番外編③『公爵家としての決意』
クロフォード邸―――エリック私室
ウィンシャート領からの帰り道、エスペリオの町で一泊し銀髪の少女と出会った事件から数日後、クラウスは当主である父エリック・クロフォードの私室に呼び出されていた。
重厚で豪華な装飾のされた木製の扉が、まるで2人の間に横たわる重苦しい空気を代弁するかのように、静かに重く閉ざされていた。
室内に漂うのは、使い古された羊皮紙特有の乾いた匂いだ。
部屋の奥に据えられた、黒檀製の豪奢な執務机。
その向こう側、クロフォード家当主の重圧を纏うエリックが深く腰掛け、重々しい双眸をこちらに向けている。
「どうだった?ウィルフレッドとの対談は?」
病床に伏すエリックに代わり、碧の公爵ことウィルフレッド・ウィンシャートとの対談を任された、まだ8歳のクラウス。
その鋭い眼光が、少年の小さな胸の内を探るようにじっと射貫いてくる。
「はい。とても有意義な時間でございました。このような機会をくださり父上には感謝しかありません」
それは、帰りの竜車の中で対談に同席したクロフォード家執事である、ロバート・ルドマンから問われた感想とは、完全に真逆の答えだった。
「そうか……。まぁこの際ウィルフレッドとの対談はどうでもいい。どうせいつもの独り善がりの話だろうからな。今お前をここに呼んだのは他にある……」
エリックが冷めた視線を脇に控えて居るロバートに一瞬向ける。
その容赦のない威圧感を肌で感じ取り、ロバートはぴくりと背筋を硬く張り詰めた。
「はい。なんでしょうか?」
呼ばれた用件に心当たりはあったが、クラウスはあえてとぼけた返答をした。
「エスペリオでの噂は私の耳にもすでに届いている。なぜ不敬な者達に処罰を与えなかった?」
「……」
その問いにクラウスは一瞬俯く。
「……。父上は不敬な者とおっしゃいましたが、その者達はエルザと変わらぬ歳の子供。そのよう相手に我が公爵家に仕える騎士の剣を汚さぬためです」
「……。そうか」
エリックが椅子から立ち上がりクラウスの目の前に移動する。
――パァンッ!
乾いた平手打ちの音が私室の空気を切り裂いた。
エリックが容赦なく振るった手は、まだ8歳のクラウスの頬を激しく打ち据える。
衝撃に顔を弾かれたクラウスの頬は瞬く間に紅潮し、切れた唇の端からは一筋の赤い血が鮮烈に流れ落ちる。
「バカ者が!子供であろうとも不敬者に処罰を与えずして公爵家の威厳が保たれると思っているのか!!」
クラウスの口から飛び出した、クロフォード家次期当主としてあまりに甘く、あるまじき答え。
その不甲斐なさと失望に、エリックの怒りは沸点を突破した。
だが、唇から流れる血を拭おうともせず、クラウスは幼い双眸に強い光を宿したまま、容赦ない怒気を放ち自分と思想の違う父をまっすぐに見据えた。
「なんだ!その眼は!お前はクロフォード家次期当主であり!次期剣聖と期待されているのだ……ッッ!!ガァッ!ゴホォ!ゴホォッ!」
激情のあまり感情が高ぶりすぎたエリックは、病に蝕まれた身体に無理がたたり、その場に膝をつき崩れ落ち激しく咳き込んでしまう。
そんなエリックをクラウスはどこか冷めた表情で見つめていた。
恐怖や敬愛ではない、冷徹なまでの幼いながらにしてクラウスの観察眼。
絶対的な力と恐怖でしか他者を統べることのできない、他の公爵家と同じこの男の限界を幼い少年はもう見抜いていた。
「……お身体にお障りでは、父上」
侮蔑の色すら帯びたその淡々とした声が、激しく咳き込むエリックの耳を容赦なく打つ。
「触るなっ!!」
自分に向けられる慈悲とも憐れみともつかないその手を払いのけるように、エリックは血走った目を剥き、そのままクラウスの胸ぐらを激しく掴みかかった。
「いいかクラウス!よく聞け!お前は栄誉ある赤の公爵家、クロフォードに生を受けたのだ!そんなお前が、他の公爵!国民!村民から舐められる存在になってはいかんのだ!!」
「そ、それはわかっております」
鬼気迫る剣幕でまくし立てるエリックの狂気に、クラウスはわずかに息を呑む。
「ならば甘さを捨てろ!これはエルザに対してもだ!爵家として”色無し”という不名誉な結果を残した妹を何時までも庇い続けるな!血の繋がった妹でも”結果を残せない”者は切り捨てろ!!」
エリックの突きつけた「結果がすべて」という冷酷な論理。
それは、クラウスが心の中で否定し続けてきた、この爵家を縛る最大の歪みそのものだった。
だが、クラウスは表情を微動だにさせず、胸ぐらを掴むエリックの腕を静かに見据え唇を噛みしめたまま応じる。
