〈第38話〉『新たな剣聖』
魔族領地―――ヴォーランデル地方・ヴァルデンストレーム城
「どうされました?エウレウス様……」
魔族の王エウレウス・リンネ・ヴァルデンストレームの傍らで、妻であり側近でもあるヒルデガルドが足を止めた。
エウレウスがふと歩みを止め遥か南、人間達の統治する王都の空へ鋭い眼光を向けた気配を察したのだ。
ヒルデガルドは視力を失っている光を映さない双眸を、エウレウスが見つめる虚空へと静かに沿わせる。
エウレウスはまるで王都から何かを感じ取ったかのように鋭い眼光を向けたまま、ヒルデガルドの問いに答えようとしなかった。
「……消えた……か」
ぽつりとこぼれ落ちた呟きには、一瞬肌をヒリつかせた感覚への警戒と、それを上回る強い興味が混ざり合っていた。
「エウレウス様?」
いつになく雰囲気を硬くさせるエウレウスへ、ヒルデガルドは懸念の混じった声を投げかけた。
「ん?あぁ、すまないヒルデ。ちょっとな……」
ハッと我に返ったエウレウスは、気を揉むヒルデガルドへいつもの穏やかな微笑みを向けた。
しかし、その眼光の奥に潜む冷徹な色の残滓までは隠しきれていない。
「ときに、あちらの方角にある国は……ラングリッサだったか?」
「はい。そう記憶しておりますが……どうかなさいましたか?」
エウレウスの問いにヒルデガルドは率直な答えを返す。
「いや……。ちょっとな。『新たな剣聖』の気配を感じた気がしてな」
エウレウスの低く呟いたその声には、新たなる波乱の予兆を孕むかのような深い響きが籠もっていた。
「”新たな剣聖”ですか……。もう500年以上も経ちますし、その可能性も無くはないでしょうが……」
喉の奥で小さく懸念を鳴らし、ヒルデガルドは少し間を置く。
そして、思い出したように言葉を継いだ。
「そういえば、近々ラングリッサより大使が魔族の生活を体験すべく訪れるとか……」
人間側と魔族側との友好を図り、近々ラングリッサ王国から大使が来訪することをヒルデガルドは思い出した。
「そういえば、そうだったな。出迎えは丁重にな。何せ今回来る大使はラングリッサの第3皇子だからな」
エウレウスは立ち止まっていた足を再び動かし長い廊下を歩んでいく。
「エウレウス様。一つお聞きしたいことが……。よろしいでしょうか?」
ヒルデガルドの言葉に、エウレウスは歩みを止めて振り向いた。
「ん?どうした?」
穏やかに微笑み見つめるエウレウスに対し、ヒルデガルドは胸元に静かに手を当て、かすかに息を呑む。
「恋しくは……ならないですか?かつての故郷……”ラングリッサ王国”が……」
ヒルデガルドの質問にはどこか哀愁を漂わせる表情を見せる。
「恋しくなどないさ。私は己の選択を間違いだと思ったことは一度もない。……ヒルデ、愛するお前と共にいられることこそが、私の幸せだ。それがたとえ”人間”を捨てた選択肢だったとしても」
エウレウスは自身の思いを伝えながらヒルデガルドを愛おしく抱きしめ頭を撫でる。
その愛撫の最中も、彼の視線はなおも遥か南、激しい闘気が衝突し合う空の向こうへと注がれていた。
闘技場―――貴賓席
「……。あの虹色の魔力、クラウス殿かどちらのモノかは接戦で見分けられませんが……クロフォード公、あの銀髪に変異した少女はいったい!」
青の公爵・フェリックスが剣聖の伝承に登場する銀髪となったことに驚愕を隠せずにいた。
