第二話 「ぼたん」
翌朝。
古い平屋には、
慣れない泣き声が響いていた。
「おぎゃあああっ!」
「はいはい、今行くよぉ〜!」
ハルは寝ぐせだらけの頭のまま、
慌てて布団から起き上がる。
七十二年生きてきたが、
こんなに慌ただしい朝は久しぶりだった。
ミルクを作って、
おむつを替えて、
抱っこして背中をとんとん。
「ちっこいのに元気だねぇ、お前さんは」
赤ちゃんは泣きながらも、
ハルの指をぎゅっと握った。
その小さな手に、
ハルは思わず笑ってしまう。
「……あんた、本当に一人で来たのかい」
窓の外では、
昨日の雨が嘘みたいに晴れていた。
庭には、春の終わりに植えた牡丹の花が、
大きく咲いている。
赤くて、優しくて、
どこか強そうな花。
ハルは縁側に座りながら、
赤ちゃんを膝に乗せた。
「名前、決めないとねぇ」
赤ちゃんは、
ふにゃっと笑う。
まるで返事をしたみたいだった。
ハルは庭の牡丹を見つめる。
風に揺れても、
簡単には散らない花。
「……ぼたん」
その名前を口にした瞬間、
なぜか胸があたたかくなった。
「今日から、お前は“ぼたん”だ」
「ぼたん。いい名前だろぉ?」
赤ちゃん――ぼたんは、
小さな声をあげて笑った。
まるで、
「うん」と言ったみたいに。
その日から。
静かだった平屋には、
「ぼたん〜!そっちはだめだよ〜!」
「おぎゃー!」
「わはは、元気だねぇ!」
そんな声が響くようになった。
近所の人たちも驚いた。
「ハルさん、その子どうしたの!?」
「拾った」
「猫みたいに言わないでよ!」
みんな大笑いした。
だけど夜になると、
ハルは一人、布団の中で小さく咳をした。
「……まだ、死ねないねぇ」
眠るぼたんの頬を撫でながら、
ハルは静かに笑った。
その目は、
少しだけ寂しそうだった。




