〈第51話〉『才能への投資』
クロフォード学園―――学園長室・ティファの木剣発注の翌日
学園長であるアレクシスは、執務机に腰掛け、商・技術科・鍛冶部門から先ほど上がってきたばかりのティファの発注書に静かに視線を落としていた。
それもそのはず、今回のティファの木剣にかかる費用は、クロフォード家が全額出資するという約束になっていた。
だからこそ、決裁者であるアレクシスの元へとこの発注書が回ってきたのだ。
「ランノック金貨25枚と銀貨5枚か……」
本来の木剣の発注書であれば、本体の素材費と技術費、予定納期そして木剣の図面が添付されるだけで事足りる。
だが、手元にあるティファの発注書には、それらに加えて「特殊素材欄」が設けられており、そこにはっきりと”低級魔石加工費”と書き記されていた。
もっとも、”魔道具部門”の書類であればごく当たり前に並ぶ項目であり、アレクシスにとっても決して目新しいものではない。
だが、こと「木剣」の発注書においてその文字を見るのは、彼の記憶の限りでは初めてのことだった。
「ふむ、わりと安く済んだ……のか?」
アレクシスは苦笑を噛み殺しながら椅子に深く腰掛け、ふぅと息を吐き出すように全体重を背もたれに預けた。
「全額出資すると言ったが、さて……。クラウスには何と言ったものか……」
アレクシスは隠居した身であり、現クロフォード家当主はクラウスだ。
当主を通さず個人の裁量で全額出資を決めてしまった手前、あとでどんな小言を飛ばされるか、想像に難くなかった。
コンッコンッ―――
「開いている。入ってきなさい」
ふと、思考を断ち切るように学園長室の扉が小さくノックされ、アレクシスは書類から目を離さずに声を張った。
その許可を合図に、重厚な扉が静かに開き、1人の人物が足音を響かせて部屋へと入ってくる。
「クラウスか。今日は何用かな?」
書類から顔を上げ、机の前に立つ孫の姿を認めるなり、アレクシスはどこか探るような視線を向けた。
「昨日ちょっとした噂を聞いたもので……」
クラウスから返ってきた言葉を聞いた瞬間、アレクシスは(やはりその件で来たか……)と、内心で深々と溜息を吐き、噂の出どころはレオスだろうと予想した。
「噂……?」
アレクシスはあからさまに首を傾げ、噂の内容を知らないと言わんばかりにしらを切ってみせる。
「はぁ……。隠さなくて大丈夫です。もうアッシュフィールドの発注書はそちらに上がってきているのでしょう?」
呆れを含んだ息を吐き出され、アレクシスはどこか観念したように肩をすくめた。
「やれやれ、耳が早いな」と呟きながら、目の前にあった一枚の紙をヒラリと持ち上げ、クラウスへと差し出す。
「拝見します」
恭しく一礼して書類を受け取ったクラウスが、そこに記された数字と文字に視線を走らせる。
アレクシスは、孫の微小な表情の変化すら見逃さぬよう、じっとその横顔を観察し続けた。
「アッシュフィールドは、思ったよりもかなり少額に収めましたね……」
予想外すぎる穏やかな呟きに、アレクシスは思わず「は?」と間抜けな声を漏らしそうになり、慌てて大きく目を丸くした。
「どうされました?俺の反応がそんなにも意外でしたか?」
図星を突かれたアレクシスは、わずかに気まずそうに目を泳がせた。
「まぁそれは……な」
どこかからかわれるようなクラウスの視線を受け、アレクシスは歯切れの悪い返答を返すのがやっとだった。
「それにしても……。なんだ、この見慣れない剣の形は……」
クラウスは腕組みをし、書類に添付された設計図、ティファが描き下ろした、緩やかな反りを持つ日本刀特有のデザインの木剣を険しい目で見据え、ぽつりと独り言を漏らした。
「普段なら技術育成費として技術料が相殺されて、あの部門の技術欄の請求はほとんどタダ同然になるはずだが……これには随分といい手間賃が乗っかっているな」
書類に記された数字に視線を留め、クラウスは興味深そうな表情を浮かべる。
「鍛冶部門がそこまで言い値を弾むということは、この”反り”を鉄鋼樹で再現するのは、生徒の育成枠を超えてよほど骨が折れる代物であるという部門長の判断、ということですか……」
クラウスの鋭い見解に、アレクシスはまさにその通りだと言わんばかりに深く頷き返した。
「しかし、特殊素材が”低級魔石”ですか。アッシュフィールドは遠慮深いというか、もっと振り切った代物を注文してくれば面白かったのですが……」
「は……? なにを言っている!?」
クラウスのあまりにぶっ飛んだ呟きに、アレクシスは思わず素っ頓狂な声を漏らし、愕然と目を剥いた。
それもそのはず、貴族であるクラウスやアレクシスの感覚からすれば、今回の出費など当主の裁量でどうにでもなる端金にすぎない。
