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お嬢様は本日も現実を無双する  作者: シロネル
3章

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30/38

第30話 海外出張ですわ!

 第三演算室。


 学術院地下深度、第六層。


 そこは既に“研究施設”というより、半ば儀式場に近かった。


 幾何学的に重なる超大型演算陣。


 床面全域へ刻まれた多重位相固定式。


 天井を覆う魔素伝導結晶。


 中央では、巨大な空間観測球体が淡く脈動している。


 研究員達が慌ただしく走り回る中、メリーは静かに中央演算域へ立った。


 その瞬間。


 空気が変質する。


 魔素が従属する。


 まるで世界そのものが、彼女を中心に再編成され始めるようだった。


「現地座標固定率六十一%!」


「侵食速度増大中!」


「位相断裂発生!」


 怒号のように飛び交う報告。


 だがメリーは微動だにしない。


 赤い瞳だけが、空間投影された現地情報を静かに見つめていた。


 旧ロシア領北部。


 非認可研究施設。


 地下深度不明。


 観測される魔素反応は既に災害級。


 だが本当に危険なのは出力ではない。


「……位相構造が崩壊していますわね」


 メリーが小さく呟く。


 研究員達が息を呑んだ。


「人間へ無理やり魔素適性を拡張した結果、肉体と精神構造が耐えきれなかったのでしょう。循環器官が自壊し、外部魔素と内部位相が融解しかけていますわ」


 淡々とした分析。


 だがその内容は凄惨だった。


 魔素とは本来、段階的に馴染ませるものだ。


 循環。


 適応。


 定着。


 人類はまだ、その途中段階にいる。


 だからメリーは教育を急いでいた。


 理論を広めていた。


 なのに。


「……またショートカットを選びましたのね、人類は」


 静かな声だった。


 怒りとも違う。


 諦めに近い響き。


 異世界でも、同じだったからだ。


 力を急ぎ。


 結果だけを求め。


 壊れる。


 いつだってそうだった。


「メリー様、転移座標固定完了します」


「ご苦労」


 メリーは静かに手を上げる。


 瞬間。


 周囲術式が一斉起動。


 空間へ幾重もの演算式が展開された。


 座標圧縮。


 位相固定。


 空間断層接続。


 通常なら国家規模設備を必要とする超高位転移術式。


 それを。


 彼女は一人で制御していた。


 研究員達の視線が思わず釘付けになる。


 美しい。


 それは戦闘というより、“演算芸術”だった。


 赤い魔力光が、縦ロールの髪を淡く照らす。


 ドレスと軍装を融合した戦装束が揺れる。


 優雅ですらある。


 だが。


 同時に圧倒的だった。


 理解できない。


 何をどう制御しているのか、人類側では既に追跡不能。


 ただ分かるのは。


 この人だけ、いる場所が違うということ。


「術式接続」


 メリーが指先を動かす。


 空間が、軋む。


 だが崩れない。


 周囲への余波すら完全制御されていた。


 どれほど精密な演算を行っているのか、研究員達には想像もつかない。


「現地魔素汚染確認。侵食半径拡大中」


「予測被害は?」


「周辺集落まで到達した場合、最低推定四万人」


「……間に合いますわね」


 その言葉に。


 瀬波が少しだけ眉を寄せた。


 間に合う。


 彼女はそう言った。


 つまり逆に言えば、“間に合わない可能性”まで演算済みなのだ。


 いつもそうだ。


 メリーは希望だけを見ない。


 最悪を計算する。


 その上で、最善を押し通す。


「瀬波」


「はい」


「現地探索者協会支部へ通達。半径二十キロ圏を封鎖。新人探索者の投入は禁止ですわ」


「了解」


「第一陣は地方上位探索者のみ。位相汚染耐性の低い者は近付けてはいけません」


「分かりました」


 研究員達が慌ただしく動き出す。


 学術院だけではない。


 今や探索者協会全国支部網もまた、メリーの理論体系を基盤に動いている。


 北海道支部。


 欧州連携支部。


 北米共同戦線。


