第28話 探索者も育っておりますわ
フィーネは五分ほど硬直していた。
正確には、椅子へ座ったままモニターを凝視し続けていた。
薄暗いワンルーム。
防音材代わりに置かれた毛布。
半分だけ飲まれたコンビニカフェラテ。
配信用マイク。
少し古い配信用PC。
生活感の残る、ごく普通の部屋。
世界規模で名前が知られている怪物とは、あまりにも縁遠い空間だった。
「…………いや怖」
ようやく出た言葉がそれだった。
心臓がまだ落ち着かない。
メールを再確認する。
何度見ても本物だ。
探索者協会。
アストレア魔導学術院。
世界中のニュースで流れ続けている名前。
新宿殲滅戦以降、ネットを開けば絶対視界へ入る存在。
メリー・アストレア。
人類最強。
赤き魔王。
歩く天災。
国家戦略級術者。
最近では“CG説”が一周回って定番ネタになっている。
『いや流石に人類じゃない』
『AI生成お嬢様』
『3DCG貫通してるだろあの顔面』
『現実に存在してはいけない縦ロール』
『魔法より美貌の方がバグ』
など。
なお本人も配信切り抜きでその辺を見ている。
「なんで私……?」
本当に意味が分からない。
登録者数数万人。
個人勢。
歌も突出して上手いわけではない。
ゲームも中堅。
トーク力も、まあ普通。
コメント欄との空気感だけで何とか生き残っているタイプの配信者である。
そこへ突然。
世界最強からメール。
怖すぎる。
フィーネは恐る恐る本文を開いた。
そして。
「……え?」
少しだけ目を瞬いた。
思ったより。
ずっと普通だったからだ。
『突然のご連絡失礼いたします。
配信を拝見し、配信運営および動画管理につきまして、ぜひ一度ご相談したくご連絡差し上げました。
もしご負担でなければ、オンラインにてお話のお時間をいただけますと幸いです。
メリー・アストレア』
「……普通だ」
もっとこう。
国家命令みたいなのを想像していた。
あるいは。
『貴女を当学術院へ招待いたしますわ』
みたいな。
怖いやつ。
だが実際には、かなり丁寧だった。
逆に怖い。
「いやでも……なんで……?」
配信を見ている?
あのメリー様が?
なんで?
頭が追いつかない。
その時。
スマホが震えた。
Discord通知。
相手は、付き合いの長い個人勢仲間だった。
『今トレンド見た!?』
「……は?」
フィーネは嫌な予感を覚えた。
恐る恐るSNSを開く。
そして。
「…………あっ」
終わった。
トレンド一位。
『メリー様、個人勢VTuberを視聴していた疑惑』
「なんで!?」
情報漏洩が早すぎる。
いや違う。
協会側の公式アカウントだ。
業務連絡用フォロー一覧へ、数十分前にフィーネのアカウントが追加されていた。
それを誰かが見つけた。
終わりである。
『誰だフィーネ』
『個人勢!?』
『登録者5万!?』
『メリー様の推し!?』
『世界最強にも推し文化あるの草』
『絶対圧かけられてるだろ』
『むしろ生きてるだけで偉い』
『おい切り抜き師急げ』
「やだあああああああ……」
フィーネは机へ突っ伏した。
胃が痛い。
配信者として軽く炎上しかけたことはある。
だがこれは規模が違う。
世界規模だ。
海外翻訳アカウントまで動き始めている。
『THE STRONGEST MAGE WATCHES VTUBER』
『WHO IS FIINE?』
『MARY ASTREA FAVORITE STREAMER』
「いや知らないよぉ……!」
本気で泣きそうだった。
一方その頃。
「漏れてますわね」
「漏れてますね」
「漏れてますねぇ……」
学術院側も死んだ目をしていた。
メリーは静かにタブレットを置く。
そこには怒涛の勢いで増え続けるSNSトレンドが表示されていた。
『メリー様オタク説』
『推し活する世界最強』
『配信見ながら紅茶飲んでそう』
『解釈一致』
「なぜ分かりますの?」
「最近メリー様の解像度高いんですよ世間」
瀬波は遠い目をした。
もう隠しきれないのだ。
新宿戦以降、“人類最強”というより“妙に人間味のある超越者”として認識され始めている。
特に配信切り抜き文化との相性が致命的だった。
超広域殲滅術式展開中。
『そこ、術式圧縮率が甘いですわよ』
↓
数秒後、災害級魔物消滅。
↓
『お嬢様指導助かる』
など。
意味不明な方向でネットミーム化している。
「……困りましたわね」
メリーは窓の外を見た。
夕闇の東京。
無数の灯り。
人が生きている街。
異世界では、最後まで守り切れなかった景色。
だからこそ。
今度こそ守ろうとしている。
その責任を、彼女は誰より重く背負っていた。
だが。
ふと。
タブレット画面の端に、小さくフィーネのアーカイブサムネイルが映る。
眠たげな銀髪の少女。
ゆるい笑顔。
それだけで、ほんの少し肩の力が抜ける。
「……メリー様」
橘が静かに声を掛ける。
「どうされました?」
「いえ」
メリーは微笑んだ。
どこか困ったように。
少しだけ寂しそうに。
「わたくし、もしかすると」
「はい」
「普通に友達を作る能力が壊滅しているのではなくて?」
「今さら気付きました?」
「今さらでしたわ……」
瀬波が胃薬を追加で飲んだ。
その時だった。
学術院内緊急術式通信――ではなく。
「メリー様ァ!!」
執務室の扉が勢いよく開いた。