だが、平民出身であるティファの経済感覚や、一般の生徒たちの基準に照らし合わせれば、到底無視できない高額な買い物に違いなかった。
それを当の現当主の口から「もっと振り切った代物を注文してくれば面白かった」などと平然と言われては、前々当主であるアレクシスとしても開いた口が塞がらなかった。
「ん?この発注、えらく納期が長いですね……。特注品であっても、通常なら一週間もあれば仕上がるはずですが」
書類の下部に目を走らせたクラウスは、標準的な納期の倍以上に設定された期間に気づき、わずかに首を傾げた。
「ルーサム部門長に聞いたが、今”低級魔石”をドゥーウェルに発注中だそうだ」
アレクシスがカップのコーヒーを啜りながら説明を挟むと、クラウスは「なるほど、それでこの納期ですか……」と、ようやく納得したように静かに頷いた。
「ともあれ、在庫を切らせているのがあくまで“低級魔石”なのでしょう? なら、わざわざ入荷を待たずとも、この発注書の「特殊素材欄」を“高級魔石”に書き換えてしまえばよいではないですか」
「な、なに……ッ!?ゴホッ!ゴホォッ!お前正気で言っているのか!?」
まさに常軌を逸した金額を度外視する提案を、涼しい顔で平然と口にする孫を見て、アレクシスは思わず飲んでいたコーヒーを喉に詰まらせた。
彼は激しく咳き込みながら、慌ててカップを机に置く。
「いくら我が家の全額出資とはいえ! 魔石の等級が上がればどれだけ相場が変わると思っている。そんな真似をすれば、彼女の希望する木剣1本の価格は軽く金貨50枚を超えるぞ!」
怒気と呆れが入り混じった祖父の指摘を浴びてもなお、クラウスは微塵も動じない。
「元々はおじいさまが言い出した事です」
痛いところを突かれ、アレクシスは「うっ……」と息を漏らし、気まずそうな表情をする。
だが、クラウスはそこで引くことなく、さらに真摯な声音で言葉を続けた。
「それに、彼女の才能に見合う木剣を作るには、”低級魔石”ではいずれ器の限界を迎えます。あれほどの逸材の可能性を中途半端な素材で縛るわけにはいかない……。これは、実際に刃を交え、その底知れなさを肌で味わった俺の意見です」
その言葉には、私情や単なる気紛れではなく、武芸者として、そして一族の当主としての揺るぎない確信が宿っていた。
「……。そうか。お前がそこまで言うなら、もはや私から異議はないさ」
アレクシスは諦めたように肩をすくめ、小さく息を吐いた。だが、その表情にはすぐに引き締まった色合いが戻る。
「だがな、クラウス。国政の場でこの特注品の一件が蒸し返される可能性について、十分に覚悟しておけよ?」
公爵家という巨大な権力と特権は、畢竟国民からの税と信認の上に成り立っている。
それを次代の育成や公的な学園の枠を超えて、一人の平民生徒への私的な過剰投資と見なされれば、国政の場に置ける敵対派閥格好の議題を与えることと同義になる。
「それも承知の上ですよ。ですが、これは『才能への投資』です。才能ある者へ投資し、王国のために育てるのも公爵家の義務です」
堂々と胸を張るクラウスの返答を聞き、アレクシスは胸が熱くなるのを覚えた。
かつての頑なさは影を潜め、ティファとの【決闘】を経て、孫が当主として、そして一人の武芸者として確かな変貌を遂げている。
その頼もしい姿を目の当たりにし、アレクシスは深い感慨とともに、静かに頷くのだった。
「それでは、この「特殊素材欄」は”高級魔石”にか書き換えて俺から再発注をかけます。鍛冶部門にもこちらから釘を刺しておきますが……この件は、アッシュフィールド本人には秘密にしておいてください」
クラウスのその発言に、アレクシスは思わず怪訝に首を傾げた。
「秘密に? いったいなぜだ。自分の使う木剣の素材が跳ね上がると知れば、あいつも喜ぶか、あるいは驚くだろうに」
「あいつの性格上、莫大な恩義を感じて必要以上に気負ってしまう可能性があります。「こんな高価なものは使えない」とでも言いだされれば本末転倒。純粋に武の極みを目指してほしい彼女にとって、過度な負い目は足枷になりかねませんからね」
静かに微笑む孫の気遣いに、アレクシスはなるほどと納得するように深く頷くのだった。
「しかし、アッシュフィールドは双剣ですのでね。必要な素材も倍、すなわち金額は軽く金貨100枚を超えます。つきましては、その半額、お爺様の私財、もとい老後資金からの手厚いご支援をお願いします」
「な、なにっ……!?」
クラウスの微塵も容赦のない悪魔的な提案に、アレクシスは絶望的な悲鳴を上げるのだった。
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