橙の公爵・コンラッド、白の公爵・クリスティアンは声にこそ出さないが身を乗り出し、食い入るように眼下の闘技場を見つめている。
ただ一人、周囲とは異なる静観の反応を示していたのは紫の公爵・オスニエルだけだった。
「入学時にはごくごく一般の家庭で育った少女としか。いくら彼女の経歴を調べても特筆すべき記述はないでしょう……」
問われたクロフォード公は、深く組んだ指先に顎を乗せたまま、微動だにせず下の戦いを見下ろしていた。
「かつての戦争から500年経過している……。もしかしたら、血筋などではなく剣聖の生まれ変わりである可能性もあるのではないか?」
身を乗り出していたコンラッドがフェリックスに向き直り自らの仮説を語る。
「確かにその可能性もあるかと思いますが……。先代剣聖がどこかの地で没したという話は聞いたことが……」
「では生まれ変わりはない……というのか」
公爵たちが言葉を失い息をのむ中、闘技場を包み込む圧迫感は跳ね上がっていく。
「そういえば、魔族の王が今の王へと代わったのも500年前……でしたか」
クリスティアンがポツリと呟いた一言に、貴賓席に冷たい緊張が走る。
「バカ共が……。いるかいないかの伝承の存在などどうでもよかろう。今見るべきは目の前で”新しい剣聖”の可能性を持った者が2人いるかもしれんという事だろう……」
オスニエルの静かな一言に、公爵達の視線が再び激しい火花を散らす中央の武舞台へと引き戻されていった。
闘技場―――ティファvsクラウス
後方へ退いたクラウスは、低く息を吐き出しながら着地する。
クラウスとの鍔迫り合いの攻防が終わった瞬間、うちの髪色が元の黒髪に戻った。
うちに【魔法防盾】を強引に破られた衝撃もさることながら、破られたからか、後方へ退いたクラウスの顔には、拭い去れない強烈な動揺が浮かんでいた。
(この俺が……体勢を崩されるなど……!!)
折れそうになる膝を耐えるため、咄嗟に左手の木剣を腰に収め、空いた片手を石畳につき力任せに体を支える。
「逃がすかああああぁぁっ!!」
石畳を粉砕するほどの踏み込みとともに、うちの姿が激しい風切り音を残してクラウスを追う。
体勢を崩したクラウスの隙を逃さず、一瞬で懐へと接近する速度。
その手に握られた剣には、視界を焼き尽くさんばかりの濃密な魔力が渦巻いていた。
”不動の魔法砲台”という二つ名を看破され、屈辱と動揺に支配されかけただが、クラウスの脳裏を強靭な精神力が即座に塗り替え、叩きつけた片手から地面へと魔力を一気に流し込んだ。
「【土魔法】【地を穿つ棘】!!」
クラウスへ追撃するうちの足元から、無数の石の棘が襲い掛かってくる。
「そんなもので、うちの足を止められるかあああぁぁ!」
うちは両手に魔力を込め、【高速二刀】【迅雷】【漣】で迎え撃つ。
交差する多数の斬撃から解き放たれた苛烈な雷光が、足元から突き上がる石の棘をことごとく粉砕していく。
豪快な爆音とともに砕け散る岩片の残骸を突っ切り、うちは一切速度を落とすことなくクラウスの視界を塗りつぶす。
魔法を真正面から強行突破されたクラウスの視線は、無数の石飛沫の隙間から迫ってくる、残光を纏った一筋の閃光。
もはや次の詠唱も、防御魔法を展開する余裕すら与えられない極限のゼロ距離。
クラウスは腰の木剣を抜き左手でうちの攻撃を受ける構えを取る。
「そんな構えでえええぇぇ!」
叫びとともに繰り出された一撃は、空気を引き裂き、青白い雷光を撒き散らしながらクラウスの眼前へ迫る。
――ガキンッ!!
