第十八話 「まだ、死ねない」
病院の夜は静かだった。
時計の音だけが、やけに大きく聞こえる。
ぼたんは病室の椅子に座り、
ハルの手を握っていた。
細い手。
前よりずっと軽くなってしまった手。
点滴の音が、一定のリズムで鳴っている。
ぼたんは眠れなかった。
怖かった。
目を閉じたら、
本当にいなくなってしまいそうで。
「……ばあちゃん」
返事はない。
ぼたんは俯く。
涙がぽたりと落ちた。
その時だった。
ハルの指が、少し動いた。
「……ん……」
「ばあちゃん!?」
ハルはゆっくり目を開ける。
ぼんやりした視線。
でも。
ちゃんとぼたんを見ていた。
「……泣いてるのかい」
ぼたんは何度も頷く。
「だって……」
「だって、ばあちゃん死んじゃうって……!」
声が詰まる。
ハルは苦しそうに息をしながら、
それでも小さく笑った。
「……そう簡単には、死ねないねぇ」
「え……?」
ハルは天井を見上げる。
「まだ……伝えてないことがある」
ぼたんは涙を拭いながら聞く。
ハルはゆっくり、途切れ途切れに話し始めた。
「ぼたん」
「人はねぇ……」
「寂しくても、ご飯を食べるんだよ」
「つらくても、お風呂に入って、ちゃんと寝る」
「生きるのを、やめちゃいけない」
ぼたんは泣きながら頷く。
これは。
小さい頃から、何度も聞いた言葉だった。
でも今は、重みが違う。
ハルは続ける。
「あとねぇ……」
「優しい人でいるんだよ」
「でも……無理して優しくしすぎなくていい」
「自分も、大事にするんだ」
ぼたんは、ハルの手をさらに強く握る。
「やだ……」
「そんなの、今じゃなくていい……」
「退院してから聞く……!」
ハルは静かに笑った。
「わがままだねぇ」
「ばあちゃんに似たのかね」
ぼたんは泣きながら笑ってしまう。
その顔を見て、
ハルは安心したように目を細めた。
窓の外。
雨が少しずつ止み始めていた。
ハルは小さく息を吐く。
「……まだ、死ねないよぉ」
「ぼたんが、ちゃんと笑って生きていくのを」
「もっと見たいからねぇ」
ぼたんは、ハルの手に顔をうずめた。
「じゃあ生きて……」
「もっと、もっと一緒にいて……!」
ハルは震える手で、
ぼたんの頭を優しく撫でる。
「うん……」
その声は弱かった。
でも。
確かに、生きようとしている声だった。




