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お嬢様は本日も現実を無双する  作者: シロネル
3章

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第31話 癒されますわぁ

 旧ロシア領北部での位相災害鎮圧から、六時間後。


 アストレア魔導学術院、本館最上階。


 午前二時十七分。


 執務室には、未だ灯りが残っていた。


「……なぜ増えてますの?」


「報告書だからです」


「今さっき世界を救ってきましたのよ?」


「なので各国から追加報告要請が来ています」


「人類、滅びませんこと?」


「メリー様が止めるので滅びません」


「理不尽ですわねぇ……」


 メリーは机へ突っ伏した。


 完全に燃え尽きた顔である。


 数時間前まで、位相崩壊領域を単独制圧していた人物とは思えない。


 だが現実問題として、戦闘より事後処理の方が辛い。


 特に今回は国際案件だ。


 違法魔素研究施設。


 人体実験。


 越境侵食災害。


 国家間政治問題。


 各国探索者機関との連携調整。


 面倒しかない。


 瀬波は慣れた動きで追加資料を積み上げた。


 最近、“メリー様へ致命傷にならない量の書類を見極める技術”が上達している。


「現地映像解析もかなり拡散されています」


「またですの?」


「またです」


 大型モニターへ映し出されるSNS。


『紅蓮封理』

『位相焼却』

『赤き魔王』

『災害を災害で消す女』

『雪原のラスボス』


「ラスボスってなんですの」


「最近ネットでの立ち位置ですね」


「不本意ですわ」


 なお割と前からである。


 切り抜き動画も凄まじい勢いで増殖していた。


『【4K】メリー様、位相崩壊を片手で制圧』

『世界最強お嬢様、また単独で国家級災害を処理』

『海外探索者がドン引きした瞬間まとめ』

『術式演算が意味不明すぎる件』


 コメント欄。


『何が起きてるか分からん』

『専門家解説はよ』

『専門家「分かりません」』

『毎回これ』

『人類の理解が追いつかない』


「……実際、理解される方が困りますもの」


 メリーは紅茶を飲みながらぼやいた。


 疲れている。


 流石に。


 位相崩壊領域での広域固定は、彼女でも負荷が大きい。


 異世界時代ならともかく、現代地球は魔素基盤そのものがまだ不安定だ。


 制御難易度が高すぎる。


 それでも彼女は顔へ出さない。


 出せない。


 世界は今、彼女を“人類側最後の安全装置”として見ている。


 だから崩れられない。


 弱音を吐けない。


 その時だった。


 橘がタブレットを見ながら、ふと声を漏らす。


「あ」


「なんですの」


「フィーネさん、配信切り抜きでメリー様の話してます」


「――――見せなさいませ」


 反応速度が異常だった。


 瀬波が頭を抱える。


 数秒後。


 モニターへ映し出された切り抜き動画。


 タイトル。


『【困惑】フィーネ、“普通の人っぽかった”発言について語る』


「やめてほしいですわね、このタイトル文化」


「ネット向いてないんですよメリー様」


 動画再生。


 配信中のフィーネが、困ったように笑っている。


『いや、だって本当に普通だったんだってぇ……』


『もっとこう、“我が配下となりなさい”みたいなの来ると思うじゃん?』


 コメント欄。


『偏見で草』

『いや分かる』

『メリー様なら言いそう』

『似合いすぎる』


「言いませんわよ?」


「今までの言動を振り返ってください」


 メリーは視線を逸らした。


 少し心当たりがあるらしい。


 画面の向こうで、フィーネが続ける。


『むしろ丁寧すぎて逆に怖かった』


『なんか、“配信ちゃんと見てるんだろうな”感がすごくて……』


 そこで。


 フィーネは少しだけ笑った。


 本当に自然に。


『……でも、ちょっと嬉しかったかも』


 静かに。


 執務室の空気が止まった。


「…………」


「…………」


「…………」


 瀬波がそっと視線を逸らす。


 橘が口元を押さえる。


 なぜなら。


 メリーが完全停止していたからだ。


