〈第52話〉『ひと時の暇』
クロフォード学園―――食堂・朝・一般喫食席
「はああぁぁぁ……」
特注の木剣の手続きを済ませた翌日。
ファーガスを介して手渡された予定表には、非情にも「通常の倍以上」という納期が記されていた。
うちは皿の上で湯気を上げる朝食に手を付けることすら忘れ、目の前のテーブルに突っ伏したい衝動をぐっと堪えながら、盛大な溜息を吐き出した。
「え……? 何? 昨日と全然テンションが違うんだけど……」
先日に引き続き、ぐったりと項垂れているうちの姿を見たエリノアが、昨日までの浮かれた様子からは信じられないほどの凄まじい落差に、目を白黒させながら戸惑いの視線を向けてきた。
「て、ティファ?どうしたの?気分悪い?」
ミリアはうちから発せられる尋常ではない絶望感を敏感に察し、心配の色を濃くした瞳を向けながら、うちの肩を優しく、しかし不安そうに大きく揺さぶってきた。
「うっ……。気分が悪いんじゃなくて、納期が、発注した木剣の納期が、あまりにも長すぎて……」
ミリアにガタガタと揺さぶられながら、うちは魂の抜けたように、かろうじて掠れた声を絞り出した。
「ち、ちなみにさ……。納期っていつ……なの?」
深い闇を背負うかのように顔を俯けたまま嘆くうちの様子に、何かとんでもない地雷を踏んでしまったのではないかと察したのか、エリノアは冷や汗を拭いながら、恐る恐るその予定日を尋ねてきた。
「……早くて、2週間後……」
エリノアの方へ顔を向ける気力すら湧かず、うちは冷え切ったテーブルに両腕を投げ出して突っ伏したまま、力なく呟いた。
「あ……。あぁ、そう、なんだぁ……」
すっかり機嫌を損ねてしまったうちの地雷を完全に踏み抜いたと悟ったのか、エリノアは冷たい汗をハラハラと流しながら視線を盛大に泳がせ、何とかこの気まずい空気を打破しようと周囲へと必死に助けを求めた。
「そ、それにしても、に、2週間ですか……。が、学園の職人さんはう、腕のいい方達だと聞いていましたけど、やっぱりそれだけ長引くものなんです……ね……。あ、あはは……」
シンシアはおたおたと落ち着かない様子で完全に気まずそうにしながら、通常の倍以上という異例の納期の理由を、恐る恐る探るように尋ねてきた。
だがその隣で、ヴィオラだけは相変わらず周囲の空気など我関せずとばかりに、こっくりこっくりと眠たそうに大きな舟を漕ぎ続けていた。
「魔石の在庫がないんじゃって……。そんなん、2週間も何すればえぇんじゃ……。はあああぁぁぁ……」
うちはもうダメだとばかりにテーブルへと力なく顔面から突っ伏し、その丸まった背中全体でこの世の終わりのような絶望を存分に表現しながら、本日2度目となる盛大な溜息を盛大に吐き散らした。
「あーもう、うるさいわねっ! ないものねだりしたって、時間がかかるものはしょうがないでしょ! このバカ!」
先日の鍛冶部門でのやり取りを最初から最後まで、もっと言うならうちの新し木剣のデザインを手伝ってくれ見届けていたエルザが、いい加減にしろと言わばかりにテーブルを盛大にバァンと叩き、いつまでもジメジメとうじうじ引きずる私に向かって、容赦ない一喝を浴びせかけてきた。
「で、でもぉ……。2週間も剣を握れんって思うと……。って、バカはさすがに言い過ぎじゃろ……!!」
ぐったりと頬を冷たいテーブルに預けたまま、うちは半泣きになりながらエルザへと不服そうにボソボソと言い返した。
しかし、呆れ果てたようにエルザから向けられる冷ややかな視線と、ミリア達の「まあ、エルザの言う通りかもしれないね……」という苦笑交じりの頷きを見て、完全に四面楚歌であることを悟る。
私はなおも納得がいかないとばかりにテーブルの端を指先でカリカリと引っ掻き、潤んだ瞳に涙声を滲ませながら、やり場のない鬱憤を小声でネチネチとぼやき続けるのだった。
「ねぇ!今の話って本当!?アッシュフィールドが手すきになるって話!!」
ちょうど食後のトレーを手に持ち、下膳口へ向かおうと近くを通りかかった他クラスの生徒が、うち達の会話の端々を聞きつけて驚愕の色を浮かべながら、いきなりグイッとうち達のテーブルを覗き込んできた。
突如として割って入ってきたその必死すぎる面持ちに、うちはテーブルからとろりとゾンビのような顔を上げ、声をかけてきた生徒へと怪訝な視線を向ける。
