第十六話 「卒業の日」
三月。
まだ少し冷たい風の中、
桜のつぼみが膨らみ始めていた。
今日は、ぼたんの小学校卒業式。
鏡の前で、ぼたんは制服を整えていた。
少し大人っぽい服。
でも緊張している顔は、まだ子どもだった。
「ばあちゃん、変じゃない?」
ハルはゆっくり頷く。
「……綺麗だよぉ」
その声は、とても優しかった。
だけど少しかすれていた。
ハルは以前より細くなり、
歩く時には杖を使うようになっていた。
それでも。
今日だけは、絶対に行くと決めていた。
学校へ向かう道。
ぼたんは歩幅を合わせながら歩く。
「ゆっくりでいいよ」
「年寄り扱いするねぇ」
「だって転んだら大変だもん」
「わはは」
そんな何気ない会話が、
ぼたんには宝物みたいだった。
卒業式が始まる。
体育館には、静かなピアノの音。
卒業証書を受け取る子ども達。
名前を呼ばれるたび、
家族達が拍手を送る。
「春野ぼたん」
ぼたんは立ち上がった。
大きな声で返事をする。
「はい!」
まっすぐ前を向いて歩く。
証書を受け取る。
その瞬間。
ぼたんは観客席を見た。
ハルがいた。
小さな体で、
一生懸命拍手している。
目には涙。
ぼたんの胸が熱くなった。
――見ててね。
――ぼたん、ちゃんと大きくなったよ。
式の終わり。
校庭にはたくさんの笑い声が溢れていた。
友達同士で写真を撮り、
泣きながら抱き合っている子もいる。
ぼたんはハルのところへ駆け寄った。
「ばあちゃん!」
ハルは涙をぬぐいながら笑った。
「卒業、おめでとう」
その一言だけで、
ぼたんも涙が溢れた。
「……ありがとう」
ハルは、ぼたんの頭をそっと撫でる。
「強くなったねぇ」
「優しい子になった」
「ちゃんと、人の痛みが分かる子になった」
ぼたんは泣きながら首を振る。
「ばあちゃんが育ててくれたからだよ……」
ハルは静かに目を細めた。
帰り道。
夕焼けが町を赤く染めていた。
二人はゆっくり歩く。
昔、ランドセルが大きすぎた道。
転びながら歩いた道。
手を繋いだ道。
その全部が、今日へ続いていた。
家へ帰ると、
ハルは小さな箱を取り出した。
「これ、卒業祝い」
開けると、中には古いお守り。
少し色褪せている。
「わたしが若い頃、大事にしてたものだよ」
「これを持ってるとねぇ」
「つらい時でも、“帰る場所がある”って思えた」
ぼたんは震える手で受け取る。
「……ぼたんも、大事にする」
ハルは頷いた。
その顔は、とても穏やかだった。
まるで。
ちゃんと渡したかったものを、
ようやく渡せた人みたいに。




