第32話 返信をいたしますわ…
「……深呼吸を」
「していますわ」
「嘘ですね」
メリーは椅子へ座り直した。
だが背筋が妙に伸びている。
緊張している時の癖だった。
会議室内には、なんとも言えない沈黙が流れていた。
探索者協会幹部達が気まずそうに視線を逸らしている。
誰も触れてはいけない空気を感じ取っていた。
なにせ現在。
世界最強が、メール返信一通で挙動不審になっている。
「橘」
「はい」
「……声に出さず表示だけで」
「了解です」
タブレットが操作される。
数秒。
そして。
画面へ、一通の返信メールが表示された。
『ご連絡ありがとうございます。フィーネです。』
そこから先。
メリーは一瞬、呼吸を忘れた。
『正直、最初は本当にドッキリか何かだと思っていました。』
『何度も協会公式アドレスを確認しました。』
『あと友達にも「これ詐欺かな!?」って相談しました。』
会議室の空気が少しだけ和む。
フィーネらしい。
変に飾らない。
普通の感覚。
それが文章から滲んでいた。
一方。
メリーは妙に真顔だった。
「……詐欺を疑われましたわ」
「普通は疑います」
「協会公式認証も付けましたのに」
「逆に怖いんですよ」
瀬波が冷静に突っ込む。
だがメール本文は続く。
『でも、送っていただいた内容を読んで』
『ちゃんと配信を見てくださってるんだなって分かりました。』
『なので、一度お話だけでも聞いてみたいです。』
静寂。
完全沈黙。
数秒。
十数秒。
「…………」
「…………」
「メリー様?」
「今、“お話だけでも聞いてみたい”と?」
「書いてありますね」
「断られてませんの?」
「現状かなり前向きですね」
メリーが固まった。
赤い瞳が完全停止している。
世界最強。
現在、致命的精神ダメージを受けていた。
「瀬波」
「はい」
「これ現実ですの?」
「多分」
「夢ではなく?」
「多分」
メリーはそっと口元を押さえた。
どうやら動揺が限界を超えると逆に静かになるタイプらしい。
橘は少しだけ視線を柔らかくする。
最近ようやく分かってきた。
この人。
本当に孤独なのだ。
誰かへ頼ることに慣れていない。
好意を向けられることにも。
だから。
たった一通の丁寧な返信だけで、こんなにも揺れる。
「なお日程調整についてですが」
橘が続きを確認する。
『もし本当に必要としていただけるなら、出来る範囲でお力になれればと思っています。』
その瞬間。
メリーが静かに天井を見上げた。
「……世界、救ってよかったですわね」
「規模感がおかしいんですよ感情の」
瀬波はもう慣れ始めていた。
最近、“メリー様の推し関連情緒”という新ジャンルへ適応している自分が怖い。
だが。
会議室内の研究員達も少しだけ空気を緩めていた。
皆、知っている。
この人がどれだけ背負っているか。
どれだけ休んでいないか。
だから。
今だけは少し嬉しそうにしていてほしいと思ってしまう。
「……とはいえ」
メリーが静かに姿勢を戻す。
切り替えが早い。
いや、正確には“無理やり戻した”。
赤い瞳へ、再び理性の光が宿る。
「問題は山積みですわね」
「主に?」
「私の存在そのものですわ」
会議室が静まる。
それは冗談ではなかった。
メリー・アストレア。
今や世界規模の象徴。
救世主。
怪物。
国家戦略級存在。
そんな人間が、一個人VTuberへ接触する。
それだけで影響力が大きすぎる。
「現時点でもフィーネさん側への注目度が急上昇しています」
橘が冷静にデータを表示する。
登録者推移。
切り抜き増加率。
SNSトレンド。
海外フォーラム。
急激に数字が伸びていた。
「下手をすると、本人の生活負荷が危険域へ入ります」
「……そうですわね」
メリーの表情が少し曇る。
推し活で浮かれていた頭が、一気に現実へ引き戻された。
彼女は知っている。
注目とは暴力にもなる。
期待。
憶測。
悪意。
祭り上げ。
人類は時に、善意だけで他人を壊す。
「ですので、接触は段階的に進めるべきかと」
「全面同意ですわ」
即答だった。
「フィーネさん側の負担を最優先します」
その言葉に。
瀬波は少しだけ安心する。
この人は本当に根が優しい。
だからこそ危うい。
自分より他人を優先する。
ずっと。
異世界の頃から。
「まずはオンライン面談程度に留めましょう」
「同意します」
「配信運営相談という形で」
「ええ」
「あとメリー様」
「なんですの?」
「絶対最初から重い話しないでくださいね」
「しませんわよ」
「“貴方の声に救われています”とか」
「言いませんわ」
「“世界を背負わなくていい時間を”とか」
「言いませんってば!」
だが。
メリーはそこで少しだけ黙った。
静かに視線を落とす。
窓の外。
昼の東京。
人が生きる街。
守るべき世界。
背負い続ける責任。
終わらない戦い。
その中で。
たった一つだけ。
フィーネの配信を見ている時間だけは、本当に肩の力を抜けるのだ。
誰かを救う必要もない。
戦う必要もない。
世界最強でいなくていい。
ただ笑っていていい。
「…………」
「メリー様?」
「……いえ」
メリーは小さく笑った。
ほんの少しだけ困ったように。
「思った以上に、困っておりますのね。私」
その言葉だけが。
妙に静かに、会議室へ残った。
数日後。
アストレア魔導学術院、本館上層部。
特別応接室。
その部屋は本来、各国要人や国家級探索者を迎えるための空間だった。
重厚な装飾。
高級調度品。
