第2話 仮契約
焼けるような熱が体の中を駆け巡った。
心臓が強く脈打ち、何かが俺の中で起きていた。そして、俺の胸元から一枚のカードが浮かび上がった。
「なんだ、これ……?」
白い縁取りに、黄色の背景の絵が描かれている。
中央には崖のそばを歩く、若い旅人。肩には小さな荷物を抱えていて、手には白い花を持っている。足元には一匹の白い犬がいる。
そして、そのカードの上部には『0』と刻まれている。
「タロットカード……?」
見覚えがある。いや、見覚えがあるどころじゃない。
この絵柄を俺は知っている。昔、どこかで見たことある気がする。でもどこで見たか思い出せない。
カードが光を放ち、魔物の動きが一瞬だけ止まった。
次の瞬間、俺と魔物の間に誰かが降り立った。
「おっと。危ない危ない」
現れたのは、十代後半ぐらいに見える少年だった。
少し癖のある金髪、細身の体。身につけているのは、旅人のような服装で、腰には短剣を提げている。
その少年は、まるで散歩の途中で道を間違えたかのような気楽さで、目の前の魔物を眺めていた。
「へえ。ずいぶんと物騒な歓迎だね」
「……誰だ、お前?」
「ん? 僕?」
目の前の少年は振り返り、にっこりと笑った。
「僕はフィン。愚者のアルカナから生まれた英雄さ」
「愚者の……英雄?」
「そうそう。まあ、詳しい話は後にしようか」
フィンが腰に提げている短剣を抜いた瞬間、彼の雰囲気が変わった。
先ほどまでの気楽な表情のままなのに、全身から放たれている気配だけが鋭くなった。
その気配を察知したのか、魔物が唸り声を上げた。
フィンは短剣を肩に担ぎ、俺に問いかけてきた。
「それで? 君が僕を読んだの?」
「呼んだって……俺は何もしてないぞ!」
「そうかな? 君の魔力に反応して、僕はここにきたんだけど」
「魔力……?」
「うん。君の中にある魔力だよ」
フィンは俺をじっと見つめた。その瞳はどこか不思議な色をしていた。
「なるほど……。これは面白いね」
「何がだよ!」
「君、能力がないんだろ?」
「……っ!」
なんで、それを……。
「でも魔力はあるし。しかも普通の人とは少し違うね」
フィンは楽しそうに笑っていた。
「ねえ、君。生き残りたい?」
「当たり前だろ!」
「じゃあ、僕に指示を出してよ」
「……は?」
「僕は英雄。君は僕を呼んだ人間。だったら、君が決めればいい」
フィンは魔物に向き合った。
「どう戦うか。どこを狙うか。逃げるか、立ち向かうか。君が選ぶんだ」
冗談を言っているようには見えない。でも、そんなこと言われても困る。
俺は戦ったことなんてない。魔物の弱点なんて知らない。能力もない。
そんな俺が、英雄に指示を出せ?
「無茶言うなよ……!」
「無茶かどうかは、やってみないとわからないだろ?」
フィンは笑っていた。その表情はどこまでも自由なものだった。
「ほら、来るよ」
魔物が地面を蹴った。一直線にフィンに向かって突進する。
フィンは軽く身を捻って攻撃をかわした。だが魔物はすぐに体勢を立て直し、鋭い爪を振り下ろした。
フィンは短剣で受け流したものの、少しだけ後退した。
「うーん。正面からやり合うと、ちょっと面倒かな」
フィンは俺の方を見た。
「何か思いついた?」
「そんな急に言われても……!」
俺は必死に魔物の動きを観察した。
爪の攻撃、突進、体勢を立て直すまでの間。魔物は攻撃の直前、必ず右前脚に体重をかけているように見える。
そして、突進した直後は――。
「……待てよ?」
――攻撃の直前、右前脚に体重をかけている。そこだ。
「フィン! 次の突進を避けたら、右前脚を狙え!」
「右前脚?」
「そいつ、突進する前に右前脚に体重をかけてる! そこを崩せば、体勢を立て直すのに時間がかかるはずだ!」
「へえ!」
フィンの口元が、楽しそうに吊り上がった。
「いいね、そうゆうの! 嫌いじゃないよ!」
魔物が突進してくる。
フィンはぎりぎりまで引きつけ、横へ跳んだ。巨体が目の前を通り過ぎていく。
「そこだ!」
