第十七話 「救急車」
卒業式から数日後。
春の雨が降っていた。
ぼたんは台所で夕飯を作っていた。
味噌汁の香り。
煮魚の湯気。
「ばあちゃん、ご飯できるよー!」
返事がない。
「……ばあちゃん?」
居間を見る。
ハルが座布団の横で倒れていた。
「……え?」
時間が止まった。
次の瞬間。
「ばあちゃん!!」
ぼたんは駆け寄る。
顔色が真っ白だった。
呼吸も苦しそう。
「やだ……やだよ……!」
震える手で肩を揺らす。
ハルは薄く目を開けた。
「……ぼたん」
「しゃべらないで!」
ぼたんは涙を流しながら、
必死に電話を握る。
「きゅ、救急車……!」
声が震える。
番号を押す指も震える。
外では雨。
遠くから、救急車のサイレンが近づいてきた。
赤い光が、平屋の壁を照らす。
近所の人達も飛び出してきた。
「ハルさん!」
「大丈夫!?」
ぼたんはハルの手を握り続けていた。
離したら、
どこかへ行ってしまいそうで怖かった。
救急隊員がストレッチャーを運ぶ。
「付き添いの方は?」
ぼたんは涙を拭って立ち上がる。
「ぼたんがいく!」
小さな声だった。
でも強かった。
救急車の中。
機械の音。
揺れる光。
ぼたんはハルの手をぎゅっと握る。
「ばあちゃん」
「……ん」
「いなくならないで」
涙が止まらない。
ハルは苦しそうに息をしながら、
それでも優しく笑った。
「……泣き虫だねぇ」
「だって……!」
「ぼたん」
ハルの声は弱かった。
でも、ちゃんと届いた。
「よく……電話できたねぇ」
「えらかった」
ぼたんは声をあげて泣いた。
病院へ着く。
処置室の前で、ぼたんは一人座っていた。
制服の袖を握りしめながら。
時計の音だけが響く。
長い時間だった。
やがて。
先生が静かに出てくる。
ぼたんは立ち上がった。
怖かった。
聞きたくなかった。
でも聞かなきゃいけなかった。
先生は優しい顔で言う。
「……今夜が山かもしれません」
その瞬間。
ぼたんの頭の中が真っ白になった。
春の雨は、まだ降り続いていた。




