄り、頭を下げ新たな人参の束を用意し処理をし始める。
「……」
張り詰めた空気が漂うその女生徒の立つ場所へと、うちは静かに歩み寄るのだった。
「細切りにすればえぇんですか?」
すっとその女子生徒の隣に並び立ちながら、うちは自然な所作で近くの調理台に置かれていた予備の包丁を一本手に取る。
「えっ……?あ、う、うん……そうだけど」
女子生徒がうちの突然の行動に、戸惑いと驚きで目を丸くした。
「おい!素人が包丁を持つんじゃない!」
場違いな部外者の介入に気づいたフィルが、鋭い怒気を孕んだ視線をこちらへと向け、容赦ない一喝を飛ばしてくる。
「だまれええぇぇぇ!!」
厨房の空気を一瞬で凍りつかせるほどの気迫で、うちは怒号を飛ばしたフィルに負けず劣らず、腹の底から凄まじい大声を張り上げ、厨房中の視線がうち達に集まる。
フィルもまさか言い返されるとは思っていなかったようで、戸惑いながらうちから一歩後退る。
「一番時間を食っちょるのはアンタの無駄な怒鳴り声じゃ!!その左腕に付けちょる腕章は、怒鳴り散らす権利のモノじゃない!飾りで付けちょるだけじゃったら今すぐ外せ!『腕章の意味』を履き違えるな!時間がないっちゅうなら他の生徒を手伝うくらいの気遣いくらい見せろ!ボケがっ!!」
フィルを一括したうちは、そのままの勢いでぴたりと手を止め、こちらを呆然と見つめていた周囲の生徒達へと鋭い視線を巡らせる。
「アンタ等もいつまで手を止めちょるんじゃ!朝の早い生徒やら教官はそろそろ来始める時間じゃろが!手ぇ動かせ!手を止めちょる奴が時間がないとか言い訳をするな!!」
その言葉でハッとした周囲は止まっていた手を大急ぎで動かし始め、うちと女生徒もそれ以上フィルには構わず細切りの下処理を始める。
「……くっ!」
他科の生徒にすっかり厨房の主導権を握られ、完璧な正論でやり込められたフィルは、唇を噛み締めながら悔しげな表情で地面に視線を落とす。
「そこまでだな、フィル。今回はお前の負けだよ。おとなしく手の回ってないやつのフォローをしに行け」
ピリついた空気が漂う中、厨房の隅で静かに様子を観察していた総料理長であり部門長のトルーマンが、大柄な体を揺らしながらゆっくりと歩み寄り、フィルの肩をポンと軽く叩いて宥める。
数時間後―――
「はっ、はっ……ふぅ。ティファありがとう、助かったよ! 朝のビュッフェ料理が各テーブルに並び終わるまでは、まぁ。毎日こんな感じで戦争みたいなのさ……あはは。でも、フィル先輩と言い争うところは焦ったけどね……」
額に滲んだ汗を手の甲で乱暴に拭いながら、ハーヴィーはやっとの思いで息を整え、ぐったりとした足取りでうちと女生徒の方へと歩み寄ってくるのだった。
「お疲れ様。いやぁ、そっか……これがうち等が普段の食べちょる、食堂の裏側の”真実”なんじゃな……」
先ほどまでの修羅場が嘘のように、ようやく落ち着きを取り戻し始めた厨房の一角。
せわしなく動き回る生徒たちの背中を見つめながら、うちはしみじみと呟いた。
「あの、私の方も本当にありがとう。あのまま1人だったら、絶対に間に合わなかったよ。あ、私、2年のカミラ、カミラ・シーウェル。よろしくね」
先ほどまで怯えていたのが嘘のように、彼女はほっと柔らかく頬を緩めながら、真っ直ぐに右手を差し出してくる。
「うちはティファ。ティファニア・アッシュフィールドじゃ。こちらこそ、よろしく、カミラ先輩」
うちはその手を取りカミラに倣い自己紹介に対しその差し出された小さな手のひらに込められた熱を感じ取りながら、うちは自分の右手をしっかりと重ね合わせ、笑い返す。
剣の修練とはまた違う、時間と手際との過酷な戦い。
朝からあんな凄まじい熱量と緻密な連携の果てに、学園内の生徒は美味しい食事にありつけていたのだと肌で知った今、目の前に並ぶ料理へのありがたみが、これまでとは比べ物にならないほど深く胸に染み入るのだった。
「それにしても、思った以上に修羅場なんじゃな……。みんなよぉ頑張るわ」
「はははっ、俺達にとって美味しいっていう人の顔を見れることが、嬉しかったりするからさ。なんて、綺麗ごと過ぎるか……」
息を切らせながら照れくさそうに笑いながら自身の赤くなった首元を軽く掻く、謙虚なハーヴィーの横顔を、うちは少しだけ驚いたような、それでいてどこか感心したような瞳で見上げる。
汗にまみれ、先輩から怒号を浴びせられながらも、彼がただの雑用としてではなく、自分の仕事に確かな誇りと喜びを見出していること。
そのまっすぐな姿勢は、日々研鑽を重ねるうち達剣士のそれと、本質的に何ら変わらないように思えた。
「――そんなことないじゃろ」
毎朝の過酷な修羅場を乗り越え、学園中の生徒達の腹と心を満たしている彼らの背中に、うちは自然と頭が下がる思いを抱く。
剣で切り結ぶわけがなくとも、ここで鍋や包丁を振るう彼らもまた、己の道で気高く戦っているのだ。
そう思い知った今、うち達剣士やその他の兵科への強さの根源、そのすべてが彼らの作る確かな“食”という土台に支えられているという事実を前にして、調理部門を見るうちの目は、いつの間にかすっかり敬意の色へと染まっていた。
いつも稚拙な文章ですが、ブックマーク、いいね!よろしくお願いします。
更新頻度が遅いですが執筆の励みになっております。
誤字報告、感想もお待ちしております。