それに釣られるように、うちの周囲にいたエリノアやエルザ達グループの面々も、一斉にその生徒へと怪訝そうな視線を集中させた。
「あ、急に声をかけてごめん! で、でもさ、覚えてない!? 俺、商・技術科・“調理部門”のハーヴィー・ロイルって言うんだけどさ……!あ!俺もみんなと一緒で1年!ほら、あの……エルザ様を連れてきたときに厨房に案内した生徒!」
急にまくし立てるように話し出したその男子生徒に、うちは一瞬「ん?」と首を傾げた。
部屋に引き籠っていたエルザを無理やり引っ張り出し、特製のハンバーグに舌鼓を打ったあの日のこと。
そういえばあの時、ろくに自己紹介も交わさぬまま、食堂を開けていてくれと伝えただけだったにもかかわらず、話とは違う厨房へ押し入り。
突然の乱入に目を白黒させながらも、うち達を快く受け入れてくれた、あの時の生徒だ。私は彼の顔をじっと凝視し、記憶の糸を手繰り寄せながらようやく思い出したのだった。
「あぁ! あの時の! その節は世話になったな!」
すっかり思い出した瞬間、うちは先ほどまでの陰鬱さが嘘のように表情を明るくさせ、当時締めの業務であんなに慌ただしく厨房へ通してくれた恩義に感謝を込め、軽く頭を垂れてみせた。
「いやいや、お世話になったのはこっちこそだよ! あの日はイレギュラーで焼き立てパンにもありつけたし、うまいものも食べられたんだからお互い様だろ!」
頭を下げる私の前にハーヴィーは一歩進み出ると、「そんな、頭上げてくれよ!」とばかりに両手を激しく横にブンブンと振って、大げさに恐縮してみせた。
「それでさ! さっき通りすがりに聞こえてきたんだけど……あ、あぁごめん! 決して悪気があって盗み聞きしてたわけじゃないんだ! ええっと、アッシュフィールドはこれから2週間ほど、剣の修練ができなくて手すき……というか、ぽっかり時間が空いちゃう感じなのかな? だったらさ、その期間限定でいいから、うちの“調理部門”に顔を出して手伝ってくれないか!? みんな、あの時振る舞ってもらった味の感動がどうしても忘れられなくてさぁ!」
ハーヴィーの必死すぎる頼みに対し、うちはその突拍子もない提案の意味を反芻するように周囲の友人たちの顔を順々に見回し、それから再びハーヴィーへと視線を戻した。
うちはスッと顎に手を当て、手元に木剣がない場合の自身のスケジュールと、これからの修練内容を脳内でざっと組み立ててみる。
まず、早朝の走り込みによる基礎走力の維持。
次に、剣が使えない分を補うための体幹トレーニングと基礎筋力の強化。
そして、首席としての責任である学内生徒への指導。
こうして脳内で書き出していけば他にも細々とした用事はいくらでも出てきそうだが、肝心の木剣を使った打ち込みや実戦形式の鍛錬ができずとも、このあたりの基礎メニューであれば普段のルーティン通りに問題なくこなせそうだ。
「ん~、新しい木剣が届くまでは剣術の稽古は行えんが、うちも首席じゃからなぁ……。他科の応援に回る余裕が全くないわけではないが、でもなんでそんなことをわざわざ聞いてくるんじゃ?」
ハーヴィーの熱を帯びた視線とあまりに唐突な提案に、うちは戸惑いと警戒の色をにじませながら小首を傾げ、その真意を問い返すのだった。
「えっとさ、あの日、アッシュフィールドが作った、……えぇっと、ハンブルグ?だっけ、あ、ハンバーグか。そのレシピを詳しく教えてほしくてさ……。調理部門じゃ、君が思っている以上にみんな大絶賛だったんだよ! だから他に美味しいレシピとかももしあれば、それも……教えてほしいなと思ってさ」
ハーヴィーは声をかけた理由を包み隠さず、真剣な瞳でまっすぐにうちに伝えてきた。
しかし、うちが腕を組んで難しそうに考え込み始めた様子を見て、「うわ、やっぱり突然で迷惑だったか……」と察したのか、彼の顔にはみるみるうちに「あぁ、やっぱり無理かな……」という気まずさと盛大な落胆の色が浮かび上がってきていた。
「しょ、食事中に邪魔してごめん。それじゃ俺達は行くよ」
剣術科の首席といううちの立場や、科を跨いだ異例の出向という現実的なハードルを考えれば、これ以上図々しく食い下がるわけにもいかないと悟ったのだろう。