 赤い瞳が固まっている。


 数秒。


 十数秒。


 そして。


「……橘」


「はい」


「今の部分、保存できます?」


「できますけど」


「あとで見返しますわ」


「でしょうね」


 瀬波が胃薬を飲んだ。


 最近、“世界最強の推し活”という概念へ適応し始めている自分が怖い。


 だが。


 少しだけ安心もしていた。


 メリーは本当に、人間関係が壊滅している。


 誰かに頼ることを知らない。


 自分が世界を支えなければと、ずっと思っている。


 だから。


 こうして誰かの言葉一つで嬉しそうにしている姿を見ると、少しだけ人間らしく見えた。


「……普通、ですのね」


 ぽつりと。


 メリーが呟いた。


 窓の外を見る。


 深夜の東京。


 無数の光。


 人が眠る街。


 守った世界。


 異世界では最後まで辿り着けなかった景色。


 だから今でも時々、不思議になる。


 自分が本当にここへ居ていいのか。


 怪物のままで。


 世界最強のままで。


 そんな彼女へ。


 “普通の人っぽかった”なんて言う人間は、きっと初めてだった。


「……困りますわね」


「何がです?」


「少しだけ」


 メリーは静かに笑う。


 疲れたように。


 けれど柔らかく。


「救われた気分になってしまいましたわ」


 その言葉へ。


 瀬波も、橘も、何も返せなかった。


 返せるはずがなかった。


 この人が背負っているものを、二人は知っている。


 知っていて。


 それでも。


 たった一人の配信者の言葉が、その重みを少しだけ軽くしていることへ、どこか安心してしまった。


 だから橘は、静かに紅茶を淹れ直す。


 瀬波は追加書類を一旦脇へ避ける。


 今だけは。


 少しくらい休んでもいいだろうと思った。


 モニターの向こうでは、フィーネが相変わらずコメント欄とゆるく会話している。


『みんな夜更かししすぎだからねー?』


『ちゃんと寝るんだよー』


 その声を聞きながら。


 メリー・アストレアは、ほんの少しだけ目を細めた。


 世界最強ではなく。


 翌日。


 アストレア魔導学術院、本館中央会議室。


 そこには現在、人類の未来を左右しかねない面々が集結していた。


 探索者協会運営幹部。


 学術院上級研究員。


 各支部統括責任者。


 広報戦略班。


 国際魔素対策室。


 そして。


「――では本日の議題、“動画配信収益化について”を始めます」


 空気が死んだ。


 瀬波は遠い目をした。


 違う。


 いや間違ってはいない。


 実際、今や情報発信は極めて重要だ。


 魔素社会への適応教育。


 探索者志願者増加。


 危機管理周知。


 市民向け啓発。


 学術院の存在意義拡大。


 そして何より。


 運営費。


 ダンジョン対策も研究施設維持も、全部金がかかる。


 メリーはそれを理解している。


 理解しているのだが。


「まず“同接”とはなんですの?」


 世界最強。


 現在、配信文化初学者である。


 会議室前方モニターには、『現代配信文化基礎講座』の文字が映っていた。


 なぜ学術院でこんな講義が開かれているのか。


 誰にも分からない。


 いや、理由は分かる。


 分かるが納得はできない。


「同時接続数です」


「なるほど」


「リアルタイム視聴人数ですね」


「つまり戦場観測人数」


「解釈が物騒なんですよ」


 橘が即座に修正する。


 だがメリーは真面目だった。


 本当に真剣に学んでいる。


 なぜなら。


 フィーネとの契約交渉以前に、“自分が配信文化を理解していない”と気付いたからだ。


 それは彼女なりの誠実さでもあった。


 相手の世界を知ろうとしている。


 ただし。


「“スパチャ読み”とは?」


「視聴者からの投げ銭へのお礼です」


「なるほど、支援文化」


「まあ近いです」


「つまり貴族によるパトロネージュ的な」


「急に歴史スケールがでかい」


 研究員達が必死に笑いを堪えていた。


 なお。


 既にこの講義自体を録画して切り抜きたい派閥が学術院内に存在している。


 危険だった。


「では“てぇてぇ”とは?」