魔素遮断結界。
位相安定化処理。
対広域術式防護。
国家元首クラスでも問題なく迎賓できる超高級仕様である。
そして現在。
「背景、威圧感ありすぎませんこと?」
世界最強が頭を抱えていた。
「いや最初から分かってましたよね?」
瀬波は即答した。
テーブル上には複数の端末。
配信機材。
照明。
音響確認。
学術院技術班が総出でオンライン面談環境を整えている。
無駄に本気だった。
「もっと普通の部屋ありませんの?」
「ありますけど、メリー様が“応接とは礼節ですわ”って」
「言いましたわね……」
橘は静かにタブレットを確認する。
「接続五分前です」
その瞬間。
メリーの動きが止まった。
分かりやすい。
本当に分かりやすい。
「……紅茶、変ではありません?」
「完璧です」
「服装、重くありません?」
「いつものメリー様です」
「威圧感が」
「存在そのものなので諦めてください」
メリーは静かに沈黙した。
どうしようもなかった。
本人はかなり抑えている。
だが立っているだけで空気が変わる。
戦闘時ならなおさらだ。
最近は多少マシになったが、それでも一般人からすれば圧が強い。
「あと絶対、最初から重い話は禁止です」
「分かっていますわ」
「異世界とか魔王とか救世とか」
「しませんわ」
「“貴方だけが救いで”とか」
「だから言いませんってば!」
メリーが珍しく少し声を荒げた。
だが。
数秒後にはまた静かになる。
緊張しているのだ。
世界最強が。
国家級災害へ単独突入する時より明らかに緊張していた。
その時。
端末へ接続通知。
室内の空気がぴたりと止まる。
「……接続来ました」
橘が静かに言う。
メリーの赤い瞳がわずかに揺れた。
画面接続。
一瞬ノイズ。
そして。
『あっ』
少し慌てたような声。
映像越しに映ったのは、フィーネの配信アバターではなく実写用簡易2Dモデルだった。
淡い銀髪。
眠たげな瞳。
白と青を基調とした柔らかな衣装。
配信で見る姿そのまま。
だが。
画面越しでも分かる。
かなり緊張していた。
『こ、こんにちは……』
「ご機嫌よう」
メリーが優雅に一礼する。
空気が張る。
フィーネがぴっと固まった。
やはり圧が強い。
本人はかなり柔らかくしているのだが、それでも漂う“格”が隠し切れていない。
『あ、あの、ほんとにメリー様だ……』
「ええ、本物ですわ」
『うわぁ……』
なんとも言えない反応だった。
尊敬。
困惑。
緊張。
あと若干の恐怖。
全部混ざっている。
無理もない。
相手は現在、世界でもっとも有名な人物の一人だ。
ニュース。
切り抜き。
SNS。
毎日どこかで話題になっている。
そんな存在が今、画面の向こうで紅茶を飲んでいる。
シュールだった。
「本日はお時間いただき感謝いたしますわ」
『い、いえこちらこそ……』
数秒沈黙。
気まずい。
瀬波が胃を押さえる。
学術院技術班がなぜか固唾を呑んで見守っている。
なんだこの空間。
その時。
『……あの』
「はい?」
『ほんとに、配信見てくれてたんですね』
フィーネが少しだけ笑った。
緊張しながら。
それでも柔らかく。
『なんかまだドッキリ感あるけど……』
その瞬間。
メリーの空気がほんの少し和らぐ。
「拝見しておりますわ」
『ど、どの辺を……?』
「以前の深夜雑談回、“人生、寝て起きたら意外となんとかなる時もある”という発言が非常に印象的でしたわね」
『えっ』
「あと“冷凍パスタは人類文明の英知”という意見にも強く同意いたしましたわ」
『えっ!?』
フィーネが明確に動揺した。
コメント欄もないのに、完全に配信中の反応になっている。
『そ、そこ!?』
「重要ですわ」
『いやもっとなんかあるじゃん!?』
「“無理しすぎる人ほど急に壊れるからね”というお言葉も印象的でしたわ」
そこで。
フィーネが少しだけ静かになった。
画面越しに視線が揺れる。
メリーの声は変わらず穏やかだった。
だが。
本当にちゃんと聞いていたのだと分かる。
切り抜きだけではない。
ただ有名だからでもない。
ちゃんと配信そのものを見ていた。
空気を。
言葉を。
時間を。
『……なんか、恥ずかしいなそれ』
フィーネが困ったように笑う。
メリーも小さく笑った。
「失礼しましたわ」
『い、いや……でも嬉しいです』
静かに。
空気が少し柔らかくなる。
瀬波はその様子を見ながら、ほんの少しだけ息を吐いた。
よかった。
少なくとも。
メリーが“世界最強”としてではなく、一人の人間として会話できている。
それだけで十分だった。
その時だった。
フィーネが少し迷ったあと、恐る恐る口を開く。
『……あの、メリー様って』
「はい?」
『ちゃんと寝てます?』
「…………」
室内が止まった。
瀬波が天を仰ぐ。
橘が静かに目を閉じる。
研究員達が「あっ」という顔をした。
なぜなら。
それは現在、学術院内でも最大級の懸念事項だからである。
メリーは少しだけ目を瞬かせた。
本当に予想外だったらしい。
『なんか配信とかニュース見てると……ずっと働いてる感じするから』
フィーネは苦笑しながら言う。
『無理しないでくださいね』
たったそれだけ。
それだけなのに。
メリーは数秒、言葉を失った。
誰も。
世界最強へそんなことを言わない。
言えない。
期待するから。
頼るから。
背負わせるから。
だから。
画面越しに、当たり前みたいに心配されることが。
少しだけ。
どうしようもなく、沁みた。