 アジア圏探索者連盟。


 世界は少しずつ繋がり始めていた。


 もちろん問題だらけだ。


 政治。


 利権。


 軍事利用。


 魔素犯罪。


 対立も山ほどある。


 それでも。


 以前より遥かにマシだった。


 少なくとも今は、“誰かが理論を共有している”。


 異世界では間に合わなかったもの。


 それが今、この世界にはある。


「……本当に」


 メリーは小さく息を吐いた。


「忙しい時代ですこと」


 ぼやくように言う。


 だがその横顔は、どこか疲れていた。


 数百年分の孤独。


 終わらない責任。


 世界規模の危機。


 それら全部を背負いながら。


 彼女はまだ、“普通に生きたい”と思っている。


 だからこそ。


 ふと。


 脳裏へ、先ほどの声が蘇る。


『ちゃんと暖かくして寝るんだよー』


 たったそれだけの言葉。


 戦術価値ゼロ。


 世界は救えない。


 なのに。


 その言葉だけが、不思議と胸へ残る。


「…………」


「メリー様?」


「いえ」


 メリーは静かに笑った。


 ほんの少しだけ。


 柔らかく。


「帰ったら、アーカイブがありますわねと思いまして」


「現実逃避しないでください」


「してませんわ。精神安定ですわ」


 瀬波は深く息を吐いた。


 だが。


 少しだけ安心もしていた。


 この人は、放っておくと本当に壊れる。


 責任だけで生き続けてしまう。


 だから。


 誰かの配信を見て笑っているくらいで、ちょうどいいのかもしれない。


「では」


 メリーが前を向く。


 その瞬間。


 空気が変わった。


 優雅なお嬢様ではない。


 世界最強。


 赤き魔王。


 人類最高戦力。


 演算陣が轟音のように脈動する。


 魔素が震える。


 空間が裂ける。


 そして。


 赤い瞳が静かに細められた。


「人類の尻拭いへ行ってまいりますわ」


 転移光が消えた瞬間。


 空気そのものが軋んでいた。


 旧ロシア領北部。


 氷雪地帯。


 だが本来白銀であるはずの景色は、現在ほとんど黒く染まっている。


 魔素侵食。


 空間位相の汚染。


 地表を走る赤黒い亀裂。


 崩壊した研究施設。


 そして。


 周囲へ漂う、“人だったもの”の残滓。


「…………」


 メリーは静かに周囲を見渡した。


 吹雪すら歪んでいる。


 大気中魔素濃度が異常域へ到達していた。


 通常人類なら、この場へ立つだけで循環器官が焼ける。


「位相崩壊率三十八%……想定より進行が早いですわね」


 淡々と分析する。


 同時に。


 彼女の周囲へ複数の演算式が自動展開された。


 外部魔素遮断。


 侵食干渉分離。


 空間安定化。


 多重循環保護。


 それら全てを、ほぼ無意識で並列制御している。


 普通なら、一つでも国家級術者案件だった。


 その時。


 遠方から爆発音。


 メリーの視線が向く。


 現地探索者協会支部。


 先行投入された欧州側上位探索者部隊が交戦していた。


『こちら第七班! 侵食個体を確認! くっ――位相干渉が!?』


『術式が安定しない!』


『後退! 一度距離を――』


 通信が乱れる。


 次の瞬間。


 雪原の一角が、巨大な“何か”によって抉り飛ばされた。


 黒い。


 いや。


 黒というより、“空間が腐っている”。


 そんな表現の方が近かった。


 巨大な肉塊。


 膨張した魔素器官。


 無数の腕。


 歪んだ顔。


 人型の名残が逆におぞましい。


 強制適性拡張実験の成れの果て。


 人間が、人間のまま壊れたもの。


「……あら」


 メリーの赤い瞳が細められる。


「まだ自我が残っていますの」


 怪物が笑った。


 いや。


 笑っているように見えた。


 崩れた顔面。


 裂けた喉。


 そこから漏れるのは、もはや言語ですらない。


 それでも。


 “助けて”と叫んでいるように聞こえた。


 現地探索者達が凍り付く。


 経験豊富な上位探索者ですら、僅かに恐怖を滲ませる。


 それほど異常だった。


 存在そのものが、人類の理解から外れている。


「メリー様!」