「説明が難しいですね……」


「重要概念ですの?」


「ネットではかなり」


「ふむ……」


 メリーは真剣にメモを取った。


 赤い高級万年筆で。


 達筆で。


 『てぇてぇ=感情的親和性?』と書いてある。


 なんか違う。


「あと“切り抜き”文化についてですが」


 広報担当が恐る恐る資料を切り替える。


 モニターへ大量の動画サムネイル。


『メリー様、また国家を震撼させる』

『5分で分かるメリー・アストレア』

『お嬢様、また書類で死にかける』

『世界最強、推し配信前で様子がおかしい』


「最後なんですの???」


「かなり再生数伸びてます」


「やめなさいませ!」


 会議室の空気が少し和む。


 だが。


 広報担当の表情は途中から少し真面目になった。


「……ただ、実際かなり影響力があります」


 モニター切り替え。


 国内探索者登録推移。


 学術院志願数。


 地方支部応募率。


 そして。


 一般市民の魔素理解度推移。


「メリー様関連配信以降、明確に変化しています。特に若年層」


 数字が伸びている。


 想像以上に。


 以前まで、“魔素”は恐怖だった。


 未知だった。


 だが今は違う。


 配信。


 切り抜き。


 SNS。


 それらを通して、“理解可能なもの”へ変わり始めている。


「地方支部配信も効果が大きいです。新人探索者の成長過程を見て、“自分でも頑張れば届くかもしれない”と思う人間が増えています」


 それは重要だった。


 メリー一人だけが強い世界では意味がない。


 人類全体が進まなければならない。


 だからこそ。


 彼女は配信文化を軽視しなかった。


「……面白いですわね」


 メリーが静かに呟く。


「はい?」


「異世界では、情報伝達はもっと遅かったですもの」


 少しだけ遠い目。


 滅びかけた世界。


 知識が閉じた世界。


 間に合わなかった文明。


 だが現代は違う。


 数秒で広がる。


 数万人へ届く。


 世界が繋がっている。


「ならば確かに、価値がありますわ」


 メリーは立ち上がった。


 赤い髪が揺れる。


 自然と会議室の空気が引き締まる。


 普段どれだけ残念でも、この人が“切り替わった瞬間”の圧は別格だった。


「魔素時代において最も重要なのは、“理解不能な恐怖”を減らすことです」


 静かな声。


 だが重い。


「恐怖は分断を生みます。国家対立、迫害、暴走、過剰軍備……今後さらに増えるでしょう」


 現実にもう始まっている。


 違法研究。


 魔素兵器化。


 適性差別。


 各国軍事競争。


 人類はまだ幼い。


 新しい力を扱いきれていない。


「だからこそ、日常へ落とし込む必要があります」


 メリーはモニターへ映る地方支部配信を見る。


 新人探索者。


 ぎこちない術式。


 失敗。


 笑い。


 成長。


 コメント欄。


『頑張れ』

『前より上手くなってる』

『自分も学術院講座受けてみたい』


 それはもう、“怪物の物語”ではなかった。


 人類の物語だ。


「探索者も、魔術師も、特別な英雄ではありませんわ」


 メリーは静かに言う。


「これからの時代を生きる、ただの人間です」


 その言葉に。


 会議室が静まった。


 誰もが知っている。


 この人だけは、“ただの人間”ではいられなかったことを。


 それでも。


 彼女は人類を普通の場所へ戻そうとしている。


 怪物一人が守る世界ではなく。


 皆が生きる世界へ。


 その時だった。


 橘の端末へ通知。


「あ」


「どうしましたの?」


「フィーネさんから返信来ました」


 メリーが固まった。


 本当に分かりやすく。


 数秒前まで文明論を語っていた人物と同じとは思えない。


「…………」


「…………」


「開きます?」


「ま、待ちなさいませ」


「落ち着いてください」


「落ち着いていますわ」


 赤い瞳が全然落ち着いていなかった。


 瀬波は静かに胃薬へ手を伸ばした。


 最近、本当に使用頻度が増えている。

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