第35話
その場にいた誰もが、即答できなかった。
探索者達は息を潜め、祓魔師達は無意識に構えを固める。御門綾乃ですら、一瞬だけ言葉を失っていた。
夜気に残るゲート残滓が、微かに震えている。
まるで空間そのものが、目の前の存在を警戒しているようだった。
しかし当の本人は、ひどく穏やかな顔をしていた。
「……冗談のつもりでしたのに」
メリーは少しだけ肩を落とした。
「そんなに困られると、わたくしも傷付きますわよ?」
「いや絶対冗談じゃない空気でしたよ今の」
瀬波が小声で突っ込む。
橘は静かに額を押さえていた。
御門綾乃は慎重に口を開く。
「……少なくとも、“普通の人間”ではないのでしょう」
「厳しい判定ですわね」
「こちらも命が懸かっています」
その返答に、メリーはほんの少しだけ目を細めた。
敵意ではない。
むしろ、わずかな好感に近かった。
最近の探索者社会には、力へ酔う者が急激に増えている。魔素適性を得たことで万能感を抱き、倫理や恐怖を置き去りにする者も珍しくない。
だが目の前の祓魔師達には、“恐れる感覚”が残っていた。
それは決して弱さではない。
境界を扱う者に必要な、本能的な慎重さだ。
「では改めてお聞きしますわ」
メリーは優雅に歩み寄る。
祓魔師達の肩が僅かに強張る。
「このゲートを閉じたのは貴女方ですの?」
「ええ」
「興味深いですわね」
メリーの赤い瞳が周囲へ向く。
崩壊した工場跡地。
切断痕。
焼却痕。
だが魔素循環が妙だった。
探索者の術式とは根本構造が違う。
近代魔導理論ではなく、もっと古い“儀式系”の流れ。
循環を増幅するのではなく、“閉じる”ための構造。
まるで封印術。
「……陰陽術系統ですの?」
その瞬間。
祓魔師達の空気が変わった。
御門綾乃の瞳が鋭くなる。
「なぜそれを」
「術式構造が近いですもの」
メリーはさらりと言った。
「ただし現代化されていない。古式寄りですわね。効率は悪いですが、安定性は高い。なるほど、“境界維持”には適していますわ」
沈黙。
祓魔師側がざわつく。
「……一目で解析した?」
「嘘だろ」
「いやでもこの人……」
「新宿を消し飛ばしかけた女だぞ……」
「消し飛ばしてませんわ!」
メリーが即座に反論した。
「ちゃんと被害半径は〇・七キロ以内へ収めました!」
「普通その規模を“収めた”って言わないんですよ」
瀬波が死んだ目で言う。
御門綾乃はしばらく無言だった。
やがて静かに問う。
「……貴女は、どこまで知っているんですか」
その問いには、微かな恐怖が滲んでいた。
メリーは少し考えた。
どこまで話すべきか。
異世界。
魔王。
文明崩壊。
神代魔導。
終焉戦争。
そして――人類滅亡。
あまりにも重すぎる。
「そうですわね」
結局、彼女は曖昧に笑った。
「“世界は思ったより脆い”くらいは」
軽い口調。
しかし。
その言葉だけで、空気が凍った。
御門綾乃は理解してしまう。
この女は。
知っている。
本当に、“世界が壊れる側”を見てきた目だ。
その時だった。
後方で怒声が上がった。
「もういいだろ! こんな連中放っとけって!」
探索者側の若い男だった。
二十歳前後。
魔素強化型の装備を纏い、苛立った様子で前へ出る。
「こいつらさっきから偉そうなんだよ! ゲートは俺達探索者が処理する時代だろ!? 陰陽師ごっこみたいなの引っ込んでろよ!」
空気が悪化する。
祓魔師側の視線が冷える。
瀬波が頭を抱えた。
(最悪だ……)
最近増えているタイプだった。
急激な力の拡張。
若年探索者の万能感。
社会的注目。
配信人気。
スポンサー契約。
それらが混ざり、“選ばれた人間”意識を暴走させる。
男はさらに続ける。
「大体なんなんだよ境界って! 時代遅れなんだよ! 力がある奴が前出るのは当然だろ!」
その瞬間。
祓魔師側の空気が鋭く沈んだ。
殺気。
ではない。
もっと静かな拒絶。
御門綾乃が冷たく口を開く。
「……だから貴方達は危うい」
「あ?」
「力を、“持つこと”しか考えていない」
「は?」
「人は昔から、境界を越えた瞬間に壊れる」
男が舌打ちした。
「意味わかんねぇんだよ古臭ぇ――」
「おやめなさい」
静かな声だった。
だが。
その瞬間、場の全員が硬直した。
メリーだった。
彼女は男を見ていない。
夜空を見上げていた。
赤い瞳が、どこか遠い場所を見る。
「……力というものは、案外脆いですの」
ぽつりと。
独白のように言う。
「人は簡単に壊れますわ。わたくしも、何度も見ましたもの」
その声音には、妙な実感があった。
笑えないほどの。
重さが。
若い探索者は言葉を失った。
怒鳴り返そうとしたはずなのに、喉が凍り付いたように声が出ない。
なぜか。
本能が理解してしまったからだ。
この女は。
本当に。
数え切れないほど、“壊れた人間”を見てきた。
その空気を振り払うように、メリーはぱっと笑顔を作った。
「――とはいえ! 時代遅れ呼ばわりはよろしくありませんわね!」
急にテンションが戻った。
「伝統技術は大事ですわよ!? 古式術式とかロマンの塊ではなくて!?」
「情緒で魔法語らないでください」
瀬波が即座に突っ込む。
空気が少しだけ緩む。
御門綾乃は、そんなメリーを見つめていた。
分からない。
怪物なのか。
救世主なのか。
ただ一つ確かなのは。
この女は、“理解されること”に最初から期待していない。
そんな、諦めにも似た孤独が。