 通信越しに現地支部長が叫ぶ。


『危険です! 位相侵食が通常個体と違う! 術式へ干渉してきます!』


「見れば分かりますわ」


 メリーは前へ出た。


 雪を踏む。


 それだけで周囲空間の揺らぎが収束する。


 怪物が咆哮した。


 直後。


 周囲数百メートルの空間が歪む。


 侵食波動。


 通常術者なら精神ごと崩壊する高密度魔素汚染。


 だが。


 メリーは止まらない。


「第一階層術式展開」


 静かな声。


 瞬間。


 赤い演算式が雪原全域へ広がった。


 空気が変わる。


 いや。


 世界そのものの法則が、一時的に書き換えられる。


『――――!?』


 現地探索者達が息を呑む。


 侵食が止まった。


 空間歪曲が凍結された。


 狂乱していた魔素流動が、一瞬で制圧される。


「広域位相固定……?」


『馬鹿な、一人で!?』


『こんなの戦略級どころじゃ――』


 違う。


 そもそも次元が違う。


 メリーは淡々と歩き続ける。


 怪物が暴れる。


 巨大な腕が振り下ろされる。


 空間そのものを砕く侵食攻撃。


 だが。


 メリーは指先を少し動かしただけだった。


「座標分離」


 直後。


 怪物の腕が、“そこに届かなくなる”。


 空間位相を数センチ単位でずらした。


 ただそれだけ。


 しかしその精度が異常だった。


 位相制御とは本来、国家級演算設備を用いてようやく数メートル規模で扱うもの。


 彼女はそれを、生身で、戦闘中に、リアルタイム演算している。


 現地探索者達の背筋へ冷たいものが走る。


 これが。


 世界最強。


 メリー・アストレア。


 人類が到達してしまった、理論の怪物。


「さて」


 メリーは怪物を見上げた。


 赤い瞳。


 そこに浮かぶのは怒りではない。


 むしろ。


 ほんの少しの哀れみだった。


「貴方も、急ぎすぎましたのね」


 異世界でも何度も見た。


 力を求めた末路。


 壊れた人間。


 滅びへ近付いた文明。


 だから。


 彼女は知っている。


 これは“敵”ではない。


 人類の失敗だ。


「終わらせますわ」


 メリーが静かに右手を掲げる。


 瞬間。


 世界が赤く染まった。


 超高密度演算展開。


 多重術式圧縮。


 空間座標固定。


 魔素収束率急上昇。


 観測していた現地支部術者達が青ざめる。


『待て、出力がおかしい!』


『周辺ごと消し飛ぶぞ!?』


『退避――!』


 だが。


 次の瞬間。


 彼らは理解できない光景を見る。


 膨大な魔力。


 災害級出力。


 それだけの術式であるにも関わらず。


 周辺地形へ、一切影響が出ていない。


 出力が。


 完全制御されている。


「……綺麗」


 誰かが思わず呟いた。


 赤い光が雪原を照らす。


 吹雪が舞う。


 その中央で。


 メリーだけが静かに立っていた。


 まるで。


 終焉そのもののように。


「第二十三式、限定位相焼却術式」


 怪物が叫ぶ。


 だが。


 もう遅い。


「――《紅蓮封理》」


 静かだった。


 本当に静かに。


 怪物だけが消えた。


 爆発もない。


 衝撃もない。


 ただ。


 存在そのものが、“理論的に焼却”された。


 後には、静かな雪原だけが残る。


 現地探索者達が言葉を失う。


 誰も動けない。


 理解が追いつかない。


 戦闘というより。


 神話だった。


 そして。


 メリーは小さく息を吐く。


 疲労。


 ほんの僅か。


 だが確かにある。


 位相崩壊領域での広域固定は、流石の彼女でも負荷が大きい。


「……さて」


 彼女は空を見上げた。


 雪が降っている。


 静かな夜。


 その時ふと。


 脳裏へ、配信の続きを思い出す。


『みんな、ちゃんと寝るんだよー』


「…………」


 メリーは少しだけ目を閉じた。


 帰ったら。


 アーカイブを見ながら紅茶でも飲もう。


 そんなことを考えている自分へ。


 少しだけ驚いていた。

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