飛び込んできたのは探索者協会運営統括部の若手職員だった。半泣きである。
「な、なんですの」
「第三支部の新人探索者配信が炎上しかけてます!!」
「平和ですわね!?」
メリーは思わず叫んだ。
いや実際、少し安心した。
最近は“緊急連絡”と言われるたびに国家崩壊級案件が飛んでくるので感覚がおかしくなっている。
若手職員は息を切らしながらタブレットを差し出す。
「東北第三支部所属の新人探索者チームが、小規模ダンジョン攻略を生配信していたんですが……コメント欄で“術式制御が甘い”と指摘されまして」
「実際どうでしたの?」
「甘かったです」
「なら直しなさいませ」
「メリー様の切り抜き視聴者達が解説を始めて、コメント欄が魔導講義状態に……」
「なんですのその地獄」
だが。
瀬波はその報告を聞きながら、少しだけ表情を和らげていた。
変わったのだ。
確実に。
世界が。
数か月前まで、“探索者”という存在は極一部の適性者だけのものだった。
ダンジョン発生。
ゲート災害。
魔物被害。
それらは国家管理対象であり、一般人からすれば遠い災害に近かった。
しかし今は違う。
メリーが体系化した魔素理論。
学術院による教育制度。
探索者協会支部網の急速拡大。
それにより。
全国各地で“新人探索者”が誕生し始めていた。
北海道第一支部。
仙台支部。
関東中央支部。
名古屋支部。
大阪支部。
福岡支部。
地方都市単位でも小規模拠点が増え続けている。
もちろん、まだ黎明期だ。
メリーのような怪物級術者は存在しない。
だが。
人類は確かに前へ進み始めていた。
タブレット画面には現在進行中の地方支部配信一覧が映る。
『群馬第四支部 低危険度鉱石型ダンジョン調査』
『札幌支部 新人合同訓練』
『関西支部 魔素循環基礎講座』
『九州第二支部 低級魔獣討伐演習』
コメント欄も以前とは違う。
『術式固定うまくなってる』
『半年前なら死人出てたなこれ』
『ちゃんと避難誘導してる』
『学術院式の基礎術式広まってきたな』
『一般人でも魔素感知できる奴増えてきた』
人類全体が変わり始めている。
それは、メリーだけが強い世界ではない。
人類が、“魔素時代”へ適応し始めている証だった。
そして。
その中心にいるのが。
「……皆、頑張っていますのね」
ぽつりと。
メリーが呟いた。
その声は、どこか静かだった。
瀬波は彼女を見る。
メリー・アストレア。
世界最強。
異世界帰還者。
人類防衛の象徴。
だが彼女は。
決して“自分だけで世界を救おう”とはしていない。
むしろ逆だ。
自分がいなくても、人類が立てる世界を作ろうとしている。
それがどれほど難しいことか。
瀬波には分かっていた。
怪物一人に頼る方が、遥かに簡単なのだ。
だがそれでは、いつか終わる。
だからメリーは育てる。
知識を。
技術を。
人を。
「現在、地方支部から学術院への講師派遣依頼が急増しています」
橘が報告を続ける。
「特に“基礎魔素循環制御講座”の需要が高いですね。地方行政も巻き込み始めています」
「当然ですわ。循環制御を誤れば、低出力術式でも身体へ負荷が蓄積しますもの」
メリーは即座に切り替わった。
先ほどまで“推し相手へ送るメール文面”で死にかけていた人間とは思えない。
「現状、日本国内の平均魔素適応率はまだ低水準。適性者以外へも最低限の循環教育は必要ですわね。特に未成年層。発育段階で魔素暴走癖が定着すると後々面倒ですわ」
「学術院監修教材、各自治体へ展開を進めます」
「あと地方支部へ演算補助式を送っておきなさい。新人層は術式安定化がまだ甘いですわ」
「既に準備済みです」
「仕事が早すぎませんこと?」
「メリー様に鍛えられましたので」
橘はさらりと言った。
なお本当に地獄を見た結果である。
学術院設立初期。
メリーは“世界基準”で教育を進めようとしていた。
『初級多重演算ですわ』
↓
人類側「無理です」
『簡易位相固定術式ですわ』
↓
人類側「無理です」
『最低限の広域制御ですわ』
↓
人類側「最低限とは」
結果。
瀬波と橘が死ぬ気で“人類向け翻訳”を行った。
今では学術院教育体系もかなり改善されている。
それでも難しいが。
「しかし、地方支部配信の影響は予想以上です」
瀬波がタブレットを操作する。
「探索者が“特別な存在”ではなく、“新しい職業”として認識され始めています」
映像。
地方支部所属の若い探索者達。
まだ荒削りだ。
術式制御も甘い。
魔素循環効率も低い。
戦闘もぎこちない。
それでも。
恐怖に震えながら。
仲間と声を掛け合いながら。
小規模ダンジョンを攻略している。
『右通路、魔素反応あり!』
『固定術式維持!』
『避難誘導班、後退確認!』
必死だ。
だがその必死さが、人間らしかった。
メリーは静かにその映像を見つめる。
赤い瞳が僅かに細められる。
異世界では。
こうはならなかった。
強者だけが戦い。
弱者は守られるだけだった。
間に合わなかった。
育てる時間がなかった。
だから滅びた。
だが、この世界は違う。
まだ間に合う。
まだ、人類は歩ける。
「……悪くありませんわね」
小さく。
本当に小さく。
メリーは笑った。
その瞬間だけ。
怪物ではなく。
未来を願う、一人の女性の顔をしていた。




