3. 潮騒のきみ
こうして、春風王子のゼファー様が口を開いた。
「こんな早くに部屋を出て、教会で祈りでも捧げるのか?」
残念ながら、母はイオニアの神の敬虔な信者ではなかった。4大国他、この国に留学生を出す国でもっとも信者が多いのはイオニアの神なのだが。貧乏人は生きるので精一杯と言う事もある。
「いえ、何となく運河が見てみたくなって」
「船が好きなのか?まだ船は行き来していないと思うが」
「いえ、ちょっと気になる事があって」
「ふむ、君ほどの人が気になる事なら興味があるな。話してもらえないか?」
私ほどの人って、私を何だと思っているんだろう。まだ二回会っただけの女子を…まあ、入学前だと話し相手が少ないのかもしれない。だから、繰り言に聞こえる事も面白がってくれるかもしれない。
「あの、夢を見たんです。水の中にいる夢を」
「水の夢をよく見るのか?魔法属性に依るのか?」
私の属性など知りもしないだろうに、微妙に正解を口にしているな、この王子。優れた魔法師なら属性も分かるのだろうか。
「確かに私は水属性ですが…水の中にいる夢は初めてです。だから、気になって、運河を見たくなったのです」
ゼファー王子は整った顔を崩す事無く、小首を傾げた。
「なるほど。運河に何かあるのか?」
いやー、気のせいかもしれない事を王子様に話すのは気が引けるんだけど。ゼファー王子はじっと私を見つめている。そんな風に見つめられると、下位貴族あたりならその気になるのだろうけど、私とは身分が違いすぎる。
「…危険があるのかもしれないんです」
ゼファー王子の従者二人の雰囲気が変わった。気にせずにゼファー王子は私を見つめたまま尋ねた。
「危険とは?」
「昨日、私達の乗った帆船が港に入る直前、海の中に魔法の気配を感じたんです。運河には入って来なかったのですが。だから、何か大きな海獣が港にいるのではないかと思って…」
「ふむ、それが今朝は運河にいると思った理由は?」
…今も運河にその気配が!ってこの距離から感じているって嘘臭い発言だと思う…だから、もっともらしい事を言うか。
「夢で、くるくる水中を回っていたんですが、壁とか底が見えたんんです。だから、運河かな、と」
「運河から君を呼んだと?」
…うん、この王子様、中々読みが鋭いぞ。でも、正直、信じてもらえているのか、茶化しているのか不明だ。この人、見事に鉄面皮だから。
「『おいで』って言われた気がしたんです」
「そうか、では行こうか」
「あの、だから船に警戒して近づいて来る様な海獣である可能性があって、危険が無いとは言えないんです」
「だが、敵意は無い、そう思うのだろう?」
「…はい」
「なら、こんなところで話していないで、行ってみようじゃないか」
何気に従者二人の気配が不穏だ。そんな圧力をかけられても、王子様に言われたら断れないでしょ…
「さあ、どっちなんだ?」
「とりあえず外に出ますね…」
昨日来た道だから分かるけど、他の場所に行く時の位置関係と経路の事は早い内に調べないといけない。どこかに地図があるか確認しないと。
そうして運河に出る門を出ると、魔力の気配は運河の中をぐるぐる回っていた。私は一段上がったところにある運河の堤防横の小道に上がった。
そして堤防に手をついて運河の水面を見ると…さざ波の間から、上が灰色、下が白い大きな海獣が顔を出していた。
後から小道に上がって来たゼファー王子が隣に立って言った。
「イルカか」
「鱗がなさそうですから…小型のクジラかもしれないのでは?」
「鼻っ面が尖っているからイルカではないかな?ところで、イルカかどうかが重要なのか?」
「そうですね…」
私は左右を見渡した。昨日、手漕ぎの船から降りた場所がある筈…階段が堤防の上から水面に降りて行っている、あれかな。私は小道を小走りに進み、階段を降りた。イルカは近づいて来て、こちらを向いて止まった。
「あなたが私を呼んだの?」
イルカは「きゅきゅっ」と鳴いて顔を前後に揺らした。
「イルカと話せるとは恐れ入るな」
「いえ、初めての事で、つい言葉が出てしまうだけです」
イルカは何かが気に障った様だ。一度頭を水面下に降ろして、急に持ち上げた。いや、それ不味いから!王子様に水なんかかけちゃ!私はいそいで運河の水を壁状に持ち上げて、イルカが王子にかけようとした水を防いだ。
それを見たイルカは、今度はくるっと横回転しながら尾びれで階段に水をかけようとした。再度私はウォーターウォールを作って水を防いだ。少し離れた水面で顔を揺らしたイルカは、色々な動作で階段に水をかけて来た。その度に私はウォーターウォールで水を防いだ。
「器用なものだな」
ゼファー王子は他人事だから気楽に言った。
「一応、友人のはしくれが王子様をお守りしているのに、その仰り様ですか」
実際にはゼファー王子の左右に男女の従者がやって来ているから、彼等が防ぐかもしれないけれど。
「いや、礼は言うが、イルカが起こす水飛沫に間髪いれず反応するのは中々の魔法発動速度だと思ってな」
「王子様にお褒め頂き、光栄至極にございます」
そんなやり取りをしている間にも、イルカと私の攻防は続いた。あちらは水遊びをしているつもりなのだろうか…
イルカショーを見れば、水飛沫って結構広範囲に飛ぶと思うのですが、マーガレットは防いでいる模様。