「……御心のままに、父上」
自分に従順な言葉を口にしたクラウスに、エリックは満足したのか、未だに荒い息でクラウスの胸ぐらから手を放す。
「……ハァ、ハァッ……。もう……行け話は終わりだ……」
「はい……。父上、ご無理をなさらぬよう身体を休めてください」
エリックは荒い息を整えながら、そう言い残し部屋を去っていくクラウスの背中を見つめる。
「エリック様!大丈夫ですか!!」
クラウスの姿が去った室内で、今まで傍で2人のやり取りを見ていたロバートが、膝をついているエリックに駆け寄り身体を支える。
「ハァ、ハァ……、すまんなロバート。世話をかける……」
「エリック様!今すぐ寝室へ!身体を休めねば!!」
エリックはロバートに支えられ上体を起こす。
「ロバート……。私はアイツに……クラウスに、公爵家に染まる”嫌な親”として演じられただろうか……」
あえて憎まれ役に徹したエリックは、自分の行動が息子にどう映ったのか、反面教師としてでも伝わったのかと絞り出すように問いかける。
「クラウス様の心中は自分にもわかりません……。ですが、エリック様の演技は上出来でございました!」
先程までの熱が冷え切った私室の中、絞り出すような主君の問いに、ロバートは痛ましげに眉をひそめて支える手に力を込めた。
「そう……か。そうだな。だが、公爵家の思想に染まるか、自分の思想を貫くかは、今後のクラウス次第……」
息を切らせながらエリックが言葉をそこで区切る。
「エリック様!あなた様の思いは分かりました!とにかく今は!!」
「お前も聞いておけ……!もしクラウスが今抱いている自分の思想を貫ければそれが一番いい結果だ!だが、公爵家の思想に染まったなら、何時しかそれを正してくれる者が現れてくれることを信じている!」
病に苦しみながら言葉を紡ぐエリックにロバートは胸を締め付けられる。
「それは、どのような人物なのですか……?」
「フッ……。それは身分の壁すら覆す”真の剣聖の資質”を持った者だ」
そこまで語り、エリックは限界を迎え気を失ってしまう。
クロフォード邸―――長廊下
エリックの私室を後にしたクラウスは、父が遺した歪んだ公爵家の思想を頭の中でぐるぐると反芻しながら、クロフォード家の長い廊下を目的もなく歩いていた。
(結果がすべて……。弱者を切り捨て、圧倒的な力と圧力で統べる……それが、父上の導き出した当主のあり方か)
冷え切った石造りの廊下に、幼い少年の靴音だけが虚しく響く。
エリックの生き様は絶対的であり、赤の公爵家を背負う者としての呪縛そのものだった。
「お兄様!」
長い廊下を当てもなく歩いていると背中から自分を呼び止める声が聞こえる。
振り返ると妹・エルザの姿があった。
「エルザか……。どうした?」
先程までのエリックと交わした冷酷なやり取りや、頬に残るかすかな痛みを決して顔に出さないよう、クラウスは穏やかな笑みを浮かべながら妹に歩み寄る。
「見てください!ほら!……お兄様、頬が赤く……」
エルザは無邪気に右腕にある【測定の腕輪】を見せてくるが、クラウスの赤く腫れる頬にエルザが気づく。
「……、何でもない気にするな。それより、すごいじゃないか。頑張ったなエルザ」
【測定の腕輪】の宝珠は白く濁っていた。
それはエルザが”色無し”を脱却し始めた証であった。
エルザの頑張りを称賛し、クラウスは頭を撫でる。
兄の温かな手に包まれ、エルザは嬉しそうにふわりと頬を緩ませた。
「エルザ、手を出せ」
寝る間も惜しんで収れんし続けたエルサの手は血がにじんでいた。
クラウスはその手を包み込み【癒しの光】を傷ついた手に施す。
「お、お兄様……。ありがとうございます!」
屋敷の中で母とクラウスだけが自分の存在を大切してくれることにエルザは嬉しそうな表情を浮かべる。
「悪いな。今できるのはここまでだ」
「いえ!お兄様にここまでしていただいて光栄です!」
エルザの笑顔にクラウスはどこか心が痛む感覚を覚えた。
「すまない、エルザ。お前にしてやれることはこれが最後かもしれない……」
エルザはクラウスの言葉に小首を傾げる。
だが、クラウスの瞳には、いつまでも母や自分に頼らせるのではなく、あえて厳しく突き放すことで妹に自立の道を歩ませるという、父の教えとは異なる、兄なりの過酷な『公爵家の決意』が静かに灯っていた。
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