「っ!!なっ!どうなって!!」
闘技場全体に轟く、耳を刺すような高音。
クラウスの片手の木剣とうちの双剣同士のぶつかり合いとは思えない衝撃波が巻き起こり、クラウスの身体がフワリと浮き上がり、うちの斬撃と同じ勢いで後方へと滑るように遠ざかって行く。
片腕のクラウスと鍔迫り合いを想像していたうちは、拍子抜けして呆気にとられる。
「エルザに関してもそうだったが、お前も魔法の”属性特徴”を把握するべきだな」
「属性……特徴……!?」
攻撃を受け流しうちの斬撃の衝撃だけで体勢を崩さぬまま、後方へと滑るように距離を取ったクラウスを見つめ、うちは双剣を構え直しクラウスの言う属性特徴について眉をひそめる。
「はっ!そういう事か!!」
斬撃で距離が開いたトリックにうちは気づく。
その気付いたトリックとは【風魔法】による自身の軽量化。
クラウスはうちの斬撃の威力を計算し、【風魔法】で十分な距離を取れるように自身の体重を軽量化し、推進力として利用したのだ。
うちから距離を十分に取れたクラウスは石畳に着地し、両手杖を構える。
「次の魔法なんか使わせるものか!」
「いや……終わりだよアッシュフィールド」
クラウスを弾き飛ばしてしまったうちは全力で追いかけようとするが、その不敵な一言で一瞬躊躇してしまう。
「設置型の魔法は発動が遅くて困る……。【土魔法】【拘束の鎖】」
その言葉が耳に届いた瞬間、うちの直感が激しい警鐘を鳴らした。
クラウスが両手杖の石突きで石畳を突き魔法名を唱えると、うちの足元には五芒星を描く光が浮かび上がる。
(ま、まずい!!)
どんな型の魔法かわからない以上、踏み留まるのは悪手と考え展開された光の範囲から逃れようと後方へと飛び退いて回避を試みる。
だが、五芒星の陣から生成された五本の鉄鎖が、まるで獲物を追う蛇のように狂おしい速度で襲いかかってきた。
捕まれば終わり。
本能でそう察したうちは右手の木剣を一閃、迫る鎖の一本をキィン!と甲高い金属音と共に力任せに切り飛ばす。
残る四本の鎖が両脚、左腕、そして胴体へと勢いよく巻き付き、容赦なくその場に縫い止められる。
「いくら超高速でも捉えてしまえば何の脅威もない」
拘束の完了を確認したクラウスは、悠然と両手杖を2周ほど取り回した。
「くっ……そ……ッ!」
全身の力を込め、枷を破ろうと抗う。
しかし、重々しい鉄鎖はビクともせず、締め付けの圧力を増すばかりだ。
(設置型って言っちょったな……。一体いつ……)
思考を高速で回転させ、いつ足元に罠が仕掛けられたのかを探る。
(……そうか! 体勢を崩して地面に手を突いた、あの瞬間か……! うちが一直線に肉迫してくることまで見越し、【地を穿つ棘】の岩飛沫で視界を奪う裏で、踏み込む足元に設置型魔方陣を仕込んじょったんか……!)
仕掛けられた策の全貌に辿り着いたうちは、罠に嵌った悔しさと戦慄を孕んだ鋭い視線をクラウスへと向ける。
「気づいたか?だがその状況になって気づいてももう遅い」
クラウスの瞳には先ほどまで見せていた動揺はすでになく、氷のように冷徹な双眸が、こちらの視線を正面から受け止める。
「一つ、お前とエルザはこの10日間でよくここまで己を鍛え上げた。そこは誉めてやろう……」
淡々と告げながら、クラウスは両手杖を天高く掲げた。
その瞬間、頭上の視界一面が眩い光によって塗りつぶされ始める。
「なんじゃ……あれ……??」
見上げる上空、天空を覆い尽くすほど巨大な魔法陣が展開されていく。
その桁違いの魔力密度に、うちは戦慄で目を見開いた。
「これで、終わりだ……。果てろ、ティファニア・アッシュフィールド」
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