そう判断したハーヴィーは、気まずそうにバツが悪そうな苦笑いを浮かべると、これ以上迷惑をかけまいと踵を返し、その場からすごすごと引き下がろうとした。
「あ、ちょっと待って!」
静かにそのやり取りを見守っていたミリアが、音もなく椅子からスッと立ち上がり、まさに去り際だったハーヴィーの背中へと声をかけた。
ミリアの突然の呼び止めに、ハーヴィーは「え?」と驚いたようにピタリと足を止め、ゆっくりと振り返った。
「いいよ!いいよっ!!ティファならいつでも貸し出すよ!」
「お前はうちの教官か!! うちを勝手に他科へレンタル品みたいに差し出すな!」
ミリアの予想の斜め上をぶっちぎる爆弾発言に、うちは思わず椅子からひっくり返りそうになりながら慌てて身を乗り出し、ふざけた笑みを浮かべるミリアの後頭部を躊躇なく強めに引っ叩いて、全力のツッコミを叩き込んだ。
「いたっ!? なんでよ、せっかくの提案じゃない! それに、ティファが調理部門に出向している間はおいしい料理を食べられるってことでしょ!?」
「自分の底なしの食い気のために、うちを調理科に売り渡すんか!?お前は!!」
幼馴染の身を自分の胃袋の満足度と天秤にかけるミリアのあまりに堂々とした暴論に、私は頭を抱えながら、呆れと怒りが入り混じった激しいツッコミを浴びせかけるのだった。
「やることはあるが。教官への相談次第じゃ!うちも”調理部門”に顔を出せるかもしれんから、まず、教官を通してくれ!」
うちがそう付け加えると、それを聞いたハーヴィーの表情は、先ほどまでの表情の曇りが嘘のように明るく輝き出した。
「じゃあ!教官同志の交渉さえまとまれば、アッシュフィールドは期間限定で”調理部門”に来てくれるんだな!?」
剣術科の責任者と調理部門の交渉さえつけば、うちが本当にあの厨房へとやって来てくれる、そう確信したのか、ハーヴィーはまるで「言ってみるものだな!」と思っているかのように嬉しそうに目を輝かせ、ぐっと両手を握りしめた。
「ま、まぁ。そうじぇね、実質走り込みと筋トレは早朝と修練後の時間でなんとでもなるからのぅ。教官と話しをしてどっちになったか教えてくれれば、うちは”調理部門”への出向でもえぇよ」
うちが肩をすくめながらそう告げると、ハーヴィーは「本当か!?」とばかりに目を丸くし、嬉しさのあまり勢いよく身を乗り出して、ブンブンと力強く何度も首を縦に振ってみせるのだった。
「そ、それじゃ。あとは教官と部門長同士の話し合いで決まるってことで……!」
思わぬ好条件を引き出せたことに納得したような、それでいてミリアの暴走、どこか引きつった愛嬌のある笑みを浮かべながら、ハーヴィー達は食後トレイを下膳口にガチャリと片付け、これ以上話をややこしくしまいとばかりに、足早に厨房の奥へと去っていこうとするのだった。
「――って、こら、おいっ! どこ行こうとしとるんじゃ、まだ話は終わっとらんぞ!」
慌ててその場で腰を浮かせ、ハーヴィーの去り行く背中に向かって、うちは盛大にツッコミを飛ばす。
しかし、自分の目論見が上手くいったことで頭がいっぱいなのだろうか、私の制止の叫びは学園食堂の喧騒にかき消されたのか、ハーヴィーは「ふふーん」とでも言いたげな軽快な足取りで、そのまま厨房の奥へと勢いよく姿を消してしまうのだった。
昼食後―――
慌ただしい食堂での一幕からしばらくして、午後の稽古へと戻った私を待ち受けていたのは、さらなる青天の霹靂だった。
剣術手練場に足を踏み入れた途端、1年剣術科の教官であるオーガスト・アルドリットから不意に言い渡されたのだ。
「おい、アッシュフィールド。例のお前の特注木剣が納品されるまでの当面の間、貴様は一時的に”調理部門”へ出向せよ」
寝耳に水の人事に、私はあまりの急展開と部門を跨いだ奇妙な命令にその場で呆気にとられ、しばらく言葉を失うしかなかった。
しかし、当のオーガスト本人は、愛想のないしかめ面を崩さないまま、どこかやれやれといった調子でこう付け加えた。
曰く、いつも隙あらば剣を振るっているうちのような者であっても、たまにはこうして強制的にでも剣から離れ、息抜きと称した『ひと時の暇』でも過ごしてくればいい――と、彼なりの不器用な気遣いや思惑がそこにはあったらしい。
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