第三話 「家族になります」
ぼたんが家に来てから、一か月。
古い平屋は、すっかり赤ちゃん中心の毎日になっていた。
洗濯物は小さな服でいっぱい。
畳には転がるおもちゃ。
夜中には泣き声。
それでもハルは、不思議と幸せだった。
「よいしょ……っと」
朝、ぼたんを背負いながら、
ハルは町役場へ向かっていた。
今日は、大事な日だった。
「ハルさん、本当にいいんですか?」
役場の若い職員が、心配そうに言う。
「一人で育てるのは大変ですよ。年齢のことも……」
ハルは、少しだけ笑った。
「そりゃ大変さねぇ」
「腰も痛いし、階段はつらいし、最近は醤油をどこ置いたかも忘れる」
職員は苦笑いした。
でもハルは、背中のぼたんを優しく揺らす。
「だけどねぇ」
「この子、わたしを見つけてくれたんだよ」
その言葉に、職員は黙った。
ハルは続ける。
「わたしゃ長くない」
「だからこそ、この子に残したいんだ」
「一人でもちゃんと生きていけるように」
「寂しくても、ご飯を食べること」
「つらくても、ちゃんと寝ること」
「誰かに優しくすること」
「生きるってことをねぇ」
役場の窓から、春の風が入る。
ぼたんは背中ですやすや眠っていた。
しばらくして。
職員は静かに書類を差し出す。
「……では、こちらに名前を」
ハルは震える手でペンを持った。
ゆっくり。
丁寧に。
そこへ書く。
――保護者名 「春野ハル」
――子どもの名前 「春野ぼたん」
その文字を見た瞬間。
ハルの目から、ぽろっと涙が落ちた。
「あらやだ……年取ると涙もろくてねぇ」
ぼたんは目を覚まし、
小さな手でハルの指を握る。
ハルは泣きながら笑った。
「今日から、本当の家族だよ」
役場を出ると、
空には大きな春の雲が浮かんでいた。
帰り道。
ハルはぼたんに話しかける。
「ぼたん」
「わたしがいなくなってもねぇ」
「ちゃんと笑って生きるんだよ」
ぼたんは意味も分からず、
きゃっきゃっと笑った。
その笑顔を見て、
ハルもまた、優しく笑った。