フィンが地面を蹴り、短剣で右前脚の関節を狙った。
短剣が深々と食い込み、魔物が悲鳴を上げた。体勢を崩した魔物が地面に倒れ込んだ。
フィンはその隙を逃さず、背中を駆け上がり、首元に短剣を突き立てた。魔物の体が大きく痙攣し、やがて動かなくなった。
「……倒した?」
「うん。君の指示のおかげだね」
フィンは短剣を振って血を払い、俺に向き直った。
「なかなかいい目をしてるじゃないか」
「いや、俺はただ見てただけで……」
「それが大事なんだよ」
フィンは短剣を鞘に収めた。
「力があるだけじゃ、勝てない相手もいる。相手を見て、考えて、どう動くか決める。君はそれができるみたいだ」
俺は何も言えなかった。
能力がない。だから何もできない。ずっとそう思っていた。
けれど今の俺は、確かにフィンに指示を出した。その指示で魔物を倒した。
ほんの少しだけ、自分にも何かできるのかもしれない。そう思った。
「……なあ、フィン」
「ん?」
「お前、本当に俺の指示を聞いてくれるのか?」
フィンは少しだけ目を丸くした。そして困ったように笑った。
「勘違いしないでほしいな。僕は君の道具じゃない」
「……!」
「君が僕を呼んだからって、何でも言うことを聞くつもりはないよ。僕には僕の考えがあるし、僕が納得できない命令なら断る」
その言葉は、思った以上にはっきりしていた。
「でも、君がどんな人間なのかには興味がある。だから、しばらくは一緒にいてあげるよ」
「しばらくって……」
「さあね。君次第じゃない?」
フィンは悪戯っぽく笑った。
そのとき、俺の手元でカードが淡く光った。表面に文字が浮かび上がっていた。
――契約、仮成立。
「何だ、これ……」
「おや。もうそこまで進んだんだ」
フィンはカードを覗き込み、少しだけ真剣な顔をした。
「これは、僕と君をつなぐもの。けれど、まだ完全な契約じゃない」
「完全な契約にするには?」
「信頼かな」
あっさりと答えるんだな。
「僕が君を信じて、君も僕を信じる。そういう関係になれたら、きっと何かが変わるよ」
信頼。
そんなものが、俺とこの少年の間に生まれるのだろうか。
出会ったばかりだというのに。そもそも、俺はこいつのことを何も知らない。
それでも――。
「……わかった」
俺はカードを握りしめた。
「よろしくな、フィン」
「うん。よろしく、悠真」
フィンは自然に俺の名前を呼んだ。なんで知ってるんだろう。
その直後。
「悠真くん!」
聞き慣れた声が響いた。
振り返ると、澪が俺の方に駆け寄ってきていた。いつもは落ち着いている彼女の顔が、今は不安でいっぱいになっている。
「よかった……! 無事だったんだね!」
「澪……」
彼女は俺の体を確かめるように見つめ、傷がないことを確認すると、ようやく安堵の息を吐いた。
「もう、何してるの! 危ないことしたら駄目でしょ!」
「いや、あれは仕方なく……」
「仕方なくても!」
澪が声を荒げた。その声に、俺は思わずこちを閉じた。
彼女の手が少しだけ震えていた。……そっか。心配してくれたのか。
「ごめん」
「……本当に、無事でよかった」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
けれど今はそれどころじゃない。空の亀裂はまだ閉じていない。
フィンはいつの間にか消えていた。俺は手の中のカードを見つめた。
そこに書かれた愚者は、崖のそばで前を向いている。先に何があるのかもわからずに。それでも一歩を踏み出そうとしている。
俺もそうなれるだろうか。能力がないからと、諦めていた俺が。自分の意志で未来を選べるようになるのだろうか。
「悠真くん?」
「……いや、何でもない」
目の前には、心配そうに俺を見つめる澪がいる。
そして、空には不気味な亀裂が広がっている。
きっと、ここから何かが変わるのかもしれない。俺の人生も。この世界も。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




